3 出会い(3)
魔法を本格的に習えると浮かれたルーシアは、夕食後こっそりと部屋を抜け出し、月明かりに照らされる廊下に進んでいた。
サントラム屋敷の一階、その再奥に目当ての部屋はある。
飴色の木でできた両開きの大きな扉を、体重をのせてゆっくりと開き、その隙間に身体を滑り込ませる。
「お邪魔しまーす……」
紙とインク、ホコリの匂いが鼻腔をくすぐるこの部屋は、図書室。
サントラム家は、政務大臣という総理大臣や宰相と同じ役割を務めている。ならば誰よりも広い知識を持つべし、と先々代の当主が作ったこの部屋。なんとこの広い屋敷内で最も広い部屋だったりするらしい。
1階から2階の天井までひらけた吹き抜け。その中央部には、左右対称に緩やかな曲線を描く階段がスラリと続く。2階にも飴色の木でできた本棚がこれまた左右対称に整然と並んでいるのが見える。床から天井まで伸びる本棚には、びっしりと豪華な装丁の本が鎮座している。赤、青、黄色、紫、緑と鮮やかな背表紙が、並ぶ様はなんとも壮観だ。
図書室の最奥。
入口からまっすぐ通路を進んだ先。大きな円形の窓枠に、先々代のサントラム公爵夫人を描いた見事なステンドグラスがはめ込まれている。
月明かりを受けたそれは、毛足の長い赤絨毯にステンドグラス色とりどりの影をうつしていた。
そして、これだけでも十分に幻想的な美しい図書館。
それをより引き立てる存在があった。
ステンドグラスのカラフルな月明かりをうける美少年。齢は6歳ほどだろうか。立派な革張りのソファにで読書中だったのか、その小柄な身体に不釣合いな大きい本を抱えたまま寝入っている。
品の良いシャツに、サスペンダーで吊るしたキャメルのハーフパンツ。いかにも育ちの良い男の子といった風貌だ。色素の薄い桃色髪に、白磁器のように透き通る肌。ソックスガーターに締め付けられるぷっくりとした白魚のような足からは、禁忌に誘う色気すらも漂う。周囲を舞うホコリでさえも、少年を賛美するかのよう。
「きれい……」
神秘性すら感じる景色に思わず感嘆の声が漏れる。
すると声に呼応するかのようにバサリと、少年の抱えていた本が落ちた。
ゆっくりと顔をあげた少年は、眠そうに目を擦る。次第に意識が鮮明になり、自身の前に立つ人影に焦点を合わせた。
「お姉さん、だれ?――もしかして、あなたが!」
途端、華が咲いたようにパッと笑みを浮かべた少年は、ふんわりと天然パーマのかかった薄桃色の髪を手早く手櫛でときながら、ソファから立ち上がる。素早く身だしなみ整えると小さく「よしっ」と呟いて、大人にも劣らない美しく華やかに貴族の礼をとった。
「はじめまして。ルーシアお姉さま。僕の名前は、アシル・サントラムと申します。父には言いづらいこともありましょう。何かありましたら、お気軽に申し付けてくださいね。所詮 僕はまだ爵位もなにもないただの子供。屋敷の者に命令するしか能はありませんが、どうぞ御遠慮なく」
仕上げとばかりに一層深めた笑顔の衝撃波に、一歩後ずさりながらも、なんとか踏みとどまる。
何この子かわいすぎるよね、天使だよね……!?
フランシスさんの子供なんだから当たり前とえばそうなのかもしれないけれど。それでも空気中を漂うホコリさえも、彼を取り巻くきらきらエフェクトにしか見えない。そして彼は、さきほど身投げしたくなるような恐れ多いことを仰ったのだ。
「え、えっと、その、お世話になっております、ルーシア・ブランデスです。それで、あの、お姉さまとおっしゃいましたか……?」
伺うように視線をおくれば、俯きがちに目を伏せ、手元を遊ばせはじめた。少年の恥ずかしそうにする様は、なんとも可愛らしい。
見た目は10歳中身は27歳のルーシアでさえ、いけないオジさんの気持ちが理解できてしまいそうになる。
「その、迷惑でしょうか?僕、姉さんがずっと欲しくって……、」
「そんな迷惑だなんてめめめ滅相もない!た、大変嬉しいのですが、私は平民なので色々と問題があるかと……!」
「つまり、お姉さまはお嫌ではないのですか!?」
「は、はい」
キラキラと眩しいアシルの笑顔に圧倒されながら答えると「ありがとうございます。あとはお任せを」と、くしゃりと顔を綻ばせ、アシルは駆けていってしまった。
大きな扉前で、ぴたりと止まると、フランシスによく似たいたずらっ子のような笑みを浮かべていった。
「お姉さま。今宵はお会いできて嬉しかったです。また会う時は、花の舞う春の陽気のもとでありますよう、お祈りしておきますね。それでは良い夢を!」
軽く手を振ってからアシルが退室すると、図書館は再び静寂に包まれた。
脱力しペタンと、床に座り込むルーシアにひとつ。近づく影が忍び寄る。
「なにあれ、可愛すぎなんだけど。そうか、あれが天使……」
「おまえは、馬鹿なの?」
影の正体はルイ・モンフォール。
怪しげな分厚い本を大量に抱えている。その重量は想像したくないほど重そうに見えるが、当のルイは飄々としている。魔法でも使っているのだろうか。
「いつの間に、って、アシルさまが天使じゃないなら、私はなんてゴミ以下なんだけど」
「やっぱり馬鹿。なにもわかってない。気をつけた方がいい。赤子の手をひねるのは、ひどく、簡単。それに……そこそこ可愛い、と思う」
それだけいうと、ルイも早々に退室してしまった。
再び、静寂に包まれた。が、ルーシアの心うちは騒がしかった。
一体、いつからいたんだろう。それに、いま、可愛いって言われた……!?
いやでも 「馬鹿なの?」って可哀想なものを見る目で見られたし、そもそも可愛いの前に「そこそこ」ってついてたし、うん、気にするのはやめよう。そうだ、そうしよう。これ以上考えると、両親含め、親戚全員、美男美女なのに自分だけ、そうでもない事実を脳が認識してしまう。
でも、家族以外に「可愛い」って言われたの初めてかも。
前世は言わずもがな、中の中、可愛くもなければブサイクでもない。個性もなにもない平凡な顔で、お世辞以外に可愛いなんて言われたことなかった。両親でさえ中学に上がる頃には言ってくれなくなったし。
唯一言ってくれていたのは、画面越しに愛を囁いてくれる乙女ゲームくらいだ。思えば、自分は異常に熱中していたなぁ、と生まれ変わってようやく実感させられる。
今世では、この奇抜なカラーリングが浮かない程度には整っているが、母と比べるとやはり見劣りしてしまう。瞳や髪色は個性的かもしれない。でも顔の作りは、個性もなにもない顔だった。
これじゃあ、前世と変わんない。いや、前世よりはまだマシな顔だ。
ありがとう遺伝子。
でも、願わくば、もっと仕事してほしかったかもしれない。この顔は明らかに劣勢の遺伝子が張り切りすぎたに違いない。後天性でいい。もっと頑張れ、優性の遺伝子たち。
翌朝。春の陽気が微笑む太陽にもと、共に過ごすのは、天使のように愛らしいアシルではなく常時 仏頂面のルイだった。庭のおくに設置された洋風あずま屋のガゼポで、魔法の授業である。
「魔法の基礎についてどれだけ知ってるんだ?」
「まったく」
「は?」
「いや、だからまったくわからないです」
「昨日あれだけ使っておいて?」
「使うときは感覚でズバッと…。基礎?座学的なのは全くわかりません」
「……そうか、わかった。最初からいこう。あとでテストするから、わからなければ、その都度きくように」
いつもそっけないルイの声で、魔法の授業は始まった。魔力を制御するにも、正しく使うにもまずは、正しい知識が必要なのだ。
火、水、風、土、光、闇、無。魔法は、これら七つの属性に分類される。
火、風、土は、その名のとおり火や風を起こしたり、土を操ったりすることができる。水は、水を生成する他に、血液など体液が通っていれば外傷を癒すことが可能だ。それよりも強力な治癒力を持つのが光属性だ。
光属性は、内側からケガなど異常なモノに作用し、病気などに強くチカラを発揮する。わずかながら生に関与でき、植物の生育を劇的の早めることもできる。
「植物を~って、土属性じゃないの?」
せわしなく動かしていた羽ペンを置いたルーシアは、正面に座り分厚い本に目を落としているルイにたずねた。
「土属性は、土壌を肥沃にさせることはできる。が、生育を早めるのは、生死に関わることだからできない」
「さらに言うと、」と、ルイが説明再開したのに合わせ、再び羽ペンを走らせる。
「光は良い影響しか及ぼせない。植物を腐らせたりは、闇魔法の領域だ。闇魔法は他にも、人間にかければうつ状態にさせたり、操ることもできる。これは流石に宮廷魔術師でないと、使用許可はおりない」
「もし、使ったら……?」
恐る恐る尋ねれば、にやりと不気味に口角をあげルイが顔をあげる。
「よくて魔力封鎖。悪くて斬首、だな」
「ひぇっ……」
「次行くぞ。無属性は、他の六属性に分類されない魔法、全てを差す。ただし、混合魔法ふくまれない。……、すまない。一気にやりすぎたか?」
メモする手をとめたルーシアがみたのは、どこか申し訳なさそうにしているルイの姿だった。
「覚えるのは得意だから大丈夫。わからないところもないし。ルイは、魔法が大好きなんだね。きいているだけでなのに楽しいよ。何ができるようになるんだろって、ワクワクする」
「そう、か」
この言葉のせいで、ルイの授業が格段に難しく鬼畜なものになるとは、この時のルーシアは知らない。
ルイの心にわずかな変化が起きたことも、まだ知らない。
そろそろ休憩、と、どちらともなく無言になったとき。
足をもつれさせながら駆け寄るリルによって、知らせは届いた。
「お嬢様ー!大変ですぅー!お嬢さま宛にレジナルド殿下、生誕祝賀会の招待状が!」