一章 ヤマシロの妖怪 五話
ヘルガが青色の認証魔石を貰ってから一か月ほどがたち、無事に全てのハチ人たちの引っ越しが終了した。
彼女たちの家を建てるのを一緒に手伝ったからなのか、ハチ人とアルラウネの関係は良好。人間たちとも適度な距離間で交流を持っているようだ。
大人のハニービーは森の管理や畑仕事を手伝い、キラービーは軍人と訓練をしたり、村周辺に生息している魔獣を狩ってきたりして働いている。
ヘルガはというと、栄養豊富なアルラウネの蜂蜜のおかげで着実に魔力を溜め込んで成長を続けている。
現在の見た目は前と変わらず10歳程度の子供だが、最上級種族のクイーンビーに相応しい魔力量へと上昇しているらしい。
とはいえ見た目も年齢も間違いなく子供なので、昨日から村の小学校に通わせている。保護者は俺だ。
村の子供たちはアルラウネたちで異種族に慣れきっているので、ヘルガともすぐに友達になっていた。せいぜい四本腕を珍しがられるくらいだ。
今日は夕方頃に子供たちと仲良く帰っている姿を見かけたが、女の子よりも男の子の方が周りにいたのが気になって、俺はすぐにヘルガを呼び止め家へと招待した。
ヘルガは今、リビングで珍しそうに内装を眺めながら椅子に座っている。
目の前には俺とオリヴィアの二人。話がややこしくなると不味いので、レフィーナたちアルラウネは外に出てもらっている。
「ヘルガ、学校は楽しいか?」
俺はヘルガにレモネードの入ったカップを渡して尋ねる。
ヘルガは受け取ったレモネードを一口飲んだ後、答えた。
「悪くはない。だが、授業の内容にはついていけていない。みんなに追いつくには時間がかかりそうだ」
「そうか、まあそこはゆっくり自分のペースで頑張ればいいと思う」
俺は一拍置いてから、本題を切りだす。
「さっき、村の子供たちと一緒に歩いていたよな?」
「うん。みんな妾に優しくしてくれる。みんな妾と話す時、言葉の裏に妾に対する好意が乗っているのが分かる。アキトには断られたが、妾は多くの夫を持つことが出来そうだ」
俺とオリヴィアが同時に凍り付く。
不味いことになった。ヘルガの奴、あの時周りにいた少年たち全員と結婚するつもりだ。
「ア、アキトちゃん……ヘルガちゃんにも言い寄られていたの?」
「今問題なのはそこじゃないだろ……」
「そうね。でも、ちゃんと断ったのは偉いわよ」
ヘルガに俺の子供を産みたいと言われた時は正直気持ちが揺れた。
俺はロゼが好きだし、いつかは彼女と結婚したいと願っているが、ロゼと付き合えるという保証はない。前と同じように振られる未来だって存在するのだ。
そういった不安を頭の片隅にいつも抱えているので、あそこまで直接的な求婚をこんな可愛い女の子にされてしまうと、どうしようもなく心が不安定になってしまう。
けれど俺は頑張った。
動揺で挙動不審になっていた気はするが、ちゃんとヘルガからの求婚を断ったのだから。
「さてと、まずはお姉さんからヘルガちゃんに教えておかないといけないことがあるわね」
オリヴィアが諭すようにヘルガに語り掛ける。
こういう恋愛とか結婚とかの話は俺が説明すると余計にややこしくなってしまうから、オリヴィアに同席してもらって正解だった。
オリヴィアなら、ヘルガにしっかりとアルドミラで暮らす人々の常識を教えてあげられそうだ。
「まず、この国の一員として暮らすのなら、ヘルガちゃんは複数の男の人を夫にすることは出来ないわ」
「なっ……それは、夫は一人だけという意味か?」
「そうよ。この国は一夫一妻制。複数の夫を持つことは認められていないの」
「それは困る。妾はハニービーやキラービーたちよりもずっと長く生きる。たくさんの子を産まねばならないのに、夫が一人では子供は多くても3、4人が限界だ」
一夫一妻制の内容を聞いて焦りだすヘルガだったが、俺とオリヴィアは彼女の言葉に違和感を覚えて顔を見合わせて首を傾げた。
「アキトちゃん、どう思う?」
「い、いや、どうも何もおかしいだろ。普通は50歳くらいまでは現役でいけるんじゃないか? 人によってはそれ以上高齢でも大丈夫だって聞くし」
子供が多すぎても大変なので、大体の家は2、3人までしか子供は作らないと思うが、やろうと思えば何十人でも子供は作れると思う。
もちろん、それは男側の話であり、人間の女性が何十人も子供を産むのは不可能だと思う。
子供を一人産むというのはとても身体に負担がかかるからだ。
しかし、ヘルガはもともと大量に子供を産むことが出来るクイーンビーだ。人間の女性とは比べ物にならないほど強い身体を持っているに違いない。であれば、夫が一人だとしてもたくさんの子供を作ることに問題はないと思うのだが……。
「アキト、その話は本当なのか?」
「えっ? どの話だ?」
「人間の男は、何十年も子供を作り続けられるのか?」
「ん、そ、そうだな……出来ると思うぞ」
今更だが、子作りについてヘルガとオリヴィアと話すのが恥ずかしくなってきた。ていうか10歳くらいの年齢のヘルガとこんな話をしていいのだろうか?
「し、衝撃だ……ハチ人の男は、一度行為をしたら生殖能力を失う」
「えっ!? い、一回しか出来ないのか?」
「ハチ人の男は、大人になった段階で村を出て他のクイーンビーがいる森を探して旅をする。そして行為を終えた後は、ハニービーやキラービーに混じって働き一生を終える」
ハチ人の男、そんな生態なのか。
無事にクイーンビーのもとまでたどり着けば歓迎はされそうだが、その後は配下として働き続ける一生とか人間の俺には耐えられそうにないな。
「ヘルガちゃん、人間の男の人は毎晩でも出来るくらい生殖能力が高いから、夫は一人でも大丈夫よ」
「なっ、ま、毎晩!? 本当なのか?」
「ええ。そうよね、アキトちゃん」
「お、俺に聞くなよ……そうだけど……」
事実だが、女の子に面と向かって言いたくはなかった。オリヴィアめ。
「人間の男は凄いな……では、みんなの中から一番優秀な者を夫にすることにする」
優秀な者か。
気の合う男とか、カッコいい男とかが判断基準じゃないあたりがクイーンらしいな。あくまでも優秀な男と子孫を残すことに重点を置いている。
「一人を選ぶ気になったのは良いことだけど、その前にヘルガちゃん、そもそもクイーンビーは人間と子供を作ることが出来る種族なの?」
「あっ、確かにそうだ。重要なのはそこだよな」
ハチ人は特徴的な尻尾と四本腕に加えて、肘から先は皮膚ではなく虫の甲殻のようなもので覆われている。ここまで違うと人間と子供が出来なくても不思議ではない。
「そこは大丈夫だ。妾の母はずっと昔に人間の男の子供を産んだ経験があると言っていた。産まれたのは普通のハニービーだったらしい」
「あら、それなら安心ね」
「うん。色々教えてくれて助かった。しかし妾はまだ子供の身。気の早い話だったかも知れない。まずはここでの生活に慣れるのが先決だ」
「そうねえ、アキトちゃんが娘に彼氏が出来た時の父親みたいな顔で呼びに来たからお姉さんも話に付き合ったけど、気が早すぎよね。ヘルガちゃんはまだこんなに小さいのに」
オリヴィアが半目で俺を一瞥する。
俺はアルラウネの時の様な事件になる前に手を打とうと思っただけなのに、いつの間にか空気の読めない父親ポジションに立たされている。
ていうかオリヴィアの例えが的確過ぎて反論できない。俺は村の少年たちの事よりも、ヘルガの方を心配していたからな。
「アキトは夫にはなってくれないが、父親にならなってくれるのか?」
「へ?」
突然何を言い出すんだ?
「妾は父の顔など見たことがない。だが、アキトが父親になってくれるというのなら、それはとても嬉しい事だ」
「ええ……それはちょっと」
オリヴィアが口元を押さえて必死に笑いをこらえている。
あいつ、他人事だと思って楽しんでいやがるな!
「ダメか? アキトは妾の保護者ということになっているらしいが、それは父親のことではないのか?」
「ま、まあ、確かに父親は保護者だけど……」
けど、俺は父親って年齢でもないだろう。
「いいじゃない、アキトちゃん。保護者でしょ」
「い、いや、でも俺が父親って、それは変だろう。せめて兄とか……」
「兄? 兄ならなってくれるのか?」
ヘルガが目を輝かせる。
そ、そこに喰い付きますか。
「う、う~ん。まあ、父親よりは、兄の方がいいな、うん」
「そうか! 嬉しいぞ。兄上」
ヘルガは満面の笑顔でそう言った。
「あ、兄……上……?」
「そうだ。アキトは妾の兄になってくれるのだろう? だから、これからは兄上と呼ばせて欲しい」
ヘルガに兄上と呼ばれ、俺の身体に電撃が走ったかの感覚が駆け巡った。
や、やばい。何だ、これ?
何かの扉が開きそうだ。
「……ヘルガ、もう一度呼んでくれ」
「うん? 兄上?」
「――っ!」
ああ……俺はもうダメかもしれない。
今まで、異種族の女の子と付き合いたいとか、結婚したいとかばかり考えてきたが、妹にするというのも、悪くないじゃないか。
思えばミドリやレフィーナは妹的なポジションではあったのだが、俺をお兄ちゃんとは呼んでくれなかったからな。
兄と呼ばれた時に感じる特有の幸福感に全く気が付かなかった。
「も、もう一回」
「どうかしたのか? 兄上」
「ぐはっ……」
俺はその場で左胸を押さえる。
ヘルガってこんなに可愛かったっけ?
元から可愛いと思っていたけど、兄上とか呼ばれたら今まで以上に可愛がってやりたくなってしまうじゃないか。
妹属性が付与されたハチ娘の可愛さに悶えていると、左肩にオリヴィアの手が置かれる。
何事かと振り返ると、オリヴィアが満面の笑みで俺を見下ろしていた。
「こちら側へようこそ、アキトちゃん」
少しずつ暖かい風が吹くようになってきたこの春の季節に、俺はオリヴィアがお姉ちゃんと呼ばれたがる気持ちを理解した。
そして同時に、心の中で宣言しておこう。
ヘルガに色目を使っているクソガキども、覚悟しておけよ。




