隻眼の黒猫
本作品はフィクションです、作中の登場人物・名称は実在のものと関係ありません。
梅蘭が立ち去ると、通路には誰もいなくなった。
しかし、刺客が一人とは限らない。あのゴリマッチョに限って、と思いつつも彼女の実力を実感し、ジャックは急ぎVIPルームへと戻る。
はたしてVIPルームでは、ブルが最後の一人を監獄へ転送している最中であった。
相棒の無事に安堵しつつ、声をかける
「すまない逃がした。だが目的は果たせた。」
そう言って、黒猫を持ち上げてみせる。
「お前が逃げられるなんて珍しいな。それはそうと、その黒助はアンドロイドじゃねえか?」
ブルはそう言って猫を手に取る。こう見えてこの男は無類の猫好きなのだ。
VRのペットには2種類ある。一つはノーマルタイプ、これは全くの趣味である。現実にペットを飼えない人や、ライオンなど飼育する事が出来ない動物をペットにしたい人が利用する。
もう一つがアンドロイドタイプ。ノーマルタイプのAIを強化し、特定の機能を付与したもので、機能は飼い主の希望により異なる。例えば、暴漢に襲われた時に戦ってくれる犬や遭難時に救難信号を出してくれる猫などがある。
「どんな機能があるか分かるか?」
ブルから黒猫を受け取り聞く、
「見た目だけじゃそこまで分からねえ。ワイラーに解析してもらうのが一番だろうな。」
ブルは首を横に振って言った。
なるほど、確かにワイラーなら分かるかもしれない。ジャックはブルと分かれると、ワイラーのいる東京へテレポートした。
◇◆◇
C.C.P VR支部は東京都丸の内にあり、コンクリートジャングルの一つを担っている。
内部は綺麗にされているが、ほとんどを現場で過ごすジャックには馴染みのない場所であり、案内図を確認しながらなんとか情報解析室に着く。
部屋へ入ると無数のモニターが、次いでその場に似つかわしくない人物が目に入った。
中肉中背で黒い肌、髪はドレッドヘアーに結えている。派手な色のTシャツにジーンズのハーフパンツという姿は、とてもC.C.Pの職員には見えない。
「Heyジャック、元気にしてたかYo!」
この部屋の主、ワイラーことデニス・マクレガーが出迎える。この陽気なジャマイカ人は、元凄腕のハッカーであり、世界中の捜査機関が追っていた人物であったが、様々な経緯を経てC.C.Pの職員となった。
「ワイラー。解析して貰いたいものがあるんだが、良いか?」
ジャックが言うと、ワイラーの目が爛々と輝く。解析という単語が琴線に触れるようだ。
ジャックが猫を手渡すと、ワイラーは嬉々として猫をスキャン台に乗せ、モニターに向かう。キーボードをカタカタッと打ち込むと、スキャン装置が起動した。
スキャン自体に害はないらしく、黒猫は大きな欠伸をすると丸くなって、寝入ってしまった。
「Yo! 解析・分析、俺の心はトキメキ。So! 俺の仕事はスーパーハッカー、君の心はマルハダッカー。」
ワイラーは上機嫌でおかしなラップを口ずさみ、コードを打ち込んで、次々とプロテクトを解除していく。
暫くその様子を眺めていたが、いつしかワイラーの表情が真剣なものに変わっている事に気づく。
モニターに目をやると《error》の文字が並んでいる。どうしたのかと思ったが、声をかける雰囲気ではなかった。
解析には暫く時間がかかりそうなので、ジャックはもう一つの用事を済ませておく事にした。
情報解析室を静かに出ると、ジャックは九龍へテレポートする。
もう一つの用事、梅蘭の件を確認する事だ。
◇◆◇
ジャックは大姐大に合うべく九龍城砦を歩いた。通路の数を数えて右に曲がり、ほとんど特徴の無いバラックの差を見分けて裏に隠れた階段を上る。そうして辿り着いた木戸は、先日訪問した時のそれと同じである。
ジャックはドアを軽く押して中に入る。
「な、何だべ? 何か用だか?」
ドアの先は4畳程の小部屋で、住人が驚いて声をかけて来る。
「部屋を間違えたようだ。すまない。」
ジャックは謝ると部屋を出た。
どこかで間違えたか。そう思案し入口からやり直すが、結果は同じであった。
その後数回繰り返したが、目的の部屋に着く事はなかった。先程の住人に大姐大のところへ行く道筋を尋ねると、
「大姐大はいなくなっちまっただよ。」
と答えが返って来た。
姿を消したのは梅蘭の件か。ジャックはそう思案したが、顔も名前も知らない老婆を探す手立ては無く、やむなくC.C.Pに戻る。
◇◆◇
再度丸の内にテレポートしたジャックはワイラーの元へ向かう。
ワイラーは解析を終えて猫と戯れていた。目の錯覚でなければ二匹の黒猫と戯れている。
「ワイラー、猫増えてないか?」
そう声をかけるとワイラーは、
「Yoジャック。解析終了、オレ投了。」
そう言って力なく両手を挙げてみせた。詳しく話を聞いてみる。
解析は60%が完了したが、残りの40%がブラックボックスの様になっていた。そのプロテクトを解除しようとしたところ、突然黒猫が苦しみ出したという。
無理をすれば猫が壊れてしまうので、それ以上は手が出せなかった。という事らしい。
しかしワイラーは、ブラックボックスを謎のままにしておくのは癪だったらしく、コピーを作成してあとで時間をかけて調べるつもりだったらしい。
コピー不可アイテムを易々とコピーする技術は流石スーパーハッカー、と言ったところだが違法行為も甚だしい。ジャックは十分に説教し、二匹とも飼い主に返すと言ってワイラーから二匹を取り上げた。
「それで? 60%の部分はどんな内容なんだ?」
ジャックが説明を求め、ワイラーはいじけながらも説明を始めた。
聞いてまず驚いたのが、猫の右目がレンズになっていた事だ。
VRの猫とはいえ片目にレンズを埋め込むからには、モニタリングか録画をしているということだろう。何故そんな事をするのかは、飼い主に聞いてみなければ分からないが。
その他は大した収穫無し。基礎AI強化やGPS搭載、非常通報機能といったありふれた機能ばかりだった。
GPSの経路も確認したが、おかしな場所へは行っていない。倉庫街をウロウロしていたのは猫の特性だろうか。
「仕方ない。飼い主のところへ戻すか。」
ジャックはそう呟き、二匹の黒猫を手に部屋を後にした。
◇◆◇
C.C.Pを出たあと、香港市街にテレポートする。香港トラムを横目に市街地を歩き、通り沿いのマンションに入る。エレベーターに乗り込むと8階で降り、目的の部屋を訪ねた。
呼鈴を鳴らすと、インターホン越しに女性が応対する。
「剣崎ですが、依頼の件でお伺いしました。」
そう告げると、にわかに部屋の中が騒がしくなる。そしてその音は次第に玄関の方まで近づいてきて、
「ミャーちゃん!」
ドアを勢い良く開けた少女が、黒猫の名を呼んだ。黒猫は小さく鳴いて久し振りの対面に応えた。
「本当にすみません。」
そう言って、ティーカップをテーブルに置くのは少女の母親である。アールグレイの香がほのかに鼻腔をくすぐる。ジャックは軽く会釈して礼をすると、ティーカップを手に幼い女の子へ視線を移す。名を紅花と言い、依頼主の一人であった。
「おじちゃん。ミャーちゃん見つけてくれて、ありがとう。」
車椅子に座った少女、紅花は笑顔でお礼を言ってきた。返事をする代わりに頭を撫でておく。
紅花は生まれつき足が不自由な子だった。VRなら四肢に障害がある人でも自由に動ける、と思われがちだが間違いである。
先天的あるいは幼い頃に身体の障害が発生すると、脳からその部位を動かす信号が上手く飛ばなくなるのだ。不十分な信号しか発しなければ、いくらVRでも手足は動かない。飛び方を知らない雛鳥はVR内でも飛べないのだ。
しかし、訓練により先天的に歩けなかった人がVR内で歩いた事例もある。現在、医療分野の研究課題として日夜研究がなされている。
しかし、障害を持つ人の中にはVRを嫌う人も少なからずいる。VRにダイブして、障害がある事実を再び突きつけられるのが怖いのだ。その気持ちは想像に難くない。
だが紅花は違った。暇があればVRにダイブし、リハビリをしていた。医者からも神経系に反応が見られる。ひょっとしたら歩ける様になるかもしれない(VR限定だが)、と言われていた。
部屋から出られないながらも、懸命なリハビリをする我が子を勇気付けよう。と両親が相談して買い与えたのが黒猫だった。
右目をレンズにしようと言い出したのは父親だった。自由に外を歩かせ、その映像を紅花に見せようと言ったのだ。
母親はVRとはいえ意図的に隻眼にするのは残酷だと訴えた。しかし現実では出来ない事だから、と父親に押し切られてしまった。
かくして、右目に義眼レンズを嵌めた隻眼の黒猫が誕生したのである。
黒猫は、何故か記録した映像を紅花以外に見せようとしない。そこには幼い紅花が約束した、私以外に見せちゃダメ。という約束を忠実に守る黒猫の姿があるわけだが、その事実は誰にも分からない。
母親から話を聞いていたジャックは、二匹目の件について切り出した。
「捜索中にちょっと問題が発生しまして。猫のコピーが作られてしまったのです。」
そう言って、二匹目となる黒猫を差し出す。
母親は一瞬驚いたようだがすぐに気を取り直し、
「そうですか。お礼になるのかどうか分かりませんが、二匹目は剣崎さんがお持ちになって下さい。お邪魔にならなければ、の話ですが。」
そう申し出てきた。
「うん、それがいいよ。おじちゃんが飼ってくれるなら、紅花も嬉しいな。」
二匹目を興味深げに見ていた紅花も、そんな事を言うので黒猫はジャックが飼う事となった。
紅花は猫に向かって、
「ちゃんと、おじちゃんの言う事を聞くのよ。映像もおじちゃんたちなら見せてもいいからね。」
などと言っている。黒猫は分かったのか、小さく鳴いて返事をした。
紅花の家を後にしたジャックは、C.C.Pへ向かった。ワイラーにブラックボックスの答えを教えてやるつもりだった。
「Yoジャック、猫ちゃんは渡してきたのかYo。」
ワイラーが少しだけ恨みがましい視線で声をかけて来た。応じる代わりに黒猫を見せ、
「こいつのブラックボックスが分かったぞ。」
そう言ってやった。
◇◆◇
二人は猫が映し出す映像を眺めながら紅花の話をしていた。
「そういう事だったのかYo。ただの映像を頑なにプロテクトするとは気合の入った猫だYo。チェケラッチョ。」
「あぁ。そして、紅花のために街を録画していた猫がマフィアに連れ去られた。」
「So! この中に重要なヒントがあるって訳だYo。」
そんな二人の会話はある映像が映し出されて止まる。
そこは、香港の港にある倉庫街。そこに集まる中国マフィア、そして彼らと一緒に行動する一人の日本人男性の姿。
「YoHo! これマズいんじゃないのかYo!」
映像を見たワイラーが興奮して言う。
「あぁ、非常に不味い。こんな映像があるってことがな。」
ジャックも同意した。偶然とはいえこんな映像を撮っていたのなら狙われて当然だ。
そこまで思案したところで、この映像が二つある事を思い出す。
「しまった! 紅花が危険だ!」
ジャックは部屋を駆け出すと、香港へ急ぎテレポートした。
〈つづく〉