一章 アルラウネの森 五話
「あっ、そっか」
レフィーナは俺の回答にあっさり納得したかと思うと、当然のように俺のあぐらの上に腰掛ける。子供だから許される馴れ馴れしさだな。あざと可愛い。
「レフィーナ、魔力を隠して近寄らないで下さい!」
「ごめんね。そんなに驚くと思わなくて……ていうか、顔真っ赤だよ?」
「こ、これは驚きで顔に血が上ったんです!」
ミドリはくるりと背中を向けた。俺に尻尾を触らせていたのを見られたのが相当恥ずかしかったようだ。
「レフィーナ、栄養補給は終わったのか?」
ルナーリア様との話が終わった後、レフィーナは栄養補給と称して自分の花の中に戻った。アルラウネのランチタイムだな。
俺たちも昼食にしようということで、川で飲み水を確保しつつ食事を済ませたというわけだ。
ちなみに今日の昼食はレフィーナが花畑に行く道中で教えてくれた野草の中で、毒がなく食べられそうなやつと干し肉を煮たスープだった。ミドリが捕まえたカエルも入れたのだが、見た目に反して恐ろしく美味いから驚きだ。
「ううん。まだ全然足りないけど、いいこと思いついたから花ごと来ちゃったんだ」
レフィーナがそう言うと、がさりと木々の後ろから巨大なバラの花が現れる。
「おいおい、大丈夫なのか? 深く根を張っているから移動できなかったんだろ? ここに来たってことは……」
「うん。根は地面から引き抜いたよ」
レフィーナはこてんと俺に寄りかかると、甘えるように告げた。
「ねえ、アキトくん。ぼくと契約しよう?」
「は?」
「レフィーナ。あなたはこの森から出られないでしょう。アルラウネが人間と子を為せない種族である以上、アキト様がこの森に留まる理由はありません。何を考えているのですか?」
ミドリが的確なツッコミを入れる。もう冷静さを取り戻したらしく、いつもの無表情だ。
「アキトくん、この森の木を伐ろうとする人間たちを説得してくれるんでしょ?」
「それはまあ……ルナーリア様の頼みだし、出来る限りはやってみるつもりだよ」
俺はルナーリア様に人間たちの説得を頼まれたのだ。正直、レオさんたちも生活がかかっているわけだから大人しく言うことを聞いてはくれないと思うが、やるだけはやるぞ。
「そっか~。でも、いくらアキトくんが信頼できそうな人間だからって、アルラウネの問題を無関係のアキトくんだけに任せるのは違うと思うんだ」
「道理ですね。私も同じ考えです。頼むのは勝手ですが、アキト様に全てを任せるのは本気で人間と話し合う気がないからと受け取れます。そもそも人間たちは話し合いを求めていました。それを魔法で無理やり追い返したのはアルラウネの方ですから」
レフィーナはミドリのオブラートに全く包まない言葉が刺さったのか、しょんぼりと俯く。
「あはは……手厳しいなぁ。でもさ、人間たちの話し合いって言うのは、結局は森の木を伐らせてくれないかっていう内容だよね。そんな話し合いにママが応じるわけがないよ。それが分かっているからみんなは人間たちを追い返しているんだ」
「……でもよ、そんなことを繰り返していたら、そのうち気付かれないように木を伐っていく人間が出そうだよな」
レフィーナは俺のあぐらの上でくるりと回転すると、向き合う形になって両肩を掴んでくる。
「そう、それなんだよ。だからぼくと契約して欲しいんだ」
「どうしてそうなる?」
俺と契約することは関係ないだろう。
「ぼくが直接話し合いに行くために祝福が欲しいんだ」
「レフィーナが?」
「非効率ですね。レフィーナが交渉すると言うのなら、森の入り口で話し合いに来る人間を待ち構える方がいいでしょう」
「それじゃダメなんだ。ぼくは森から出たら身体を保てないから、人間との交渉のために森の入り口に行くなんてママが絶対に許可しないよ」
「人間たちに森の外に連れ出されるのを警戒しているということですか?」
「うん。そういうこと」
「なるほどな。それで俺と契約して祝福を得ることで活動範囲を伸ばそうってことか。そんなことルナーリア様がよく許したな」
俺が尋ねると、レフィーナは恥ずかしそうに俯いた。
「えへへ、ママには内緒で来ちゃった」
「は?」
どういうつもりだ?
そんなことしてバレないわけがないだろう。それとも、人間との交渉を成功させてしまえば怒られないとでも思っているのだろうか。
「その話、この森でしても大丈夫なのですか? 森と会話が出来ると言うのなら、森がクイーンアルラウネに密告する可能性もあります」
「たぶん大丈夫。ママには内緒にしてって言ってあるから」
「そうですか、なら安心ですね」
いや、全く安心できないだろう。
森ってのはルナーリア様が長年かけて育ててきた植物達のことだ。ということは森にとってルナーリア様は親も同然じゃないのか?
レフィーナがママには内緒にしてと言ったところで、一体何人ーーいや、何本の木が黙っていてくれることやら。
「ではアキト様。私との契約を切りましょうか」
「えっ?」
「何を驚いているのですか。アキト様の契約紋は一つだけです。レフィーナと契約するなら私との契約を切るしかないでしょう」
ミドリの言う通りなのだが、それは俺にとってかなり勇気がいる選択だ。ミドリという俺の事情を完璧に理解している相棒との物理的な繋がりがなくなってしまうのだから。
「アキトくんの契約紋が一つだけ? そんなわけないよ」
「レフィーナ?」
「出会った時からアキトくんはぼくと契約出来る人間だって感じてたもん。契約紋にはまだ空きがあるはずだよ」
そんなことが分かるのか?
だが、それは勘違いだ。俺の契約紋は虹色に輝く大きな勾玉一つだけ。前のアキトの記憶を探れば直ぐに分かることだ。
「いや、ミドリの言う通り俺の契約紋は一つしかないぞ」
「むぅ。アキトくんまでどうしてそんな嘘付くの?」
レフィーナは髪の毛の中から数本の蔓を伸ばして俺の腕を広げさせ、両手で俺のシャツのボタンを外していく。
「ええっ!? いや、ちょっと待て! この状況は色々な意味でヤバいから! じ、自分で脱ぐから!」
抵抗虚しく、俺はレフィーナによって服を脱がされてしまった。
こういう時に限ってミドリは助けようとはしてくれない。レフィーナに敵意はないと分かっているからだろうか?
「ほら、やっぱりあった」
レフィーナが嬉しそうに俺の左胸を撫でる。
視線を落とすと、俺の左胸の上辺りに五つの契約紋が刻まれていた。
「えっ? なんだよこれ、記憶と違うぞ!?」
「そんな馬鹿な。アキト様の契約紋が増えている?」
俺とミドリは同じように驚きの声を上げた。
一つしかなかったはずのアキトの契約紋が、突然五つになっていたのだ。驚くに決まっている。
「ミドリ、契約紋って増えたりするものなのか?」
「そんな話、聞いたことがありません。ですが……」
ミドリは何か心当たりがあるのか、考えるように黙り込んだ。
俺は彼女が口を開くのを待っていたのだが、待ちきれなくなったレフィーナが俺の契約紋に手を当てて何か温かいものを流し込んできたので、驚いてそちらに視線を戻した。
「お、おいレフィーナ、何してるんだ?」
「何って契約だよ。こうやって契約紋に魔力を流すと契約出来るんでしょ?」
「よく知ってるな。って、ちょっと待て。契約にはお互いの同意が必要なんだ。お前だけで勝手に出来るものじゃない」
「え? でもアキトくんぼくのこと好きでしょ? なら大丈夫だよ。ほらほら契約に集中して?」
レフィーナは俺の腕を縛っていた蔓を解くと、その蔓で身体を優しく抱きしめてきた。そして再度契約紋に触れると、ゆっくりと魔力を流し込んでくる。
「お、おい! 強引すぎるだろ……」
五つになった契約紋は真ん中に大きな虹色の玉があり、その周りを一回り小さい四つの勾玉が囲んでいる形になっている。小さいとは言っても虹色の玉より小さいだけで、人間の間では大勾玉と呼ばれているサイズだ。
レフィーナはその四つの大勾玉の内、発光している金色の勾玉に魔力を注いでいるようだ。
「アキトくんって何者なの? 普通はぼくと契約出来る契約紋を持っている人間の方が少ないって聞くよ? それなのに、同じ大きさの勾玉が後三つもある上に、真ん中の大きな虹色の玉……」
レフィーナはちらりとミドリを見る。
「ぼくやママの想像以上の人間だったみたいだね。いや、本当に人間なのかな?」
「失礼なことを言うな。俺は人間だ」
「冗談だよ。それよりもまだ契約する気にならないの?」
レフィーナはいつまで経っても契約が完了されない理由が俺の意思にあると見抜いて、ねだるような視線を向けてくる。
「……仕方ねえな」
どうして俺の契約紋に変化があったのかは分からないが、出来るようになったと言うのなら、してやろうじゃないか。
ルナーリア様との約束もある。レオさんのところまでレフィーナを連れて行って、アルラウネと人間の話し合いを見届けよう。
俺がその気になったからなのか、瞬く間にレフィーナとの契約が成立し、彼女の身体に変化が訪れる。後方に控えていた花がレフィーナと一体化し、より華やかな少女の姿へと形を変えた。頭の上に咲いている紫色の薔薇が目を引く。
「これが祝福なんだ……」
レフィーナは自分の身体を確かめると、嬉しそうに口角を上げた。
「すごいよ、ここまで魔力が上がるなんて!」
はしゃぐレフィーナの肩をミドリが掴む。
「それ以上、魔力を解放してはいけません。クイーンアルラウネに気付かれますよ」
「あっ、やば!」
ミドリの注意を聞いて、レフィーナの華やかな存在感が一気に小さくなる。今の魔力の変化は俺にも分かった。
「……恐ろしいですね。もはや私以上の魔力を持つにも関わらず、普段は中級魔物程度にまで魔力を下げられるとは」
ミドリはレフィーナを警戒するように俺との間に割り込む。
「大丈夫だ、ミドリ。レフィーナが俺に対して本気の敵意を持てば契約は切れる。逆に言えば契約出来ている間は絶対に裏切らない頼もしい仲間ってことだ」
「む……頭では分かっていても、目の前にこれほど驚異的な種族がいればどうしても警戒したくなります」
「ミドリお姉ちゃん、ぼくの魔力がミドリお姉ちゃんよりも多いってホント?」
「誰がお姉ちゃんですか」
「お互いアキトくんと契約しているんだし、姉妹みたいなものだよ。いや?」
レフィーナがかわいく首を傾げて尋ねると、ミドリはすぐに目をそらした。どうやら彼女から見てもレフィーナはとても可愛いようだ。照れているのか、少しだけ声を上擦らせながら答えた。
「好きにしてください」
「うん、ミドリお姉ちゃん」
「……言っておきますが、魔力以外は全てにおいて圧倒的に私が上ですからね」
お前はなぜ張り合っているんだ。
「どっちが強いとかはいいから、早いとこ出発しようぜ。ルナーリア様に気付かれたら不味いんだからさ」
結局、森を出るまでの間、ミドリはレフィーナを警戒して俺との間に居座り続けた。
アキトはレフィーナとの契約をレオとの交渉が終わるまでと考えています。




