一章 アルラウネの森 四話
「さて、それでアキトは何をしにここへ訪れたのだ?」
ルナーリア様に尋ねられ、俺は気を引き締める。これ以上失敗出来ないからな。
「昔から人間以外の種族に興味があったんですけど、ここにアルラウネ達が住んでいる森があるって聞いて、どんな種族なのか見に来たんです」
「ふむ。ならばレフィーナや他のアルラウネ達から聞くといい。先ほどの蜜を一舐めでもさせてやれば、面白いように教えてくれるだろう」
確かにそれは良い案だな。
ルナーリア様が話を終わらせて椅子から立ち上がろうとすると、レフィーナが呼び止めた。
「待ってママ。アキトくんはアルラウネが人間と子供を作れるのか知りたいんだって。ぼくはまだその辺りはママに教わってないでしょ? ママから教えてあげてよ」
「ほう……」
ルナーリア様はニヤリと口角を上げると、面白いものを見るように俺を眺めた。足を組んで座り直し、片膝を付いている俺を見下ろすようにしながら口を開く。
「まさかとは思うが……お前はアルラウネと子を成したいのか?」
心臓の鼓動が跳ね上がる。
お見通しですか、女王陛下。
「……い、いえ、そういうわけでは」
俺が狼狽していると背後からクスリと声が漏れる。振り返るとミドリが口元を抑えながら必死に笑いを堪えていた。
「何故笑うのだ、竜人の少女よ」
「いえ、アキト様はアキト様なりに言い回しを変えて本心を隠していたのに、簡単に見破られたなと思いまして」
「お、おい、ミドリ!」
「無理ですよ、アキト様。人間のあなたからそんな質問をされれば、誰だって気が付きます。そもそもあなた程度がクイーンアルラウネ相手に本心を隠して情報を得るような事が出来るわけがないでしょう」
あなた程度って……。
こいつ口調は下手に出ているけど、完全に俺を見下しているよね。別にいいけどさ。
「そうか、アルラウネと子を成しに来たか……」
「正確には結婚相手を探しています。アキト様は同族を性対象として見ることが出来ない変態ですので」
もう止めてくれミドリ。さっきから俺を見るアルラウネたちの視線に耐えられない。一刻も早く俺を連れて空に飛び立ってくれ。
「変態か……私から見れば興味深い男だがな」
ルナーリア様が俺に向かって手をかざす。すると手のひらの中心から数本蔓が伸びて俺の頬を撫でた。
「どうだ?」
「へっ? ど、どうとは?」
「私の蔓に撫でられる気分はどうだと聞いている? 心地よいか?」
「あ、えっと……はい」
なんて質問だ。そりゃ、心地いいですよ。最高です。クイーンアルラウネの蔓で撫でて貰えるなんて、前の世界に居たら一生味わうことが出来なかったような体験だからね。
「面白い男だ。数百年前の時代であれば、私の男にしてやってもよかったな」
「えっ? それってどういうことですか?」
「アキト、お前はレフィーナや私の蔓に触られても全く不快に感じていないだろう。私はそれが嬉しい。この国に住む人間たちはそうではないからな。皆、アルラウネの蔓は不気味で気持ちが悪いと言って嫌悪するのだ」
人によってはそうだろうね。でも俺は大好きだから問題ない。
「数百年前の時代っていうのは?」
「ん? そうか、人間たちには伝わっていないのか。そもそも私たちアルラウネは人間を餌に生きる種族だったのだ。取り分け男を標的としていた。アルラウネは人の女によく似た姿をしているだろう? 真夜中にその美しい容姿で男を魅了して森へと連れ込み、この蔓で全身の自由を奪い、枯れ果てるまで養分を吸い尽くしていたのだ」
「マ、マジですか……」
それじゃあまるっきりRPGに出てくるモンスターと同じじゃないか。
「竜人の少女よ、そう身構えるな。この森のアルラウネは数百年前に勇者と呼ばれた人間に森を焼かれ、絶滅に追い込まれた。その際に金輪際人間を襲うのを止めると誓わされたのだ。無論、私はこの誓いを破ったことなどない」
「あなたはそうでも、この森で生きる全てのアルラウネがその誓いを守っているかは分からないでしょう。密かに人間を襲っているということはあるのでは?」
「いや、それは絶対にない。私とレフィーナは森と話すことでこの森で起きていることを把握している。私に隠れてこの森で人間を襲うなど不可能だ」
「……では、人間を食べなくなった分のエネルギーは何で補っているのですか? そもそも私から見てもアルラウネの生態は謎です。それだけの身体を植物と同じ方法だけで維持できるとはとても思えません」
「生きるためという目的においては、別に人間でなくてもいいのだ。人間は好物だったというだけなのでな。今の私たちの主なエネルギー源はこの森で生きる獣や魔獣、魔物たちだよ」
「好物ですか? それを禁止されて我慢できるとは思えませんが」
「言っただろう? 私を含め、今の世代のアルラウネは人間を食べたことがない。味を知らなければ契約を破り人間と戦いになるリスクを負ってまで食べようとは思わない」
「……なるほど」
ミドリが一応は信用したのか警戒を解く。
「獣がエネルギー源って、俺たちみたいに口から食べるわけじゃないですよね?」
「ああ。私たちは肉を消化するほどの内臓を持っていないからな。蔓や根を突き刺して少しずつ養分を吸い上げる形だ」
自然界では動物の死骸は土に返って植物の養分になるけど、アルラウネはそれを自分の力で無理やり行うのか。
人間を襲わなくなって良かった。昔の人ありがとう。
「にしても、森と話ってどうやっているんですか? 俺達が言葉を話すように、森の木も人間が聞き取れない周波数で喋るとか?」
「シュウハスウ? それが何かは知らないが、私とレフィーナはお前たちの声を聞くのと同じように、森の声を聞くことが出来るのだ」
風が吹き、木々がざわざわと音を立てる。
もしかしたら、今の音がルナーリア様には言葉として聞こえるのだろうか?
「さて、アルラウネの生殖についての話をしていたのだったな。アルラウネ好きのアキトには悪いが、私たちは人間との間に子を成すことは出来ない」
ここまで話が通じるのだからもしかしてと思っていたが、やはりダメなのか。分かっていたことだが、少しショックだ。
「そもそも、人間の女の姿をしているというだけで、私たちには男女の区別はない。クイーンやプリンセスというのも、見た目からそう呼ばれているに過ぎない」
「えっ!?」
「そう驚くことか?」
「驚きますよ。そんなに綺麗なのに」
これで女性じゃないとか嘘だろ。ミドリが傍にいるから自制が出来ているけど、いなかったらとっくに抑えが利かなくなっている自信がある。
「ふふっ、綺麗と言われて悪い気はしないな。やはり私の男になるか?」
ルナーリア様の蔓が俺の頬から顎にかけてなぞる。身体にぞくりと電撃が走ったような感覚に襲われた。
「アキト様、誘惑に負けてはいけませんよ」
「わ、わわ、分かってるよ!」
俺は声をひっくり返らせながらミドリに返答した。今のは彼女が声をかけてくれなかったら本当に危なかった。
「そうか、残念だ」
ルナーリア様は楽しそうに笑う。
それからしばらくの間、ルナーリア様は俺からの質問に丁寧に答えてくれた。
・アルラウネとは
人間の女性が巨大な花に下半身を埋れさせたような見た目の種族。
好物は人間の男だったが、現在は森の獣たちで代用している(人間が最も栄養価が高いそうだ)。魔獣や魔物、人間以外の種族は大地魔法を使う種族でなければ捕食出来ないらしい。
人間の女性の姿をしているのは、人間の男を誘惑するため。
大量の根を足の代わりにして花ごと移動することが多いが、花から出て人の足で移動することも出来る。一般のアルラウネは花から数百メートル程しか離れることができない。もしも離れた場合、一瞬にして人の方が朽ち果ててしまうので、花から出ることはほとんどない。
アルラウネの本体は花の方であり、人の方が朽ち果てても死ぬことはないが、再び身体を作り直すのには長い時間と大量の養分を必要とする。また、花から出た後の記憶は失ってしまう。
クイーンアルラウネとプリンセスアルラウネは住処の森の中でならどれだけ花から離れていても行動できるが、定期的に花と繋がって栄養を補給する必要はある。
蜂や蟻などのようにクイーンから産まれた子供たちだけでコミュニティを作るので、同じ森に住んでいるアルラウネは全て同じクイーンから産まれた個体。
大地魔法を駆使して住処の森を大切に育てているため、森の木を伐る人間を妨害している。
アルラウネは人の姿をしているが植物寄りの種族であり、クイーンアルラウネが他の花の花粉で受粉させた花の種から産まれるので、個体ごとにアルラウネの見た目や花の種類が大きく違うのは受粉した花粉が違うからである。
アルラウネの花が育ち、花弁の中で人の部分が形成され終わると花が咲くのだが、そのタイミングでクイーンアルラウネが人の部分に蜜を与えるか母乳を与えるかで普通のアルラウネになるか、プリンセスアルラウネになるかが決まる。
アルラウネの舌は甘味以外をほとんど感じ取れないので、クイーンアルラウネの蜜はアルラウネたちにとって喉から手が出るほど欲しいものらしく、争奪戦になることもある。
しかし蜜を生み出すのはクイーンにとっても負担が大きいので、成長しきったアルラウネ達は滅多にクイーンの蜜にありつくことは出来ない。
普段は花の蜜や蜂蜜を食べることで妥協しているようだ。
移動する場合は自らの葉で作った袋に川の水を入れて持ち歩いている。また、根を深く張れない一般のアルラウネの方が水を飲む回数が多い。
因みに排泄についてはどうなっているのか分からない。さすがに聞けないだろう?
睡眠は自分の花の中でとるので家などを作る文化は無く、森の中にいくつかある花畑に集まって光合成をしながら暮らしている。
「……こんなところか」
俺はアルラウネについて手記に書き記すと、水筒の栓を開けて中の蜜を少し飲んでみる。
「あ、甘すぎる……」
大丈夫かこれ?
栄養価が高いって言っていたけれど、こんなものを飲んでいたら糖尿病になりそうだ。そっと蓋をしてリュックにしまうと先程から川の水に晒していたもう一つの水筒を取ってそちらを飲む。レフィーナは綺麗な水だから安心だと言っていたが、念のため煮沸したものだ。まだ冷め切っていなくて少し温かい。
「キモいですね」
いつの間にか俺の手記を見ていたミドリが吐き捨てるように言った。
こいつ本当に俺の契約者なのか?
村長のお爺さんは遠慮なく意見が言えるから仲が良いとか言っていたが、これはもう俺のことが嫌いな反応ではなかろうか。それにどんどん遠慮なく罵倒してくるようになっている気がする。
「ど、どういう意味かな、ミドリ君」
俺は極力平常心を保ちながら発言の真意を問う。
「熱心に書いているから何かと思えば、あれだけ根掘り葉掘り聞いた話をまとめていたとは驚きです。学者にでもなる気ですか?」
「ならねえよ。てか、どこがキモいのか答えろよ」
「排泄のところですね」
「うっ」
反論出来ない。
「まさかそんなところまで気にしていたとは思いませんでした。そっちの趣味もあるのですか?」
「ねえよ!」
純粋にどういう生き物なのか気になっただけで、俺にミドリが考えているような変態趣味は断じて無い。
「そうですか。まあそんな事どうでもいいですが」
「どうでもいいならキモいとか言わずにスルーしてもらえませんかね……」
前の世界では趣味を隠して生きてきたから、キモいなんて言われ慣れてないんだよ。本気で毛嫌いされているわけでは無いと思うので小さく文句を言うだけにしたが、結構傷付いたぞ。
「好みの女性が現れた時、ボロを出さないように指摘してあげているのですが?」
「そうっすか」
ぐうの音も出ないね。
「そんなことよりも、クイーンアルラウネに頼まれた件はどうするんですか?」
その話か。
ルナーリア様からアルラウネについて教えてもらった後で、一つ厄介な頼み事をされてしまったんだよな。
「どうするも何も、やるって言っちゃったし」
「見事に色仕掛けに引っかかっていましたよね。先が思いやられます」
「……別にそんなんじゃなかっただろ。ただ、色々教えてもらったお礼に頼みを聞いてあげるだけだ」
「アキト様に対して蔓で顔を撫でるのは色仕掛けに入るでしょう。恐らくは胸やお尻を触らせるよりも効果があると思います。そしてそれをクイーンアルラウネも見抜いていた」
ミドリの奴、だんだんと俺の好みを理解してきているのか?
しかし、知った風な口をきかれるのは少々面白くない。
「別に、そんなんじゃねえよ」
「意地っ張りですね」
「違う。本心で言っているんだ。そもそも、いくら俺がアルラウネを好きだからって、蔓で撫でられた程度で絆されるもんかよ」
「へえ、そうですか」
ミドリは半目で俺を睨むと、自分の尻尾を指先で弄りながら呟く。
「……正直に言えば私の尻尾を触らせてあげますよ?」
「めちゃくちゃ興奮しました!!」
俺の勢いに気圧されて、ミドリが目を見開いて驚く。
「ええっと……プライドとかないんですか?」
なくはないが、ミドリの尻尾が合法で触れるならそんなもの捨ててやる。
昨日一緒に空を飛んだ時は尻尾に捕まらせてもらったが、緊急時かつ空中だったから満足に触ることは出来なかったのだ。このチャンスを逃すわけにはいかない。
「さあ、正直に言ったぞ」
俺はじりじりとミドリに近付く。
「うっ、わ、分かりました。ですが、触っていいのはここから先端部だけですからね」
ミドリは自分の尻尾を大切そうに抱き抱えながら、尻尾の中腹部分を指差して忠告する。
「おう、分かった」
「全く、とんだ変態です」
ミドリは草地に腰を下ろすと俺の方に尻尾を向けた。
俺は即座にミドリの隣にあぐらで座ると、彼女が許可した範囲を太ももの上に乗せる。
なるほど。先端は鱗でしっかりと守られている。しかし尻尾の真ん中辺りからは腹側に鱗がない。恐らくミドリはそこを触られたくないのだろう。
試しに、少しつついてみる。
「ひゃうっ!」
ミドリはびくりと尻尾を震わせた後、裏拳で俺の腹を殴る。
「ごはっ!」
「こ、殺されたいんですか!?」
「い、いや、そこはギリギリ許可された範囲だろ……」
「ギリギリ許可していない範囲です! だいたい、今の触り方は分かっていてやりましたよね!?」
「わ、悪かったよ。まさかそんなに感度が良い場所とは――」
ミドリの尻尾が俺の顔面を打つ。
俺は痛みで地面をゴロゴロと転がりまわった。
「か、顔は止めろよ!」
「今のもアキト様が悪いです。謝罪を要求します」
「……ごめんなさい」
ミドリは「これだから変態は」とぶつぶつ呟きながら、再び尻尾を俺のほうへと向ける。まだ触っていいという意思表示だろうか?
俺はありがたく彼女の近くに座りなおして、先ほどと同じように太ももの上に尻尾を乗せる。
「いいですか、鱗がない場所に触ったら怒りますからね」
「分かってるって」
触るなと言われると余計に触りたくなるのだが、煩悩に負けて約束を破ったら本気で殺されかねないので我慢だ。
鱗がない場所はぷにぷにとしていて、人間の肌よりは弾力があった。いつかじっくりと触らせて欲しいものだが、今は尻尾の先端だけでも触らせてもらっているこの状況を楽しもう。
俺は尻尾の鱗部分を優しく撫でる。ひんやりとしていて、とても固く、加工された宝石のように光を反射している。
見れば見るほど竜人というのは面白い。鱗はミドリの本名であるエメラルドのように美しい緑色で、鱗に近い位置の肌は黄緑色をしているのだが、顔は薄橙色で俺とそれほど変わらないのだ。
記憶を呼び覚ましてミドリの裸を思い出すと、身体も顔と同じで俺と大して変わらない肌をしていたはずだ。
境目となる尻尾の付け根や二の腕辺りをもう少しじっくりと見せて欲しい。
「……私の尻尾なんて触って楽しいんですか?」
「そりゃもちろん。綺麗な鱗だな~、傷一つない」
「当たり前です。私の鱗ですから」
ミドリは照れるように顔を背ける。綺麗な緑色の髪から覗く耳が少し赤いのが可愛い。
「仲良いね~、二人は結婚してるの?」
「っ!!」
突然背後に現れたレフィーナに驚いてミドリは飛び上がるように立ち上がって距離を取る。
俺は遠ざかったミドリの尻尾を名残惜しく見つめながら、レフィーナの質問に答えた。
「……ミドリと結婚していたらこの森に来てないだろ」




