一章 ヤマシロの妖怪 十三話
俺はすぐに周囲を確認する。
何か、異変はないか?
封印と言えば、ヒールラシェル山の地下にエンシェントドラゴンのグレンが封印されていたが、あの時は何度も地震が起きた後で、火山の噴火と共にグレンは復活した。
俺は地面に這いつくばって振動を調べる。
数秒間、地面に耳をくっつけて揺れや物音を感知しようと試みたが、何も起きない。
「これは……大丈夫だったってことか?」
もしかしたら、封印が解けて復活するまでにタイムラグがあるだけかもしれないし警戒は必要だが、今すぐに何かが起きるというわけではなさそうだ。
それよりも今問題なのは、この霧が晴れないという事か。
祠の周辺はどういうわけか霧が無いが、その周りは完全に濃い霧で覆われており、見渡す限りの真っ白空間だ。
上空も天井の様に霧に包まれているが、光だけは届いているので薄暗い程度で暗闇に包まれるというわけではない。
「一匹じゃないってことなのか?」
俺が立ち上がると、その瞬間に上空に影が差す。
危険を感じて地面を転がるように回避すると、俺が立っていた場所に氷柱が突き刺さった。
「氷結魔法? どこだ!?」
キョロキョロと上空を見渡すが、妖怪の姿はない。
これじゃあ本当に映画と同じだ。
妖怪は実体無く襲い来る亡霊の様な存在。刀で斬ろうにもどこにいるのかが分からない。そして背後から妖術による攻撃が飛んでくるのだ。
「ってことは、『空間魔法・不可侵領域』!」
俺は自分の背後に不可侵領域を張る。すると俺の正面の霧が揺らめき、その中から浮遊する何かが姿を現した。
それは獣のような形をしているが、空中に浮かぶ炎のようにも見える。映画で見た妖怪そのものだ。
「化け狸の本領発揮ってことか?」
俺は背後の不可侵領域を消すと、正面の妖怪に向かって魔法を放つ。
「『水流魔法・海流破』!」
炎のような身体には水の魔法が効くはずだと思い、オリヴィアの水の魔力を使って激流を作り出して放出する。
しかし、それが失敗だった。
俺の正面を綺麗に洗い流した魔法のせいで、妖怪に魔法が当たったのか、それとも回避されたのかが分からなくなってしまったのだ。
ついでに言うと、海流破が一瞬だけ霧を飲み込んだが、数秒後には元通りになった。
やはりこの霧はモルガタ湿原でハニービーたちが使った魔法と同様のもののようだ。
それと、逸れてからそこそこの時間が経ったのにレフィーナたちが合流してこないところをみると、向こうも俺と同じように妖怪の攻撃を受けている可能性が高い。
次に打つ手を考えていると、左から氷柱が飛んできた。
「『不可侵領域』!」
ギリギリで間に合った不可侵領域が氷柱を防ぐ。
「氷結魔法……弱点は水属性じゃなくて地属性か」
さっきは炎のような身体に気を取られて水流魔法で攻撃してしまったが、先程から使ってきている魔法は氷結魔法だ。ということは、化け狸は水属性に違いない。
「『大地魔法・岩柱』!」
地面から岩の柱を作り出して、氷柱が飛んできた方向を攻撃する。
しかし、手応えは全くない上に霧も晴れない。
もう化け狸は左手側にはいないようだ。
「くそっ! 位置が分からないんじゃ戦いにならないぞ!」
とにかく死角からの攻撃が怖いので、再び背後に不可侵領域を貼って、前方と左右を警戒する。
おそらく化け狸は背後には不可侵領域があることが分かっている。
だとすれば、後ろ以外の場所から攻撃してくるに決まっている。
俺は見えている範囲のどこから攻撃が飛んできてもカウンターを狙えるように感覚を研ぎ澄ます。
呼吸と心臓の音がうるさく感じ始めたところで、俺の後方から上空に目掛けて炎の玉が飛び出した。
「なっ!?」
全く予想しなかった展開だ。
しかも、その炎の玉が上空にいた何かにぶつかって獣の叫び声が上がる。
先程の化け狸が炎に包まれて目の前に落下した。
化け狸は水流魔法で水を出して身体を覆っていた炎を鎮火すると、再び浮遊して霧の中へと溶けていく。
すると、背後に張っていた俺の不可侵領域を飛び越えて、金色の獣が目の前に着地した。
「き、狐?」
狸の次は狐の妖怪か?
金色の毛並みの大きめの狐だが、ふわふわの尻尾の先に燃え盛る炎が浮いている。先ほどの火の玉はこの狐の火炎魔法のようだ。
漫画などでは狸と狐は仲が悪いのが鉄板のようなところがあるので、縄張り争いでも起きているのだろうか?
「ふ、『不可侵領域』!」
狐が振り返って俺を睨んできたので、俺は背後の不可侵領域を消して後ろに飛び退き、狐との間に新しい不可侵領域を張り直す。
襲い掛かって来るかと思ったが、狐はこちらをじっと見つめたまま動こうとしない。
「な、何だ?」
まるで俺を品定めしているかのように上から下まで嘗め回すように見られたところで、狐に向かって大量の水が降り注ぐ。
「――あ」
おそらくは化け狸の水流魔法だ。
先ほどまで燃え上がっていた尻尾の先の火の玉が完全に消滅し、びしょ濡れになった狐が震え始める。
あれは濡れて寒いとかそういう震え方じゃない。どう見ても化け狸に対して激しい怒りを燃やしている。
狐は身体を大きく震わせて水を弾き飛ばすと、明後日の方向を睨む。
何だ?
あいつは何を見ているんだ?
水が飛んできた方向とは全く違う。だが、狐は怒れる瞳で何かを追いかけるように視線を動かしている。
「もしかして……お前、見えるのか?」
俺が問いかけると、狐は一瞬だけこちらを見て小さく頷いた。
この狐が味方と決まったわけでは無いが、とりあえず俺に対して敵意を持っているわけではなさそうだ。
そして、こいつには化け狸の場所が分かるらしい。
俺は狐との間に張っていた不可侵領域を解くと、狐の視線の先に意識を向ける。
「俺も協力する。あいつの場所を教えてくれ!」
再び狐は小さく頷くと、尻尾の先に炎を灯した。
狐が尻尾を振ると、サッカーボールほどの大きさの火の玉が空中に飛び出して行く。
発射された火の玉は何かを追いかけるように空中を飛び回る。狐が尻尾を振るたびに火の玉は軌道を変えていくので、狐の意志で自由自在にコントロールできるタイプの魔法のようだ。
「あの火の玉の先に逃げ回っている化け狸がいるってことだよな?」
それなら俺は、軌道を先読みして不可侵領域で壁を作ってやる。そうすれば化け狸は逃げ場を失って火の玉の直撃を受けるはずだ。
俺が意識を集中しようとしていると、火の玉の進む先から氷の氷柱が狐目掛けて発射された。
「『不可侵領域』!」
俺はとっさに狐に駆け寄って不可侵領域で守る。
しかし、化け狸はひっきりなしに魔法での攻撃を続けてくる。
「くそっ! 俺をこの場に釘付けにするつもりか!?」
俺が防御魔法を張っている間は攻撃に参加できないのを狙ったということか?
奴の魔法に俺の不可侵領域を貫くことは出来ない。だが狐の火の玉も浮遊する化け狸に追いつくほどのスピードは出ないようだ。このままだと、どちらの魔力が先に尽きるかの持久戦になってしまう。
「……やってみるか」
俺は不可侵領域を展開しながらも、火の玉が追いかける先に意識を向ける。
魔法の形成を無意識に任せ、俺自身は別のイメージを固めていく。
いつだったか、ミドリが見せてくれたあの魔法。
俺なんかに出来るかどうかは分からないが、この現状を打開するにはあの魔法が必要だ。
火の玉の動きを目で追いながらタイミングを見計らい、遠方からこちらへ向かって飛んでくるタイミングで一度不可侵領域を完全解除して分かりやすい隙を作る。すると、間髪入れずにこちら目掛けて氷柱が飛んできた。
俺は氷柱に向かって左手をかざす。
「『不可侵領域』!」
そのまま右手を不可侵領域にぶつかった氷柱に向ける。
「『多重領域』!」
不可侵領域に受け止められた氷柱に重なるように二層目の不可侵領域を展開する。
絶対に侵入することが出来ない領域に最初から存在していた物体は、外側へと物凄い力で吹き飛ばされる。
今、火の玉はこちらへ向かうように進んでいた。
ということは、化け狸は跳ね返ってきた自分の魔法と火の玉との間に挟まれる形になったはずだ。
突然の事に驚いてブレーキをかけたのかどうかは分からないが、火の玉は化け狸に直撃して激しく燃え上がった。
化け狸は叫び声をあげて地面に落ち、もがき苦しんでいる。
「今だ! 『空間魔法・虚空閃』!」
俺の魔法が、炎に包まれていた化け狸を貫くと、耳をつんざくほどに大きかった獣の叫び声が止み、穴が開いた化け狸の身体が霧の様に消えていった。
同時に周囲を覆っている霧も晴れ、青空が覗いた。
「ふぅ……今度こそ、仕留めたみたいだな」
俺はその場に座り込むと、大きく息を吐いて集中を解いた。
「ありがとな、お前のおかげで何とかなったよ」
狐にお礼を言うと、狐は何かに気が付いたように別方向へ視線を向け、次の瞬間には駆け出してこの場を去った。
「あっ、お、おい!」
何だったんだ?
せっかく助け合った仲だったのだし、もう少し一緒に居てくれてもいいのに。
「いた! アキトく~ん!」
すると、上空からレフィーナの声が響く。
見上げると、オリヴィアに抱えられたレフィーナが手を振って空を飛んでいた。
二人は俺の近くに着地すると、辺りを見回して状況を確認する。
「アキトちゃん、何かと戦っていたの?」
「ああ。化け狸……狸の妖怪とな」
「妖怪! じゃあ、やっぱりさっきの霧が晴れたのはアキトくんが妖怪を倒したからだったんだ!」
「みたいだな」
「酷いわよ、アキトちゃん。私たちを置いてどんどん先に行っちゃうんだもの」
「わ、悪い。考え事をしていたら、いつの間にか速度が上がっていたみたいでさ」
さっきの化け狸との戦いも二人が居たらもっと楽に倒せていただろうし、俺の考え込む癖は何とかしたいところだな。
「アキトくんが見えなくなるまで先に行っちゃったから、仕方なくオリヴィアお姉ちゃんに掴まって空を飛んでもらったんだけど、階段の先が霧に包まれていてびっくりしたよ」
「魔力感知で分からなかったのか?」
「この山自体が魔力の塊みたいになっているから、魔力の霧が出ているとかは近くに行くまで分からなかったんだよ。たぶん封印されているっていう大妖怪のせいじゃないかな」
何だ、それは。早く言えよ。
「そこからアキトちゃんを探して飛び回ったんだけど、どうしてもこの場所に辿り着けなかったのよね。霧がどんどん濃くなって広がって行って、空から見て驚いたけど最終的に山全体を覆い尽くしていたわ」
「なるほどな。今の俺の魔力は中級上位程度らしいし、魔力の霧の中じゃ見付けられないか」
「ええ。階段に沿うように飛んでみたけど、途中で階段がなくなっていたからお手上げだったわ」
「えっ!? 階段なら、そこにあるだろう?」
俺はこの場所に通じていた階段を指差す。
「さっきまではなかったのよ。たぶん、私たちには見えないように何か妖術で細工されていたんじゃないかしら?」
「妖術? それって魔法だろ?」
「少し違うのよ。大鬼やその配下の妖怪たちが得意としていた特殊な魔法で、現代では再現できない摩訶不思議な効果を得られたって話よ。まさかこの時代に体験できるとは思わなかったわね」
船で見た映画はほとんど真実を再現していたってことかよ。
でも、何で大鬼がいなくなった現代に妖怪が出てくるんだ?
「大鬼って言えば、封印の祠はどうなったの?」
「あ」
俺はレフィーナの何気ない質問で、自分がやらかした最大の失態を思い出した。
振り返って祠を見ると、見るも無残に砕け散っている。
「「えっ――」」
それを見て、オリヴィアとレフィーナすら言葉を失った。




