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この世の果て~天空の花冠~

作者: 仲村薫


 灼熱の太陽が降り注ぐ。

 緑豊かな高原がどこまでも続く青空の下で、イアンは純白のグライダーを飛ばした。

「それ……!」

 真っ白な主翼を広げて風に乗るそれは、遙か彼方の上空をめざし、飛行を開始した。

 瞬く間に小さくなる人工鳥を追いながら、イアンは目を輝かせている。

「すごいだろう? 俺もいつかあのグライダーのように大空を飛ぶんだ!」

 それが、彼の口癖だった。

 得意気に声を響かせ、広い野原を所狭しと駆け回る彼の背中を追いながら、パムも同じようにわくわくと胸を躍らせた。

「すごい、本物の鳥みたいね」

 一向に降りてこないグライダーを見上げながら感嘆する彼女に、イアンは声を上げて笑った。

「その時はパムも連れてってやるからな。俺と一緒に行こう!」

 そう言った彼の手には、小さな花で編んだ冠が風に揺れていた。そして、振り向き様にパムの頭へと乗せると、イアンは愛しそうに目を細めた。

 甘い香りの漂う花冠。

 頭上に掲げられたその花びらに触れて、パムは心配そうに首を傾けた。

「どこまで行くの?」

「もちろん、世界の果てだよ!」

 驚いて目をまんまるに開いた少女を、イアンは嬉しそうに見つめた。

 『世界の果て』

 それはどんな所なのか、

 何処にあるのか、分からない。けれど………

 照りつける太陽の下。

 真っ白なグライダーを追う彼の背中を、振り返ったその笑顔を、忘れることはなかった。





                    *****




 ひんやりとした石壁を辿りながら、パムはイアンを探した。

 暗闇に占拠された地下道。

 床に敷き詰められた石畳。

 そんな場所を1人で歩くのは心細かったが、この先にいるはずの彼を求め、冷たい壁づたいに歩き続けた。

 あれから何年が過ぎたのか―――

 毒ガスと大気汚染にまみれた地上は、見る影もなく灰色に染まり、生きとし生けるもの全てを犠牲にして、廃棄物の吹き溜まりと化していた。

 青々とした草原は枯れ果て、山々から吹き降りる風は、異臭を放ちながら空中を舞う。

 かろうじて被害を免れた一部の人間達でさえ、巨大な地下都市での生活を余儀なくされ、孤独と絶望の中で、ただ死に向かって呼吸を続けていた。

(最後に青空を見たのは、いつだったかしら………)

 そんな事すら覚えていないほど、この地下生活に馴染みきった自分に嫌悪する。

 パムは張り巡らされた石壁にもたれて、ため息をついた。

 まるで暗闇の要塞だ。

 固い障壁の空間都市。

 汚染された地上から逃れるため地中深く掘り進めて、ようやく得たこの小さな世界が今の彼女のすべてだった。

「イアン」

 しばらくして、明かりの灯らない通路を抜けたパムは、壁の角に寝転んだイアンを見つけて、そっと名前を呼んだ。

 ―――眠っている。

「イアン」

 再び名前を呼び、その頬に触れると、けだるそう瞳を開いた彼は、ふと逆さまに映った恋人の顔を見上げた。

「……パム」

 誰に言うともなく呟かれたその小さな声に、パムはほうっと微笑した。

「風邪ひくわよ。この辺りは特に気温が低いんだから」

「―――他のみんなは?」

「向こうの石室に集まって、今後の事を話し合ってるわ。かなりもめてるみたいだけど」

「そうか」

 ゆっくりと体を起こしたイアンは、だるそうに両手で前髪を掻き上げた。

 日に焼けていた彼の肌は、ここ数年でずいぶん白くなった。黒かった髪も廃棄物の影響で色素が薄れ、野原を駆け回っていた頃とは別人のようだ。

「まったく連中ときたら、話し合ったところで何の解決法もないんだってことがまだ分からないのかな」

 大の大人が揃いも揃って膝をつき合わせ、連日のように交わされる口論に辟易するように、彼は目を伏せた。

 長期に渡る地下生活に苛立っているのは、誰もが同じだ。ハムは何も言えなかった。

 一生、ここから出られない―――そんな諦めに似た心境で、彼の隣りに腰を下ろした時だ。

「……これを見て」

 イアンがどこからか色あせたグライダーを取り出して、目の前で掲げてみせた。

「まだ持ってたの?」

「大切なモノだからね」

 自嘲気味に笑みをこぼし、色の擦り切れた胴体を目線まで上げたイアンは、そっと手を放してグライダーを解き放った。

 緩やかな弧を描き、高い石天井を目指したそれは、風のない閉塞された場所にも関わらず、空気抵抗のみを頼りに跳び続けた。

 パムははっとした。

 主翼の背に、もう二度と見ることもないと思っていた青空が浮かび上がった気がしたのだ。そんな懐かしさの入り交じった情景が脳裏をかすめ、パムの胸は小さく痛んだ。

 直後―――ふいにテーパー翼が揺れバランスを崩して失速した人工鳥は、カンバーを傾けて滑空を停止し、固い石畳の上へとすとんと落下した。

 とたんに重い空気が漂い始める。

 パムは諦めの息をついて、彼の肩にもたれた。

「……いったい、いつまでこんな生活を続けなきゃいけないのかしら。澄んだ空も、香る花もない、こんな薄暗い場所で暮らし続けるなんて……」

 それが自分たち人間のしてきた行いの結果だとしても、事実を受け入れるのは容易いことではない。

 子供の頃に見た流れる雲。

 風に揺れる花。

 そんなものは全て幻だった気さえして、重苦しさが襲ってくる。

 しばらくして、イアンが不安気にパムの顔を覗き込んだ。

「………絶対、誰にも言わないかい?」

「え?」

「おいで。―――君に見せたいものがある」

 何かを決意したかのように立ち上がった彼は、おもむろにパムの手を引いてまっすぐに歩き出した。

 閉ざされた闇の中で、ぐるりと巡らされた石壁を辿っていくと、その通路はさらに奥深く地下へと続いていく。

「……どこに行くの?」

 歩くたびに靴音を反響させ、石階段を下りながら漂う寒気に身を震わせた時、視線の先に大きく抉られた空間が広がっているのに気づいて、パムは息を呑んだ。

「これは……!」

 連れて来られたのは、格納庫だった。

 限られた空間で所狭しと場所を占拠しているその巨大な物体は、すでにガスを注入されているらしく、天井に届くかと思うほどの大きな風船を膨らませていた。

「………これ、何?」

「飛行船だよ。地下に廃棄されてたのを偶然見つけたんだ」

「と、飛ぶの?」

「もちろんだよ。まだ調整中だけど。どこか行きたいところはある?」

「………まさか!」

 パムはショックで声も出なかった。

 目の前に佇む小さな飛行船。

 美しい楕円を描くエンベローブは綺麗な朱鷺色を輝かせて、2人を見下ろしている。

 呆気に取られるパムを尻目に、イアンは得意気に目を細めて、鉄板製のゴンドラに手を触れた。自慢の船を見つめて瞳を輝かせる彼に、パムは不安気がよぎった。

「修理したらつぎはぎだらけになってしまったのが残念だ。でも形状は不格好だけど、実質的な機能は作動可能なんだよ」

「………イアン」

「ガスはバイオマスを利用してメタン化したのを使った。精製したヘリウムで浮上するから、落ちることは絶対にないよ。それに」

「イアン、…待って」

「色がとても綺麗だろう? 石壁をくり抜いて採掘した赤土を水で溶いて顔料を作ったんだ。苦労したのは上部のガス袋だけど、破れていた部分は回収した衣類なんかを裂いて縫合したから、何とか……」

「イアン!」

 思わず声を張り上げて、彼の胸ぐらを掴んでいた。

 蒼白した彼女とは裏腹に、掴みかかられたイアンは驚きに言葉を失っている。

「……パム?」

「あなた、何を考えているの? こんなモノを作るなんて、みんなに知れたらどんな目に遭うか分からないわ」

 パムの声が震えた。

 彼は、一体どうやってこの飛行船を修理したのだろう。こんな何もない地下都市で、たった1人でやり遂げるなど到底できることではない。世が世ならさぞかし立派な設計士にでもなったに違いないと思いつつ、今は彼の蘊蓄話など聞く気にもなれなかった。

「イアン、自分が何をしてるか分かってる? あなたはみんなが大切にしている飲料水や、貴重な衣服を勝手に拝借したのよ! こんなモノのために!」

「………こんなモノ……?」

 とたんにイアンの顔色が変わった。

 パムは、恐ろしかった。

 エンベローブに使われている朱色の顔料は、この地下で暮らす人々の貴重な水を使って溶いたものだ。そしてゴンドラの端にぶら下がっている十数本の停留ロープは、彼らの大切な衣類やシーツを破いて縫い直したもの。この飛行船は、そういう負担の上に成り立って製作されたものだった。

 もしこの船が仲間に見つかったら、どんな仕打ちを受けるか分からない。飛行船はもちろん、貴重な物資を無駄にしたイアン自身ですら無傷でいられるかどうか妖しいものだ。

「イアン、お願い。今すぐこの船を壊して……」

「――それは出来ない」

「イアン!」

「もうじき完成なんだ。そうしたらさっさとここから抜け出してやる。こんなトコで一生を終えるなんてまっぴらだ!」

 理性を忘れて感情を吐露する彼に、パムは愕然とした。

 ここを出て、どこへ行くというのだ。

 地上は放射性廃棄物で溢れかえり、核物質の名残りは今か今かと人類滅亡の機会を狙っている。この世界のどこへ逃げたとしても、それは絶望への旅立ちにしか過ぎないように思えた。

「……パム。青い空が、見たくない…?」

「そんなもの、何処にもないわ」

「あるよ」

 あまりにキッパリとした口調に、パムは眉を寄せた。

 外の世界は黒々とした大地が遙か遠くまで続いていると聞く。そんな荒んだ場所に晴れ渡った青空などあるはずもない。

「あるよ、きっとある! 雲を抜けて気流の先を目指せば、遙か彼方、もっと上空になら……!」

「――――」

 イアンは頭がおかしくなったのだろうか。

 そうに違いない、とパムは思った。

 幼い頃、大好きなグライダーを追って野原を駆け回り、無邪気に笑顔をほころばせたイアン。今目の前にいる彼の瞳は、夢を馳せていたその頃と同じように輝いている。

 パムは涙が溢れた。

「ここを出たいんだ。こんなところに俺達の居場所はない。……分かるだろう? この薄暗い地下に住み続けるぐらいなら、今すぐ死んだ方がマシなんだ」

 絞り出すような重い声が格納庫に反響するのを聞き、パムはその場に立ちつくすしかなかった。




                     ****




(どうしよう……どうしたらいいの…?)

 パムは不安にかられて、その場にうずくまった。


《こんなところで死にたくない―――》


 彼の言葉が今も脳裏に焼きついて離れなかった。

 確かに、イアンの言う通りだ。

 このままここにいたところで、いずれは腐って死ぬだけの人生だ。そんな無様な臨終を、どこの誰が望むというのか。

 せめてもう一度だけ外に出たい―――彼がそう願うのも当然だった。さぞかし荒れ果てているであろう広野や、異臭を放ち続ける大地でさえ、ここよりはずっとマシな‘死に場所’に思えてくる。だが、パムにはイアンのような勇気はなかった。ここには、長く苦しい地下生活で体調を崩した人々が大勢いる。幼い子供や、老齢の者たち。そんな彼らの世話や看病を自分が放置したら、いったい誰が面倒をみるというのか…。

 答えの出ない自問自答を繰り返し、苦悩に耐えられなくなった頃。


 突然、事件は起こった。

 耳をつんざくような轟音と、人々の罵声。何が起こったのかすぐに察したパムは、胸の張り裂ける思いで地下の格納庫へと駆け下りていった。




                       ****



 そこは、狂喜に苛まれていた。

 気がふれたように悲鳴を上げる者たち。

 怒りにまかせて、飛行船を破壊しようとする人々。

 自分たちの貴重な物資が無断でイアンの船に使用されているのを知った彼らは、狂ったようにゴンドラ上部に飛び乗って騒ぎ立てていた。

(―――イアンの姿が見えない)

 ごったがえす人混みに紛れ、周囲の熱気と騒音に押し潰されたイアンは、辛うじてその身を守りながらゴンドラの隅にしがみついていた。

「イアン! イアン!」

 長かった闇の世界に心まで浸食された人々は、狂ったように意味不明な言葉を吐きながら、これまでの鬱憤を晴らすかのようにわめいていた。

 本当は、今の彼らには飛行船などどうでもいいのかもしれない。

 陽の当たらない生活や、底をついた食料、何の希望も見出せない細々とした暮らしに絶望していたのは、決してイアンだけではないのだから―――

「やめてっ、やめて! お願い、イアンに乱暴しないでっ!」

 半ばノイローゼ状態の男達にぼこぼこに殴られながら、彼はそれでもなお力を振り絞ってロープにしがみついていた。そしておもむろに腰からナイフを取り出すと、鮮やかな手さばきで停留ロープを切り落とした。

 バサリと緩んだロープが舞い、即席エンジンの唸りを上げた飛行船が浮上を開始した。

「!」

 ゆっくりと、だが確実に上昇を続ける船は、固い石天井に衝突しながらガラガラと瓦礫を振り落として、石壁を突き破っていく。

(……イアン、…イアン……!)

 パムは格納庫の入口にたむろする野次馬連中を押しのけて中央まで進み出ると、ゴンドラにしがみついて離れない男たちの腕を引っ張り、地上へと引き戻した。

「行かせてあげて! お願いよ。彼を……イアンを、行かせてあげて!」

 船にくっついて離れない人々を振りほどきながら、彼は全身の力を込めてゴンドラの内部へと飛び乗った。そして、それを見送ろうとパムが船を見上げた瞬間。

 そのまま乗り込むかにみえたイアンが、ふいに後ろを振り返った。

「……パム! 乗れ!」

「!」

 まっすぐに伸ばされた、大きな手。

 ゴンドラの操縦席から差し出されたそれに息をのみ、パムは一瞬だけ躊躇すると、すぐにその手を強く握り返した。



 飛行船が飛んでいく。

 瞬く間に小さくなる人々や、薄れていく悲鳴。驚愕に震える彼らの瞳に見送られながら、2人の乗った船は高く上空へと舞い上がっていった。

「パム! 見ろ、大地だ!」

 視界の下に広がっていたのは、どこまでも続く焦土と浅黒い大海だった。

 かつて2人がグライダーを追いながら駆け回った草原などどこにもなく、どす黒い沼地となった大地だけが彼らを見上げていた。遙か彼方の空は灰色に染まり、濃い霧がもうもうと立ちこめていたが、それでもパムの心は不思議と穏やかだった。

「懐かしいわ。……幼い頃、私達が過ごしていた……大切な場所ね」

「……パム?」

 涙が溢れるのは、悲しみのせいではない。

 生きることに落胆しているのではなく、ようやく故郷に帰ってきたような、そんな感慨にも似た想いが彼女の胸に広がっていた。

 落下しないようにとパムの体に回されていたイアンの腕に、ふいに力がこもった。

 彼は笑っていた。

「探しに行こう。俺達の生きる場所を」

「………どこに行くの?」

「それは、もちろん」


「世界の果て!」


 同時に上がった二人の声に、彼らは互いに苦笑した。

 パムがはしゃいだよう微笑むのを見て、イアンは愛しそうに目を細め、幸福を実感した。


 世界の果て―――

 それは、どんな場所なのか、何処にあるのかは分からない。

 かつて夢を描いたその楽園を追い求め、大きく高く羽ばたいた時、その天空の扉は開かれるのかもしれない。

 灰にまみれた曇天の空を浮上した飛行船は、さながら空に舞う花冠のように、鮮やかな朱鷺色を輝かせていた。








                                ―終―








《あとがき》


テーマは「飛行船」

こんな爽やかなお題で、なぜこんな暗い話が…(汗)

ハッピーエンド、とみせかけて、実はアンハッピーな心中モノだったりします。7希望を見出しましょう、希望をっ!!!

短い話なのに、なぜか副題がついているのは、どちらか一つに決められなかったからですー。拝読ありがとうございました。

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