30(ひかり) 素人のフグ料理
タイムアウトを終えて、コートの中に戻ります。成女ベンチは何か話がまとまったのでしょうか。相原先輩がすごいちらちら向こうを見ていました。
ちなみに、成女がタイムアウトを取るきっかけになった北山さんのクイック。私たちも驚きを禁じえない攻撃でしたが、どうやら博打だったようです。曰く、
「宇奈月殿が、こっそり声を掛けてくれたっス。なんか、こう、しゅっとしてびゅっとしてひゅんすればいいって。気付いたら入ってたっス」
たぶん、ボールと一緒にセッターの前に走り込んで(しゅっ)、その場で振りかぶって跳んで(びゅっ)、手を振ればいい(ひゅん)、とでも言われたのでしょう。それでよくクイックが成立したものです。曰く、
「いやー、まさかうまくいくとはねー。たぶん今日はもう無理だね」
まったく戯けたことを、です。
「もしもう一度やるときは、私にもその旨を伝えてください。カバーに入りますゆえ」
「おー! 心強いよー、ひかりん! じゃあ次はぜひまりーなにBクイックをば!!」
「調子に乗りやがらないでください」
「はーい!」
思い出したら少し腹が立ってきました。いけません。集中しましょう。
9―8の1点リード。
サーブは藤島さん。高い打点から、スピードのあるサーブを放ちます。
ボールはセンターを守る東先輩のところへ。東先輩は、頭の上のやや高いところに飛んできたサーブを、後衛に任せずオーバーハンドで処理します。少し短いカット。東先輩は、しかし、構わず速攻に入りました。見え見えの囮ですが、北山さんはそうとは知らず東先輩と一緒に跳んでしまいます。
ライトの佐間田先輩が、Aクイックに入った東先輩の裏に回り込みます。時間差攻撃。佐間田先輩をマークしている岩村先輩は、北山さんの右側に移動し、ブロックの構えを取ります。
ただ、先に跳んだ北山さんが障害となって、佐間田先輩を正面から迎え撃つことはできません。佐間田先輩から見てクロス方向はがら空きです。
私はバックセンターの定位置から、そのがら空きのコース――レフト側に詰めます。
セッターの獅子塚先輩は、そして、誰もいないライトへバックトス。
一瞬、私の思考が止まります。
センターの東先輩はクイックに跳びました。ライトにいた佐間田先輩は時間差でセンターに回り込んでいます。レフトの柴田先輩はレフトにいます。
わかりません。獅子塚先輩はなにゆえライトに? だって今そこには誰も、
「っらああああああー!!」
いました。
鞠川千嘉先輩。
マリチカ先輩。
バックライトからの、バックアタック。
いけません。左に寄ったせいで右が空いています。打ちごろのコースがぽっかりと穴になっています。速く戻らなければ、
「――っしゃい!!」
ばちんっ、
ジャストミートの快音。強烈なドライブ回転の掛かった鋭い打球が飛んできます。私は全身を宙に投げ出し必死に手を伸ばします。が、触れるだけで精一杯でした。ボールは吸い込まれるようにコートへ。
だんっ!
「ヘイおまちッ!!」
点数と一緒に謎の台詞まで決められました。屈辱です。
「大丈夫ー、ひかりん?」
床に這いつくばった私の上から、宇奈月さんの声。顔を上げると、手が見えました。私は何も見なかったことにして、自力で立ち上がりました。
「問題ありません」
「そっ! ならよかった!」
ふうっ、と溜息。さすがマリチカ先輩。なかなかお目にかかれないレベルのとんでもないスパイクでした。たとえ正面で捉えたとしても、きちんと前に返せたかどうか。
私はぴりぴりと熱の残る指先を擦ります。
……ん。
何か、違和感。
「あの……宇奈月さん」
私は、目の前に立っている宇奈月さんを見ます。
「ん、なーに?」
私が立っているのは、最初の守備位置であるバックセンター、そのややライト寄り。
対して、宇奈月さんが立っているのは、その右の、バックライト。
本来の宇奈月さんの定位置は、バックライトはバックライトでも、もっと前のはず。
私は再度、自分の指先に目を落とします。
あのマリチカ先輩の、なかなかお目にかかれないレベルのとんでもないスパイク。
それが、レフトに詰めた私の守備範囲外へと、打ち込まれたはず。
なのに、なぜ私は、ボールに触れることができたのでしょうか……?
「だ、大丈夫か、ひかりん!? 突き指でもしたか!?」
言って、宇奈月さんは私の手を握ってきました。いきなり何をしやがりますか。
「大丈夫です。お気遣いなく」
私はするりと宇奈月さんの手を逃れ、サーブカットの守備位置に移動します。宇奈月さんも「いけずぅ!」などと意味不明なことを言いながら自分のポジションへ戻ります。
バックライトから。
バックアタックの存在に気付かず、不用意に動いた私が空けてしまった、守備の穴から。
まったく素人のフグ料理みたいな人ですね。
どうにも食えません。
私は、ぺちんっ、と自分の頬を叩き、気を入れ直しました。
スコアは、9―9。
ごちゃごちゃ考えるのは、ひとまず後に回しましょう。