二章 ドラゴン巫女 一話
イズモ行きの夜行バスに乗り込むと、オリヴィアは大型種族用の後部座席、俺とレフィーナは中列の右側の席に座った。レフィーナの方が窓際だ。
当たり前だが予約した際は狐が一緒に乗るという話をしていなかったので断られそうだったのだが、子狐モードで俺の頭や膝の上に乗れることと、オリヴィアの連れだということで特別に許された。
やっぱり蛇竜の巫女は違うな。
肝心の狐だが、最初こそレフィーナと一緒に外の景色を眺めていたが、日が暮れるとすぐに俺の膝の上で丸くなって眠ってしまった。
金色の毛を撫でてみると、胴体と尻尾とでは触り心地が違った。胴体の毛は少し固めだが、尻尾の毛はふわふわもふもふだ。尻尾は触ると振り払うように動くのであまり触らない方が良さそうだ。
そして俺は、狐の体温を膝で感じながら心地よい眠りに落ちていった。
翌朝、レフィーナに少々乱暴に揺すり起こされる。
「ん? ど、どうした? 魔獣でも出たか?」
そんなもの、同乗している退治屋が何とかしろよと思いながら目を開けると、そこにはレフィーナのとても真剣な顔があった。
その顔を見て、俺は一気に目が覚めた。
レフィーナがこんな顔をするって事はただ事ではないはずだ。
「何があった?」
レフィーナはいまだ俺の膝の上で寝息を立てている狐をチラリと見ると、小声で告げた。
「その狐、普通じゃない」
「……まあ、妖怪だしな」
周りにも既に目を覚ましている人たちがいるので、俺は周囲に聞こえないように小声で返す。
その際に後部座席を一度見たのだが、オリヴィアは既に目覚めていて真剣な顔でこちらを見ていた。オリヴィアなら小声でも俺たちの会話を聞き取れるだろう。
「そういうことじゃなくて、この狐の魔力、寝ている間に一気に大きくなったんだ」
「どのくらいだ?」
昨日の戦闘で消耗していたのが、寝ている間に回復したということか?
「上級種族の上の方くらい。子供のアルラウネくらいには魔力があるよ」
俺の喉がごくりと音を立てる。
なら既に、この狐は俺の魔力量を上回っているという事か。
「このサイズの獣型の魔獣でこんなに魔力を持っている種族は見たことない。アキトくんの言うように敵意はないのかもしれないけど、一応警戒はしておいて」
「わ、分かった」
俺の不可侵領域は直線的な攻撃にはほぼ無敵だが、昨日の狐が使っていた動き回る火球などには無力だ。しかもこの狐には不可侵領域が見えている。虚空閃も当たる気がしないし、一対一なら俺は確実に負けるな。
もしもこいつが裏切ったら、オリヴィアに相手を頼むのが無難だろう。
俺はそんなことにならないように祈りながら、バスの到着まで狐に意識を向けていた。
無事にイズモに到着した俺たちは、近くの店で軽い朝食を取ると、雲竜神社に向かって歩を進めた。
オリヴィアが目に見えて緊張してきているが、かける言葉が見つからない。
「み、見えたわ」
曲がり角を曲がると、そこには大きな鳥居と奥にそびえ立つ巨大な建物が見えた。
「いや、想像以上に大きいな」
「昔から竜人の巫女がいる神社として有名だったらしいから」
「そして今は、借金返済のためにミドリが竜人の巫女をやっているってわけか」
俺たちが鳥居をくぐって境内に入ると、奥の方から一人の異種族が空を飛んでこちらに向かって来た。
美しい緑色の髪の毛と宝石のような鱗の翼を広げてこちらへと飛んできた女性は、砂埃を舞い上げて地面へと着地する。
「お、おい、もう少し丁寧に――」
丁寧に着地をしろと言いたかったのだが、俺の言葉は腹に受けた強い衝撃でかき消された。
女性はほとんど突撃に近い形で俺の腹にダイブすると、そのまま押し倒して来た。
「ぐはっ!」
地面に叩きつけられて、背中を激痛が襲う。
「い、いきなり何すんだよ!」
俺は腹に抱き着いている女性に抗議する。
すると、彼女はゆっくりと顔を上げて俺と視線を合わせた。
「……本物ですか?」
「押し倒しといて、別人だったらどうする気だったんだよ」
「私がアキト様を別人と間違えるわけがないじゃないですか」
ならどうして本物か聞いたんだ。
俺は今にも泣きそうな顔をしている彼女の頭を優しく撫でる。
「久しぶりだな、ミドリ」
「気持ち悪いです。触らないでください」
「酷えっ!」
おいおい、なんだこいつ。
言っていることとやっていることが矛盾しているぞ。俺を押し倒すほどに抱き着いてきておいて、触らないでくださいだと?
借金生活で頭がおかしくなったのか?
ミドリはやっと俺から離れると、服に着いた汚れを払う。
美しい竜人の巫女――いや、ドラゴン巫女がそこにいた。
白と赤のお馴染みの巫女装束から竜の尻尾と竜の翼が飛び出している姿はとても魅力的で、俺はロゼと言う心に決めた女性がいるにもかかわらず、ドキリとしてしまった。
「いやらしい視線を向けられるのも久しぶりですね」
「なっ! い、言いがかりは止めろ」
「本当の事を言ったら、尻尾を触らせてあげますよ」
「巫女服と竜の尻尾の組み合わせは卑怯だと思っていました」
「……さすが、ブレないですね」
ミドリはやれやれと尻尾を俺の方へと向ける。
俺はご馳走に飛びつく子供の様に手を伸ばしたが、レフィーナの蔓でその手をはたき落された。
「ダメだよ、アキトくん」
「そうよ。そろそろそういうのは終わりにしましょう? それとも、ミドリちゃんに心変わりするの?」
レフィーナとオリヴィアに睨まれて、俺は即座にミドリから一歩距離を取った。
「アキト様、合わなかった間にずいぶん二人の尻に引かれましたね」
「別にそういうわけじゃ……」
二人は俺がロゼ以外の女性に手を出さないように見張ってくれているだけだ。
「久しぶり、ミドリお姉ちゃん」
「元気そうで良かったわ、ミドリちゃん」
「ええ。会えて嬉しいです。レフィーナ、オリヴィア」
レフィーナは嬉しそうに笑ったが、オリヴィアは少しだけ不満そうな顔をした。
「ミドリちゃん、お姉さんの事はオリヴィアお姉ちゃんって呼んで欲しいのだけど?」
「うっ……オ、オリヴィアお姉ちゃん」
オリヴィアは満足そうにミドリの頭を撫でる。
こいつ、着実に妹を増やしているな。ヘルガは今のところは友達だが、そのうち三人目の妹にされそうだ。
オリヴィア、ミドリ、レフィーナ、ヘルガ。異色の四姉妹が誕生してしまう。
「そ、それでアキト様、どうしてこんなところまでやってきたのですか? 手紙は届いたのでしょう? 私はしばらくアルドミラへは戻れませんよ」
「大丈夫だ。俺はお前の借金を返済に来たんだからな」
「無茶言わないでください。私の借金がいくらだと思っているんですか」
「いくらなんだ?」
俺が平然としながら金額を尋ねると、ミドリは小さな声で答えた。借金の額を大声では言いたくないよな。
「……さ、3000万円です」
俺とオリヴィアが同時に安堵のため息を吐く。
良かった。3億円とか言われたらさすがにお手上げだったが、3000万なら余裕で払う事が出来る。
「えっ? ど、どういう反応ですか?」
「オリヴィア、頼む」
「ええ。ちょっと待って」
オリヴィアがスーツケースからお金を取り出してミドリに手渡す。
「まず、これが村長さんたちミルド村のみんなから」
「残りは俺が出すよ」
「お姉さんにも半分払わせて」
「分かった。なら、250万ずつ出すか」
ミルド村のみんなから貰った金貨を円に変えたものが2500万。俺とオリヴィアが250万ずつ出して、合計で3000万円だ。
ミドリは受け取った札束を数えながら表情を強張らせている。
「ほ、本当に3000万あります」
「そのくらいの金額で良かったよ」
「アキト様、いったいどんな卑怯な手を使ったのですか?」
「お前、借金を肩代わりしてやった相手に失礼過ぎるだろ」
「……申し訳ありません」
さすがに額が額なので、ミドリは大人しく頭を下げて謝罪した。そこはありがとうと言って欲しかったな。
「お金の出所に関してだけど、まずミルド村のみんなはレフィーナちゃんのおかげでとっても儲かっているの。だからこそ、そこまでのお金を用意できたのよ」
レフィーナが自分の名前が出たとたんにふんぞり返る。オリヴィアが素早く彼女の頭を撫でた。
「ラウネぶどうですか」
「それもあるけど、他にも野菜とか果物が色々とね」
「なるほど……そこまで手を広げていたのなら分かる気がします。アキト様とオリヴィアのお金は戦争へ参加した謝礼金ですか?」
「ええ、そうよ。実はあの後、ハウランゲルで起きた戦争にも参加して大活躍して来たから、ハウランゲルからかなりのお金を貰ったのよ」
「ハウランゲルですか? 申し訳ありません。私がこのような事になっていなければ、一緒に戦う事が出来たのですが……」
「いいのよ。それよりも早くそのお金で借金を返済しに行きましょう?」
オリヴィアに促され、ミドリは力強く頷いた。
「はい。アキト様、オリヴィア、レフィーナ、本当にありがとうございます。この恩は一生をかけてお返しします」
「いいよ、別に。俺は今までミドリに助けられっぱなしだったんだ。その恩を今返しただけさ。ミドリは自由に生きたらいい」
「自由に……アキト様らしいですね」
ミドリは年相応の少女らしく、可愛らしい笑みを浮かべる。
「なら私は、アキト様と一緒にミルド村に帰りたいです」
「おう。見たら驚くぞ。見違えるほど復興しているからな」
「それは楽しみですね」
そしてこれからもっと村は大きくなる予定だ。
「おし、じゃあミドリ、その借金相手のところまで案内してもらえるか?」
「アキト様はここで待っていてもいいですよ?」
「いや、治療費に3000万なんて請求する奴の顔を見ておきたいからさ」
ミドリが先導する形で、俺たちは後に続いて歩く。
光明魔法を使える竜人の巫女という話だが、金にがめつい女なのだろうか?
そういう奴は利子の話を持ち出してきたりする可能性があるので、俺たちも付いて行った方が良い。ミドリは自分が弱い立場にいる時に上手く立ち回れないタイプだから助けてやらないといけない。
それはオリヴィアも分かっているのか、嫌なはずの神社の奥へと足を延ばすのをためらう様子はなかった。




