8 デビュタント(3)
赤髪たてロールとその取り巻きたちに囲まれ、何をいわれても俯き耐えるルーシアの元に、ひとり、近づく人物がいた。
「麗しいお嬢様方。ご歓談中失礼します」
ルーシアと赤髪たちを分断するように割って入ってきたのは、一人の青年であった。
「あら、マルコ様。社交の場にいらっしゃるなんて、随分お久しぶりではございませんか?」
赤髪たちの注意が逃れたルーシアは、マルコと呼ばれた青年をこっそり見上げる。
この大広間に、サントラム夫妻とルイしか知り合いはいない。招待主のレジナルドの入場はまだであるし、王子が大広間の片隅であるここに来るとも考えられない。孤立無援が、今のルーシアの状態である。
それに、マルコという名前は初耳で、完全に目の前の青年とは初対面である。
「社交には興味がないからね。ここには美しい蝶がいるようでいて、その実、どれも毒蛾ばかりときくし」
スラリとした長身に、青空を閉じ込めたような透き通る水色の髪の青年は、おっとりと微笑むように藍色の目を細め、「それに、」と赤髪たちを一瞥した。
「まだ上手に飛べない蝶を囲んで意地悪をする蝶もいるようだし、私は怖くてたまらないないよ」
「美しく飾った蝶にこそ、花を選ぶ権利があるのですわ。それを冴えない無作法な蛾に掠め取られては堪らないでしょう?」
「冴えない無作法な蛾」と、ルーシアを威圧する赤髪たてロールに、マルコは切なげに目を伏せる。
どうしてだろうか、赤髪たちに攻撃的な視線や言葉を浴びせられるたびに身体がカタカタと恐怖を過剰に受け取ってしまう。
どうやら助けようとしてくれているらしいマルコという貴族令息には申し訳ないが、正直はやく帰りたい。
優しくてあたたかい両親に会いたい。
「そうだね、努力が報われないのは悲しいことだ。努力が報われる世界はさぞ素晴らしい世界だろうね」
「お分かりいただけたようで、私とても嬉しいですわ」
そう言って、マルコにしなだれかかる満足気なカトリーヌの姿に、黙り込んでいた取り巻きたちが、再び息巻きだす。
マルコは助けようとしてくれたわけではないらしい。
「田舎の男爵家の娘が、カトリーヌ様だけでなく、マルコ様にお手間をかけさせるなんて」
「カトリーヌ様はなんとお懐が深いのでしょう。貴族令嬢として尊敬しますわ」
「私もですわ。そこの田舎者は、カトリーヌ様もマルコ様もお優しさを忘れないことですわね」
取り巻きたちの言葉に更に気をよくした赤髪たてロールこと、カトリーヌは女性特有の柔らかい武器をマルコに押し当てるように腕を絡める。
「ユーリカさん。可哀想な蛾にも、身の程がわかるようにはっきりと教えてあげてくださいな」
ユーリカと呼ばれた、一番下っ端と思わしき令嬢は、カトリーヌに言われると喜々としてルーシアの前に立つと言い放った。
「かしこまりましたわ、カトリーヌ様。……あなた、ブランデス家といったかしら?どんな手を使ったか知りませんけれど、あなたのような田舎の男爵家の娘が、ルイ様のとなりに立つなんて失礼千万ですわ。わかったらさっさとお帰りなったらいかがかしら?」
故郷、ヴェルシュタニアは穀倉地帯でたしかに田舎だ。そもそも男爵家ですらない、ただの平民。彼女たちの気分一つで、私の人生を滅茶苦茶にされるだろう。その気分もすでに害しているようだけれど、私自身が何をしたって言うんだ。レジナルド殿下に招待されたから、拒否もできなくて、来ただけなのに。どうしてこんなに言われなきゃいけないの。
言い返したいことはたくさんある。でも、それらを言うことはできないもどかしさと、理由のわからぬ恐怖に心が締め付けられる。
「あ、あの、その、わたし……っ」
蚊の鳴くような震えた声に、赤髪たちとマルコの視線がルーシアに集まる。
「殿下に、ご挨拶しないと、帰るわけには……」
「友人として」招待されたのだから、一言でも挨拶しなければ失礼になる。サントラム家に滞在していることは知れているから、このまま帰れば夫妻に迷惑をかけてしまう。それだけは避けたくて必死に上げた声だった。
1拍沈黙が流れたあと、馬鹿にしたように赤髪たちが一斉に笑う。
「あなた面白いことをおっしゃるのね。これだけ貴族が集まっているのよ?男爵家の娘にまで一々ご挨拶されるわけがないでしょう?レジナルド殿下には私から特別に申して差し上げますから、安心してお帰りになってくださいまし」
「カトリーヌ様はなんとお優しいのでしょう!それならばこの娘の未練も残らないでしょう」
「ルイ様にも私たちから申して差し上げましょう」
笑われたことが、馬鹿にされたことが悔しいというよりも「帰ってもいい」ことに、堪えていた何かがぽろり、と落ちた。
なんだ、そっか。もう帰ってよかったんだ。
こんな嫌な気持ちになるなら来なければ良かった。ガンとして断れば優しい夫妻なら無理強いはしないだろうし。きっと憧れてしまったんだ。華やかな世界で、童話のお姫様みたいに綺麗に着飾って、運命の王子様と出会うんじゃないかって。そんなこと、ありはしないのに。
そんなの、前世から知っていたのに。
「そう、ですか。では、失礼致します。皆さま、ごきげんよう」
母に教えられた通りに、貴族令嬢の礼をして微笑む。
気を抜いてしまった弾みで流れた涙はそのまま、出口に向かってくるりと踵を返す。
どうしよう。馬車できたから帰り道が分からない。あぁ、でも門兵に聞けばわかるだろう。父に護身術を教わっていてよかった。ドレスの中に短剣を隠しているし、夜道にこんな格好でもなんとか帰ることはできるだろう。
一歩、足を進めると背後から、大げさなため息。
「はぁ……、いい加減にしてくれないか?正直こういう面倒ごとは嫌いなんだ」
振り返らなくとも、不機嫌な声の主は明白だ。
ルーシアの背後に男性は一人しかいない。
どうしてお前に言われなければいけないのか、と心うちにぼやきながら、半歩足を進めたルーシアの肩に男の手がかけられた。
そのままくるりと反転させられると、マルコの腕に抱き込まれる状態にされる。青年のマルコと10歳のルーシアであるため、体格差も年齢差も歴然で、傍から見ればロマンスの香りは全くない。
「なっ、マルコ様!?急にいかがされたのです……!?」
急のことに驚いた取り巻きの一人が声をあげた。
ちなみにルーシアは驚きすぎて硬直し、されるがままになっていた。傍からみれば、年の離れた青年が妹分を可愛がっているようにみえるが、ルーシアの中身は前世の記憶の影響で立派な女性である。さらに補足すれば、ルーシアとして生をうけて10年間、父以外の男性に抱きしめられていない。つまり、そういうことなのだ。
「大切な子をこれ以上いじめるのは、許さないと言っているのだけれど……、理解できない、そんな顔をしているね。カトリーヌ嬢?」
温厚な声音のまま話すマルコからは、明らかな怒気が含まれている。
しかし、その理由は当の本人であるルーシアもわからなかった。