一章 アルラウネの森 三話
レフィーナは俺の手を引きながら、楽しそうに森の植物について解説してくれる。
俺が興味を持っているのはアルラウネなのでただの植物の話をされても困るのだが、レフィーナが楽しそうなので話の腰を折ることなく聞きに徹した。
それにしても、相変わらず俺を警戒している周囲のアルラウネ達が怖い。俺たちを取り囲むように位置取り、何かあればすぐに攻撃できるように目を光らせている。
彼女たちが警戒しているのは俺と言うよりも、俺の後ろをピッタリと付いて来ているミドリなのかもしれないが、レフィーナは受け入れてくれているのだし、もう少し友好的になってくれてもいい気がする。
「なあ、レフィーナ」
「ん、なあに?」
レフィーナの植物解説が一通り終わったところを見計らって声をかける。
すると、周囲にいたアルラウネ達が俺の言葉遣いに敏感に反応した。
「無礼だぞ、人間! 様を付けろ!」
「えっ? あっ、そうか……レ、レフィーナ様、聞きたいことがあるのですが」
明らかに年下の女の子を様付けで呼ぶのって意外に抵抗があるな。
「むぅ……アキトくん、ぼくのことはレフィーナって呼んでよ。友達でしょ?」
凄いぞ、俺。いつの間にかプリンセスアルラウネの友達に格上げになっている。でもなあ、周りのアルラウネ達が怖いのですよ、レフィーナ様。
「みんなも、ぼくとアキトくんの会話に口を挟まないでよ」
「し、しかし、レフィーナ様。プリンセスが人間の不遜な態度を許してしまっては、アルラウネの立場が危ぶまれます」
「……なんかみんな勘違いしているね」
レフィーナが立ち止まったので、手を繋いでいた俺も一緒に立ち止まる。
ミドリや周囲のアルラウネ達も立ち止まると、みんなの視線がレフィーナに集まった。
「ぼくはアキトくんだから許したんだよ。アキトくん以外のただの人間だったら、その場で身体中の養分を吸い上げて殺しちゃうよ」
俺はレフィーナの言葉に動揺してレフィーナと繋いでいた手を放す。
「どうしたの、アキトくん? そんな怯えた顔しないでよ、友達のアキトくんにそんな酷い事しないからさ」
レフィーナは再び手を繋ぎ直すと、ミドリに視線を移す。
「竜人のお姉さんも、そんなに警戒しないで」
「そうはいきません。私はアキト様の契約者ですから」
「やっぱりか。凄いね、アキトくん。ぼくと同じ最上級種族の竜人と契約できるなんて」
「……おかげで助かっているよ」
今の会話で分かった。レフィーナが友好的なのは、さっきの俺の告白が気に入ったこと以外に、ミドリの存在も含まれているのだ。
最上級種族の竜人と契約した人間。
それは同じ最上級種族であるレフィーナから見ても興味を引かれる存在なのだろう。だからこそ、王女である自分と対等の存在として俺を扱ってくれているようだ。
「じゃあ行こうか、アキトくん。目的地までもう少しだよ」
「どこに連れて行ってくれるんだ?」
「ぼくたちが普段暮らしているところだよ」
「へえ、それは楽しみだな」
俺は今一度気を引き締めながらも、レフィーナの友達として必要以上にへりくだることなく手を繋いで進む。対等に扱ってくれているが、実際の力はレフィーナの方が遥かに上だ。俺はアルラウネに対する好意と、圧倒的な強者に対する恐怖を天秤にかけながら、いつでも逃げられるように脳内でシミュレーションを繰り返した。
「着いたよ」
レフィーナがそう言うと、俺たちは花畑のような場所に出た。
先ほどまで空を覆いつくしていた背の高い木がここには一本も生えておらず、太陽の光に照らされた色とりどりの花が咲き乱れる美しい場所だ。
広さは100坪程度だろうか。それなりの大きさの庭付き一戸建てが建つくらいの面積だ。土地一面に花が咲いている。
数人のアルラウネが陽光を浴びるように佇んでいる姿に目がいく。
「あれは……光合成?」
「うん。人間で言うところの食事の一種だね」
「その言い方だと、アルラウネはもしかして食事はしないのか」
「人間みたいに口からたくさんは食べないな」
レフィーナは口からペロッとピンク色の舌を出すと俺に見せてくる。
幼い女の子にこんな表現をしていいのかは分からないが、可愛らしさと妖艶さが同居した仕草にドキリとした。
「アルラウネの舌にはね、ほとんど味覚がないんだよ。虫を食べるアルラウネもいるけど、ぼくは食感が好きじゃない」
「てことは、アルラウネは口から何かを摂取する必要はないのか」
「まさか。水を飲まないと死んじゃうよ」
レフィーナは草花の服の中から、草の葉で出来た袋のようなものを取り出すと、口を付けて袋の中身を体内へと流し込む。
「それ、水が入ってるのか」
「うん。近くの川で汲んだんだ。時間を掛けて根から吸い上げることも出来るけど、こっちの方が大量に摂取出来るからね。動き回るアルラウネにとっては必須だよ」
聞けば聞くほどアルラウネは植物寄りの種族だな。
レフィーナも楽しそうに色々と教えてくれるので聞きやすい。この勢いで知りたいことは全部聞いてしまおう。
「なあ、アルラウネって人型だけど人間と子供を作れたりするのか?」
少し直球すぎる気もするが、これだけ植物寄りの種族なら平気だろう。謎なのは男のアルラウネがいないことだな。住処が別なのかもしれない。
「……アキト様、それは初対面の少女に聞くことですか?」
ひぃっ!
後ろからミドリが聞いたこともないような低音で呟いた。
チラリと振り返ると、ゴミを見るような目でこちらを見ていた。もはや怒ってすらいない。完全に俺を蔑んでいる。
「人間と? そもそもアルラウネは子供を作れないよ?」
しかし、レフィーナはミドリとは違って俺の質問に不快感を覚えることはなかったらしく、淡々と答えてくれる。
「えっ、じゃあどうやって種を存続させるんだ?」
「それはクイーンアルラウネの仕事だもん。ここにいるアルラウネたちはみんなママの子供だよ」
「あっ、なるほど。蜂や蟻と同じなのか」
レフィーナが急に俺の手を強く握る。
「いててっ! レ、レフィーナ?」
「アキトくん。いくら友達でも虫呼ばわりは怒るよ?」
「ご、ごめん。悪気はなかったんだ!」
「……今回だけだからね」
レフィーナは手の力を緩めると、小さな声で俺に文句を言いながらそっぽを向く。それでも手を放さないのは可愛いところだが、今の握力は正直怖かった。この小さな身体のどこにあんな力があるのだろうか。本気だったら俺の手は握り潰されていた可能性もありそうだな。
「そ、それで、クイーンなら人間と子供を作れるのか? 見たところここには男のアルラウネがいないようだけど」
「詳しくはぼくも知らないから、直接ママから聞きなよ」
レフィーナが指をさした先にはこの花畑で一際巨大な一輪の花が咲いていた。
「大きいですね」
俺の後ろからミドリが呟く。
「ああ。ラフレシアよりもずっとデカい」
しかし、ラフレシアのように不気味な花ではない。あれは薔薇の花だ。レフィーナの髪の毛や身体の至る所に咲いている花と同じ色をしている。
「アキト様、気を付けてくださいね」
「分かってるよ」
クイーンアルラウネがレフィーナと同じように友好的とは限らない。
俺はいざという時に不可侵領域を張るイメージを固めながら巨大な薔薇の花へと近付いた。
「ママ、起きて。会わせたい人間がいるんだ」
レフィーナが声をかけると薔薇の花が動き出す。幾重にも折り重なっていた中央の花弁が広がって中から花と同じ色の長い髪の毛を持つ美しい女性が姿を現した。
レフィーナと同様に二本の足で立っている。草花の服はレフィーナと違って胸元が見えるつくりになっており、まるで西洋のドレスのようだ。
さすがクイーンアルラウネ、スタイル抜群だな。しかし胸があるということは授乳するのだろうか?
「ふむ。レフィーナ、面白い人間というのは、私の胸を凝視しているこの男か?」
「いっ!?」
「アキト様、何をやっているのですか!」
まずい。ここで敵意を持たれるわけにはいかないぞ!
「も、申し訳ありません」
俺は即座に片膝を付いて謝罪する。人生初の土下座を披露しようかとも思ったが、どちらかというと西洋っぽい世界観的にこっちのポーズの方が理解されやすいだろう。
「なぜ謝る? お前の視線からは邪なものを感じなかった」
「えっ?」
視線だけでそこまで分かるものなのか?
確かに俺はクイーンの胸を見ていたが、人間の男目線で劣情を催していたわけではなく、アルラウネという種族に胸が必要なのかを考えていただけだ。
いや待て。
俺は周囲のアルラウネ達に目を向ける。彼女たちもクイーンほどではないがそれなりに胸のふくらみがある。子供を作ることが出来ない一般のアルラウネに胸は必要ないだろう。
クイーンの代わりに授乳する、乳母的な役割を担っているのか?
「ほう、私を前にして余所見をするとは……確かに面白い人間だ」
「あっ、す、すみません」
俺は意識をクイーンアルラウネに固定する。これ以上失態を犯すとレフィーナが言っていたように全身の養分を吸い上げられて殺されかねない。
クイーンアルラウネは俺に近付くように薔薇の花から外に出る。すると周囲の植物たちが動き出し、クイーンの後ろに植物で出来た椅子を作り上げた。
クイーンは植物の椅子に腰を下ろすと、俺に命令する。
「謝罪はいい。私や他のアルラウネの胸を見て何を考えていたのか教えなさい」
「あっ、それはその……胸があるってことは授乳するのかなって気になりまして」
「授乳だと?」
クイーンは予想外の回答だったのか、驚いたように眉をあげる。俺の隣に立っていたレフィーナは噴き出して笑い出した。
そんなに笑わなくてもいいじゃないか。
「あはははははっ! ね、ママ、面白いでしょう?」
「確かにな。森が面白いと表現したのはこういうことか。人間の男、名は?」
「アキトと言います」
「私はクイーンアルラウネのルナーリア。お前の疑問に答えてやろう、アキト」
「あ、ありがとうございます。ルナーリア様」
「お前の言う通り、クイーンアルラウネの乳房は授乳の為の器官だ。レフィーナも成長すれば私のような体型になるだろう」
やっぱりそうか。じゃあアルラウネたちに胸があるのは、子供は産めなくても乳母として子を育てられるようになのか。
もしルナーリア様しか授乳できないようなら、これだけの数のアルラウネを一人で育てるのは大変だろう。
「しかし、乳を飲んで育ったのはレフィーナだけだがな」
「え?」
「赤子の頃よりクイーンの母乳を摂取し続けることで、アルラウネはプリンセスアルラウネとして成長するのだ」
「では普通のアルラウネはルナーリア様以外の大人のアルラウネの乳を飲んで育ったということですね?」
「いや、クイーン以外のアルラウネの胸からは母乳など出ない」
「は? なら、どうやって育つんですか?」
この森に粉ミルクなんてないだろうし、まさか普通の植物と同じように地面に植えておけば勝手に育つのか?
「産まれたばかりの頃は私の花から取れる蜜を飲ませて育てるのだ。私の乳ほどではないが、かなり栄養価が高い」
ルナーリア様が座っていた草の椅子から一本の植物が伸び、その先に花が咲く。真っ白な百合の花だ。その花弁の奥からゆっくりと黄金色の蜜が溢れ出してきた。
ルナーリア様はレフィーナが水筒代わりに使っていたような葉の袋を花と同じように生み出すと、溢れ出た蜜を全てその中へと流し込んだ。
花から袋へと流れ出る蜜を見ていた周囲のアルラウネ達が声をあげる。
気になって目を向けると、彼女たちはルナーリア様の蜜を凝視してゴクリと生唾を飲み込んでいた。
なるほど。クイーンの蜜はアルラウネ達の主食――というより好物なのだろう。
蜜を出し切った花は直ぐに散り、ルナーリア様の手元には蜜が入った葉の袋だけが残った。すると何を思ったのか、ルナーリア様は蔓を使って葉の袋を俺の目の前まで移動させた。
これは受け取れという意味だろう。
俺は両手で丁寧に葉の袋を受け取ると、中の蜜を眺める。甘い香りを漂わせる、黄金色で半透明の液体だ。ルナ―リア様の目の前でなければ少し舐めていただろう。
「わっ、わあっ! アキトくん、いいな~! ねえ、それぼくにもちょっと分けてよ!」
レフィーナが俺の右腕に縋りつくようにして、おねだりしてくる。
何だよ、こいつ。めちゃくちゃ可愛いな。
俺がすり寄ってくるレフィーナの態度に気を良くしていると、あろうことか彼女は草花の服や髪の毛の中から何本か蔓を伸ばして俺の顔を優しく撫でてきた。
お、お前!
それは反則だ!
そんなことされたら全てを捧げてしまいそうになるぞ!
「レフィーナ、王女としての自覚を持って行動しなさい」
「うっ」
ルナーリア様の一言でレフィーナの蔓が引っ込む。
くそう、俺はもっとして欲しかったのに。
「アキト、私はお前が気に入った。それは友好の証だ」
「……ありがとうございます」
俺は背負っていたリュックを地面に降ろすと中から水筒を取り出す。中身の水を地面に捨ててからルナーリア様の蜜を流し込むと、こぼれないようにしっかりと蓋をしてから再びリュックにしまった。
一連の動作を終えた後、レフィーナが物欲しそうな目で空になった葉の袋を見つめていることに気が付いた。
俺が葉の袋を差し出すと、レフィーナは嬉しそうに受け取って自分の蔓を袋の中に突っ込んだ。器用に袋の内側に残っていた蜜をこそぎ取ると、蜜が付いた蔓を口に含む。
「レフィーナ」
ルナーリア様が睨むと、レフィーナはさっと俺の後ろに隠れる。
俺を盾にするなよ。でも可愛いから許す。話題を逸らしてやろう。
「ルナーリア様、アルラウネたちはいつもこの蜜を食べているのですか?」
「いや、基本的には産まれたばかりの時だけだ。後は何かの褒美として特別に与える程度だな。自分で根を張ったり蔓を操ったり出来るほど成長すれば、口からの食事は水以外はほぼ必要ない。花の蜜や蜂蜜を好んで摂取する者も多いようだがな」
「味覚はほとんどないって聞きましたけど」
「確かに他の生物ほど味覚は良くないが、甘みだけはそれなりに感じられるのだ」
なるほど、だからレフィーナはルナーリア様の蜜を欲しがったのか。きっと相当甘いに違いない。
アキトの行動や発言はアルラウネ以外の種族であれば激怒されたものもあるので、ミドリは気が気ではありませんでした。




