一章 ヤマシロの妖怪 十二話
「そ、それで、私に何の用ですか?」
俺たちはオリヴィアを蛇竜の巫女と呼ぶ人間の巫女に連れられて、本殿の隣にあった住まいへと招待された。
懐かしの畳の間へと通されたが、今はそれを懐かしんでいる余裕は無さそうだ。
数名の巫女によって即座にお茶が用意される。
湯呑に入った緑茶を見て、俺はとても嬉しくなってしまった。そういえば、前の世界ではよく飲んでいたな。
俺とオリヴィアは緑茶を飲んでホッと一息つく。しかし、レフィーナだけは警戒するように一口だけ口に含んだ後、眉を寄せて湯呑を置いた。
「アキトくん、よくこんなお茶飲めるね。苦くないの?」
「苦いは苦いけど、特に気になる苦さじゃないからな。緑茶ってのはこういうもんだ」
「ふうん。ぼくは好きじゃない」
レフィーナは詰まらなそうに息を吐いた。
甘党のレフィーナには緑茶でも無理だったか。この分だと抹茶なんて絶対に飲ませられないな。
紅茶やコーヒーと違って砂糖を入れてやるわけにもいかないし、ここは我慢してもらおう。
「お急ぎください。こちらです!」
俺がしかめっ面のレフィーナを横目に見ながら緑茶を楽しんでいると、巫女たちにせかされる様にして、袴姿の白髪交じりの男性が現れた。
男性はオリヴィアを見るや否や、巫女たちと同じように目を輝かせた。
「おおっ! あなたは蛇竜の……確か、オリヴィアさんと言いましたかな?」
「え、ええ。そうです」
オリヴィアは若干引きつった顔で答える。
男性はそんなオリヴィアの態度を気にすることもなく、流れるような所作で俺たちの正面に正座すると、名乗り始めた。
「申し遅れました。私はこの神社の宮司をしております、タツマサと申します」
日本的な名前だな。漢字はどんな字を書くのだろうか?
「初めまして。アルドミラから来た、アキトと言います。オリヴィアの契約者です」
「契約者? オリヴィアさんは最上級種族のはず……アキトさんは水の大勾玉をお持ちなのですか」
「はい」
「おおっ、それは素晴らしい」
タツマサさんが何かを期待するように俺を褒める。
これは嫌な流れだな。オリヴィアだけなら雲竜神社の神主から連絡を受けていたので呼び止めたという流れが予想できたのだが、俺にまでそういう目を向けるとなると、俺とオリヴィアの力を使って何かをして欲しいという話になるのではないだろうか?
こちらとしてはさっさとミドリを助けて、ヤマシロの美味い物をたくさん食べて、お土産を買って笑顔でアルドミラに帰りたいのだが、そう上手くはいかなそうだ。
「へへん。アキトくんは凄いんだよ。なんたって、オリヴィアだけじゃなくてぼくとも契約しているんだからね」
オリヴィアの表情がさらに青ざめる。多分、俺も同じような顔色をしているだろう。
レフィーナの奴、こういう時に限って空気を読んでくれないのだ。
「お嬢さんともですか?」
「うん。ぼくはレフィーナ。クイーンアルラウネだよ」
「クイーン……アルラウネ。聞いたことがあります。他国では一族の中で突出して優れた力を持つ者をクイーンやキングと呼ぶと」
「そうだよ。だからぼくはオリヴィアお姉ちゃんと同じ最上級種族のアルラウネなんだ」
レフィーナは「すごいでしょ」と言ってふんぞり返る。
この能天気植物娘、後でお仕置きしてやりたいくらいには余計なことを言いやがって。
「す、素晴らしい、素晴らしいですよ、アキトさん! では、あなたは二人の最上級種族と契約している人間という事だ」
「……え、ええ、まあ、そうなりますね」
タツマサさんから送られてくる好機の眼差しの圧力にそろそろ耐えられなくなって来ていたので、どうやってここから逃げ出そうかと考え始めていると、俺が想像していた遥か上を行く行動をタツマサさんは躊躇なく行ってきた。
そう。
土下座である。
「お願いがあります! どうか、私たちに頼まれては頂けないでしょうか!」
タツマサさんが完璧なる土下座を披露すると、周囲にいた巫女たちも遅れて頭を下げた。
巫女の土下座か……人によってはこの上ない光景なのかもしれないが、あいにく俺にそういった趣味はない。
ましてや人間だ。ハッキリ言ってしまえば、ドン引きしたね。
オリヴィアも俺と同じように引きつった表情をしている。レフィーナだけはどういうわけか満足気に笑顔を浮かべているが、クイーンとして敬われているとでも思っているのだろうか?
場が静まり返り、オリヴィアがチラチラと俺を見てくる。
これは俺に返答しろというアイコンタクトか?
「……えっと、まずは内容を教えてもらえませんか?」
さすがの俺も、複数人の大人たちにここまでの土下座をされて、頼みごとの中身も聞かずに断るとは言えなかった。
ていうか、卑怯じゃないか?
内容も言わずに頼みを聞いて欲しいと土下座するなんて、自身のプライドを捨てた回避不能攻撃に近い。
タツマサさんは勢いよく頭を上げると、頼みごとの内容を説明し始めた。
「実はですね……ここ数か月間、この神社の東にある山から妖怪が出没しているのです」
「よ、妖怪ですか? 魔獣や魔物ではなく?」
「はい、妖怪です」
「ちょっと待ってください。今の時代に妖怪が蘇ったとでも言う気ですか?」
オリヴィアが俺たちの会話に割って入る。
今の時代とはどういうことだ?
もしかして、船の中で見た映画に出ていた妖怪が昔は実在したということだろうか?
「私たちも初めは山に住み着いた魔物だと思い、退治屋に依頼したのです。ですが、その退治屋は大怪我をして山から逃げ帰り、妖怪に襲われたと言うのです。それ以降はどの退治屋に依頼しても断られている状態でして、近所の人々にも知れ渡ったせいで最近は参拝客も減少して困り果てているのです」
「なるほど……ちょっと失礼します」
俺は即座にオリヴィアとレフィーナを連れて部屋の端まで移動して、小声で会議を始めた。
「どう思う?」
「どうも何も、胡散臭すぎるわよ」
「そうかな? ぼくは面白そうだと思ったよ?」
「面白いとは思えないが、困っているのは事実だろ」
「そうだけど……」
「妖怪っていうのは良く分からないけど、たぶん魔物の一種でしょ? 可哀そうだし助けてあげようよ」
「そうだな。魔物退治なら受けてやっても良いと思う」
「……分かったわ」
話し合いが終わると、一斉に元の位置に戻る。
「その、妖怪と戦うってのはつまり、命がけってことですよね。俺たちに無償の人助けをしろってことですか?」
「とんでもございません。もちろん、退治屋に払う予定だったお代をお支払い致します」
「……分かりました。やってみます」
「おおっ! ありがとうございます」
俺が依頼を受けると、タツマサさんは再び頭を下げて感謝を伝えてきた。
もう土下座はいいよ。
「アキトちゃん……ちゃっかりしてるわね」
「仕方ないだろ、見返り無しに命を賭けたくはないさ」
こうして、俺たちの妖怪退治が始まるのだった。
外に出ると、タツマサさんが神社の東の端まで案内してくれた。
「この道を登っていくと、山の中腹辺りに大昔の大妖怪を封印したと言われている祠がございます。我々も以前は週に一度は掃除に行っていたのですが、掃除に行った巫女が魔物に襲われかけたと逃げかえって来てからは一度も行っておりません。おそらくは今も祠の周辺に潜んでいると思われます」
「わ、分かりました。じゃあ、とりあえずその祠に行ってみます」
「お気を付けて」
タツマサさんと巫女たちに見送られて、俺たちは祠を目指して山道を登り始めた。
祠までは人工的に作られた階段があるので、比較的に楽に辿り着けそうだ。俺の身体は元々農作業で体力だけはあるし、最近は自主トレもしている。この程度の階段くらいは楽々登っていけるのだ。
「う~ん、お姉さん、階段は苦手だわ」
「ぼくも……」
途中でオリヴィアとレフィーナが遅れ出す。
オリヴィアは人間の足を使わなくてはいけない階段は苦手で、レフィーナは単純に体力不足だ。
俺はペースを少し落として二人に合わせる。
「そういえば、さっきタツマサさん言っていた大妖怪が封印されているって何のことだか分かるか?」
「大鬼のことじゃないかしら?」
「あっ、ぼく知ってるよ。大鬼って身体の大きな悪い鬼のことだよね?」
「ええ。そういえば、レフィーナちゃんとアキトちゃんはヤマシロの映画を見たんだったわよね」
「見たけど、あれって実話だったのか?」
「ある程度脚色はされているけど、昔ヤマシロで大鬼が人々を苦しめていたのは本当よ。その際に、大鬼の配下だった鬼たちは寝返って他の種族の味方をしたの。だから現代では鬼と大鬼を完全に別の種族として扱っているわ」
なるほど。謎が解けたな。
だからあの映画ではヒロインが鬼の女性で、鬼は良い種族だと強調されていたのだ。
「大鬼って、もしかしてクイーンやキングのことなのかな?」
「本来はそうだったはずよ。でも、今は鬼と同族として扱うのはタブーだから、レフィーナちゃんも気を付けてね」
「うん。分かった」
「ついでに言うと、鬼は最上級種族で大鬼は特級種族だから、もしも封印が解けて大鬼が復活したなんてことになったら大事件よ」
「お、おいおい、マジかよ。ドラゴンと同格なのか」
これで俺が知る限り、ドラゴン、コッカトライス、バフォメットに続く四種目の特級種族だ。バフォメットはともかく、ドラゴンやコッカトライスに匹敵する強さの大鬼に復活されたら、今の俺たちでは倒すのに苦労するはずだ。
魔力量だけならオリヴィアとレフィーナが対抗できるが、二人は水属性と地属性だ。特級種族はまず間違いなく聖属性か闇属性の魔法を使ってくるので、戦闘力が全く違う。
負けは無いが、正面から戦えば三対一だとしても全員無傷とはいかないだろう。
今回祠周辺に出没しているという妖怪は大鬼ではないはずだが、もしかしたら大鬼の復活を狙って祠に訪れたのかもしれないと考えると、急がないといけないかもしれない。
あの映画の演出が本当だとすれば、妖怪は物理攻撃が効かないものがほとんどだ。魔法による攻撃で倒す必要がある。
俺は虚空剣を習得してから剣を所持しなくなったので、そもそも魔法しか攻撃手段が無いのだが、実体のない妖怪に空間魔法が効くかどうかは未知数だ。
火の玉系の妖怪なら練習していた海流破を当てる方が有効かもしれない。
「オリヴィア、レフィーナ、もし妖怪が出てきたら――」
二人に話しかけようと思って振り返ると、俺の後ろには真っ白な霧が立ち込めていた。
「――えっ」
慌てて周囲を確認すると、いつの間にか山全体に霧がかかっている。オリヴィアとレフィーナの姿もない。
俺は唾をごくりと飲み込んで、最大級の警戒をする。
大鬼や妖怪の事で頭が一杯で、いつの間にか進むペースが上がっていたのか?
すると目の前に、一匹の獣が飛び出してきた。
俺は咄嗟に階段脇の藪の中に飛び退いて、距離を取る。
「何だ、あれ……熊? いや、そこまでは大きさじゃない……」
階段の上に四つの足で立って俺の方を見ているのは、巨大な獣。ちょうど俺と同じくらいの大きさをしているが、見た目は狸のように見える。
「狸の魔獣――いや、妖怪か?」
俺は警戒しながらも化け狸に狙いを定める。
「『空間魔法・こ――」
俺が化け狸を貫くつもりで虚空閃を放とうとすると、化け狸はそれを察知したように階段上へとジャンプした。
「読まれた? 魔力感知か?」
それにしては早すぎる。あの感知の速さは、ヴァンパイアや淫魔クラスだ。
これでは近付いて簡略した魔法でスピード勝負を仕掛ける以外に手段はない。
俺は藪の中から飛び出すと、階段を駆け上がって化け狸へと走る。化け狸は後方へ飛び退くと、待ち構えるようにこちらを睨み付けた。
少し開けた石畳の空間に出る。どうやら階段を登り終えたようだ。
そして、どういうわけかこの開けた空間にだけは霧が立ち込めていない。これならば俺は思う存分空間魔法を使うことが出来る。
俺は階段を登り終えた瞬間に、間髪入れずに攻撃のラインをイメージし、魔法を放つ。
「『虚空閃!』」
化け狸はそれでも魔力感知で避けようとしたが、僅差で俺の虚空閃のスピードが勝り、化け狸の胴体を撃ち抜いた。
「よしっ!」
すると、化け狸の身体がみるみる小さくなって、普通の狸のサイズに変化した。
俺はその辺にあった枝を拾ってから近寄って狸の死骸を確認する。
「……こいつ、魔獣じゃなかったのか?」
枝で突いてみるが、ピクリとも動かない。完全に絶命しているようだ。けれど辺りに満ちている霧は晴れない。この霧は化け狸によって生み出されたものではなかったということだろうか?
次の瞬間、狸の死骸の更に奥から、ガラガラと何かが崩れる音がした。
「何の音だ?」
音のした方向に目を向けると、そこには砕け散って崩壊した石塚のようなものがあった。
周りにはお札や綱が張り巡らされている。
「えっ? お、おいおいもしかして」
この現場はどう見ても……。
「封印の祠……か?」
やばい。
やばい、やばい、やばい、やばい、やばい!
えっ?
俺か?
俺のせいなのか?
もともと、妖怪によって壊されていたとかじゃなくて!?
俺の虚空閃が、化け狸ごとこの祠を撃ち抜いたってことか!?
静寂に包まれる山の中で、俺の心臓の鼓動だけが激しく動揺の音を響かせていた。




