二章 ドラゴン巫女 九話
アキト視点に戻ります。
ずっと尋ねるタイミングを伺っていたギドメリアのドラゴンの話をミドリにすると、彼女の表情は目に見えて曇った。
「今までレフィーナにも、オリヴィアにも話して来なかった。これはまず初めにミドリに聞かないといけない内容だと思ったからだ」
「……はい」
ミドリは俯き、小さく答える。
「えっと……ぼく、どっか行った方が良い?」
レフィーナが気を使って尋ねると、ミドリが彼女の手を掴んだ。
「い、一緒にいてください」
「……うん。分かった」
ミドリはレフィーナが一緒に居てくれた方が話しやすいようだ。こうなってくるとオリヴィアだけが除け者になってしまうので、彼女にも後で話をしようと思う。
「あいつは、お前を妹だと言っていた。母親が違うとも。そして――」
これは聞いて大丈夫な事なのだろうか?
青ざめて浅い呼吸を繰り返している様に見える彼女をあまり追い詰めるようなことはしたくない。だが俺はミルド村を――アルドミラを守ると決めたのだ。もしかしたら、あいつとはまた戦う事になるかもしれない。
あいつが本当にミドリの兄だというのなら、俺はミドリの兄を殺すことになるかもしれないのだ。
だからミドリとあいつとの関係をハッキリとさせておきたかった。
「――俺がお前の契約者だと分かった時、あのドラゴンは俺を殺す理由が増えたと言ったんだ」
「えっ、それって」
レフィーナが心配そうにミドリの顔を覗き込む。
それからしばらくの間、無言の時間が続いた。
こんな話を突然されて、すぐに返事が出来るとは思っていない。だからこそ、ゆっくりと話が出来そうなタイミングを見計らっていたのだ。
俺が御神木の木漏れ日を眺めながら待っていると、ポツリと呟くようにミドリが答えた。
「そのドラゴンは……オリヴィアと同じ、青い鱗のドラゴンですか?」
「ああ。あいつはオリヴィアの事は認めなかったけどな」
思い出すだけでムカつくが、あいつはオリヴィアの翼を紛い物だと言いやがった。それは例えミドリの兄だったとしても許せない。
「あの男らしいですね」
「やっぱり、そうなのか?」
「はい。そのドラゴンは私の兄、アレクサンダーです。今では四天王と呼ばれているのではないでしょうか」
「確かに、アルドミラの勇者にあいつは四天王の一人だと教えて貰ったよ」
あのドラゴンはアレクサンダーというのか。
「でだ。ギドメリアの四天王がお前の兄だって事は、お前はギドメリア出身のドラゴンだったってことだよな?」
「そうですね」
「どうして、アルドミラに来た? お前は自分の兄弟と敵対しているんだぞ?」
「……面白くない話になりますが、聞きますか?」
「教えてくれ」
ミドリは何かを諦めたような目で、自らの過去を語り始めた。
「私はギドメリアの前の王の娘として生まれました」
「前の王?」
ということは、ミドリは王女様ということじゃないのか?
「私は良く知りませんが、父が王としてギドメリアを治めていた時代は、アルドミラと小競り合いこそありましたが、今の様な全面戦争は行っていなかったと聞いています」
「戦争が始まったのは今の王に代替わりしてからってことだな?」
「正確には、父の代は休戦していただけですね。そして、今の王へと代替わりした際に、再戦したということです。父はアルドミラと争い続ける自国を問題視し、人間を見下し世界から排除しようと考えている臣下や国民たちを何とか抑え込んで休戦を続けていました。けれど……」
ミドリの表情が濁る。
何か途轍もなく嫌なことを思い出したような、苦痛に歪んだ顔をした。
レフィーナの手を握っているミドリの手に力が込められる。レフィーナは心配するように握られた手の上に反対の手を乗せた。
「……私がまだ3歳の時に、王宮に突如として現れた黒いエンシェントドラゴンによって、父が殺されました」
「は?」
待て、殺されたって言ったか?
「な、何だよ、それ。どうして急にそんなことになったんだ?」
「ヒナノがこの神社に転生したのと同じです。黒い鱗を持つエンシェントドラゴンはそのタイミングでこの世界に転生したのです。これはその場に居合わせていた兄がエンシェントドラゴンから直接聞いた話なので間違いありません」
「兄からって」
ダメだ、頭がこんがらがってきた。
ミドリの兄は自分の父親が殺される場に立ち会っていたということか?
「兄は父に対してあまり良い感情を持っていませんでした。臣下たちも同様です。なので、父を殺したエンシェントドラゴンを新しい王と崇めて仕えるという選択をしました」
そういうことか。やっと状況が呑み込めてきた。
つまり、平和思考だったミドリの父親の政治を良く思っていなかった部下や息子は、エンシェントドラゴンがミドリの父親を殺してくれたことで、自分たちの望みであるアルドミラとの戦争がやりやすくなったということか。
「そのエンシェントドラゴンが、今のギドメリアの魔王ってことだよね?」
レフィーナの言葉にミドリは頷く。
「ギドメリアの魔王。名前はコクヨウと言います」
コクヨウ……黒曜石のことか?
ミドリはエメラルドだし、鱗を宝石として考えて名前を付ける文化があるのかもしれない。
「彼は転生前の記憶を持っていました。大昔、勇者ゲンヨウと竜王ヘキラに打ち倒された存在らしいです」
「記憶を持って……って、そんなことあり得るのか?」
「実際に有り得たのだから認めるしかないでしょう。それに、ヒナノは子供の状態で転生したようですが、魔王は最初から大人の姿だったと聞いています」
何でもありだな。
前の人生でも悪の親玉みたいな感じで勇者と竜王に殺されたということだろうし、生前の未練や恨みが転生に影響を及ぼしたのかもしれない。
「私の母は子供だった私を守るために、夫を殺されたにもかかわらず魔王に従う道を選びました。ですが、嫌々従っているのは魔王も分かっていたようで、母と私は常に冷遇されて過ごしました。それこそ、王宮で働くメイドのようにこき使われる毎日でした」
殺された元王の妻と娘。普通に考えたら追放されたり、処刑される立場だが、使用人として働かされていたということか。
「あれ? でも、お前の兄――アレクサンダーはギドメリアの四天王だよな?」
「兄は魔王に従順でしたから。魔王の強さに心底心酔して、彼の部下として戦う事に喜びを見出しているようでした。自分の母親が殺されたというのに、何とも思っていないようでしたので、魔王はそこを気に入ったのかもしれません」
「アレクサンダーの母親は殺されたのか」
「はい。父が殺された時に、無謀にも魔王に攻撃して反撃を受けたと聞いています」
自分の両親が殺される場に居合わせて、殺した相手に心酔するというのはまともな精神ではないな。
アレクサンダーの母親の方がずっとまともだ。
「私は母と一緒にいつの日か魔王の目を掻い潜って王宮から逃げ出そうと考えていましたが、毎日竜人姿でへとへとになるまで働かされ、逃げ出せそうな夜には竜人化を維持できなくなる日々が続いていました」
「そうか、契約していないドラゴンは竜人化を長時間続けられない」
「はい。加えてドラゴンの姿では目立ち過ぎて逃げることは出来ません」
例え夜中だったとしても、あれだけの巨体のドラゴン二人が逃げ出せばすぐに気付かれる。
加えてエンシェントドラゴンである魔王は魔力感知を持っているだろうから、そもそも脱走は不可能だ。
「そんなある日、母が過労で倒れ、そのまま亡くなりました」
「……っ!」
何となく予想はしていたが、やはり既にミドリの母親はこの世にはいないようだ。
ミドリは眉間にしわを刻み込み、怒りに声を震わせた。
「魔王は母の亡骸を蹴りつけた後、魔法でバラバラの肉塊へ刻み、海に住む魔物の餌として放り捨てました」
「なっ!」
俺はあまりのことに驚いて、ベンチから立ち上がった。
レフィーナも目を見開いて固まっている。存在感が増したことから魔力圧縮が解けたようだ。彼女の怒りが伝わってくる。
「アキトくん……ぼく、こんなに暴れたいと思ったのは生まれて初めてだよ」
「俺もだ」
魔王だか何だか知らないが、それが王を名乗る者のやることだとはとても思えない。
俺が旅に出ると決めた時、ミドリが魔王を倒そうと言っていたのは冗談などではなかったということか。
「二人とも、ありがとうございます。今更になって私にも、怒りが湧いてきました」
ミドリは少しだけ身体の力を抜くように笑う。
「どういう……意味だよ?」
俺は再びミドリの隣に座り直すと、彼女の説明を待った。
「当時の私は、魔王を倒そう、復讐しようなど微塵も考えられませんでした。私にとって母が人生の全てでしたから。いつか母と一緒に外の世界へ逃げ出して、二人でのんびりと平和に暮らしたい。それだけが望みでした。それが叶わぬ夢として泡沫に消えた時、私は自分が生きる意味すらも失いました。母だったものが海の魔物に食い荒らされるのを見た時、私は周りの制止を振り切って海へと走りました。海に飛び込んで、目に見える魔物を手当たり次第に消し飛ばしていると、私の魔力はすぐに尽きて気を失いました。そして気付いた時にはアルドミラの海岸に流れ着いていたというわけです」
「それでアルドミラに来たのか」
「私はあの瞬間に死ぬつもりだったのですが、魔力が尽きたことで私の身体は竜人からドラゴンへと戻ってしまい、生き残りの魔物に食い殺されることすらも出来ませんでした」
「やっと繋がった。それで今度は餓死しようと思って山の上で何もせずに過ごしていたのか」
「はい。あそこでアキト様に出会えたのは、私の人生で初めての幸運です」
とんでもなく壮絶な過去だ。
ミドリが今まで話さなかったのも当然だな。
「じゃあ、アレクサンダーが俺を殺す理由が増えたって言っていたのは、脱走したお前を見付けたら殺すように魔王に言われていたってところか?」
「それもありそうですが、私は海に飛び込む前に私を止めようとした人たちを攻撃しました。もちろん兄であるアレクサンダーもです。彼はその時の事を根に持っているのではないでしょうか」
なるほどな。あいつとは少ししか話せていないが、その可能性は高そうだ。
「ねえ、アキトくん。ぼく、やっぱり許せないよ。アルドミラに戻ったら軍に入隊したい気分だ」
「やめとけ」
「えっ? ど、どうしてさ!」
「それはミドリが決めることだからだ」
俺は視線をミドリへと向ける。
彼女が復讐のために本格的にギドメリアと戦いたいというのなら、俺も腹をくくる事が出来る。だが、そうではないのなら俺たちが勝手に盛り上がって軍に入隊するのは間違っている。
「確かに、魔王に対して今なら怒りを覚えることも出来ます。ですが、それはアキト様やレフィーナの平穏を破壊してまで行うことではないと思っています。二人は別にやることがあるのでしょう?」
「それは……」
レフィーナにはミルド村でのクイーンとしての仕事と、それを継ぐ子供を育てるという使命がある。
そして俺は、オリヴィアとサラとの約束を果たすため、何よりも俺の本当の願いのために、ロゼと結婚して平穏に暮らすことを目標にしている。
「ミドリは本当にそれでいいのか?」
「はい。たとえ復讐を果たせたとしても、虚しいだけですし、そもそも魔王に勝てるとは思えません。以前は冗談でアキト様に魔王を倒すように言った覚えがありますが、本心ではありませんよ」
エンシェントドラゴン。
グレンとの戦いでその強さは身に染みている。
加えて四天王までいるのだから、復讐を果たす前に更なる犠牲が出てしまう可能性の方が高い。それはミドリの望むところではないはずだ。
「分かった。話してくれてありがとな。俺はこれまで通り好きに生きることにする。ミドリもそうしろよ」
「はい……この話、オリヴィアには私からしておきます」
「いいのか、そんなに広めて」
「オリヴィアは私のお姉ちゃんですから。隠し事はしたくありません」
そう言って、ミドリは無理やり笑みを作った。
話は終わり、各々が自分の仕事へと戻る。
静けさを取り戻した木陰のベンチに、白露が飛び乗って座る。
「……すげえ話を聞かされちまったな」
「…………」
「お前も、自分のやりたいように好きに生きろよ?」
俺が白露の頭を撫でると、白露はその場で丸くなって眠り始めた。
エンシェントドラゴンの転生タイミングはバラバラなので、死んでから100年後に転生する場合もあれば、数日後に転生する場合もあります。




