二章 ドラゴン巫女 二話
ミドリの後について神社の奥へと進んでいくと、参拝客や神職、巫女たちがこちらへと注目してきていることが分かる。
最初はミドリが竜人の巫女として注目を集めているのかと思ったのだが、どうやらそれだけでは無いようだ。
不意に俺の右手が握られる。
「オリヴィア?」
「お願いアキトちゃん、今だけはこうしていて」
オリヴィアは震える声でそう言った。
「……分かった」
幸い今の状況は、恋人と手を繋ぐというよりは、怯える子供と手を繋いであげている状況に近いのでセーフだろう。
ミドリはそんな俺たちの様子を気にすることなく、別のことに意識を向けたようだ。
「あの、アキト様。一番後ろをついてくる狐の魔獣は何ですか?」
この場では答え辛い質問だな。
これだけの注目を集めていると、今の俺たちの会話は誰が聞いていてもおかしくない。
「ここに来る途中で懐かれたんだ。友好的だし、契約獣にしようかと思ってる」
俺の言葉が聞こえたのか、狐はどこか嬉しそうに近くまで寄ってきた。
「契約獣ですか……属性は?」
「たぶん、炎属性だな。火炎魔法で一緒に戦ってくれたことがある」
「ふむ。悪くないですね。私でも感じ取れる魔力があるようですし、普通の魔獣ではなさそうですが」
やはりミドリにも感じ取れるほどの魔力量なのか。
魔力感知が出来る種族には狐の異常性がすぐに分かりそうだ。
「まあ、その辺りは詳しく話すと長くなるから、あとでな」
「ふむ……何かあるのですね。分かりました、あとでゆっくり聞かせてください」
妖怪云々の話は借金を返して自由の身になった後で、身内だけで話す方がいい。それまで狐の事は魔力量の多い魔獣で貫き通すしかないな。
久しぶりのミドリとの雑談を楽しみながら進んで行くと、本殿らしき建物の前で白髪交じりの優しそうな神職の男性がこちらを見て目を見開いた。
「オ、オリヴィア!?」
俺と繋いでいたオリヴィアの手にギュッと力が入る。
男性は慌ててこちらへと近付いてきたが、その視線はオリヴィアの顔と足を行ったり来たりしている。
そうか、ここにいた頃のオリヴィアは誰とも契約していなかったから、神社の人たちはラミア形態のオリヴィアしか見たことがないのだ。
俺もラミア形態のオリヴィアの方が好きなのだが、最近はそれをあまり主張出来ない環境にいるので、オリヴィアはその日の気分で蛇の下半身と人間の下半身を使い分けている。
ここでは警戒していたのか人間の足を使っていたが、やはり知り合いには顔と翼で気付かれてしまうようだ。
そもそも、とても目立つオリヴィアが注目を集めない日は無いので、気付かれて当然とも言える。
「オリヴィア……だね? その足は祝福で手に入れたのかい?」
「え、ええ、そうよ」
「そうだったのか。とすると、君がオリヴィアの契約者かな?」
男性は俺に視線を向ける。
俺は軽く会釈をすると、オリヴィアを庇うように一歩前へ出て自己紹介をした。
「アルドミラから来ました。アキトです」
「私はツネヒサ。この雲竜神社の宮司をしています。まさか、オリヴィアが帰って来たばかりか、恋人を連れてくるとは思わなかったよ」
「あっ、いえ、俺はオリヴィアの恋人じゃないですよ」
その勘違いをされるとまずい。
俺は即座にオリヴィアと繋いでいた手を離した。
オリヴィアは小さな声で「あ……」と呟いた後、悲しそうな表情で下を向いた。
ごめん。でも、その勘違いをされるようなら、手を繋いでやるわけにはいかないんだ。
レフィーナが気を使ったのか、俺の代わりにオリヴィアと手を繋ぐ。
「恋人じゃない? 契約者なのにかい?」
「はい。もしかして、ヤマシロでは恋人としか契約しないんですか?」
「……同性なら親友同士で契約することもあるが、異性の場合はまず間違いなく恋人だね。契約とは一生その相手と共にいるからこそ行うものだ。相手が異性なら、恋人でないとおかしいだろう? それにオリヴィアは、恋人を探して出ていったものだと思っていたから、君と手を繋いで帰ってきたところを見たら、そう考えるのが普通だ」
全くその通りですね。
でも、こちらにも事情があるんだよ。オリヴィアとは恋人じゃなくて、家族――おそらくは姉と弟のような関係でこれからも契約を続行すると決めている。
ミドリは妹で、レフィーナは親友だな。
「あの、ツネヒサさん。私は別に恋人を探して出ていったわけじゃないわ」
「え? では、どうして出て行ったんだい? 出来る事なら一生ここで暮らしたいというオリヴィアの言葉を聞いて、私と妻はオリヴィアを家族として迎え入れるつもりでいたんだよ?」
「それは…………小さな男の子を紹介されて……」
オリヴィアが答え辛そうにしているのを見ると、ツネヒサさんは彼女を気遣うように言葉を被せた。
「すまない、言い辛いなら言葉にしなくともいい。あれは妻がオリヴィアを想ってやったことだが、やはりやりすぎだったと言わざるを得ない。オリヴィアはあの後すぐに出ていってしまったし、おそらくあれが原因だろうとは思っていたんだ。妻も深く反省しているよ」
おや?
勝手に出ていったことを怒られるのではないかと心配していたが、杞憂に終わりそうだな。
出会ったばかりだが、ツネヒサさんは比較的まともな考え方をしている人のようだ。これならば、穏便に話が終わりそうだ。
「どうだろう、またここで一緒に暮らしてもらえないだろうか? もちろん、アキト君も一緒に」
オリヴィアはツネヒサさんがそう来ると予想していたのか、冷静な表情で首を横に振った。
「嬉しいお話だけど、私にはもうアルドミラに帰る場所が出来たの」
「そ、そうなのか……残念だ」
「ええ。ごめんなさい」
「せめて、妻に会ってやってくれないか? 君が出ていった原因を作ったのは自分だととても落ち込んでいてね。謝罪の機会を与えてあげてほしい」
オリヴィアは少し考えた後、小さく頷いた。
謝られたところで困るのだろうが、謝ってスッキリするのなら謝らせてあげようということかもしれない。
元々オリヴィアはここの人たちの事が大好きだったはずなので、きっと笑顔で別れたいはずだ。
「ありがとう」
「分かったわ。後で家の方に挨拶に向かうわね」
オリヴィアの話が終わったタイミングで、先ほどまで黙っていたミドリが口を開く。
「ツネヒサ様。一応お尋ねしますが、ヒナノさんはどちらにいらっしゃいますか?」
「確認したわけではないが、まだ家にいると思うよ」
「はぁ……今日もですか。アキト様、行きますよ」
「ん? ああ、そのヒナノって人が借金相手か?」
「そうです」
ミドリが踵を返して歩き出したので、俺たちは慌てて後を追う。
「エメラルドさん、今から家に帰るのかい?」
ツネヒサさんが俺たちに並ぶようにして付いて来る。
「ええ。とても大切な用があります」
「午後になれば出てくると思うからここで仕事をしながら待った方が良い。不機嫌になられると困るのは君も一緒だろう?」
「いいえ。私はもうヒナノさんの顔色を伺うつもりはありません」
「え?」
今の二人のやり取りを聞いただけで、ミドリが普段からヒナノに気を使って暮らしていたことが分かる。そして、なぜだか知らないがここで一番偉いはずのツネヒサさんもヒナノをとても気にかけているようだ。
どこか腫れ物に触るかのような雰囲気が漂っている。
俺たちはツネヒサさんの反対を押し切って、そのヒナノという巫女がいる家へと向かうのだった。
雲竜神社から徒歩10分ほどの場所に、かなり大きな敷地の家があった。ツネヒサさんの自宅らしい。
家の前に着くと、オリヴィアが呟いた。
「何だ、ヒナノさんは一緒のお家に住んでいるのね」
「ああ。言っただろう? オリヴィアに貸していた部屋は元々ヒナノの部屋だったんだ」
「そういえば、そんな話を聞いた気もするわ」
ここにミドリの借金相手である竜人の巫女――ヒナノがいるのか。
ミドリが何をするのか不安に思ったツネヒサさんまで一緒に家まで帰って来てしまったが、仕事はいいのだろうか?
俺は狐に騒ぎにならないように敷地の外で待つように伝えると、ミドリに続いて遠慮なく家に上がると、ヒナノの部屋を目指す。
神職の偉い人の家なので、もっと和風かと思ったのだが、意外と洋風の家で驚いた。アルドミラにある俺の家とほとんど変わらない。
「行きますよ、アキト様」
ミドリは決戦に挑むかのごとく気合を入れた声で言うと、ドアを開け放った。
部屋の中は暗闇に包まれている。もしかして、寝ているんじゃないのか?
ミドリはお構いなしに部屋の中へ入っていくと、カーテンを全て開けて陽光を部屋の中へと招き入れる。
照らし出された部屋のベッドの上には、ミドリとよく似たフォルムの女性が横たわっている。
あれがヒナノか。真っ白な鱗の竜人で、長い髪の毛も一切の色素がなさそうな白さをしている。
「んん!?」
急に部屋の中が光に包まれたので、ヒナノは眩しさに驚きながら起き上がった。
「な、何?」
「何ではありません。今すぐ起きなさい」
「はあ? エメラルド!? どういうつもり?」
「どうもこうもありません。こんな時間まで仕事をせずに惰眠を貪っていて良いとでも思っているのですか?」
起き抜けにミドリに罵倒されたヒナノは、とんでもなく不機嫌そうな顔でミドリを睨んだ。
「……君、自分の立場分かってるの? 私は借金に利子もつけずに待ってあげてるって言うのに、そういうことするんだ」
するとミドリは、ヒナノの顔目掛けて俺たちから受け取った3000万円の札束を投げつけた。
「わっ!」
突然札束を投げつけられたヒナノは、目を丸くしてミドリと札束を交互に見ている。
ヒナノの間抜け面が大層お気に召したのか、ミドリは彼女を見下すような目付きでニヤリと笑うと、冷酷な声で現実を突きつけた。
「これで借金は返済しました。今日限りで、巫女の仕事は辞めさせてもらいます」




