第二話:放棄された村で、セルドはユールナと出会う
非常にきわどいところでかろうじてクライシスを免れたセルドは、ふーーーっと落ち着いた表情でトイレから出てきた。心から穏やかな気分になっており、また死線をくぐりぬけた漢の目をしてもいた。
スティアラ大陸において、上下水道は一般的なインフラである。精霊術の術式を下敷きにしており、専門の精霊術士が調整すると、水精が決められた経路で家々に水を送り込み、また決められた経路で排出させる。貴族や王族の邸宅の場合、「おかかえ精霊術士」がおり、その邸宅内で水の循環を完結させている、などという例もある。これには、水に毒を混ぜられることによる暗殺を防止する、という意味も含まれる。
「ちょ、ちょっとーっ!女の子にあ、あ、あんなもの見せといて、無視する気ですかー!なんか一言くらいあってしかるべきでしょーーっ!」
それはそうと。
セルドの頭の上からは、さっきからなにやら、騒がしい声が落っこち続けていた。しばらく知らんぷりをしていたが、文句を止める様子がない。
「さっきからうるさいな…」
セルドは面倒そうに言う。声の発信源が、どうも左手に絡みついたままの首飾りであるらしい、ということには気付いていた。さっきから手放そうとしているのだが、左手に張り付いたように外れない。
「…なんだお前、このネックレスに住んでる精霊か何かか?」
「精霊なんかじゃありません!ちゃんとユールナっていう名前があります!あと、ネックレスじゃなくてペンダントです!」
基本的に、精霊には個性というものが殆どなく、人間と意思疎通をする際にも、同じ言葉を投げかければ同じ反応が返ってくる。精霊術が術式としてきちんと成立しているのはその為だ。それに当てはまらないのは、各属性の精霊を束ねる存在である、「精皇」と呼ばれる極少数の例外のみである。
そこから考えると確かに、なんだかぺちゃぺちゃと騒がしく、かつ自分の名前まで名乗っているこのユールナが、「精霊ではない」というのは確かなのだろう。
「よく喋る精霊だな」
「人の話を聞けー!」
セルドはその辺の事情を一切無視して、単に「ちょっと珍しい、騒ぐ精霊」ということにしてその場をやり過ごすつもりであるようだった。さっきからぶんぶん左手を振っているのだが、手に絡みついた首飾りが外れそうな気配は一向にない。
まあいいや、あとで。
セルドは一旦首飾りのことを置いておいて、ついさっき斧を振るった部屋に戻ってきた。首をはねられた死体がそのままに、そこに転がっている。
セルドは無言で、死体の一体をひっくり返した。持ち物を改める。
…貴重そうなものは何も持っていない。本当に、特徴のない長剣一本しか所持品がないように見える。
「…何してるんですか?」
と、頭の上からの声が不思議そうに聞いてくる。
「三分黙ってろ」
ぶっきらぼうにそういうと、いかにも不満そう、という気配を漂わせながら声が止まる。その間に手早く残りの死体も確かめる。
…三体とも同じ。所持品は何もない。身に着けていたのは長剣一本のみで、身元が分かりそうな所持品すらない。飛ばした首の方を改めてみたが、当然どの顔にも見覚えがない。髪色も肌色もばらばらで、出身地も特定出来そうにない。
「……」
考えこみながら、改めて部屋の中を見渡す。
元々は骨董品屋か、雑貨屋であったように見える。見える、というのは、商品らしいものが全て持ち去られていて、空の陳列棚と大量の空き箱、あとは売り物になりそうにもないでかい彫像くらしいか置いてあるものがなかったからだ。商品は家主が回収したのか、あるいは盗賊が持ち去ったのか。
それ自体は別にいい。何の不思議もない。むしろこの状況で、金目のものが残っている方が不思議だ。
…だが、分からないのは。
「……三分経ちましたけど」
そこまで考えた時、頭の上から落っこちてくる声が復活した。律儀に待っていたらしい。
「…数えてたのか?」
「時間を数えるのは得意なので。ちゃんと180秒数えました」
「ネックレスじゃなくて時計だったのか、お前」
「時計じゃありません!あと、ネックレスじゃなくてペンダントです!あとあと、「お前」じゃなくて、私はユールナです!!」
全ての反論ポイントにきちんと反論してくるあたり、案外律儀な性格をしているのかも知れない。
「ネックレスとペンダントってどう違うんだ?」
「ペンダントトップがついてるのがペンダントで、ネックレスっていうのは広義の首飾りのことです」
「じゃあ別にいいじゃないか、ネックレスで」
「狭義で適切な言葉があるならそっちを使うべきです」
面倒なヤツだなー、と思いながら、セルドは建物の外に出る。
村だった。正確には、少なくともかつては村だった、筈だ。噴水は未だに生きており、じゃばじゃばと水音を立てているが、その周辺で遊んでいる子どもは誰もいない。通行人すら一人もおらず、話し声などどこからも聞こえてこなかった。
ユールナが、不思議そうな声を出す。
「…ここ…誰もいないんですか?」
「…お前、最初からこの村にいたわけじゃないのか?」
「私は誰かが身に着けてくれないと外が見えないんです。前見た時は全然違う場所でした」
ふーん、と思いながら、村の中心と思われる通りを歩く。何かの店舗っぽい建物はざっと覗くが、やはりなにかしら価値がありそうな商品が残っている店はどこにもない。
「ねえ、この村、なんで人がいないんですか?」
ユールナの疑問に、面倒そうにしながらもセルドは答える。
「去年、この辺に北方帝国の侵攻があったからだ」
北方帝国。
正式な名称は「大陸北部諸侯国連盟及びグラガラース帝国」というのだが、公的な場・公的な文書以外でその名前が使われることは滅多にない。スティアラ大陸の最北部に位置する軍事国家であり、大きな戦乱を起こした回数も数知れない。
その北方帝国がレルセム王国に侵攻したのが昨年。その途中、噂では先代の皇帝が没したらしく、北方帝国が急に軍を引いてからも、まだ正式な停戦には至っていない。この村周辺は一種の緩衝地帯としなっていて、今でも村人が戻ってきていなかった。
「…けど、噴水とか出たままですよ?」
「そうだな。普通は2,3か月も放置されれば、水精は動かなくなるもんだが。相当腕のいい精霊術士がいたのかもな」
大きな街には専属の精霊術士がいることも珍しくないが、小さな村の場合、大体月に一回くらいの頻度で精霊術士を呼んで、村の上下水道や冷蔵設備、精霊炉などを調整してもらっていることが多い。精霊術士は希少な存在である為、大抵の場合かなりの高給とりであって、そうそう頻繁に呼ぶことが出来ないという問題もある。
「…折角水道が生きてるんで、綺麗なトイレでクソが出来ると思って来てみりゃぁ」
適当にめぼしい建物に入ってみたところ、急に三人の男に襲われた、というのが先ほどまでの事情である。
「…っ。女の子相手に汚い言葉を使うもんじゃありません!!」
「ネックレスに性別なんてものがあるのか」
「何度も言ってますが!ネックレスじゃなくて、ペンダントです!!あと私はユールナです!!」
頭の上から落っこちてくる声を聴き流しながら。
どうも相当な面倒ごとに巻き込まれたっぽいな、と、今更ながらにセルドは悟っていた。