76(可那) 頭が回って行儀が良くて他人を気遣える優等生連中
あたしの市川静に対する第一印象は、弱そう、だった。
なんかビビってるし、脆そうだし、突いたら折れそうだった。
だから、いきなりジャンプフローターで角を狙われたときは、かなり驚いた。有り体に言えば油断があった。それくらい、あたしの目に市川静はひ弱に映っていたのだ。
あれはよくなかった。集中がぷっつんした。二セット目の途中くらいで体力の限界は越えていて、気合だけで動いていたところに、不意の一撃。脳みそと足腰が揺さぶられた。タイムアウト中の記憶はほぼない。
それから、市川は連続でサービスエースを決めた。あたしは防戦一方だった。ついには逆転を許した。どうにかしねえと、とは思うものの、その時のあたしは立ってるのがやっとの状態だった。悔しさとか、苛立ちとか、意地とか、そういうものだけで意識を繋ぎ止めていた。
16―15。いよいよヤバかった。声も出てこない。だから、あたしは思いっきり市川静を睨みつけた。南五のリベロとして、どうしても、舐められたまま終わるわけにはいかなかったからだ。
あたしの死に際の威嚇が効いたのか、市川のサーブはそれまでに比べると緩かった。ほぼ正面に来た。取れる、行ける、反撃だコラ――と思ったところまでは覚えているが、気付いたときには医務室のベッドにいた。
翌日、監督には寝てろと言われたけど、あたしが大人しく寝てられるわけもなく、みんなと一緒に城上女に詫びにいった。
そこに、市川静の姿はなかった。
個人的にきっちり話をつけておきたい相手だっただけに、あたしの中にもやもやが残った。城上女の主将にそれとなく尋ねると、休んでいるのだと言う。より詳しいことを胡桃に聞いたら、あたしのことがショックで休んだのだと言われた。
「静は繊細なんだよ。可那と違って」
胡桃はそう言った。納得しかけたが、しかし、あたしは微妙に違和感を覚えた。確かに市川静は神経が細そうな面をしていたが、だからこそ休まず来るタイプに思えた。いわゆる風邪を引いても学校に来るタイプ。周囲の目を気にして、頑に『いつも通り』や『普段』を守ろうとする。
何か、別の事情があるんじゃねえかな、と思った。
最初から、心のどこかで、部活やバレーに何か思うところがあったんじゃねえかと。
だとすると、下手すりゃ市川静は二度と部活に戻ってこねえかも知れねえぞ、と。
あたしの直感はそう告げていた。が、その時の胡桃はかなりキレてたから余計なことは言わなかった。何か他の事情があるんじゃねえか、なんてあたしが言ったら、完全に責任逃れみたいになっちまうし。
杞憂であってくれよ、と祈った。
しかし、杞憂には終わってくれなかった。
大会が終わってちょっとして、胡桃に市川静のことを聞いたら、あれからずっと部活を休んでいるという。
胡桃は直接会って話をしたらしい。曰く「気持ちの整理がついてないから」。あたしはますます自分の直感に確信を持った。会わせろ、と言ったが、胡桃はダメだと言い張った。ぼやぼやしてると新人戦の時期が来ちまうぞと言ったが、それでもダメだと突っぱねられた。あたしと市川では相性が悪過ぎると。まあ、元はと言えばあたしのせいなので、強くは言えなかった。相性が悪いってのはその通りだと思うし。
次に胡桃と話したのは、夏休み明けだった。市川静は変わらず部活に来ていない、復帰するつもりもない、という。
思わず、「は? なんで?」と聞き返してしまった。胡桃に睨まれた。そりゃそうか、と、そりゃねえよ、という思いが同時に湧き上がった。
そして、季節は秋へと移り変わる。
胡桃は市川静と三度目の話し合いの末、「ほっといてほしい」と言われたと聞いた。胡桃は言われた通り、ほっとくことに決めたという。
あたしはキレた。
「それでいいのかよ?」
「いいわけないでしょ」
キレ返された。
わけわかんねえ。何がどうなってんだよ、マジで。胡桃の話は要領を得ないし、そのせいでますます市川静の考えてることがわからねえ。そりゃサーブで敵をノックアウトなんてバレーじゃそうそうねえことだけど、それでバレーを辞めるってとこまでいっちまえるものなのか? つか、あいつ明らかに経験者だし上手えし、バレーに対する思い入れは強いヤツだと思うんだが……。
あたしは舌打ちした。市川静に言いたいことがいっぱいあった。聞きたいことがいっぱいあった。
たった一度、ほんの少しの間戦っただけのあたしがそうなんだから、もっと付き合いの長いヤツはなおさらのはずだ。
なのに、肝心の「もっと付き合いの長いヤツ」らは、市川への干渉をやめてしまったらしい。
あたしは気に食わなかった。が、胡桃が止めてる以上は突っかかることもできない。これ以上あたしが何かを言っても、かえって話がこじれるだけなのは目に見えてる。
あたしはやり場のないもやもやを――抱えるのは性に合わなかったので――バレーに打ち込むことで発散した。
やがて始まった新人戦。あたしたち南五和は順当に中央地区予選を突破した。市川静を欠いた城上女は県大会に上がってこなかった。まあ、市川静のいない城上女と再戦してもあたしの気は晴れないので、戦いたいかと言われると微妙だが。
それから、胡桃とも特に連絡を取り合うことなく、時が流れた。
市川静のことは、心の片隅に放置して、あたしはあたしの日常を過ごした。
そして、あたしの一つ上の世代が引退し、新チームで挑んだ最初の大会――新人戦。
県大会の会場で、あたしは、市川静を見た。
「ぁ?」
と変な声が出た。
試合前のウォームアップ中のことだ。ギャラリーを一人で歩くその姿が、ふと視界に入った。時が止まったかと思った。髪の色が明るくなっていたので別人かとも思ったけれど、あたしの直感があれは市川静だと断定した。
なぜ? どういうこと? なんで?
疑問は次々湧いてきた。
「可那ちゃん、どうしたの?」
呆っとしていたあたしに、小夜子が声をかける。あたしは我に返るが、うまく言葉が出てこない。そのうちに、市川静を見失ってしまった。めちゃめちゃ気になったけど、だからといって探しに行くわけにもいかない。あたしは頬を叩いて、気を入れ直す。
「なんでもねえ」
市川静のことは、ひとまず後回し。今は試合に集中だ。
「そう? なんか、いいことあったみたいだけど」
小夜子はそう言って、微笑んだ。鏡を見たわけじゃないからわからねえが、たぶん、その時のあたしは、ニヤニヤしていたんじゃないかと思う。
理屈じゃない。これも直感だ。いや、この場合、予感か。
市川静とは、また会えそうな気がした。
それがどういう形になるのかはわからないけど、その時は、たぶん来る。恐らく、そう遠くない未来に。
その予感は、果たして、的中した。
年度が改まって三年になり、新入部員が入ってきた、四月。
一年以上音沙汰がなかった胡桃から、メールが届いた。
そして、市川静の話を聞かされた。今度は、一から十まで、ちゃんと。
サーブが打てなくなった――なんてのは初耳だった。
「……んでそれを二年前に言わねえんだよ」
「言ったら、可那、何が何でも城上女に怒鳴り込んできそうだったから」
「まあな。つか、勝手に過去形にすんなよ。あたしは今でもあいつに直接会いてえし、今の話を聞いて、ますますその気持ちは強くなったぜ」
それに、一つ気になることもあった。
だって、どう考えてもおかしいだろ。
市川静はあたしをノックアウトしたことにショックを受けた。
そのショックが原因で、サーブが打てなくなったと言う。
それでいて、バレーそのものはクラブとやらの手伝いを通して続けていると言う。
言ってることとやってることが、ちぐはぐじゃね?
そのことに、胡桃を初め、城上女の連中は、誰も触れなかったのか?
あるいは、敢えて、触れようとしなかったのか?
いや、まあ、どっちだろうとあたしには関係ねえけど――。
――ばごがっ!
レフトのボブ子のスパイクがブロックを破壊し、あたしたちのコートに落ちた。
城上女子との練習試合。
スコア、12―15。
奇しくもあの時と同じ点数状況。
そして、あの時と同じように、市川静がピンチサーバーとして起用されようとしている。
当然ながら、と言うべきか、ネットの向こうで胡桃と市川静は揉めていた。
しかし、主審の城上女OGも、副審のかったりーな先輩も、南五の現役メンバーも城上女の現役メンバーも、誰も試合を先に進めようとしない。
まあ、今日は練習試合という名の市川静を囲む会なんだからな、そりゃそうだ。
「やめないよ」
「どうして……?」
「大切な後輩のため」
おお、やってるやってる。
なんて思いながら、あたしは黙って胡桃と市川静のやり取りを眺める。
「……私は、でも……サーブが、打てない……んだよ」
「そのことなんだけど、あの黄色が、話があるって」
胡桃があたしに視線を送る。
さて、やっとだな。
ここからは、選手交替、あたしのターン。
さすがに驚いたのか、市川静が顔を上げ、あたしを見てきた。
今にも泣きそうな、情けねえ面をしてやがる。
そんな市川静を、あたしは二年前と同じように、思いっきり睨みつけた。
……まあ、なんつーか、悪く思うなよ。
あたしは小・中・高とやりたい放題やってきた〝暴れ金糸雀〟。
胡桃やかったりーな先輩の友達やその他お前の周りにいたであろう城上女の連中――頭が回って行儀が良くて他人を気遣える優等生連中とは、違うんだ。
「なあ、市川静」
気に食わねえヤツは殴る。ムカつくことがあれば暴れる。やられたら徹底的にやり返す。
「そのサーブが打てなくなったって話だが――」
当然、気になったことは、言いたいことは、お前の都合なんかガン無視で、言ってやる。
「――嘘なんだろ?」