二匹の犬
本作品はフィクションです、作中の登場人物・名称は実在のものと関係ありません。
扉を勢いよく開けるとジャックたちは銃を構え室内に飛び込んだ。
「C.C.Pだ! 抵抗するな!」
室内にいた男たちは扉が開く大きな音とジャックの怒声にほんの僅かに硬直する。その一瞬の間にジャックは素早く目だけで室内の様子を確認した。
左手前ポーカー台に3・左奥スロット台に4・右奥歓談席に8・右手前ルーレットに5。おそらく歓談席にいる8人の誰かが幹部だろう。
スロット台にいた男の一人がまず動く。懐に手を入れて拳銃を取り出し、ハンマーをコックしたところで、
「ぐはっ……」
スタン弾に胸を強襲され、小さく呻いて無力化した。ジャックは、その男が動くのを見逃してはいなかった。
次いで男の隣でぼけっとしていた男が眉間を撃ち抜かれ麻痺する。一瞬で二人を無力化され、マフィアが動き出した。次々とテーブルを倒し、銃を構えて二匹の犬に銃口を向ける。
ブルは近くにあるバカラ台を蹴飛ばす。トランプやコインが舞い上がり、派手な音で倒れた台を遮蔽物にしてその身を隠した。
ジャックは姿勢を低くして走りブルの元へと滑り込んだ。黒髪が数本舞い、死神の鎌を僅かな差で躱したのが分かると流石に肝が冷える。
容赦のない銃撃は、止む事のない雨の如く二人に襲いかかる。
「これじゃ迂闊に動けねえ、鬱陶しい連中だぜ。」
バカラ台に背を預けたブルは、悪態をつきながらベルトからスタングレネードを取り、口でピンを抜く。方向も確認せずに、それを後ろへと放り投げた。
スプレー缶にも似た物体は、綺麗な放物線を描いてルーレット台へ投げ込まれた。台の陰から飛び出した一人をコルトで仕留めるのと同時に、眩い紫の閃光が炸裂した。残りの4人はグレネードの餌食になった様だ。
「残りは何人だ?」
「13」
「クソッタレ! まだそんなにいやがるのかよ。」
そんな掛け合いを相棒としながら、ジャックは銃弾が止んだ一瞬で部屋の様子を伺う。敵も身を隠しているので、遮蔽物の位置確認のつもりだったが、あるものが目に入った。
再開した銃撃から身を隠すと、ブルに言う。
「いたぞ。」
「あぁ? 何がだ?」
訝しげな顔をしてブルが問い返す。
「奥のテーブルから尻尾が見えた、黒だ。」
それを聞いたブルは口笛を吹いた。
「ビンゴ! なら善は急げってな。さっさと左のを倒しちまえよっ!」
そう言うや否やブルは立ち上がりアサルトライフルを右から左へと一斉掃射する。
ブルの牽制と同時にジャックは駆け出す。左手を腰の後ろに回し、それを掴むと大きく振り下ろす。ジャックの左手には、チリチリと小さくスパークする長さ50㎝の伸縮式警棒が握られていた。
正式名はStun Billy Club。名前が示すとおり、殴れば麻痺させる事が可能な警棒である。
遠距離はM1911で威嚇又は狙撃し、近接戦ではSBCを使うのがジャックの戦闘方法である。警棒は射程が短い分強力で、当たりさえすればその威力を発揮する。しかし、銃撃戦が主流の現代で敵に肉薄するのは、相当な技量と度胸を必要とした。
右手でコルト、左手でSBCを把持してポーカー台目掛け駆け抜ける。
台から顔を出した男と目が合い、双方同時に発砲した。鋭い痛みが右肩に走るが致命傷ではない。男の方はそのまま後ろに倒れた。
ジャックは勢いを殺さず駆け寄ると、台を飛び越えて敵の間に割って入る。突然の乱入者に戸惑う隙を突き、SBCを振るって残る二人を倒した。
ポーカー台を制圧したジャックは、SBCを手離すと両手で銃を構え、スロット台に向けて威嚇発砲する。
スロット台からジャックを狙っていた男たちは物陰へ身を隠す。そこに紫電の爆発が起きた。
一人は爆発に巻き込まれ、もう一人は金属製のスロット台を這って襲う電撃に絡みとられ、膝から崩れ落ちる。
ジャックは一つ深呼吸をすると、床に転がるSBCを拾い腰に収納した。右肩は痛むが何とか動く。ジャックは痛みを意識の外に追いやると、歓談席を見た。
歓談席にはテーブルが三つ転がっている。あのどれかに幹部と黒猫がいるはずだ。
そう確信し、スロット台へと移動する。そこから歓談席の距離は5メートル弱、しかし歓談席は他より少し高い位置にあった。上がるための階段は一箇所、敵もそこを狙ってくるだろう。
◇◆◇
(さて、どうするか。)
しばし膠着状態が続き、ジャックはマールボロを取り出すと一服する。雰囲気だけとはいえ、VRでもマールボロが至高だ。ジャックは紫煙で気持ちを落ち着かせ、次の作戦を考える。
下手に進めば蜂の巣、グレネードで一掃すべきか。そう考えブルを見ると、投げ込んだグレネードを返され慌てて退避する姿が目に入った。
ジャックは、無防備な相方を撃たせないよう威嚇射撃する。ブルはポーカー台の陰に滑り込み、助かったと言わんばかりに片手を上げて見せる。次いで懐からサングラスを取り出してジャックにアピールした。
ジャックもその意図を即座に理解し、サングラスを取り出す。位置的に銃撃はこちらが不利、グレネードも警戒されている。ならば……。
ジャックは煙草を高く放り投げ、サングラスをかける。ブルもグレネードを歓談席に投げ、サングラスをかけた。
はたしてグレネードは歓談席まで届かず、手前で落ちてしまった。投げ返そうと身構えていたマフィアたちは、思わず手前に落ちたグレネードを覗いてしまう。
僅かな時間の様にも感じられ、長い時間の様にも感じられた。高々と投げられた煙草と、投げ込まれたグレネードは同時に床に落ちる。
次の瞬間、VIPルーム全体を激しい光の奔流が呑み込んだ。ブルが投擲したのはグレネードではなく、フラッシュバンだった。
「「ウオオォォ!」」
二匹の犬は対フラッシュバン用のサングラスを放り投げ、唸り声をあげると疾駆する。銃撃戦は不利、グレネードも通用しない。ならば、接近戦に持ち込んでしまえばいい。
その先はあっけなかった。先に敵陣に飛び込んだのはジャックだ。SBCを振り回して次々と獲物を仕留める。
マフィアの中には、かろうじて目が無事な者もいたが、ジャックに気を取られ、銃の狙いをつける暇もなくアサルトライフルの餌食となった。
動く標的がいなくなったのを確認し、ジャックは幹部と思われる者を探す。しかし、幹部と猫の姿はどこにも見当たらなかった。
その中に、グレースーツの男が倒れている。頭は3分の2ほど吹き飛んており、指に龍のリングを嵌めた右手はマグナムを握っていた。交戦中のログアウトは不可なので、自害による自動ログアウトを試みたようだ。
損傷が酷く誰なのか認識は不可能である。ジャックが持ち物を調べようと手を伸ばしたところで、その姿はノイズを伴って消えた。
VRの世界では致命傷を負うと自動的にログアウトされる。痛みはあるが、本体がそれでショック死する事はない。
しかし自動ログアウトの場合、その場にしばらくアバターが残される。その間に拘束してしまえばアバターは消えず、投獄することが可能であった。今回は早々に自害して時間稼ぎをさせたようである。
ご丁寧に自分で顔を吹き飛ばしたという事は、顔の売れた奴なのか。とジャックが独白していると、
「おい、数が少ねえぞ。」
ブルの言葉にすぐに意識を切り替える。1・2・3・4・5・6……、自害した一人を足しても数が合わない。
「くそっ! 逃げたか!」
辺りを見回すと、壁に空いた僅かな隙間から光が見える。非常用の脱出口から逃げた様だ。
「そろそろ最初の奴の麻痺が解ける。オレ様はこいつらを拘束してから追いかける。」
ジャックはブルの言葉を背にして駆け出す。ここまで来て逃げられるわけには行かない。
非常口から外に出ると、そこは細い通路になっていた。遠くでかすかに足音が聞こえる。
幸い足はジャックの方が速い様で、次第に足音が近くなる。そこの角を曲がれば追いつける、そう確信した瞬間。
「ギャアァァァ!」
男の悲鳴が聞こえた。コルトを持つ手に力を込めるとジャックは先を急ぐ。
角を曲がり、銃を構えたジャックの目に映ったのは、闇と同化したチャイナドレスを身に纏い、悠然と佇む一人の女性。その髪は栗色で、目つきは何処か妖艶な、それでいて研ぎ澄まされたナイフの様にするどかった。
通路に他の人影は無く、襴衫が無造作に落ちている。
「またお会いしたネ。」
女性が声をかけてきた。その顔には見覚えがある、九龍城砦で大姐大の護衛をしていた若い女性だ。
「なぜお前がここに。」
ジャックがそう問いかけると、女性は襴衫に視線を移し答える。
「そこの男に用があったネ。もういないけド。」
もういないとはどういうことだ。ジャックがその意味を考えていると、女性はクククッと笑い、
「私が壊したネ、だからもういなイ。」
そう言った。
意味が分からなかった。致命傷を与えたならアバターが残っている筈だ、殺してすぐにアバターが消えることは有り得なかった。
そんなジャックの表情を読み取ったのか、女性は更に続ける、
「分からないって顔してるネ? 殺したでなく壊したネ。壊したからログアウトはないネ。アバターもないネ。」
そう言い再度ククッと笑った。
ログアウトさせずにアバターを消す、その意味が理解できなかった。いや理解したくなかった。
つまりそれは……。
「この男は死んだネ。こっちでもあっちでモ。」
ジャックの言葉を待たずに女性が告げた。
現実世界の方は、意識が戻らない脳死になるのだが、それでも殺したと表現するには十分だろう。
動揺が隠せなかった。この女は、絶対に死亡しないと言われているVR内で殺人を犯したと言うのだ。
コルトを強く握り締めて銃を向けようとした瞬間、その手を抑えられた。5メートルほどあった距離を一瞬にして詰め、ジャックの動きを封じたのだ。
「それは良くないネ? 梅蘭、貴方を壊したくないネ。」
梅蘭と名乗る女性は、ジャックの耳元で囁いた。
背中を冷たいものが走る。彼女がその気なら、今の一瞬で殺されていたのだ。
ジャックが手の力を緩めると、梅欄もその手を離した。
「それでいいネ、この事は他言無用ヨ。あと、その子は貴方に任せるネ。」
そう言い、踵を返して悠然と立ち去る殺人者。ジャックは、その姿をただ見ている事しか出来なかった。
ふと残された襴衫に目をやると、不自然に膨らんだ箇所がモゾモゾと動き、
「ミャー」
オッドアイの黒猫が這い出して来た。
目的は果たした。しかし、
「厄介な秘密を知っちまったなあ。」
ジャックは誰に言うでもなく呟いた。
〈つづく〉
襴衫:漢民族の伝統衣装(男性)