神の箱庭
本作品はフィクションです、作中の登場人物・名称は実在のものと関係ありません。
「で、オレ様の出番という訳だな!」
マカオタワーの展望台から市街を一望するジャックの隣に立ち、禿頭の大男は不敵に笑った。
2メートルを超える肌黒の巨躯は鍛えられた筋肉の鎧を纏っており、対峙するものを否応なく威圧してくる。所謂ゴリマッチョというやつだ。
彼、ヘンリー・ジョン・ブラウンは黒人系アメリカ人である。元陸軍将校だからか、カーキ色のベストとミリタリーパンツが彼のトレードマークである。
「やりすぎるなよ、ブル。」
ジャックは相棒が持つ得物を一瞥すると釘を差す、ブルというのは彼のコードネームだ。
「おいおい! まるで俺が狂戦士みたいな言い草じゃないか。オレ様は紳士だぜ。」
ブルはそう言って両手を広げると肩を竦めて見せた。アサルトライフルとグレネードを装備した紳士がどこにいるんだ。それと不必要な場所ではアサルトライフルはアイテム欄にしまっておけよ。と言いたかったが、セーフティエリア内なので適当にあしらっておく。
VRの世界には限定的ではあるが学校や観光地などのセーフティエリアというものが存在する。よって彼が銃器をぶら下げて闊歩しても騒ぎになることはなかった。兵士が銃を肩に街中を警戒する光景も珍しくなく、彼は常に銃器を携帯していた。
「今回は目標確保が最優先事項だ。」
ジャックがそう言うと、ブルは右手の親指を立ててオーケーの意を表す。
「フタマルサンマルにグランドハイアットマカオの前だな? それまでは中国のかわい子ちゃんと遊んで来るぜ。」
ブルはそう言うと、夜の街に消えていった。
多少の不安はあるが任務には忠実な男だ、ジャックも自分の装備チェックをするため、場所を変えることにした。
◇◆◇
歌舞伎町へテレポートしたジャックは小さな古本屋へと足を運ぶ。
「おや、いらっしゃい。例のもの、出来てるよ。」
豊かな口ひげを蓄えた老店主はジャックの姿を見るとにこやかに出迎えた。
「そうか、ちょっと地下を借りるぜ。」
ジャックがそう言うと、店主はカウンターの下に手を伸ばして何やら操作したあと、小さな包みをカウンターに置いた。
包みを受け取り店内の一角を目指す。壁際に本来あるべき筈の本棚は消失しており、地下へ降りる階段が顔を覗かせていた。
冷たさを感じるコンクリートの階段を降りると気温は一段と下がり、ひらけた場所に出た。細長く作られた空間は片側に簡素なテーブルが並び、一人分の幅で仕切り板が立っている。
テーブル上にはイヤーガードが置かれ、奥には波紋の如く等間隔に正円の描かれた紙が中空にぶら下がっている。その奥は厚い金属でコーティングしてあり、至る所に小さな窪みを作っていた。
歌舞伎町の小さな古本屋、その実態は武器ショップであり射撃場だった。
ジャックはサークルの所持品欄から装備を取り出し銃台の上に置く、《コルトM1911》それがジャックの武器だ。
先ほど受け取った包みを開けると、ローズウッドで作られた美しいグリップが眠っていた。フィンガーグルーブとチェッカリングというジャックの無茶な依頼にも、あの老人は応えてくれたようである。
グリップには、美しく細工されたC.C.Pのトレードマークが埋め込まれている。C.C.Pのトレードマークは紋章学を模したデザインとなっており、スイス式のエスカッシャンを犬のサポーターが支えていた。
サポーターは左側がドーベルマン、右側がゴールデンレトリバーであり、ヘルメットはオープンバイザーとクローズバイザーが背中合わせに配置され、モットーにCyber Criminal Policeと書かれている。エスカッシャンの中にはC.C.Pにおける階級を示す星が配置されており、ジャックの階級は星3である。
グリップをM1911にカスタマイズして手に取る。チェッカリングの突起が掌を程よく刺激し、丁寧に彫られたフィンガーグルーブは持つ者の手を吸い付かせた。
ジャックはグリップの出来に満足し、標的に向けて5発試射する。標的を手元に移動させて確認すると、10ポイントに4つ、9ポイントに1つ空いていた。以前の命中率から2割ほど向上したようである。
VRの世界であっても射撃に補足機能はない。ハンドガンで構えてもポインタが出るといった事はなく、命中制度を上げるのは、カスタマイズと自身の技量なのである。
試射を終えたジャックは新たなマガジンをセットし、スライドを下げて1発装填。一度マガジンを外して弾丸を補充してから、再度マガジンをセットした。
ジャックの銃携帯はコンディション1である。チャンバー・マガジンにフル装填することで残弾数は7発+1発。ハンマーもコックされているため、セーフティを解除してトリガーを引けばいつでも撃つ事が出来た。
セーフティもサムセーフティだけにしてあるため、銃を構えただけでセーフティが解除されるようになっていた。
試射を終えたジャックは、それらをアイテム欄にしまうと階段を上がる。店内に入ると背後の階段は音もなく現れた本棚で隠されていた。使用料はグリップ代に含まれている、と言ってくれた店主に礼を言い古本屋を後にした。
マカオに戻ってきたジャックはホテル前で待機していた。約束の5分前にはブルも姿を現わし最終ブリーフィングをする。
「くどいが最優先事項は目標の確保だ、他は適当に処理してくれ。」
ジャックの言葉にブルは真剣な表情で頷くと、
「オーケー。間違いなくスタン弾にしてあるぜ。」
そう言ってアサルトライフルを持ち上げてみせた。
C.C.Pは、基本的に作戦行動で実弾は使用しない。VRの世界で実弾を使えば、相手に致命傷を与えた際に自動ログアウトされてしまうからだ。
スタン弾で相手を動けなくし、拘束してバスティーユ監獄に幽閉する。投獄されればログアウトしてもアバターは監獄の中である。VRのアバターは生涯に一つと決められており、VRの世界に戻るには裁判を経て釈放されるしかないのだ。
しかし、スタン弾で相手を無力化するには、頭部か体幹部に命中させる必要がある。四肢に当ててもその部位を使えなくさせるだけなのだ。
◇◆◇
「20時50分、そろそろ行くか。」
ジャックはホテルと別の方向へ向けて歩き出す。
マカオのカジノを語るうえで、忘れてはならない施設がある。カジノとホテルの巨大な複合施設シティオブドリームズ、通称CoD。その中心部にあるシティオブドリームズ・カジノは1階がテーブルゲームとスロットを中心とした観光客向け、2階はハードロック・カジノと言う名称で、オンラインバカラがメインである。
ジャックの目的地は、CoDカジノ1階のVIPルームである。
VR内のカジノはイカサマ防止のためアイテム使用禁止である。メニューサークルのアイテム欄から武器を取り出したジャックは、受付で身分を明かしてカジノへ入店する。煌びやかなシャンデリアや細かな刺繍の絨毯が歓迎してくれるが、それらよりも目を惹くのが人々の熱気だ。一攫千金を夢見る彼らは、神に祈る者・全身で喜びを表す者・項垂れて退店する者など悲喜交々である。
運が場を支配し、勝者と敗者が明確に分かれる世界は、人間の娯楽場と言うよりは、人々を使って遊ぶ神の箱庭のようにすら思えた。そんな光景を横目にジャックたちは歩みを進め、カジノの最奥VIPルームを目指した。
カジノホールの突き当たりにある黒い磨りガラスの自動ドアは、ジャックたちがその前に立つと音もなくスライドして開く。
奥には、男神と女神が相対して立つ姿が彫刻された大理石の扉が見え、扉の前にはスーツを窮屈そうに着た屈強な従業員が二人立っている。VIPルームに入るためには、ここで再度ボディチェックを受け、武器類は預けなければならない。それはC.C.Pも例外ではなかった。
なるべくなら店の者に迷惑はかけたくないが、どうしたものか。とジャックが思案していると、
「ジャック様ですね? 大姐大から伺っております。どうぞ。」
「ここで起きた事は関知するなとの厳命です。」
そう言って男たちは道を開けた。老婆の用意周到さに舌を巻き、扉の前に立つ。
後ろの自動ドアが音もなく閉まると、静謐が場を支配する。
ジャックは、早鐘を鳴らす鼓動に耳を傾けるかのように少しだけ瞼を閉じ、扉を睨みつけて言った。
「行くぞ!」
〈つづく〉
フィンガーグルーブ:銃を握り易くするための溝
チェッカリング:銃のグリップに刻まれる滑り止め