44話
「マーガレット!」
マリーはマーガレットを呼ぶ。けど、返事はなかった。
「悲しいですね。人はこうも簡単に死ぬのです。やはりワタクシが愛するお方は不死が好ましい」
(そんな……。マーガレットが死んだ? いやその前に、あいつの屍はあるのになんであいつは立ってるの……?)
「……ふむ、何か解せないという顔ですね。いいでしょう教えて差し上げましょう」
老いたカルネラはぐるぐると歩きながら話だした。その右手は完全に復活している。
「……もし、《不完全な世界の顕現》で別の並行世界のワタクシを召喚して、《不当なる観測者の権限》でそのワタクシに意識を移動させたなら、事実上の瞬間移動ができるのではないか、と。そして、同じ世界に二人いる自分を《正当なる観測者の権限》で別の並行世界に送ってやれば事実上の瞬間移動が可能ではないか、と」
「ワタクシの推測は正しかった! ワタクシは新たな《想いの力》に目覚めたのです。 瞬間移動する力でございます! 《邪悪なる観測者の跳躍》! これこそがワタクシが手に入れた《想いの力》」
「ふざけるなああああああ!!!」
マリーは涙を流し怒りに任せながら斬り掛かる。けど、その剣が当たることはない。
(迂闊だった。戦いが終わったものだと油断してた。マーガレットを連れてきたのも、マーガレットが刺されたのも私のせいだ!全部!全部!私のせい!)
「当たりますまい! そんな太刀筋では――《不完全な世界の顕現》――《全てを忘れ去る黄金の剣》」
カアンと、マリーの剣がカルネラが召喚した黄金の剣に弾かれた。無防備になったマリーの体に剣が向けられる。
「この黄金の剣は一味違います! 全ての記憶を失うでしょう!」
わざわざ剣を召喚したのはその剣が特別であるからだ。数多の世界を渡り、不死の少女の首を斬り落としてきた黄金の剣は、記憶を失うという結果だけを再現する剣になったのだ。
「がはっ!」
ゆっくりとマリーの胸に剣が刺さる。マリーはだらんと脱力し剣を落とした。それでも不死であるから、マリーは死ぬことはない。ただ、記憶を失うだけである。
「そう、誰もワタクシを覚えていらっしゃらない。だったらワタクシを愛するように新しく育成すればいい。そうは思いませんか? 」
カルネラはその剣を引き抜くと、マリーは地面に倒れた。そうして教会は静寂に包まれた。地面に転がる少女の亡骸、胸に剣が突き刺さった老人の遺体、背後から剣が突き刺さったメイドの亡骸、座って微動だにしない虚ろな少女、そして、その中に一人立つ後継者カルネラ・アルスバーン。
後継者カルネラが暫く、その静寂に浸っていると、教会の扉に一人の青年が現れた。
「おやおや、これは遅かったじゃないですか? 若かりし頃のワタクシ」
「…………」
超越者カルネラ・アルスバーンだ。人でありながら神の力を託された青年は、人を超越した存在である。その青年はアルストロメリアという一人の少女に、その老人はアマリリスという一人の少女に、《想いの力》を託されたのだ。
「……貴様がやったのか?」
「ええ、もちろん。その惨状をみてください! そこに一人立つワタクシが犯人と断定しても差し支えないでしょう! さあ、剣を交えましょうか、相手を倒せばすべてが収まる!」
後継者カルネラはその黄金の剣を構える。だが、青年は剣をぬこうとはしない。青年はその惨状をみると、すべてを理解した。勝てないと? 否。 忠誠を誓ったあるじの思惑を理解したのだ。
「その必要はない。そうですよね、マリー様」
ふらり、と後継者カルネラの後ろに一人の少女がたつ。白いワンピースを着た少女である。
「なにっ――」
後継者カルネラが振り返るがもう遅い。彼の胸に少女の「手」が届いた。剣ではない、手であった。そして、その手も拳ではなく、手のひらであったのだ。
「大丈夫。彼女は怖かっただけ、だからあなたには戻る資格がある。この世界であなたが愛していたのは彼女だけ、そして彼女はあなたを愛していた。だから、お願い、戻ってきて――《新たなる世界の複製》――《正当なる観測者の権限》」
少女が触れると後継者カルネラの体が淡く光だす。
「馬鹿な、何故……」
***
何故、少女がカルネラに敵対するのか。何故、剣でもなく拳でもなく、手のひらなのか。何故、《想いの力》を使ったのか。後継者カルネラには分からなかった。
そして、カルネラの視界が光で満たされると、気づけば別の並行世界に立っていたのである。
「コ、ココは?」
身に覚えのある光景。真紅の絨毯に高級そうな調度品、そして、外を眺める一人の少女の姿があった。
「あ、アマリリス様…………」
カルネラがポツリと呟いた。少女は振り返る。
「カルネラ・アルスバーン……?」
少女は確かにそういったのだ。そして次の瞬間、少女はカルネラに抱きついたのだった。
「こ、この世界のあなた様はワタクシのことを覚えていらっしゃるのですね」
「もちろんですとも。1度たりとも忘れたりしません。何せ婚儀をした仲じゃないですか」
少女は笑った。カルネラは手を頭にあて上を向いて泣き始めた。それは少女に泣き顔をみせないため、涙を落とさないためであった。
「どうしたのですか? 泣いているのですか?」
「いえ、なんでもありません。少し、悪い夢でも見ていたようで」
「ねえ、カルネラ。私、あなたが死ぬのが怖かっただけなんです。あなたが居なくなるのが怖かったのです。でも、あなたが別の並行世界にいくことは死ぬことと同じだったのですね。あなたが居なくなってようやく気づけました。もう、帰ってこないと思っていました。無数にある並行世界から元の世界を探すのは簡単じゃない。それでも、あなたは戻ってきてくれた。これが人の想い、愛なのかしら」
カルネラは床に頭を擦りつけ謝罪する。
「とんでもない! あ゛まりりす様! とんでもない過ちを犯しておりました! ワタクシはあなた様を殺しつづけておったのです! 許されない行為でございます! ワタクシは人殺しであります!」
「……それは本当かしら?」
「事実でございます」
「……それを言うなら私も人殺しです。あなたに《想いの力》で別の並行世界に送ったのは、あなたを殺したのも同然。私も罪人です」
再定義しよう。無数にある並行世界の中で、ただは一つの世界のただ一人の人物を想い、一緒に居たいと想うことが「愛」である。無数にある一つの世界から別の並行世界に渡ること、その世界からその人物が居なくなることは「死」である。
アマリリスがカルネラを別の並行世界に送ったことは「死」であるならば、二人はお互いを殺しあった仲と言える。
「私はあなたを殺しました。きっとこれは許されないことでしょう。罪人どうし罪を償いませんか?」
少女が差し伸べた手は裏を向いていた。左手の薬指、まだそこに指輪がはめられていた痕がみえる。カルネラは身につけていた黄金の指輪を彼女にはめた。
そうして、アマリリスとカルネラ・アルスバーンはお互いを償いながら生きるのであった。
彼が息を引き取ったのはそれからたった数日のことである。アマリリスの膝の上で、アマリリスに看取られながら、カルネラ・アルスバーンは息を引き取った。
***
教会に一人の少女と一人の青年がいた。後継者カルネラが居なくなった世界である。
「よろしかったのですか? 彼を許す形になりますが」
「いいのよ。私は彼女の世界にいったことがある。彼女の想いはすべて分かるもの。そもそも私があいつを別の並行世界に追いやらなかったらこの悲劇は産まれなかったのよ。すべて私のせい……」
少女はマーガレットの元に近寄った。
「マーガレット! しっかりして!」
「……マリー様……? ご無事でしたか……良かった……でも、私はもう駄目なようです……先に行きます……お元気で」
少女の呼びかけで再び瞬いた命の灯火が消えていく。
「嘘でしょ? マーガレット! マーガレット! マーガレット!!!」
教会は再び静寂に包まれた。マーガレットが冷たくなっており、ただ、少女のすすり泣く音だけが聞こえる。
「……カルネラ・アルスバーン、あなたは死者の蘇生ができるはず……よ」
「死者の蘇生ですか?」
「論文に書いてあったじゃない!」
「……マリー様。あの論文をお読みになったのですか?」
「ええ」
カルネラは呆然と立ち尽くした。カルネラ・アルスバーンの論文によると死者の蘇生は可能であった。そのはずなのに。
「……あなた、まさか?」
少女はカルネラの胸ぐらを掴む。カルネラは抵抗することなく、ただ俯いて事実を述べるしかなかった。
「……死者の蘇生は不可能でございます。あの論文には虚偽が含まれております……」
「なんですって!」