87(珠衣) 部長
なんだか月美さんの様子がおかしい。
それに気付いたのは、一度目のトスミス。もちろん、バックトスでライトブロードに合わせるのはかなりの高等技術で、状況次第では月美さんだってトスを乱すことくらいある。
だけど、可那さんから上がったチャンスボールで月美さんの手元が狂うのは、さすがにただ事じゃない。
可那さんのサーブカットと月美さんのトスは南五和の生命線。それが揺らいでいる。そして恐ろしいことに、その理由がさっぱりわからない。わからないまま次のプレーが始まって、今度は小夜子さんへのトスが乱れた。
むろん放っておくことはできず、小夜子さんがタイムアウトを取る。片手で顔を隠して俯いている月美さん。小夜子さんに背中を押されてベンチまでやってくると、今度は深い溜息。玉手箱でも開けたみたいに急激に弱っている。本当に何がどうなってるんだ……?
「いきなりどうした、月美」
「ああ……いや」
「いやじゃねえよ。明らかに変だろ」
「うん……。そう、それが、ちょっと説明が難しくて」
「……もしかして、一周前の三枚ブロックのこと、気にしてるの?」
心配そうな声で言ったのは、小夜子さんだ。
「そう……いうことになるのかな、うん。端的に言えば」
「ああ、そういやあんときも今も、あたしの正面にサーブが来たな」
口をへの字に曲げて腕を組む可那さん。遅ればせながら、珠衣もなるほど――と状況を理解。
つまり、月美さんは、どこに上げてもまた三枚ブロックされるんじゃないかって、急に不安になったんだ。珠衣的には三枚ブロックがどうしたって感じだけど、セッター目線だとブロッカーを散らせなかったって責任を感じて、どうにかしなきゃって思うだろう。しかも、南五の必勝パターンである可那さん始まりの攻撃だから、さらにプレッシャーが掛かっていたはずだ。
そうとわかれば、解決法は簡単。三枚だろうと四枚だろうと、珠衣たちが決めればいいのだ。
みんな辿り着いた答えは同じだったようで、直後に珠衣と信乃と雫の(あとノリ的にはるも)目が合う。月美さんの力になりたい――それは珠衣たち全員が同じ気持ちだ。珠衣たちは決め役を誰にするかを視線で主張し合う。そして、
「わかった」
誰よりも先に名乗りを上げたのは、小夜子さんだった。
「じゃあ、次からは私に上げて。全部」
珠衣たち四人は目配せをやめて小夜子さんを見る。表情は普段と変わらないナチュラルスマイルだけれど、瞳は真剣そのもの。いやいやここは珠衣が! なんて出しゃばれる空気じゃない。
南五にエース(自称)は四人いる。珠衣と信乃と雫とはる。
けれど、南五に部長はただ一人しかいない。すなわち、小夜子さんだ。
「なんならあたしに上げてもいいんだぜ?」
可那さんは挑発的な笑みを月美さんに向けて言う。決まりだな、という意味だ。月美さんの硬かった表情が、柔らかさを取り戻す。
「あんたのスパイクは反則的だからダメ。二重の意味で」
「だとよ。じゃあ頼むぜ、小夜子」
「うん。頼まれた」
しっかりと頷いた小夜子さんは、ふふっ、と吹き出すように笑って、珠衣たちを見る。
「もし私でうまくいかなかったときは、みんなよろしくね」
「「はいっ!」」
揃って返事。異論はない。全会一致だ。
ぴぃぃ、とそこでタイムアウト終了の笛。
「っしゃあ、一本集中!」
「「おーっ!!」」
気合を満タンにして、珠衣たちはコートへ戻る。その途中、さり気なく月美さんの顔色を伺う。うん、たぶん、大丈夫そう。
……それにしても、と思う。
珠衣は月美さんとは小六からの付き合いだけれど、こんな弱り方は見たことがない。可那さんはサーブカット以外だとムラっ気があるし、珠衣たちがダメ過ぎるときは小夜子さんもキャパオーバーする。対して月美さんは、言わばチームの遊び部分。誰かが不調のとき、そこに負担が掛からないようバランスを保つ役目を担っている。
その月美さんが揺さぶられる――今回は持ち直せそうだけど、もしそれもできないくらい崩されたら? 遊びが機能しない状態でチームに圧力がかかったら……?
嫌な想像だ。
というか、もしかして、音成に勝ったって、こういう感じの『勝った』なの?
いやいやいやいや、音成なんて揺らぐ要素ほとんどなくない? 一体何があったんだろう……気になる。けど、お姉ちゃんに聞いたって教えてくれるわけないしな。んー……。
「どうした、珠衣?」
「いえ、大丈夫です。珠衣のことはご心配なさらず!」
「ならいいけどよ。ちゃんと集中しろよ」
「それはもちろん! 負けられませんからねー!」
可那さんに簡易悩殺ポーズを見せて、珠衣はダッシュで初期位置であるネット際に向かう。
スコアは、20―19。
そうだ。負けられない。珠衣は負けるわけにはいかないんだ。
城上女にも、お姉ちゃんにも、ね。