魔法とそれに関するあれこれ
初投稿、処女作です。できれば完結させたいです。
魔法使い。
通常では起こり得ない現象を、自らで意図し自由に引き起こせる者。一般的な、――良くも悪くも一般的な――所謂超能力者らも、広義で捉えるならば当然魔法使いに属する。
どんなに些細な現象であれ、持たざる者からすれば等しく奇跡のような所業である。
しかし持っている側からすれば、彼らの存在は非常に滑稽である。決して優秀とは言えない、なけなしの才能を使ってわざわざ大衆の奴隷へなりにいくのだから。
一方で、何か代償を支払わなければ力の行使が出来ない者のことを魔術師、もしくは魔術使いと呼ぶ。しかし魔法使いに劣る下位互換のような存在に対し人々は侮蔑の視線を送る。
例え陳腐な透視能力であったとしても、大衆はその能力に対して犠牲を求めていない。当然だ、娯楽如きに代償なぞ用意するわけがない。
一時の暇つぶし程度でしか、魔法に価値を見出せていないし、見出す気もない。
衆愚は怠惰である。傲慢である。簡易さと快楽を至上とし、思慮を忌む愚かなケモノである。
それが分かっている為、魔術師は姿を消した。消した、というのは格好を付けた、魔術師側に花を持たせた言い方であり、実際のところ彼らは進んで魔術師以下に成り下がった。異能を持たぬ凡俗にならなければ、所詮自分たちはあの愚かな道化以下なのだ。
だから彼らは僻みを抱え、劣等に苛まれ続けることを選んだ。能力で劣る超能力者達を嘲り、今日も道化で満たされぬ渇きを癒す。
『見たか、あいつはあの程度の転移しかできない!』
——代償なしのでお前に何ができる?
『指先から水球を出すアイツはもう古い! これからは氷球だ!』
——代償なしでお前たちは何が生み出せるというのだ?
『***! ******!』
——代償なしで、
——代償なしで、
……——代償なしで、魔術師は存在できない。
魔法使いは主に先天的、所謂『血脈』により遺伝する。この為純血統を最重要視し、古くから近親者同士での繁栄が盛んに行なわれた。その結果、逆に血が絶える現象に陥ったことは言うまでもなく、現在では禁忌である。
極稀に後天的に魔法使いとなる例もあるが、力は非常に弱い。但し、後天的に魔法使いとなった場合でも(超能力程度の微弱な力ではなく)、他家から然るべき『血』を受け入れることでその後天的な力は子々孫々へと遺伝させることができる。そうして徐々に増していく能力を、絶やすことなく育て上げることが出来れば、晴れて『魔法を扱える家』として認められる。
優秀な魔法使いを多数輩出してきた名家として『鬼灯』『弟切』『花魁』の御三家がある。最近では堕ちた名家『花魁』を除き、『月桂』を加えようとする動きもある。
この内『鬼灯』では未だに禁忌とされた近親の儀を行なっているという噂もあるが、真偽は不明である。
~鬼灯家~
治癒の魔法を得意とする。鬼灯家に産まれても、この名前を継ぐ事ができる者は極々僅かであり、数百年間『鬼灯』を名乗ることが許された魔法使いが現れなかったこともある。しかし『鬼灯』を冠する魔法使いは皆優秀で、類まれな功績を残している。
~弟切家~
呪術を得意とする。魔法使いの中では珍しく、血脈を持たない。『弟切』が『弟切』を見付け育て、継ぐ。長い歴史の中で、『弟切』は三人しか存在していない。
~花魁家~
調和の魔法を得意とする。呪いにより堕ちたものの、百代続く名家であり、その歴史は『弟切』に次いで二番目に古い。しかし一族は大半が死に絶え、残すは『百代目花魁』とそれを護る執事のみである。
~月桂家~
使用魔法不明。月桂の人間の使う魔法を見た者はいない。
魔法使いとしての優劣は陣式の個数で決まる。
確かに術式の完成度、詠唱速度も重要な要因ではある。術式に綻びがあれば、そこを切欠に連鎖的な崩壊が始まる。強力な呪文でも、詠唱速度が遅ければ何の役にも立たない。
しかし結局のところ自分が幾つ陣式を構築できているかが勝敗を分ける。
陣式とは魔法使い自身が独自に編み出した魔法陣のことである。口に出して術式を組んでいく作業は、誰かが造り上げた魔法を借りていることと同じであり、それだけ時間を必要とする。しかし陣式は自分の造り上げた、言うなれば唯一無二の世界である為、詠唱する必要がない。一度創造ってしまえば何時、何処でも発動することが出来る。
つまり、魔法使い同士の戦闘では相手に勝る陣式をたった一つでも有していた方が勝つことになり、陣式の数が重要になる。
その中でも『鬼灯』の人間は陣式の数が桁違いに多い。また鬼灯家では歴代で組み上げた陣式を一子相伝に伝えていくので、無限に陣式が増えていくことになる。
――どうしてこの方法を、『鬼灯』以外で行なわないかというと、陣式とはその魔法使いの全てであり、魔法使いそのものといっても過言ではない。つまり陣式を受け継ぐということは、一人の人間の中に何十という人間の魂が詰め込まれる結果になり、術者自身の肉体が耐え切れず崩壊する。また、仮に肉体が崩壊しなかったとしても、肉体の主導権を巡る争いとなり、己が己でなくなる可能性もゼロではない。『鬼灯』以外で陣式の継承が行なわれないのはこの為であり、『鬼灯』ですらも治癒魔法の連続酷使で無理矢理人の形を保っているに過ぎない。
人間も魔法使いも、極めてしまえば皆化物である。
より強く。より貪欲に力を求める。
超能力者の方から殴られてもおかしくない内容ですが、私は超能力とか宇宙人とか信じてる側なので怒らないでください。ムーとかたまに読むので敵じゃないです。
もし超能力に目覚めたら、やっぱ最初は赤い球とか操りたいですね。
読んでいただきありがとうございました。