第3話
振り向くと、私の予想通りの人が立っていた。
ようやく来たか、王子の従者その1。でもって、アルフレド様の従者の中で私が一番苦手な人よ。私は嘆息した。
ヴィクトル・ニークヴィスト、確かそんなお名前だったはずだ。アルフレド様の従兄で公爵家の次男坊。そして、私と同じ年齢。首の後ろで一つに結った長い薄茶色の髪に、細いくせに引き締まった体躯の持ち主だ。
剣の才があった故に幼い頃からアルフレド様専属の護衛をしており、現在は騎士団に在籍しているらしい。本来ならヴィクトル様自身も護衛が必要なご身分でしょうに。
深い青色の瞳からは絶対の自信が現れていて、アルフレド様とは系統が全く違うけど、顔立ちも美しく整っている。暖かくほんわかした雰囲気のアルフレド様に対して、冷たく尖った印象のヴィクトル様とでも言えばわかるかな。
そして性格も全く違う。顔の印象の通り鋭利な棘があって、とにかく人の神経を逆撫でするのが上手いのだ。
「お二人はどうしたんです?」
ヴィクトル様のいる位置からは、ちょうどアルフレド様とクリスティーネ様が薔薇の影になっていて見えない。
私は視線でそっと二人の位置を示しながら答える。
「邪魔をしてはいけないと思いまして」
ヴィクトル様が私の方へと歩み寄って来る。
その無表情やめてくれないかな。すごい圧迫感があるんだけど。表情筋使おうよ。
隣に立ったヴィクトル様が、お二人の仲睦まじい様子を一瞥すると、納得したのか私の方を向いた。そしてまた私に声を掛ける。
「見かけと違って勘がいいんですね」
「いきなり何ですか? 意味が全くわからないのですが」
思わず眉を顰めた私を見て、ヴィクトル様は続けた。
「私が背後から声を掛けたのに、マリー、あなたは驚きませんでしたので」
「『見かけと違って』は余分です。それに名前の呼び捨てを許した記憶はございませんが?」
人を小バカにしたような物言いをするヴィクトル様に対して、あくまでも冷静に、慇懃に、答えるよう努める。
確かに私の方が身分は低い。でも、一応貴族同士だ。親しい間柄なら呼び捨ても有り得るけど、普通は敬称くらい付ける。なのにヴィクトル様は初めてアルフレド様がクリスティーネ様を訪ねていらしたときからずっと、私のことを呼び捨てにしているのだ。
声を大にして言いたい。私はアンタと親しくなった覚えはないっ!
「それともマリーがただ単に鈍いだけですか? 鈍すぎて驚くこともなかったとか」
名前呼びの件は無視かい。しかもまた呼び捨てしてるし!
こんなヤツなのに『様』付けをしなきゃいけないなんて、身分制度を呪いたい。
アルフレド様がクリスティーネ様のところに来ると、この人まで来ちゃうから嫌なのよ! アルフレド様も他の従者を寄越してよね。従者その5までいるんたから。
「アルフレド様には遠く及びませんが、私も少々魔法を嗜むものですから。探索魔法は得意ですの。見かけと違って」
私が嫌味を込めて言うと、ヴィクトル様は自分の顎に手を当てて「ふむ……」と呟きながら私を値踏みするように上から下まで無遠慮に眺め倒した。
まったく、何なのこの人!? 失礼にも程があるっての!
眉間の皺が深く深ぁくなっていくのが自分でもわかる。はっ、ダメだわ。消えなくなったら大変。もう若くないんだから。お肌の曲がり角はもう過ぎてるのよっ。私は慌てて表情を緩めた。気分はサイアクなままだけど。
「本当に、人は見かけに寄らないものですね。あなたのような人でも魔法を扱えるとは」
そう言いながらフッと微笑んだ表情は、完全に私をバカにしているものだ。
コイツ、私を何だと思ってんのよ!?
反論しようと口を開く直前、ヴィクトル様が続けた。
「でも、なるほど。そういうことだったんですね。クリスティーネ様に専属の護衛がいない理由がようやくわかりました」
さすがに気付いたか。
そうなのだ。私はクリスティーネ様の専属侍女だけど、護衛も兼任している。
魔法を扱える人間の方が珍しいという世において、私はたまたま高い魔力を持って生まれてきた。
私がそこそこ魔法を扱えると知るや否や、行儀見習いで出仕していた私をあっという間にクリスティーネ様専属に据えるシェルストレーム王は、結構ちゃっかりしていると思う。
まぁ、魔法が使えるって言っても、アルフレド様には負けるけど。アルフレド様の魔力が桁違いだってことぐらい、見ればわかる。
私の話はいいや。それよりも、何か言い返してやらないと気が済まない。
「ヴィクトル様とも在ろうお方が、アルフレド様をお一人にするとは感心できませんわね。職務放棄ですか?」
「一人にしたわけではなく、アルフレドが勝手に出て行ったのですよ。自分で自分の身を守れる方だからいいものの、全く、転移魔法というものは護衛する側にしてみれば非常に厄介ですね」
ヴィクトル様が悪びれずにサラリと述べた。アルフレド様の実力を信頼しているから言えるんだろうけど。
アルフレド様、転移魔法まで使えるんだ。最高難易度魔法の一つだよ。やっぱり相当な魔法の使い手なんだわ。そんな風には見えないのに。
感心した私が改めてアルフレド様を見ていると、また私を不快にさせる声が聞こえてくる。
「あなたこそ、主人の逢瀬だというのにじろじろと見過ぎではないですか? 私が声を掛けたときも、凝視してましたよね。もう少し遠慮したらいかがです? それとも、欲求不満なんですか?」
──こっ…コイツ、いつかシメる。
殺意を覚えつつも表面上はにっこりと微笑んでみせる。もしかしたら、青筋が三本くらい額に浮き出てると思うけど。ついでに、どす黒い魔力が漏れ出てちゃってるかもしれないけど。まぁご愛嬌ってコトで!
「まあ。そんな風に見えまして? 先程はクリスティーネ様と、あなたと違って朗らかで紳士的なアルフレド様の睦まじい様子に癒されておりましたの。
誤解させてしまったならば謝りますわ。誠に申し訳ありませんでした。平にご容赦を。では、私はこれにて失礼いたします」
踵を返して主の方を向くと、ちょうどアルフレド様が未だ頬の赤いクリスティーネ様をエスコートしつつ、再び歩き出したところだった。
私は少々驚いたらしい表情のヴィクトル様を無視することにして、二人を追って歩き始める。背後からヴィクトル様の追ってくる足音がした。チッ、来なくていいのに。
追いついたヴィクトル様が、当然のように私のすぐ隣に来て歩調を合わせ始めた。
すごく不快なんだけど。黙ってれば精悍なイケメンなのに、どうしてこう私をイライラさせるのが上手なんだか。
「そう邪険にしないでください。護衛同士、仲良くしましょう」
いまさら何言っちゃってんの。そっちが関係を悪化させてるんだってば! だいたい、声に心篭ってないし。
「その必要性を感じませんわ」
「その方がいざってときに連携を取りやすいと思いませんか?」
「ならば先にお伝えしておきます。私、攻撃系の魔法は苦手ですので、クリスティーネ様をお守りすることに尽くさせていただきますわ。ヴィクトル様に余計なご心配やご迷惑をおかけしないようにいたしますので」
正面を向いたまま私が答えると、ヴィクトル様はふっと鼻で笑った。
「あなたは面白いですね、マリー」
「何故そう思われるのかさっぱり理解できません」
余裕なのか何なのか、挑発的に微笑むヴィクトル様を睨みつけてみるが、まったく堪える様子はない。あー、本当に扱い辛い。もう、相手するのも面倒だわ。
私はまたクリスティーネ様たちの方を向いた。相変わらず仲良く歩いていらっしゃる。
ちょっとクリスティーネ様がぎこちないように見えるけど、まぁ仕方ないか。兄殿下以外の男性とこうして歩くのはほぼ初めてだし。先日の誕生日でようやく成人を迎えたばかりだから、社交界デビューすらしてないし。
実際、クリスティーネ様って今まで一回も『恋』らしい恋をしてない(はずな)んだよね。常に王女様として在ることを求められてたし。それこそ、5歳のあの件以外、恋愛要素のない生活をなさってるもん。男性との恋の駆け引きには慣れてないはずだ。……私も他人のこと言えた義理じゃないけど、この際それは置いておくとして。
男性からの積極的なアプローチは、年頃の女性にとって嬉しいものだ。
ただしイケメンに限る。
アルフレド様は十分すぎる程のイケメンだし、誰かさんと違って優しいし、思いやりもあるし、全く問題ない。見ている限り、どうやらクリスティーネ様も嫌がってはいないみたいだし。
これでアルフレド様がクリスティーネ様の好みのタイプじゃないようだったら、全力でこの婚姻を阻止させて貰うところだったわ。政略結婚じゃないって言ってたしね。
先を行く二人の前方に、散歩道の終わりが見えてくる。
この後のご予定もあるから、あそこまで行ったらクリスティーネ様に私室へ戻るようお伝えしなきゃならない。
私は口を挟むタイミングを掴もうと二人の会話を伺った。
「ねぇ、クリスティーネ。これから貴女のこと、『クリス』って呼んでもいい?」
穏やかな表情でクリスティーネ様を見つめたアルフレド様が問いかける。クリスティーネ様は少し不思議そうな表情をして頷いた。
「ええ。どうぞ、お呼びくださいませ」
「意味わかってる?」
「意味、ですか?」
「やっぱりわかってないね」
アルフレド様は苦笑すると立ち止まり、クリスティーネ様と向き合うと両手を繋いだ。距離が近いために、自然とクリスティーネ様がアルフレド様を見上げることになる。
「ただの風習ではあるんだけど」
と前置きして、アルフレド様が説明する。
「ヴィカンデルではね、愛称で呼ぶ相手っていうのは特別なんだよ。家族と恋人だけ。それ以外の人には許されていないんだ」
クリスティーネ様が小さく口を開き、うろうろと視線を彷徨わせた後に俯いた。ようやく火照りの収まっていた頬に、再び仄かな紅味がさしている。
「……その様子だと、シェルストレームでは違うんだね」
クリスティーネ様は足元の石畳をご覧になったまま、こくりと頷いた。そしてアルフレド様と距離を取ろうとしてか、身体を後ろへとずらす。しかし両手をしっかりと握られたままのクリスティーネ様には、それが叶わなかった。それどころか引き戻されてしまう。
「ねぇ、クリス」
アルフレド様が身体を屈めてクリスティーネ様の顔を覗き込んだ。
「もしかして、照れているの?」
クリスティーネ様は、そんなアルフレド様の視線から逃げるように顔を逸らせる。
アルフレド様がちょうど目の前に来たクリスティーネ様の耳元で「クリス」と優しく囁いた。
「僕も愛称で呼んで欲しいのだけど」
身動ぎしていたクリスティーネ様の動きがようやく止まり、恐る恐る窺うようにアルフレド様へと視線を向ける。アルフレド様はクリスティーネ様だけにキラキラオーラ全開の笑顔を向けて言った。
「『アルフ』」
「え? あの」
「僕の愛称だよ。呼んでみて?」
戸惑うクリスティーネ様にゆっくりと頷くことで促す。
しばしの沈黙の後、小さな掠れるような声でクリスティーネ様がアルフレド様の愛称を口にした。
「アルフ、さま……」
「『様』は要らない。ただアルフと」
「アル…フ……」
アルフレド様が顔を眩しい程に綻ばせる。そして空色の瞳がクリスティーネ様の目を捕らえた。
「もう一回」
「アルフ……」
「そう」
「アルフ」
「うん、もう一回」
「アルフ……?」
「もう一回呼んで? クリス」
「アル、フ?」
「クリス。もう一回」
「アルフ、あ、あの……」
「ねぇ、クリス、もう一回」
「あ、アルフ……」
クリスティーネ様はいつの間にか離されていた手で胸を抑え、半分涙目で懇願するようにアルフレド様を見上げる。
アルフレド様の名を呼ぶ度に熟れて行ったクリスティーネ様の頬は、今や髪に飾られた薔薇に負けない程の紅色に染まっていた。
「ん? なぁに、クリス」
アルフレド様が満足そうに目を細めて返事をすると、クリスティーネ様は唇を引き結び、頬を膨らませた。
「──っ! アルフ、ひどいですわ! わたくしに呼ばせておいて!」
「クリス、真っ赤。可愛い」
アルフレド様がクリスティーネ様の頬を両手ですっぽりと包んだ。
うわー二人で何度も名前呼び合うとかほんとマジでどんだけバカップルなのリア充爆発しろ。
「何か言いましたか? りあ…じゅう、とか聞こえましたが?」
隣からヴィクトル様の訝しげな声が聞こえてきた。
おっと、いけない。あまりに二人の世界へトリップしているのを見せつけられたせいか、つい口に出てたみたいだわ。今回は呟き声程度だったみたいけど、気を付けなきゃ。
「失礼しました。気にしないでくださいませ。以前に読んだ本に書かれていた、呪文の一種ですわ」
「そんなことを言われると逆にとても気になるのですが」
ヴィクトル様の眉間の皺が深くなる。私はにっこりと微笑んでみせた。
「大丈夫です、ご心配には及びませんわ。だいたいこの呪文は、仲睦まじい男女に贈るものですし、本と言っても魔導書ではありませんので効力を持ちませんの。ただの言葉遊びのようなものですわ」
ヴィクトル様が目を眇めて私を窺ってくる。
完全に疑われてるわー。一応本当のことしか言ってないんだけど。
ヴィクトル様こそ、よくあの甘いピンクな二人を見ていて平気でいられるわよね。どれだけ強靱な精神を持ってるのかしら。
やがてヴィクトル様はふっと溜め息を付いた。
「……まぁ、そういうことにしておきましょう。
そろそろ私はアルフレドを連れて戻りますので、マリー、あなたはくれぐれもクリスティーネ様をお願いしますね」
「もちろんですわ。ヴィクトル様も、アルフレド様が勝手に出歩かないよう護衛としてのお仕事をなさってくださいませ。
それと、何度も言っておりますように、名前の呼び捨てを許した記憶はございませんので」
私は両手を身体の前で揃えると丁寧に侍女の礼をとり、小首を傾げて微笑んでみせた。
ヴィクトル様の鋭い視線がさらに鋭くなり、私に刺さる。侍女仲間がヴィクトル様のことをクールでかっこいいって言ってたけど、これのどこがいいの!?
「……あなたは本当にかわいくないですね」
「それはそれは。ヴィクトル様にご満足していただけるような可愛気のある応対ができず、大変失礼いたしました」
「そのようにひねくれていると、いずれ旦那様に捨てられますよ?」
「ご心配には及びませんわ」
「おや、惚気ですか」
「いえ、まさか。おりませんので」
「は?」
マヌケな声と共に、一瞬だけヴィクトル様が常に纏っている冷たい雰囲気が四散した。かなりレアな表情見せて貰ってる気がするわ。
「おりませんので」
もう一度言うと、確認するようにヴィクトル様から質問が飛んでくる。
「……あなた、結婚してないんですか?」
「ええ」
「確か、私と同じ年齢でs」
「それが何か?」
ヴィクトル様の言いかけた台詞を一刀両断する。その続きを一文字でも言ったら雑巾で磨いたティーカップでお茶飲ませてやるから。
私を凝視したまま動かないヴィクトル様と、にっこりと微笑みを貼り付けたままの私。
しばらくの間が空いた。
先に沈黙を破ったのは私だ。
「結婚していないと何か不都合でも?」
「いえ」
ヴィクトル様は首を横に振ると、右手を顎に当て再び私の全身を無遠慮な視線で眺めた。
「まぁ確かに、その身体じゃ男性を満足させられないかもしれませんね」
──ブッチン
「うっさいわ!」
コイツ、後でシメる。絶対シメる! それでもって雑巾で磨いたティーカップに雑巾の絞り汁でお茶煎れる!!
あーもー取り繕う気すら失せた。失せたよ。淑女で侯爵令嬢な私、サヨウナラ。
不快感を露わにする私の目の前で、ヴィクトル様は何故か声を上げて笑い出した。
ちょっとアンタ、本当に失礼だから!!
魔法で吹っ飛ばしていいかな? いいよね? 鍛えてるだろうから、簡単には死なないよね!
私が呪を編むために両手に魔力を溜めようとしたとき、ヴィクトル様が笑い過ぎて出てきたらしい涙を指で拭い、呼吸を整えながら言った。
「なるほど。それが本性ですか? ──やはりあなた、面白過ぎます」
私は全っ然面白くないんですけど!