1 出会い(1)
高く長い屈強な壁に囲まれた城塞都市・シュタインベルグ。
王都とも称されるシュタインベルグの中央に座すは、天高くそびえる王城。石造りの姿に剛健な印象を受ける。しかし魔法の結界を纏いキラキラと輝く姿は、ため息がもれるほど美しい。城内には毛の長い赤絨毯が敷き詰められ、金の装飾と相成って、訪れた者にこの国の磐石な経済力の強さを見せつけるようだ。
役人らしい人物に案内された部屋では、華奢で可憐なティーセットが猫足のテーブルに品良く並んでいた。
「安心して、毒は入っていないから」
にこやかに話しかけたのは母の弟、伯父にあたるフランシス公爵。母と同じラズベリー色の瞳に桃色の髪を持つ、これまた母同様にとんでもないイケメンである。その奇抜なカラーリングでさえも彼の魅力を倍増させている。
平民に降嫁した母の娘であるルーシアは平民の子にすぎない。しかし、フランシスの対応は、貴族令嬢をもてなすように丁寧で、家族に接するように温かい。穏やかで物腰の低い紳士というのが、ルーシアの彼に対する印象である。
「あ、はい。いただきます」
前世含め、初めて見る豪奢な世界に見とれていただけ、と言える訳もなく、勧められるまま大人しく紅茶を啜る。隣で紅茶を楽しむフランシスとの会話を楽しんでいると突然、ノックもなしに扉が開かれた。
ズンズンと歩き、威張るようにふたりの前に立ち止まった人物に対し、フランシスは、精錬された上品な貴族の礼をとる。
「おや、レジナルド王子殿下ではありませんか」
高慢そうに入室した人物は、容姿、貴賎共にその態度が許される存在だった。慌てながらも、その名前にきちんと令嬢が王族にする最上礼をしたルーシアを尻目にフランシスは言葉を続けた。
「こうしてお会いするのは、随分とお久しぶりでございますね」
やはり王子だった、と最上礼にしたことに安堵しつつもルーシアは後悔していた。一瞬だけ見た姿を脳内で必死に再構築させる。あれは絶対にイケメンだった。金髪碧眼の正統派イケメン王子様が目をもっと見ておけばよかった、と。
フランシス公爵の姪といえど所詮は平民にすぎないルーシアが、許しなく王子の顔を不躾に見れば、不敬罪に問われかねない。許しがなければみることも叶わない。それがこの世界の、この国の王族なのだ。
「おんな、頭を挙げよ」
この部屋には女はルーシアしかいない。
上方からの声に、毛足の長い真紅の絨毯からゆっくりと視線ををあげる。
頭を上げるのは許可されたが、見ることは許可されていない。目を合わせては不敬罪に問われてしまう可能性もあった。しかし、母にくどく説かれた言葉たちが仕事する間もなく、ルーシアの目は奪われた。
眩しい金髪に、透き通る南国の海のように爽やかなブルーの瞳。血色の良い白い肌に、目鼻立ちのくっきりとした顔立ちは、まるで物語の王子様よう。
前世では、着せ替えたり化粧させ写真撮影をしたりする大人向けのドールと呼ばれる玩具があったが、まさに目の前の人物がそれであった。ドールが動いてるやべぇ、どうしよう、とルーシアは半ば放心気味にレジナルドを見つめていた。王族に対する態度という母の教えは、頭を上げた時に仕事をやめたようだ。
「お前が《サントラムの宝石》か?」
レジナルドは不機嫌そうに眉根を寄せ、美しいその顔を歪ませた。
ゾクリ。目眩を覚えるほどの激しい既視感に、寒気のような衝撃が走った。
「彼女は姪のルーシア。齢は殿下と同じく10歳になるのかな?」
「姪?ということは、メリーナの娘か?」
フランシスへと移された視線と同時に、激しい悪寒はゆっくりと引いていった。過ぎたものは気にならなくなるもので、ルーシアは新たな想いが浮上した。
「サントラムの宝石」とはなんなのか。ちなみにメリーナとは、ルーシアの美しい母の名前である。わからぬがここでそれを質問することは、やはり許されてはいないので、大人しく挨拶を述べる。
「お初にお目にかかります、レジナルド殿下様。メリーナ・ブランデスの娘、ルーシア・ブランデスと申します。フランシス公爵の仰るとおり齢は10でございます。御姿を拝見できましたこと恐悦至極にございます」
母に散々仕込まれた貴族令嬢風の笑みを浮かべたルーシアに、レジナルド王子は所在なさげに目を逸らした。
「娘がこれでは、メリーナが絶世の美女という噂もガセかもしれんな?」
10歳のお披露目パーティまで王族は、王城内で君主たるべく教育を施される。その内容は多岐にわたり、国を導くための言動や知恵、交渉術、馬術、魔法、武道と膨大だ。それらを全て10歳までに身につけるのだから、同年代との交流は多くはない。
「ふふ、ろくに確認もせずに迂闊を仰るのはこのフランシスの前にお留めくださいね。老獪な貴族たちに、明快な真実をも見抜けぬ童子が、と浴びせられる殿下を見たくはございませんので」
「は、笑わせる。ここにいるは、忠臣と貴族教育の施された花も恥じらう乙女であろう?どうして老害達の耳にはいるというのだ?」
「あはは、そうですねぇ。ここにおりますは、我が国の政務を司るサントラム家当主と、国一番の絵師すらも描けぬ愛い少女だけですな」
鼻で笑うように吐き捨てる王子と、品の良い笑顔は崩さぬままのフランシス。そのやりとりに、ルーシアが言葉を挟むことは、勿論できない。なんだか嫌味を言われたような気がしなくもない。しかし、宮廷画家もひっくり返るほどに美しい両親の悪いところを必死にかき集めて生まれたような容姿だしな、などとルーシアはぼんやりと考えていた。
実際のルーシアは、フランシスの言う通りの美少女である。母メリッサの華やかさはないが素朴な可愛らしさと、父の凛とした美しさは受け継いでいる。10歳という幼さや、男の子に混ざってやんちゃな遊びをしているため、貴族令嬢のような手折れてしまうような儚さが全くないだけなのだ。
王子である己に媚びもしない。でしゃばることなく時と場合に合わせ口をつぐみ、必要とあれば微笑んでみせる。そんな庇護欲を全くそそらせない同世代の女の子との対面に、レジナルドが動揺して話していた、とはルーシアが気付けるはずもなかった。そもそもルーシアは、精神年齢27になる黎那だ。全く同年代ではない。そんなことはフランシスすらも知るわけがなかった。その結果があの会話である。
王子とフランシス公爵が、彼らなりにフランクに話していると控えめなノックが響いた。
「失礼にします」と礼儀正しく入室したのは、この国では全く見ない珍しい黒髪黒目の少年であった。
顔立ちも日本人にとても近いようだ。切れ長の奥二重の目に、殿下と並ぶとわかる黄色の肌。薄い顔立ちだが、よくよく見れば整った顔をしている。フランシスだけに軽くお辞儀をすると、レジナルドになにやら耳打ちをした。
ルーシアはこの10年間一度もこの世界で「日本式のお辞儀」を見たことがない。それに気が付くと些細な仕草さえも完全に日本人のものにみえてしまう。しかし、そんな疑問も「貴族男性だからかなぁ、もしく異国の武術をしているのかなぁ」というなんとも呑気な理由ですぐに消え去った。
ちなみに。奇抜なカラーリングのサントラム家だが、実は一般的ではない。貴族ならば王子のような金髪碧眼。平民であれば茶髪にヘーゼルの瞳がこの国のオーソドックスだ。赤髪や、緑、青、紫など人類とは思えぬカラーリングの者も存在するが多数派ではない。
耳打ちされた内容がよろしいことではないのだろう、思い切り顔をしかめたレジナルドは、気を取り直すように咳払いをしたあと、空気をかえるように明るい声音で話した。
「……こほん、失礼したな。あぁ、そういえば。ユーリ、この女が気にかけていたサントラムの宝石だそうだぞ。まあ、まだまだトンボ玉のようだがな?」
レジナルドの言葉に、フランシスにすら簡単な目礼で済ませた少年の視線が、ようやくルーシアに向けられた。
「――は?そんな、わ、け……」
言葉を失う、だとか驚愕、だとかの表現がこんなに当てはまる人がいるのか、あぁでもやっぱりイケメンだなぁこの人も。とルーシアは思っていた。その間もユーリと呼ばれた少年はあまりの衝撃に、パクパクと口を開閉させている。
表情の機微が乏しいユーリがそこまで狼狽するのは珍しく、フランシスが思わず声をかければ、彼はすぐさまポーカーフェイスをかぶり直した。
「申し遅れましたこと、どうかお許しください。俺はバラティエ家が長子、ユーリ・バラティエ。まさか〈サントラム家の宝石〉様と、このような場でお会いできるとは夢にも思わなかったものですから」
「フランシス・サントラムが姪、ルーシア・ブランデスと申します。私のような者にご丁寧にご挨拶くださりありがとうございます」
「今回は、魔力量の検査と報告にね」
イケメンのキザともとれる台詞にドギマギしながらもそつなく返せば、フランシスは微笑ましいとばかりに笑みを深めた。
そうして当たり障りのない会話を数言交わすとユーリはレジナルドを伴い早々に部屋を後にした。
その間際、確認するようにまた、ルーシアを見つめて。
公爵のフルネームは、フランシス・サントラムといいます。貴族のマナーや礼儀作法は全てオリジナルの本作ですが、彼を帰属として扱う場合「サントラム伯爵」と呼びます。
レジナルドやルーシアが、彼をフランシス伯爵と呼ぶのは親しみを込めて呼んでいるためです。律儀な性格の人って、目上の方との距離をなかなか詰められず苦心している印象なので、ユーリはサントラム伯爵呼びです。
次話も続けて更新致します。よろしくお願いします。