三章 ワーキャットの里帰り 二十二話
リネルの里の西の端、アルラウネの森との境目で俺は草地に座り込んで夜空を見上げていた。
オリヴィア、サラ、そしてロゼ。3人の中から一人を選ぶ。もしくは誰も選ばない。俺の頭の中では4つの選択肢がぐるぐると回っていた。
オリヴィアとサラは全員を選ぶという選択肢を俺に残してくれたが、それを選ぶつもりはない。
現在、明確に俺に好意を寄せてくれているのはオリヴィアとサラの二人だ。どちらかを選べば選ばれなかった方は悲しむことになる。
どちらも選ぶことができるのなら、誰も悲しむことは無いかもしれない。だが、それは一夫一妻制の日本で生まれ育った俺にとって受け入れ難い選択だ。そもそも、二人の女性を同時に幸せに出来るような器量が俺にあるとも思えない。
それならば、俺は誰かを選ぶしかない。
問題は誰を選ぶのかだが……。
「アキトさん」
「うわっ!?」
不意に、座って空を眺めていた俺の視界にサラが割り込んでくる。
突然のこと過ぎて、俺は心臓が口から飛び出すかと思うほど驚いた。
身体を捩って横に転がり、サラから距離を取る。
「い、いつからいた!?」
「近付いたのは今さっきです。アキトさん、凄く難しい顔で夜空を睨んでいたので心配になりました」
「そ、そうか」
今さっきと聞いて俺は安堵しかけたが、同時にサラはワーキャットだということを思い出した。
軍人たちほどではないにしても、かなりの聴力を持つサラならば、先ほどの俺たちの会話を離れた所から聞くことが出来たのではないだろうか?
「安心してください、アキトさん。わたしはここでアキトさんが何を話していたのかまでは分かりません。ここに来たのはジュスタン少尉が場所を教えてくれたからです」
会話を聞かれていなかったのは朗報だが、ジュスタン少尉は俺に休む暇すら与えてくれないつもりだろうか?
そんなに早くに決断できるわけがないだろう。
「でもね、アキトさん。アキトさんが何を話していたのか、予想することは出来ます。ジュスタン少尉はオリヴィアさんと話していました。わたしは悪いとは思いつつも会話を盗み聞きしたんです」
「少尉とオリヴィアの……」
「はい。少尉は『俺たちが目を覚ましてやったから、あとはあいつが決めるのを待て』って、オリヴィアさんに報告していました」
目を覚ましてやった、か。
確かに、俺は無意識に自分の感情を押し殺していた。ロゼへの未練、オリヴィアへの想い。今ならハッキリと理解できる。目が覚めたということだろう。
「もう、それだけでわたしには予想がついちゃいますよ」
サラの瞳から一筋の涙が流れ落ちる。
「サ、サラ?」
サラの涙を見て、俺は立ち上がって彼女に駆け寄った。
しかし、サラは手で俺を静止して距離を取る。
「わたしがやったことって、結局アキトさんの悩みの種を増やすだけでしたね」
「な、何を言っているんだよ?」
「アキトさんが自分の心に気が付いてくれるならと思って頑張りましたけど、やっぱりわたしじゃダメでした。ジュスタン少尉やボニファーツ中尉はすごいですね」
サラは涙を拭うと、儚く笑ってみせた。
「アキトさん、わたしとの契約はここまでにしましょう」
俺の中から、サラの魔力が抜けていく。
契約紋に入っていたサラの魂の半分が彼女の身体へと戻ったことが感覚で分かった。
「えっ!? お、おい! どうして急に!」
「急じゃないですよ。里を取り戻すまでで良いって言いましたよね。じゃなかったら、アキトさんが大切に守っていた風属性の契約紋をわたしが取ったりしませんよ」
「……守っていた?」
俺が風属性の契約紋を守っていたとはどういうことだ?
確かに契約紋は大切だが、サラの言い方には何か別の意味が含まれている気がする。
「そこはまだ自覚していなかったんですね……。なら、わたしから最後の贈り物です、聞いてください」
サラが、何かとても大切な事を俺に伝えようとしていることが分かり、俺は彼女の目をじっと見つめて話を聞いた。
「アキトさんは風属性の契約紋を空けておきたかったんです。どんな状況でも誰とも契約することなく、まっさらな状態を保っていたかった。だからわたしとの契約を二回も拒んだ」
「二回? 戦いの前だけだろ?」
「一度目は、わたしが魔力酔いを起こした時、魔力の上限を上げるためにレフィーナちゃんが提案した時です。直接拒まれたわけではなかったですけど、アキトさんはそれとなく契約しない方向へと話を誘導しました」
「それは……」
言われて思い出した。確かに、あの時の俺はサラと契約する話を軽く流した気がする。
「実はあの後、オリヴィアさんに慰められました。アキトさんにとって風属性の契約紋はとても大切なものだから、決してわたしとの契約が嫌だったわけじゃないって」
俺にとって、風属性の契約紋とは何だ?
数分前の俺なら答えられなかったかもしれない。けれど、今なら分かる。オリヴィアが何を考えてサラを慰めていたのか。サラが今、どうしてこんな話をしているのか。
「……ごめん、サラ。ありがとう。おかげで俺は自分の気持ちに気付けたよ」
「っ! そ、そうですか」
サラは泣きそうな顔で堪えるように笑顔を作ってみせる。
「アキトさん。ありがとうございました。里のために戦ってくれて、ハウランゲルまで来てくれて……やっぱりわたし、アキトさんが大好きです!」
「ありがとう」
俺は本当に、この子に感謝されるだけのことを出来ただろうか?
彼女から感謝される資格が俺にあるのだろうか?
そんな、どうしようもないことを考えてしまう自分がいることに嫌悪感を覚える。
「聞いても良いですか? アキトさんの気持ち」
「……ああ」
俺は、ボニファーツ中尉とジュスタン少尉、そしてサラとオリヴィアが気付かせてくれた気持ちを言葉にする。
アルラウネの森で提示された選択の答えも交えて、サラへと返答する。
「俺はサラの事が好きだ。自由で、気の向くままに伸び伸びと過ごしている姿を見るのが楽しかった。食事が好きで、美味しそうに食べている時の笑顔が愛おしかった。ずっと一緒に暮らしていたいと思えるほどに、君の事が好きだった」
これは嘘偽りのない本当の気持ちだ。
こんなこと、これから話す内容を考えれば言う必要はない。けれど、サラは俺の選んだ答えだけでなく、俺の気持ちを聞いて来た。
だからこそ、結果的に彼女を余計に傷つけることになろうとも、俺の本心を伝えた。
「でも俺は、オリヴィアの事も、ロゼの事も、サラの事と同じように好きなんだって気付いた。だから、誰かを選ばないといけない。オリヴィアの言うように、全員を選ぶなんてことは出来そうにないから」
「……教えてください。アキトさんは誰を選ぶんですか?」
「俺は――」
決める。
俺が一番好きな女性は誰なのか。俺を好きだと言ってくれたサラに、包み隠さず本当の事を話すと決めたから。
夜の闇と風の音に溶けてしまう事のないように、ハッキリと言葉を紡ぐ。
「――もう一度、ロゼに告白したい」




