一章 アルラウネの森 二話
王都をぐるりと囲んでいる外壁の西側にある門から外に出ると、少し離れたところに森が見えた。
この世界は魔物や魔獣が当然のように各地に生息している世界なので、町や村は規模は違えど壁で囲まれているらしい。
思い返すとミルド村も木の柵で周囲を囲んだうえで軍人たちが守ってくれていた。この世界観だと戦争がなくなっても軍人は暇にはならなそうだな。
俺とミドリは門番をしていた軍人の反対を押し切って西にあるアルラウネの森へと歩を進める。
やはり王都で暮らす人たちにとってアルラウネの森は危険という認識なのだろう。俺はアルラウネに襲われても空間魔法で身を守れるし、いざという時はミドリに掴まって空から逃げようと思っているので、そこまで警戒しなくても大丈夫だ。
「アキト様、森に着くまで攻撃魔法の訓練をしませんか?」
「うっ……ぶ、物騒だね、ミドリさん」
そういえば昨日気を失う寸前に、「明日は攻撃魔法を訓練しましょう」とか言っていた気がする。
「嫌なのですか?」
「いや、昨日の今日だしさ……どうせ俺は初歩の魔法しか使えないくらい魔力が少ないわけだし、身を守るだけで手一杯だよ」
「避けられない戦いがあると今朝は仰っていたではないですか」
「確かに言ったけど……率先して戦うとは言ってないだろ?」
「情けない。今朝見直した私の気持ちを返してください、意気地なし」
ミドリの言葉がグサグサと突き刺さる。
俺だっていざという時は戦わないとダメだとは思っているよ。それは本心だ。
でも、怖いものは怖い。20代の日本人の中に、誰かに殺されそうになった経験のある奴が何人いる?
ましてや、人の身体が真っ二つになるトラウマ級の出来事が目の前で繰り広げられたんだ。ちょっと時間を置きたいという気持ちくらいは分かって欲しい。
「例えばですが、アルラウネの森に昨日戦ったような魔王軍が潜伏していたらどうします?」
「どうって……王都まで逃げて軍人を呼ぶよ」
「見つかって襲われた場合は?」
「……ミドリに助けてもらう」
くそっ、仕方ない事だけど、滅茶苦茶カッコ悪いな。
「聞くところによると、アルラウネはとても美しい女性の姿をしているらしいですよ? 魔王軍の男たちはずっと敵国内に潜伏しているわけですからね。色々と鬱憤が溜まっているはずです。そんな時に森で暮らす美しいアルラウネ達を目にしたら、彼らは何をすると思います?」
「ミドリ、俺に攻撃魔法を教えてくれ」
俺の返事を聞いてミドリが見下すような視線を俺に向けながらニヤリと笑う。
「私、アキト様の扱い方が分かってきました」
「あっ――おい、ミドリ。その質問は卑怯だろ!」
「卑怯で結構です。さあ、アキト様、アルラウネを守りたかったら私の指示に従って魔法の訓練をしましょうね」
こうして俺はミドリから攻撃魔法を教わりながらアルラウネの森まで進むのだった。
アルラウネの森に到着するまでに一応の習得が出来たのだが、俺はその魔法のあまりの攻撃力に恐怖を覚えた。
村長のお爺さんから貰った剣などこの魔法があれば完全に不要になるほどだ。出来る事ならこの魔法を使う場面が来ないことを願うばかりである。
アルラウネの森が目前まで迫ってきたところで俺は魔法の練習を止めると、森の少し北側から回り込むようにして中に入った。王都から直線上にある場所では数名の人間がアルラウネの攻撃にあっていたからだ。
アルラウネは追い返すのが目的のような攻撃しかしていなかったので、俺とミドリは仲裁に入ることはせずに迂回することにしたのである。
人の踏み入っていない森なので当然だが足場が悪い。
「なんか、普通に森の中に入れちまったな。てっきりアルラウネが立ち塞がると思ったんだが」
そしてそのアルラウネと少し話をしたら帰ろうと思っていただけに、森の中を突き進んでいる今の状況は望ましくない。これだけ木が茂っているとミドリに掴まって上空に逃げるのが難しくなってしまうからだ。
「アルラウネも目の前の人間たちに気を取られて周囲の警戒が疎かになっていたのでしょう」
「遠目からかつ木に隠れていてほとんど見えなかったけど、あの地面がひっくり返ったのは昨日の魔犬が使っていたのと同じ大地魔法ってやつだよな?」
「はい。植物の魔物は大地魔法を使うことが多いので、アルラウネも大地魔法の使い手なのでしょう。知能があることから上級種族に分類されるので森の中で相手をしたくはないですね」
確かにそれは洒落にならない。いざという時は不可侵領域を駆使して逃げ切ろう。
俺が地面から襲い掛かってくる大地魔法にどうやって対処しようか考えていると、前を歩いていたミドリが立ち止まる。
「アキト様、気付かれたようです」
「えっ? アルラウネか?」
「恐らくは。一直線にこちらに向かっています。逃げますか?」
「まさか。来てくれるならここで待とう」
俺は少し緊張しながらも、立ち止まってアルラウネを待つ。
「アキト様、もう少し私に近付いてください」
「お、おう」
俺がミドリに近付くと、少し離れたところにある木の後ろから数十本の触手のようなものが伸びてきた。
「うわっ!」
触手は目の前で見えない壁に阻まれて動きを止める。
ミドリの不可侵領域だ。
俺は目の前で見えない壁に阻まれて蠢く触手をまじまじと確認する。それは触手というよりは蔓植物のように見えた。
「これ……植物か? ってことは」
「はい。アルラウネですね」
俺とミドリは蔓が伸びてきている木を注視する。あの木の後ろにアルラウネがいるのだろう。
「いきなり攻撃とは酷いですね。アルラウネはそのような野蛮な種族なのですか?」
ミドリが木の裏に隠れているアルラウネに聞こえるように声を張る。
こいつは煽ることしか出来ないのか?
もっと友好的な態度で話しかけようよ。怒らせたら意味ないだろう。
「私たちの森に無断で踏み入っておいて何を言う!」
「これはまた大きく出ましたね。友好種族の証である赤の魔石も持たないアルラウネがアルドミラで土地を所有することは出来ません。あなた方こそ、国の所有物であるこの森を無断で占拠しているという立場を理解しているのですか?」
「何だと!? ふざけるなっ!」
木の後ろからアルラウネが姿を現す。
葉緑体が入っていそうな濃い緑の髪と薄い黄緑色の肌。服の代わりに身体を包む草花。下半身がすっぽりと埋まっている大きな黄色い花。その花の下辺りから蔓がこちらへと伸びていた。
移動はどうしているのかと思ったが、太い根のようなものが足の代わりに全体を支えているようだ。うねうねしていて少し虫っぽい。
彼女が姿を現したのを皮切りに、周囲の木々の後ろから次々とアルラウネたちが姿を現す。いつの間にか包囲されてしまっていたようだ。いずれのアルラウネも美しいのだが、全員が怒りを露わにしてミドリを睨み付けている。
「お前、もう一度言ってみろ!」
「嫌ですよ、面倒くさい。記憶力もないんですか?」
「なっ!?」
「というか、そろそろこの蔓を引っ込めて貰えますか? 早くしないと斬りますよ?」
ミドリが右手の爪を正面のアルラウネに見せつける。
アルラウネは蔓を引っ込めると共に、ミドリを恨めしそうに睨みながら呟いた。
「トカゲ女が調子にのるなよ……」
ミドリの眉がピクリと動く。
「野草どもが、まとめて除草してあげましょうか?」
ミドリが両手をアルラウネ達に向けると、アルラウネ達も一斉に蔓を何本も身体の前に伸ばして臨戦態勢に入る。
「ちょ、ちょっと待て! ミドリお前、やり過ぎだ。ここに来た目的を忘れるな!」
俺は直ぐにミドリの両手を掴んで下げさせた。
アルラウネ達を殺す気かよ。そんなことしたら絶対許さないぞ。
「む…………すみません。少し頭に来てしまって」
「あれが少しかよ。明らかに一戦交えようとしていただろ」
ミドリの奴、意外と気が短いな。おかげで最大級の警戒をされてしまった。可愛いアルラウネを見たかったのに、みんな怖い顔だよ。
「あの、連れが失礼なことを言って悪かった。俺たちはただ、君たちに会いに来ただけなんだ」
「私たちに? 木を伐りに来たのではないのか?」
「違う、違う。君たち、向こうで王都の人間と争っていただろう? あの人たちの仲間だと思われたくなかったからわざわざ遠回りして森に入ったんだ」
「なら、お前たちは私たちに会ってどうするつもりだ?」
「あ、えっと」
不味いな、なんて説明しよう。
恋人探しとか言える雰囲気じゃないし、アルラウネを一目見たかったと言ったら、なら目的は達したのだから出て行けと言われそうだ。でも俺が見たかったのはこんな怒っているアルラウネじゃない。これじゃあRPGでモンスターとして出てくるアルラウネと変わらないではないか。
今一度考えてみよう。
俺はどうしてここに来たんだ?
本当に一目見るだけで満足なのか?
違うよな。その程度の想いだけで、人間と敵対しているアルラウネの森に踏み入るわけがない。
「俺は――」
自分の気持ちを素直に伝えよう。本当に心の底から湧き上がってくる想いを正直に伝えれば、アルラウネたちも俺を理解してくれる気がする。
俺はアルラウネを真っ直ぐに見据えて、本心を打ち明けた。
「――君たちの事を知りたいと思ったからここに来た。俺はアルラウネが好きなんだ。だから君たちがどういう暮らしをしているのかとか、何が好きなのかとか、そういう事を教えて欲しくて会いに来たんだ」
俺が想いを告げると、辺りがしんと静まり帰る。
待って、何この空気。黙らないで何か言ってください。お願いします。
「私たちが……好きだと?」
あっ、よりによってその言葉を拾っちゃいます?
勢いで言っちゃったけど、すげえ恥ずかしい。でももうここまで来たら引けないぞ。俺の有りっ丈の気持ちをぶつけるしかない。
「あ、ああ。俺は人間以外の種族が好きなんだ。特にアルラウネには昔から憧れていた。大好きと言ってもいい」
隣にいるミドリからの視線が痛い。「うわぁ、こいついきなり告白しちゃったよ、気持ち悪い」とか考えていそうな顔だ。
すると、森の奥から無邪気な笑い声が聞こえてくる。
「な、何だ?」
正面にいたアルラウネの後ろから、小さなアルラウネが顔を出す。身体が小さく顔立ちも幼いので、子供だろう。
そして他のアルラウネと比べて異質だ。
彼女はミドリに匹敵するほど整った顔立ちをしており、身体のあらゆるところに小さな花を咲かせ、髪の毛も花びらのように赤く華やかだ。何より目を引くのは彼女が人間と同じ両足で地面に立っているということ。アルラウネなので肌は黄緑色だが、それ以外は草と花で作った服を着た人間の女の子に近い。
「レフィーナ様! い、いつの間にいらしたのですか?」
「ん? 森が面白いのが来たって教えてくれたんだ。だからみんなの後を追いかけたんだけど、想像以上に面白い人間がいて笑っちゃったよ」
レフィーナと呼ばれたアルラウネの少女は俺を見てニコリと笑う。子供が新しいおもちゃを見るような、無邪気な目だ。
「アキト様、気を付けてください」
ミドリがいつになく気を張った声で注意を促してくる。
「どうした?」
「あのアルラウネ、今の今までいることに気が付きませんでした」
「隠れていたからだろ?」
「後ろにいただけなら見えなくても魔力で分かります。私が気付かないということは中級以下の魔力しかない存在のはずです」
「……子供だし、まだ魔力が少ないとか」
「違います。彼女は魔力を内に秘めて力を隠していたのです。今は隠していません。この魔力量は異常です」
俺はミドリの態度を見て気を引き締めた。魔王軍に会った時でさえ、ミドリはこんな焦った顔はしなかったし、ここまでの注意を促してきたことはなかった。周りのアルラウネ達の態度から見ても、レフィーナは子供でありながら別格の存在のように見える。
「そんなに凄いのか?」
「純粋な魔力量だけなら私と同等と言えば分かりますか?」
「お前と同じって、アルラウネは上級種族なんだろう? そんなことあり得るのか?」
「恐らく彼女は最上級種族のアルラウネ。クイーンアルラウネです」
「ク、クイーン?」
こんな子供がアルラウネの女王?
「あはは! 惜しい! 正解はプリンセスアルラウネ。クイーンの娘だよ。最上級種族なのは変わらないけどね」
レフィーナは楽しそうな笑顔のまま、俺たちへと歩み寄る。近くで見ると本当に小さい。目測だが身長は140センチ程度だろう。
「危険です、レフィーナ様」
「大丈夫、大丈夫」
レフィーナはアルラウネ達の制止を振り切って俺たちの目の前まで移動すると、手を差し出す。
「人間は挨拶する時こうするんだよね?」
「あ、ああ」
俺はレフィーナと握手を交わす。手の感触は人間と大差ない。しっかりと骨があるのが感じられる。
「ぼくはレフィーナ。さっきも言ったけど、プリンセスアルラウネだよ」
ボ、ボクッ子じゃねえか!
現実で初めて見た!
「どうしたの?」
「いや、何でもない。俺はアキト、人間だ」
「あはは、見れば分かるよ。よろしくね」
レフィーナは握手した俺の手を掴んだまま引っ張ると、そのまま森の奥へと歩き出す。
「お、おい、どこへ行く気だ?」
「どこって、ぼくたちのことを知りたいんでしょ? 教えてあげるよ」
「マジ?」
「うん! マジ、マジ!」
こうして俺はレフィーナに連れられて、人間が踏み入ったことのないアルラウネの森の奥へと入っていくのだった。
ドラゴンや竜人に対してトカゲは禁句です。
ブチギレたミドリを見て、アルラウネたちは死を覚悟していましたが、アキトが宥めてくれたことで内心でホッとしています。




