上
「ヒデ! 昨日の番組見た? あれ光ヶ丘公園だったよな」
前の席のカズが登校してくるなり、興奮気味に声をかけてきた。
(その話題はよせ!)
俺は心の中で叫ぶ。その話題を今朝から、いや、昨日の番組終了後から俺は恐れていた。
昨晩、テレビで超常現象や怪奇現象を特集する番組が放送された。その中で、UFOの目撃証言が多い公園として地元の公園が紹介されたのだ。俺はそれを見た瞬間、今日が彼女に振り回される日になることを予感していた。
「まさか、光ヶ丘公園でUFOが出るとは思わなかったよな」
目線でどうにか伝えようとするが気付かずにカズは話し続けている。すると俺の隣の席の女子がピクピクと身体を震わせていた。
(手遅れだ……星野が話したくてうずうずしている)
そしてやはり星野は目を輝かせながらこちらを向いた。
「私もその番組見たよ! 円盤型で5つの光を持つUFOだったよね。それにあの蛇行具合、帆座の恒星が持つUFOの特徴ね。中心が青い光ならアル・スハイル・ムーリフ星人の観光船だから害はないけど、赤い光ならマルカヴ星人だわ。マルカヴ星人はとても凶暴でクーシー星人は彼らに侵略されたの。あの映像じゃちょっとわかりにくかったんだよね! カメラマンが興奮して映像がブレブレだったからこの目で確かめに行かないと――」
カズの目が点になっている。それもそのはず、星野は自称宇宙人の宇宙オタクだった。
「アル・スハスハ・ム……?」
「アル・スハイル・ムーリフ星人だよ。彼らは美しいものに目がなくて、よく美しい地球を見に観光に来るの。『帆座』の二等星よ。あ、今星座表出そうか? それとも星表の方がいいかな」
「いや、いいよ。あ、俺、隣のクラスの奴に参考書借りに行くんだったわ」
星野がバッグの中をごそごそと探していると、カズは逃げるようにその場を去っていく。星野は残念そうに眉をへの字に下げたがすぐに俺を見てにっこりと笑った。今度の標的は俺だ。
「落ち着け星野。十分伝わったから」
「まだ何も説明していないよ! 帆の形をしたこの星座って日本からは見えなくて、でも明るくてきれいな――あっ!」
星野が星座表を取り出すと、小さくて丸いものがポンポーンと弾みながら転げ落ちた。青地に白いマーブル柄のそれは俺の足元で止まった。
「うわ、懐かしいスーパーボールだ」
スーパーボールといえば小学生の宝物だ。俺も随分集めたが、もう遊ぶ年齢ではない。拾い上げて思い出に浸っていると星野は恥ずかしそうにこちらを見つめていた。
「ああ、ごめん。スーパーボールってさ、縁日とかでよくすくったよな!」
スーパーボールを星野の手に渡すとそれはコロンと転がった。
「これはね、スーパーボールじゃなくて私の星なの」
照れながら言う姿はまるで恋人でも紹介するようだった。
「へ、へぇ、そう……」
宇宙に全く興味のない俺には星野のその反応が全く理解できない。彼女はスーパーボールを鞄にしまうとそれ以上話すことをやめて、頬を染めたまま広辞苑と同じくらいには分厚い宇宙大百科を読み始めた。
星野は変わっている。
『星野 杏です。宇宙人です』
彼女は入学後の自己紹介でそう宣言した。最初は変人だと警戒していたクラスのみんなも、宇宙について熱く語る以外はまともでかわいらしい彼女のことをただの宇宙人オタクとしてすぐに受け入れた。
しかし、俺はそう簡単に受け入れることはできなかった。何故なら星野は俺の初恋の人だ。俺の知っている星野は控えめだけど可憐な女の子だった。
星野とは小学生の時に通っていた塾が一緒だった。塾でも隣同士の席だった俺がふと横を向くと彼女の持ち物の名前が黒く塗りつぶされていることに気付いた。すると彼女はそれを腕で隠して儚げに笑った。俺はそんな彼女が気になっていつしか淡い恋をしていたのだ。
同じ高校に星野が入学すると知った時、俺の胸は高鳴った。可憐な彼女ならきっと魅力的な女の子に成長しているにちがいない。そう信じて疑わなかった。それが彼女の身に一体、何が起きたと言うのか、彼女は宇宙人になっていた。
「星野さん、これからみんなでファミレス行くんだけど来ない? UFOの話をみんな聞きたいって」
放課後、カズが星野を誘った。しかし、本を読みふけっていた彼女は目線を変えずに首を横に振る。その本は今朝読んでいた宇宙大百科ではなく、今度はUFOやUMAの本だ。
「ごめん、今日は光ヶ丘公園に行かなきゃ。テレビに映ったUFOが青い光のアル・スハイル・ムーリフ星人か赤い光のマルガウ星人か確かめにいくの」
「そっか。それじゃ、それが終わったら来てよ」
星野は本を読みながら「行けたらね」とだけ言った。普通なら嫌な感じだが、そこを感じないのはカズの良いところだ。
「ヒデは行くよな?」
「あー、行く行く」
俺はカズが先に教室を出て行ったのを確認すると彼女の机をコンコンと叩いた。
「星野、宇宙の友達とばっか遊んでないで、たまには来いよ」
星野はページをめくる手を止めてこちらをじっと見た。吸い込まれそうに黒く澄んだ瞳は昔と変わっていない。
「遊びに行くわけじゃないもん」
「いつか人間の友達がいなくなるぞ」
すると彼女は持っていた本のページを俺に見せた。そこにはグロテスクなイラストが載っている。星野はそのイラストのひとつを指さした。真っ赤なそいつは宇宙人と言うよりも茹でタコのおばけだ。
「これがマルカヴ星人よ。もしUFOがマルカヴ星人だったら、彼らは人間をさらって食料にするかもしれない。みんなを守るためにも私は行かなきゃ」
真面目にそんな話をする星野を俺は呆れ顔で見た。
「へぇー、で、お前がさらわれちゃったらどうするの?」
「私は大丈夫! 宇宙人だから」
星野は自信満々に言った。昔の彼女はこんな子じゃなかった。
「星野ってさ、何がきっかけで宇宙人になったの? 昔と全然性格がちがうよね」
「それは――」
何かを話し出そうとした星野を俺は手で遮る。
「あ、やっぱりいいや。どうせ宇宙人にさらわれたとかチップを埋められたとか言うんだろ」
彼女は黙り、本をパタリと閉じた。
「バカにしているんでしょ?」
「ちがうよ」
「じゃあ何?」
そう詰め寄る目は怒っていた。だが怒りたいのは俺の方だ。俺もムキになって言い返す。
「宇宙人じゃない昔の星野の方が良かったってことだよ」
星野は固く口を結ぶとうつむいてしまった。このままでは泣きだしそうな彼女に俺は焦っていた。
「悪い、変なこと言って。俺、行くわ」
バッグを手に取り、逃げるように教室を出ていこうとすると彼女が小さくつぶやくのが聞こえた。
「私は昔から何も変わっていないのに」
俺は振り向くことができずに教室を後にしたのだった。