第四話:セルドは峠道で単眼巨人と出くわした
街道。
軽装の戦士であるセルドと首飾りの姿をしたユールナは、二人で、と言っていいのかよく分からない旅を始めた。目的地はアルトゥルラ山。セルドの目的は、「拾ってしまった呪いのアイテムの解呪」、速い話ユールナを外すことである。
結局、ユールナは首飾りとして、セルドの首に飾られることになっている。いくら何でも左手に巻き付いたままだと邪魔なので、一番邪魔にならない場所を模索した結果だ。
ユールナはどうも、セルドの体と、どこか一か所でも接触していないといけないらしい。完全に外すことはどうにも出来そうになかった。身につけた腕ごと切り落とせば別なのかも知れないが、そこまで急いで外さないといけない程の危機感も感じないし、そこまでやって万一再出現でもして外せなかったら目も当てられない。何にしても呪いの性質を確認してからだ、とセルドは思っていた。
「別に呪いとかじゃないと思うんだけどなー…」
「呪いのアイテム本体に言われても説得力が全くない」
ユールナは相変わらず、呪いのアイテム扱いについてはぶーぶー文句を言っているが、セルドを話し相手としては適切な相手だと認めているらしく、ちょくちょく話しかけてくる。面倒そうにしながらも、セルドも一応はちゃんと相手をしてやっている。
「その、なんとか山、にはどれくらいで着くんですか?」
「アルトゥルラ山、だ。徒歩のルートしかないからな。山がちな場所だし、二週間くらいは見ておかないといけないかもな」
本来、スティアラ大陸での長距離移動手段といえば馬か駅馬車なのだが、レルセム王国でも北方帝国に近いこの地域では、昨年までの北方帝国侵攻の影響もあり、駅馬車が生きているルートはほぼない。野生の馬を捕まえるというのも、山岳地帯であるこの地域ではほぼ期待出来ない。
「食べ物とか大丈夫なんですか?」
そこは痛いところだった。干し肉やらチーズやらの保存食はあと二日分程しか残ってない。本来の予定なら、無人地帯をそのまま突っ切って、食料があるうちに人が住んでいる地域に入れる予定だったのだ。
「一応この先に村があるから、そこに住民がいればなんとかなるかも知れんが…」
もし人がいなければ、その辺の兎でも猪でも、どうにか狩って捌くくらいしか手段がない。あるいは街道添いの森に入って、食べられそうな木の実でも探すか。まあ、生き残るだけならなんとでもなる、とセルドは思っていた。
「ちゃんと栄養とってくださいね。行き倒れでもされて荒野にほっぽり出されたら結構困ります」
「余計なお世話だ」
周囲を林に取り巻かれた峠道だった。舗装もされていない道を、セルドは苦もなく歩いていく。軽装とはいえ、かなりの坂道でも全く歩くペースが落ちない。相当旅慣れた健脚だった。急な坂を一気に上り切っても、セルドは息を乱しすらしない。
ユールナの言葉を適当に聞き流しながら峠道をしばらく歩いていたセルドの足が、ふと止まった。
「………」
山間の道。大きく道はうねっていて、見通しは良くない。左側に山林。右側は切り立った崖。前方は、百歩程の距離で曲がり角になっており、その先の様子は見えない。
…どこからか、巨大な質量と質量がぶつかり合うような音が聴こえてくる。
「……どうしたんですか?」
「待て」
セルドがそういった瞬間。
前方の峠の曲がり道からいきなり、吹っ飛ぶような勢いで馬車が飛び出してきた。馬が狂ったように暴走している。こちらに向かって、跳ね飛ばそうかという程の勢いで馬車が向かってくる。
…違う。これじゃない。
「わわわっ!?」
ユールナが叫ぶ。それに被せるように、馬車の御者がセルドの姿を認めて叫ぶ。
「あ、あんたぁぁーーーーっ!!!逃げろぉーーーーっ!!!!」
喉から血が出るかというような必死の叫びだったのだが。セルドは馬車を見もしない。本命はその後ろ。峠道の向こうから、何本もの大木がなぎ倒されるような轟音が近づいてくる。
「あいつか」
セルドが呟いた瞬間、山そのものが歩いているかのような巨体が、何本もの木を跳ね飛ばしながら、馬車を追って道の向こうに姿を表した。
「な、な、な、な、な、な」
ユールナの声。
見上げる程の大きさ。大木のような手足。人間をひどく押し縮めてから、スケールだけを何十倍にも巨大化したように見える。
巨大な頭、短い首、その頭とそれ程大きさは変わらないのに、それら全てを支える四肢。そして、巨大な頭には、大きな一つ目が三分の一程の面積を占めている。轟音を立てながら走る巨人の足の方が、全力を出しているであろう馬車よりも僅かに速い。追いつかれるのは時間の問題だろう。
セルドが、右手に小さな手斧を構えながら、低くつぶやいた。
「単眼巨人?……こんなところに?」
「に、に、ににに逃げた方がいいんじゃっ、ないんですかっっ」
ユールナの焦った声に、セルドは一言だけ、こう返した。
「なんで?」
「な、なんでって…」
セルドの眼前に暴走する馬車が迫る。御者は必死に馬を避けさせようとしているが、馬は完全に狂乱していて、セルドのことなど目にも入っていない。
そして、セルドも特に馬のことは見ていない。
「ひ、ひかれるーーーーーっ!!!!」
そうユールナが叫んだところで。
セルドが跳んだ。
軽く片足飛びをしただけのように見えたのに、自分の身長以上の高さの馬を軽々と飛び越えて、セルドの足は馬車の天井を踏む。更にそこから、もう一度。既に距離にして十数歩というところまで迫っていた、単眼巨人の方へと跳躍する。まるで弓から放たれた矢のような速さで。セルドの体は単眼巨人へと飛ぶ。
巨体に見合わず、巨人の反応は機敏だった。右手を伸ばし、セルドの体を空中でつかみ取ろうとする。既に、その右手の大きさがセルドの身長程にでかい。
自分に延ばされた巨人の右手を、セルドは空中で、無言でぶった切った。
「…へ?」
「ぉぉぉぉぉぉお"ぉっっっっっっっっぉぉぉっっっっっっお"ぉおぉお"おっっっぉぉぉっっっ」
ユールナの声と、巨人の凄まじい咆哮。
とても小さな手斧で斬ったとは思えない凄まじい範囲と深さで、巨人の右手は殆ど二つに切り裂かれる程にえぐれていた。蒼い液体が、血のようにそこから噴き出る。しかし、返り血を浴びるべき位置に、セルドは既にいない。斧を振って巨人の手にたたきつけた勢いで、セルドは上向きの力を手にいれ、更に高く、宙に飛んでいた。空中でとんぼ返りをして、体勢を整える。まるで重力がないかのような、とんでもない動きだった。
そして、セルドが飛ぶまさにその先に、単眼巨人の頭があった。
「よっこら」
セルドが空中で、大きく右手を振りかぶる。すぐ目の前で。単眼巨人の眼が、セルドの姿を見つめて大きく見開かれる。
「せ」
セルドが、空中で無造作に斧を振ると同時に。
つい先ほどの斬撃に倍する範囲で、巨人の頭部が真っ二つに絶ち割られていた。
***
蒼い血の海。
蒼い海に浮かぶ島のように、真っ二つになった単眼巨人の頭と四肢が倒れ伏していて、返り血を浴びてすらいないセルドが、巨人の死体の上にしゃがみ込んで死体を見聞している。
「うーーん?」
首を傾げるセルドに、ユールナが、
「…………あ、あなた、なにものなんですか、いったい」
「何者っつわれてもな」
「おぉーーーーい」
不愛想に答えていたセルドの耳に、さっきの馬車の御者の声が届く。巨人が倒れ伏すと共に馬の狂乱はおさまったようだが、馬車の勢いを止めて戻ってくるまでにだいぶ時間がかかったのだ。セルドは、取り敢えず、という体で単眼巨人の体から飛び降り、地面に降り立った。
「お、おかげで、助かった。なんてえ強さなんだ、あんた」
「なあ、こいつどこからあんた達を追いかけてたんだ?」
御者の言葉には特に反応せず、セルドは単眼巨人の方を親指で指した。御者は目をぱちぱちとさせて、
「いや…その峠のちょっと向こうだが…」
「待ち伏せでもされたのか?」
「いや、正直わけが分からんのだが…峠を回ったところで、いきなり後ろからこいつが追い掛けてきたんだ。ついさっき自分たちが通ってきた道からだ」
話しながら、御者自身しきりに首を傾げる。
「隠れるところなんてどこもなかった筈だし、こんなでかい魔物がいたら気付かない訳がないんだが…」
ふーーん、とセルドは考えこむ。
「ちなみに、この峠で単眼巨人の噂なんて聞いたことあるか?」
「分からん。俺たちもこの辺の者じゃないからな。この先の村では何にも言われなかったがな…」
セルドが目を上げると、馬車から何人か人影が下りてくる。商人風の旅装の男に、その家族のように見える女性と子どもたち。商人風の男は真っ青を通り越して土気色の顔色をしており、子どもたちはさっきまではおびえ過ぎて声も出なかったようだが、安心したのか今になって母親にすがりついてわんわん泣いている。
商人がセルドに近寄ってきて、半ば涙声で礼を言ってくる。
「あ、ありがとうございます、あなたがいなければ今頃、今頃私達は…」
「いや、礼には及ばん。その代わり、もし食料が余ってたら売ってくれないか」
本当に何でもなさそうなあっさりとした口調に、商人風の男は目をぱちぱちとさせる。
「う、売るなんてとんでもない。必要なだけ差し上げます」
「そりゃありがたいけど大丈夫か?この先しばらく無人地域だぞ。子どもたちの分も要るだろう?」
「元々王都まで運ぶ予定の荷でしたから。お心遣いありがたいですが、自分たちの分は十分にあります。お、お名前を伺っても…?」
「……セルド」
なんとなく居心地が悪そうに、セルドは一言だけ、そう答えた。