第五話:思念術士ヴェルデは、王女へのアプローチを試みる
思念術士であるヴェルデは、王国の下層階級の出身であって、それはヴェルデの名前にも表れている。
ヴェルデは家名をもっていない。姓のない「ヴェルデ」だけがその名前であって、平民階級ではなく、その下の賎民階級出身であることを示している。貴族階級の人間は、一般に母方の姓 + 父方の姓を併せ持つことによってその階級と出自を示す。王家の人間には更にその系譜における何代目に当たるかを表す言葉がつくなど、もう少し複雑な名づけの法則がある。
子どもの頃から強烈な上昇志向をもっていたヴェルデは、「下層階級出身」という肩書きのままで終わるつもりはなかった。ヴェルデにとって、自分の思念術の資質は成り上がる為の強力な武器であり、ウルン教という集団は成り上がる為に選んだ都合の良い所属先であるに過ぎない。実際のところ、ヴェルデにあるのは信仰心ではなく出世欲であり、神がヴェルデにもたらしてくれるのは祝福や庇護ではなく世俗的な地位だった。
思念術の才能とひたむきな努力を武器にして、教団術士として頭角を表したからには、必ず教団内での地位を確固たるものにして、かつて自分を見下した連中を逆に足下においてやる。ヴェルデはそう固く決意していたのである。
その為にも、教主の命令から逃げ出す訳にはいかない…のだが。
ヴェルデは、歩きながら大きなため息をついた。
「生きて帰れるかな…わたし…」
教主からは、
「まず王女の意図と狙いを探れ」
「その後、王女と親交を結び、王女を惚れさせて篭絡しろ」
というところまで命令されている。その後、どう王女を生贄にするのか、というところについては教主に計算があるらしかった。
しかし。
教主の作戦には、二点の大きな問題があった。
まず、当たり前だが、自分を誘拐しようとした犯人である教団の人間を、王女がそもそも信頼するのか、という点。下手をすると、会った瞬間に炎皇なり水皇なり発動されるかも知れない。精霊たちを統べる存在であるという精霊皇の力を、自分の身体で試すのはあまりぞっとしない。
もう一点、重大な問題が。
そこまで考えたところで、ヴェルデは王女の居室の前までたどり着いた。
***
「ごめんなさい!!!!!」
いきなり一国の王女に土下座されるというのは、流石に予想外だった。「自分を見下す階級のものたちをいつか足下に」という野望がある意味あっさり叶ってしまったが、ちょっと思っていたのと違う。
5秒に1回の頻度でため息をつきながら、半分死ぬ覚悟で、それでも閉心術を張り巡らせて王女の居室に入ったヴェルデのすぐ目の前には、形のいい後頭部に絹のような茶色がかった髪をまとわせた、王女の土下座姿があった。教団信者の巡礼服を身にまとっており、一見すると巡礼の旅人にしか見えない。
「…いや、王女殿下、お顔をお上げ下さい」
どう声をかけていいかしばらく迷ったが、とにかく土下座されたままでは話が進まない。
「その…何を謝っておいでなのですか?」
「泊めて頂いて、食事まで頂いているのに、私ちゃんとお礼が出来ないばかりか、教会の人に怪我までさせてしまって。…あの、ガガがケガをさせてしまった方は…ご無事かしら…?」
王女はおそるおそる顔を上げながらそう言った。まだ正座したままだが、ヴェルデの前に現れた顔は、思わずはっとしてしまうほど美しい。年の頃は17,8だろうが、顔立ちはそれより多少幼いようにも見えた。
「お気遣い、痛み入ります。今神聖術士の治療を受けておりますが、幸い命に別状はなさそうです」
「良かった。本当にごめんなさい、ガガは時々見境がなくなることがあるから…精霊棲みなんて、気味が悪いわよね?」
王女の態度は、「心底心配している」ようにしか見えず、自分を狙ってきた教団の人間に対する態度とは思えない。王女の気性が素直であることが分かると共に、少しずつ話が見えてきた。
「…炎皇のことを、ガガとお呼びなのですか?」
ペットにつける名前みたいだな、と思ったが、そこはそれほど重要な話ではない。
「そうよ。ガガとメル。…あなたは、精霊棲みに慣れているの?」
つまり王女は、教団の人間が王女を害するつもりだ、と考えていないし、教団の人間が自分を誘拐しようとしていた、ということも分かっていない。
単に、自分が精霊棲みだと知った相手が自分を恐れているだけだ、と考えている。
「正直なところ、慣れているとは申せませんね。ただ、恐れを感じるほどではございません」
大ウソである。閉心術が少しでも途切れればどうなるかと思うと、内心ヴェルデは冷や汗ダラッダラだった。ただ、それを外面に出さないことには、文字通り命をかけて細心の注意を払っていた。
「王宮でも、炎皇や水皇が暴れだすことはあるのですか?」
「それは殆どないわ。うちには、私のことを昔からよく知っている人しかいないから、私を怖がる人もいないの。ただ、外に出ると…やっぱり、ガガやメルが暴れだしてしまうことはあるんだけど…」
なるほど。
それが本当に「王女を怖がる人」に反応したかどうかは怪しいものだ、とヴェルデは考える。
話を聞いている限り、王女は王宮では他人と普通に接触出来ているらしい。
仮に、炎皇と水皇が「気味が悪い」という程度の悪意に反応する程鋭敏なのであれば、普通に生活しているだけで暴走することがしょっちゅうあるだろう。他人に対する悪意を感じる局面くらい、どんな人間でもあるものだ。まして王女ともなれば、嫉妬を向けられる機会だけでも数えきれないだろう。
となれば、王女を普通に王宮で生活させておくことは、王家としても不可能な筈だ。
それでも王女が普通に生活出来ているということは、炎皇と水皇の反応はそれなりに厳密であって、「王女に対する明確な害意」にしか反応しない、それ以外の相手には危害を加えない、と考える方が妥当だ。
しかし、おそらく王女はそれを認識していない。王女が周囲の人間について把握している感情は、恐らく実際よりも一段階悪意から遠ざかっているのだ。
これは重要な情報だ。
これを前提にして、もう一度、会話の作戦を頭の中で組みなおす。まず「誘拐しようとした事実」をどうごまかそうかと考えていたのだが、どうやらそれは不要そうだった。であればもう少し踏み込んでも問題ない。
「殿下は、何故我が教団を訪れられたのです?王宮には戻られないのですか?」
ここで「戻る」と言われても正直困るのだが。
王女は、申し訳なさそうな口調で、
「…ごめんなさい、ご迷惑とは思うのだけど、もう少しおいて頂けないかしら…」
と言った。
「私、どうしても探さないといけない人がいるの。けど、幾ら父上に頼んでも全然探してくれないから、もう自分で探そうと思って。私、今回の外出で、最初から途中で抜け出すつもりだったの。…ガガが途中で暴れるとは思わなかったけど…」
王女の目は真剣だった。「父上」というのは当然レルセム王のことだろうが、探してくれない、というのは何故だろう。
「探さないといけない人、というのは?」
王女の想い人か誰かだろうか。それを危惧した国王が、王女と想い人を引き離そうとしている、とか。
「昔、ちょっと一緒に旅した仲間よ。…本当はこの国の恩人でもあるのに」
ふむ、とヴェルデは思った。
恩人というのはよく分からないが、細かいところは後でいい。取り敢えず、王女は自由意志でここに留まっているようだし、すぐに逃げ出そうという意志もなさそうだった。というか、たとえ教団の意図が分かったとしても、炎皇と水皇に守られている王女が逃げ出す理由もないだろう。やろうと思えば一人で教団丸ごと壊滅させられる筈だ。
「かしこまりました、王女殿下。しばらくは私が身辺のお世話をさせて頂きますので、こちらの部屋でよければ、どうぞご逗留ください」
王女が、ぱっと笑顔を作った。
「ありがとう!…王女殿下なんて言い方面倒でしょうし、私のことはティアでいいわ。…あなたのお名前は?」
「ヴェルデ、と申します」
「…ヴェルデ?」
王女はきょとんとする。ヴェルデは本日二度目となる嫌な予感を感じた。
「ど、どうか…なさいましたか?」
「…いえ…ごめんなさい、男性の名前なんだなーと思って。あの…あなたは女性よね?」
「……っ!!!!」
思いっきりバれていた。
そう、これが、教主の作戦についての、もう一つの問題。
周囲には思念術を使って「男性としての自分」を認識させていたが、実際のところ、ヴェルデは男性ではなく女性なのである。本来の名前もヴェルダと言うのだが、思念術を身に着け教団に入る際、女性では出世する為の障害になると考え、自分を男性と偽って来たのだ。
ヴェルデの思念術の能力を持ってすれば、周囲からの視線をほんの少し歪曲して、男性としての自分の姿を見せることなど造作もない、はずだったのだが。
「……あの……私、何か失礼なこと言っちゃったかしら…?」
ティアが、ヴェルデのこわばった表情を見て、心配そうに上目遣いで話しかけてくる。
「い、いえ……そういうわけではないのですが…その、何故、私が女だとお分かりに…?」
「え?えーと…どういえばいいのかしら、色が女性の色だったから」
卓絶した精霊術士は、精霊力を視覚でとらえることが出来る、ということはヴェルデも知っていた。その場にどんな精霊がいて、どんな精霊の力が働いているのか、彼らはなんとなく感じるだけではなく、実際に目で見ることが出来るのだ。
ただそれが、いったいどの程度の範囲に及ぶものなのか、というのはよく分かっていなかった。精霊術士などただでさえ希少なのに、精霊力を視覚でとらえられる程の精霊術士など滅多にいない。
「…ごめんなさい、何か事情があるのね?あなたが女性だということは黙っておくから…」
「あ、…ありがとうございます…」
そういいつつも。
「王女を惚れさせる」という命令に対し、いったい何をどうアプローチすればいいのか。完全に途方に暮れてしまうヴェルデだった。