プロローグ
穀倉地帯に囲まれた小さな田舎町、ヴェルシュタニア。
桜井黎那が2度目の生をうけた場所である。
―――20XX年12月24日未明、薬物中毒の男が駅構内で刃物振り回し、女子高校生1人死亡。
桜井黎那の死亡はこのように報道された。
「ま~ぁあ~?」
すこし上達した喃語を話す赤ん坊の名前はルーシア。
彼女は日々の生活を謳歌していた。
「はーい、どうしたのルーシー?ふふ、お喋りが上手ね」
ルーシーと呼ばれるこの赤ん坊。お喋りが上手なはずである。
なぜならこの赤ん坊、死んだばかりの桜井黎那、17歳なのだ。馴染みのない言語も吸収できる若さである。赤ん坊の中身が17歳というのは不気味でもあるが。
赤ん坊をあやしている女は、メリーナ・ブランデス。桃色の髪にラズベリー色の瞳という奇抜なカラーリングにも負けない美女だ。
「ただいま!愛しのルーシーはお目覚めかな?」
190cmはあるだろうか、大きな体躯の美丈夫があらわれた。彼はアドルフ・ブランデス。ルーシーの父である。
茶に近い金髪に青い瞳、彫りの深いゲルマン系の顔立ちの彼は、帰宅するとすぐに「可愛いルーシー」と精美な顔を緩め、愛娘を抱き上げる。
「ぱぁ~ぁ、おあ~りぃ」
イケメンが頬ずりしてくれるこの時間は、面食いオタク女子にはたまらない瞬間である。何かしら言えば、さらに感動して顔を綻ばせてくれるのだから尚更だ。
「ああ、ルーシー!君はどうしてそんなに可愛いんだ!」
死んですぐルーシーとして目覚めた黎那。その感覚は、一眠りしたら異世界、だった。
そもそも黎那だった自分が死んだのかすらもわからない。明らかに現代日本ではない世界で赤ん坊になっているから生まれ変わったのだろう、そう割り切ることにしたのだ。
自我も記憶もすっかりまるまる持ったまま黎那は、ルーシアになった。
窓から見える景色は、小麦揺れる地平線とその中に点在する小さな民家。どれも土屋やレンガで作られた洋風な古民家だ。
中流家庭育ちの日本人、黎那がそう感じているだけで実際には、西洋地域のごく一般的な民家である。
広大な小麦畑の更に奥、はるか遠くには城壁に囲まれる地方都市がみえる。しかしその中でさえ、エアコンもガスコンロも存在しない。
ならばどうやって火を起こすのか。その謎はすぐに解決した。
料理をする母の指先から、突如火種が飛び出し、たちまちに藁を燃やした。
科学では証明できそうもない現象に、最初は驚いたものの、そのうち魔法なんだと自然と納得していった。
魔法のある世界に転生。文明は物足りないが、美男美女の両親に、憧れていた魔法のある世界。そんなに悪くないかも、と黎那はぼんやり思っていた。
核戦争が起きて、退廃した未来の地球という可能性も考えた。
しかし、魔法の存在が当たり前だなんて、やはり地球ではありえない。
どうせ死んでしまい地球には戻れないならば、この世界を受け入れるほかない。もちろんその考えには、ヨーロッパ風な世界に奇抜なカラーリングのイケメンたちと年頃になれば乙女ゲームみたいな恋を、という期待も多分に含まれている。黎那は乙女ゲーム好きな夢見る乙女だったのだ。現在は夢見る幼児だが。
幼児の身体は零歳コツコツと、精神は17歳に加算されながら。嫁入り修行として礼儀作法やダンスを母に、護身術を父に教わった。すくすく、すくすくと育った。
そうして、10年。
「王都へ行ってほしいの」
母を真似て魔法を使うようになってしばらくのことだった。
ポンポンと母が使っていた魔法。実は使える人は少ないという。
素質のある者は、国に報告する義務がある。貧しい平民であろいうと人材の保護育成のため、その旅費を国が負担するほどに、魔術師は貴重な存在なのだ。すぐに魔法省に登用されることもあり、平民が一度は夢見ることでもある。
しかし、遺伝で受け継がれる魔力。その力を顕現させるは、貴族ばかりという現実もまた、存在していた。権力を持つ者の考えることは、きっとどの世界も同じなんだな、と黎那は10歳の姿で遠くを見つめた。
人攫いなども少なくないこの世界。馬車を使っても片道2日の王都、10歳の女の子が1人向かうには遠い距離だった。
「大丈夫よ、迎えの馬車がくるから」
国の援助は一切受けず、王都にいる母の親戚が、全ての世話をしてくれるらしい。王都からヴェルシュタニアの送り迎えに、王城での申請、滞在中の衣食住。全てをだ。それらにかかる費用は、明らかに平民がポンと出せるものではない。
可笑しいとは思っていた。
文字の読み書きにダンス、貴族令嬢の礼儀作法。国内外の歴史に、計算、法律。平民の女性は知りえないもの、知る必要のないものを完璧に身につけさせられた。そして当たり前のようにそれらを教えた両親。
「だってパパを愛してしまったんだもの」
笑ってそう答えた母は幸せそうだった。
貴族令嬢のから平民に降嫁だなんて、大抵はほの暗い理由でするものだ。生活だって、真綿に包まれた令嬢から、召使いなんていない平民。周囲からも反対されただろうし、こうなるまで、母に親族がいたことすらきかなかった。
おそらく、勘当されたのだと思う。
それでもやっぱり、母は幸せそうだった。
豪奢で家紋入りの馬車に揺られること2日。
10歳になった黎那は、いや、ルーシアは、王都の地を踏んでいた。