56(胡桃) その後
一昨年のインターハイ県予選。その二日目。
市川静は、試合会場に姿を見せなかった。
それは、けれど、想定内の出来事だった。
一日目、南五和高校の棄権により、二回戦を突破したあと。
南五和高校の監督から、城上女の監督含むわたしたち城上女メンバー全員に、直々に謝罪と説明があった。
南五のリベロ――有野可那――が、朝から体調を崩していたこと。
南五の誰もそれを把握していなかったこと。
幸い、大事には至らなかったこと。
城上女で唯一、有野可那という大問題児を知っていたわたしは、さほどショックを受けなかった。むしろ、大事に至らなかったと聞いてからは、遠慮なく憤怒した。
けれど、他の城上女メンバーはそうではなかった。
みんな、少なからず心にダメージを受けているようだった。
特に静は、可那の無事を聞かされてもなお、顔を強張らせたままだった。
当時の城上女の監督は、そんな静に、無理はしなくていい、と言った。明日は自宅休養でも構わない、と。静は監督の提案に従った。
そして、静を欠いた城上女バレー部は、翌日の準々決勝、第二シードの柏木大附属高校と対戦し、大敗を喫した。
もちろん、それは純粋な力の差であって、前日のことを引きずって、とかそういうのではない。
なんとなれば、わたしたち城上女バレー部は、準々決勝当日その朝、試合会場に着くなり南五和高校バレー部一同に出迎えられ、監督・部長・可那を中心として改めての謝罪を受けたのち、盛大に激励されたからだ。
主将の川戸礼亜さんは、城上女バレー部を代表して、南五の監督、部長、そして可那と握手を交わした。
南五和の皆さんの分まで頑張ります、とカトレアさんは笑顔で言った。
さらに、試合が始まると、南五バレー部の面々は、応援席からわたしたちに声援を送ってくれた。
その中で――あるいはコート内の選手たちを含めても――一番声を張り上げていたのは、可那だった。
わたしたち城上女バレー部は、前日のことを引きずるどころか、前日を超える熱量で戦った。
少なくとも、わたしの目には、そう見えた。
先輩たちは心置きなく全力以上でプレーしていた。最後まで諦めずに戦った。負けても晴々としていた。父兄や南五バレー部から暖かい拍手をもらった。監督の有難い言葉で何人か泣いた。その後の打ち上げではみんな笑っていた。
ただ、その輪の中に、静がいないというだけ。
多少のアクシデントはあったものの、概ね良好、100点満点中99点、限りなくベストに近いベターな終わりを、わたしたちは迎えたのだ。
そうして、三年生が引退し、休養日を挟んで、桑本紀子新キャプテンの下で練習が始まった。
そこに、静の姿はなかった。
やがて、由紀恵も来なくなった。
形の上では、退部ではなく、休部。
一年生は、事実上わたし一人になった。
その後、静とは個人的に話をした。全部で三回。一回目は『まだ気持ちの整理がついてないから』と、二回目は『実はサーブが打てなくなって』と、三回目は『私のことはほっといてほしい』と、バレー部への復帰を断られた。
その三度目の会合を区切りに、わたしは、本人の希望通り、静を放っておくことに決めた。
由紀恵は、まあ、最初から放っておいた。
こうして、二年生八人と一年生一人の計九人となった城上女バレー部は、その後も活動を続け、途中に万智の入部と監督の異動を挟んで、最高地区ベスト8、県大会出場叶わずという、ほぼ例年通りの成績を残すこととなる。




