33(音々) エース
小学生のバレーボールには、ローテーションがない。
小四のとき、あたしは、背の高さを見込まれて、友達に誘われるまま、地域のチームに入った。
チームには、あたしより背の高い子が二人いた。
当然、あたしとその二人は前衛のポジションを与えられた。
あたしがセッター、あたしより背の高い二人がレフトアタッカー、ライトアタッカーになった。
以来、あたしはずっと、セッターをやってきた。
セッターは嫌いではない。たぶん向いてもいる。やりがいのあるポジションだと思う。セッターでしか味わえない快感もある。
ただ、あたしの中には、ずっとくすぶっている思いがあった。
トスを上げるたびに、思いは、ぶすぶすと、黒い煙を上げた。
一番近いところにいるから、嫌でも刺激されるのだ。
エース。
あたしの上げたトスを、綺麗なのも乱れたのも、力強く打って、相手コートに叩き込む、ウイングスパイカー。
それが、憧れなのか、嫉妬なのか、無い物ねだりなのか、あたし自身もよくわかっていなかった。
ただ、あんな風になれたら、と思わずにはいられなかった。
そうして、あたしは中学生になった。
霞ヶ丘中には、二年生にセッターがいなくて、あたしは入部するなり、みんなからセッターを望まれた。
あたしは望まれるまま、セッターになった。
上級生に混じって、控えのセッターとして、一年生で唯一、夏の大会にベンチ入りした。
けれど、その時点ではまだ、あたしはアタッカーへの複雑な思いを捨てていなかった。
他にセッターの資質がある同級生がいれば。あるいは、来年の新入生でセッターのできる子が入ってくれば。あたしはアタッカーとして、コートに立てるかもしれない。
そう思って臨んだ、地区大会。
あたしの思いは、そいつに跡形もなく吹き飛ばされた。
落山中学一年、藤島透によって。
一年生ながら、レフト・エース対角を務めた、あの〝黒い鉄鎚〟によって。
あたしのエースへの複雑な思いは、あんな風になりたいという思いは、あくまでも、あたしなら頑張ればあんな風になれる、という根拠のない自信に支えられていた。
けれど、藤島は、その存在だけで、そんなあたしの思い上がりを粉々に打ち砕いた。
あたしは、藤島透には、なれない。
初日のトーナメント、決勝リーグ進出――ひいては県大会出場を賭けた三回戦で、霞ヶ丘中は落山中に破れた。
最後の一点を決めたのは、藤島だった。
それからというもの。
あたしは、ひたすらセッターとして技術を磨いた。
気持ちを押し込めて、感情を殺して、あたしは自分の役割に徹した。
いつしか、氷の司令塔――〝白刃〟と呼ばれるようになった。
そして、あたしが中三の夏、地区一位をかけて、あたしたち霞ヶ丘中は、落山中と対戦し、結果――負けた。
客観的に見ても、いい勝負だった。どちらが勝ってもおかしくはなかった。
そんな熱戦をあと一歩のところで破れたというのに、しかし、あたしは悔しくなかった。
けれど、それはそのはずで。
たぶん、二年前のあの時、あたしは、無意識に藤島と張り合うことを恐れたのだ。
負けたというなら、あたしは、二年も前から完膚なきまでに藤島に敗北していた。
あたしはあいつと向き合うことを避けて、セッターに逃げたんだ。だからだろう、あたしは中学三年間を通して、バレーを楽しいとは思えなかったし、セッターなんて、いくら周囲に評価されたところで、退屈なだけだった。
不完全燃焼、どころじゃない。
あたしの火は、もう、根こそぎ掻き消されていた。
――その、はずだったのに。
『ん? それはつまり、ねねちんはアタッカーやりたい人ってこと?』
ぽっかり空いていた心の真ん中に、火種が、投げ込まれた。
『私がねねちんに上げるよ、トス。ねねちんのトスに負けないくらい綺麗なの』
今更だ。
今更、アタッカーを目指そうとか、エースになろうとか、世の中そんなに甘くない。
この練習試合にしたって、敵も味方も、強いアタッカーがごろごろいる。
藤島は言わずもがな。岩村先輩はあの館一の〝ガンタンク〟で、北山も純粋な身体能力はあたしより上。
あと、何よりあの敵エース。信じられないバネとテク。怪物か。目眩がしそうなくらいだ。
……けれど。
それでも。
もう一度、火が点いたからには。
氷の中に閉じ込めていた思いを、今度はちゃんと外に出して、形にしたい。
結果はどうあれ、逃げずに、ぶつかってみたい。
「……ちょっと、宇奈月」
「およ? 何かな?」
「あたし、オープンがいい。レフトオープン」
「いいけど、間違いなくブロック三枚つくぜー?」
「望むところよ」
「ふむ……わかった。ねねちんがそうしたいなら、私は止めない」
「我儘言って悪いわね」
「なーに! アタッカーの我儘に付き合うのもセッターの役目だよっ!」
「言えてるわ」
あたしは守備位置のレフトにつく。宇奈月は、三園に何か声をかけて、セッターのポジションに。
サーブが放たれる。ボールは藤島のところへ。藤島は、今度は落ち着いて、それをセッターに返す。
岩村先輩はライトからセンターへ回る。あたしはコートの外に大きく開いて、助走距離を目一杯取る。
イメージは、あるんだ。中学時代の藤島。館一の〝ガンタンク〟。それに今向こうのコートにいる敵エース。
それだけじゃない。中学の頃、セッターでライトブロッカーだったあたしは、何人ものレフトエースとネットを挟んで対峙してきた。
あたしも、彼女たちのように、跳べたら――。
「レフトっ!!」
トスを呼ぶ。あたしの記憶の中にあるレフトエースのように。
「ぶち抜けえー! ねねちーん!!」
宇奈月のトスは、注文通りのレフトオープン。山なりで、ボールの勢いを殺した上々のトス。見るからに打ちやすそうだ。もちろん、アタッカーが余裕を持って打てるトスに、ブロッカーがついてこられないはずもない。あたしの目の前には、既に三枚の壁が揃っていた。
あたしは上体を沈め、腕を後ろに振る。高く跳ぶためには一度身体を屈ませなければならない、なんてよくあるフレーズの通りに。
足だけで跳ぶんじゃない。全身を使って跳ぶんだ。
だだんっ、と両足で踏み切る。同時に上体を起こし、腕を振り上げる。その反動で全身が宙に浮き上がる。身体を思いっきり逸らす。あとは打ち抜くだけ。
ばちんっ!
高校生用の、五号球。重たい手応えのボールを、あたしは力任せに叩く。
しかし、
だんっ!!
とボールは目の前の高い壁に跳ね返される。一瞬、頭が真っ白になる。そりゃそうだろ、という思いと、どうして? という相反する思いが混ざり合って、何がなんだかわからない。
「まだです!」
金管楽器のような鋭い声。三園だ。ボールは――上がっている。まだ落ちていない。三園がブロックカバーに入って、フォローしてくれた。
「ねねちん、もう一回だ!!」
宇奈月が腕を横に振って、あたしに開くよう指示する。もう一回。もう一回、あたしが打つ。
「フォローは任せてください!」
頼もしい三園の声。再び高々と宙に舞うトス。おかげ様で助走距離は十分。今度こそ。
「抜けろーっ!」
だんっ!!
あたしは全力で打った。全身の筋肉が引き裂けそうなくらい全力で。
けれど、
ごっ――と、あたしのスパイクは再度ブロックに阻まれる。今度はボールは下ではなく、後方に飛んでいく。誰か、と祈るように振り返る。
「オ、オーライ!」
後ろに控えていた藤島が手を挙げている。チャンスボールだ。
「まだ行けるかい、ねねちん!!」
「っ……! 当然っ!!」
強がってみるが、完全に息が上がっている。全力のスパイクってこんなに疲れるのか。目の前には変わらず三枚の壁。今にも心が折れそうだ。
あたしは、歯を食いしばって、敵を見据える。
何度止められても、乱れたトスでも、疲れ切った試合の終盤でも、数多の彼女たちがそうしていたように。
藤島透が、そうしていたように。
「レフト、持って来いっ!!」
「合点だあー!!」
三度目の正直。
それは、けれど、向こうのブロッカーも同じことを考えているに違いない。
だからどうした。関係ない。やってやる。
「霧咲さんっ! ブロックよく見て!!」
後ろから、藤島の声。ブロック。三枚ブロック。隙間なんて見当たらない高い壁。
――いや、そうじゃない。
「ここかッ!?」
インパクトの瞬間、あたしは左に身体を捩る。ストレート打ちだ。
「っ!? ワンタッチ!!」
相手セッターが焦ったような声で叫ぶ。ボールはライトを守っていたセッター対角の人の頭の上を超え、遥か後方へ。リベロが追っているが――届かない。
だんっ、とボールが跳ねる。次の瞬間、主審の笛。その手はあたしたちサイドを示している。
「決ま……った……?」
乱れる息。熱を帯びた身体。真っ赤になった手の平。
そして、あたしの周りを取り囲む、チームメンバーの笑顔。
「大好きー、ねねちん! 惚れたぜ!!」
「ナイスキーです、霧咲さん」
「すごいっス! 霧咲殿!」
「いいストレート打ちだったよぉ、音々ちゃん!」
みんなが声をかけてくれる。あたしはどう反応していいかわからず、無意識に藤島に目をやる。
「えっ、あ、その、いきなり偉そうに口出してごめん……」
「いや……助かったわ。頭に血が上ってたから」
「……霧咲さん、なんか、中学のときと印象違うね」
「ええ、そうかもね」
「な、なんていうのかな。氷の司令塔っていうよりは、炎のエース、みたいな」
「……あ、ぅ、ありがと」
急に顔がぽうっと熱くなる。どうしよう。藤島の顔がまともに見れない。
「あれれー!? ねねちん、なーに照れもがががっ!?」
あたしは宇奈月の頬に指を食い込ませて、そのまま定位置に移動する。
12―13。ローテが一回りして、最初に戻る。
「藤島っ!」
あたしは前衛に上がってきた藤島を睨む。藤島はびくっと肩を竦ませて「な、なに?」と聞き返す。
「勘違いしないでよね! あたしはあんたのことなんか、その、とにかく違うからっ!」
「えええぇ……?」
涙目になって困惑する藤島を無視して、あたしは相手コートに意識を向ける。
火照った顔と、三連続で全力のスパイクを打った右手の熱は、しばらく引きそうになかった。
<バレーボール基礎知識>
・小学生バレーについて
小学生の大会では、フリーポジション制という特別ルールが一般的です。
フリーポジション制は、ローテーションの概念がなく、誰がどのポジションをするか、どんなフォーメーションにするか、といったことに制限がありません。
前衛四人・後衛二人とかもルール上はありです。
六枚ブロックとかやってみてもいいかもしれません。
サーブは、事前に決めた順番に打っていきます(ローテーション制ではBRの選手が打つ)。
一セットは、21点先取です(中学生以降は25点先取)。
また、小学生の大会と言えば『全日本バレーボール小学生大会』が有名ですが、最近『男女混合の部』が新設されたそうです。
なお、この全日本バレーボール小学生大会。協賛企業の名前が大会名に冠され、『○○カップ』とも呼ばれます。以下、その歴史です。
ライオンカップ(1〜20)、ペプシカップ(21〜25)、サントリーカップ(26〜27)、冠無し(28〜29 ※スポンサーはローソン)、ファミリーマートカップ(30〜)。
小学生からバレーを始めた方にとっては、一種の年号のようなものです。次が36回大会のようなので、現在のプロ選手はペプシ世代が全盛なのだと思われます。




