哀しみの中の竜
――それは突然のことだった。
私、鈴蘭は夕日を体に浴びながら、グレンの背でウトウトとしていると。
『スズラン、悪いが一旦降りてくれ』
グレンの声に、私は少々飛びかけていた意識を引き戻す。
「・・・んにゃっ?――分かった」
言われた通り、グレンの背から飛び降りた鈴蘭は、着地後そのままグレンへと向き直る。
しかし、そこに彼の姿は無かった。
「――え!?グレン、グレンどこ?」
いきなりグレンの姿が目の前から消え、鈴蘭は狼狽した。キョロキョロ視線を彷徨わせていると、聞き慣れた声が彼女を呼ぶ。
『スズラン、落ち着け。私ならここにいる』
「グレン?」
グレンの声に安著した鈴蘭だが、音源が足元であることに疑問を持つ。サッと己の足を見ると、そこには子犬・・・みたいな生物がちょこんっとお座りをしていた。私の知る中で最も近い犬種は柴犬、色は金に近い黄土色、耳の淵と尻尾 (ライオンみたいな)の先端はチロチロと赤い炎が燃えている。
「な、何・・・これ――」
私は、わなわなと震えた。
『ああ、これは――』
説明しようと口を開いたグレン?を私は抱き上げ、凄まじい速さで頬ずり攻撃を繰り出した。
「なにコレなにコレなにコレぇぇーーーー!!か・わ・い・いぃ~~!!!」
大声で叫び、私はグレンを力一杯抱きしめ、ほっぺをぐりぐりぐりぐり・・・幸せだ。
何を隠そう私は大の動物好きなのだ。普段の凛々しいグレンも勿論大好きだが、私は今のグレンのように小さくてコロコロした動物には特に弱い。もう、メロメロだ。
『お、おい・・・苦しい――』
腕の中でか細い声が発せられる。私はハッとして、腕を緩めた。
私の激しいスキンシップに、グレンは危うく気絶するところだった。
「ご、ごめんねグレン。私、可愛いものには目がなくて・・・」
鈴蘭はグレンを抱いたまま、目を合わせ謝罪する。グレンは軽く頭を振って、遠のきかけていた意識を覚醒させた。
『むぅ・・・可愛いというのはあまり好まんが、まあいい。とりあえず、私がこのような姿になったのは、もうすぐ町が近いからだ。ここからは徒歩だが大丈夫か?』
「うん、大丈夫。でもいきなりどうしたの?」
『やはりあの巨体は目立つだろう。これならそう注目を浴びることもない』
確かに、体が燃えている燃えていない以前に、これだけ身体の大きな狼が街に現れたんでは騒ぎになってしまう。
「そうだね、でも驚いた。グレンがまさかちっちゃくなるとは・・・」
『これは魔力を消耗してしまった時しか使わない。この形態は魔力消費が少ないからな』
「ほう、つまり魔力節約術ということね。便利だわ」
『まあ、そんなところだ』
節約――をしているわけでは無いが、意味的にはそう大差ないであろう。
『もう日が沈む、行くぞ』
鈴蘭の腕の中で町の方を示すちっちゃなお手々。にへらっと破顔し、鈴蘭は町へと向かった。
◇◇ ◇◇
鈴蘭たちは町へとやって来た。町の入口付近には『ようこそキートンへ』と書かれた看板を発見。
見ると、そこまで大きな町ではない。もうかなり薄暗くなってきた、町にはぽつん、ぽつんと明かりが灯り始める。
とりあえず、今夜の宿探しをしなければと鈴蘭は思うのだが、まあ・・・無理だろう。
何故かって?理由は至って簡単だ。
――金がない。
そりゃそうだろう、身一つでこの世界に来てしまったのだ。金などあるはずもない。仮に持っていたとしても、異世界で円が通用するとは思えない。
ちろりと腕の中に収まるグレンを見やる。地がひっくり返っても彼がお金を持っているとは考えられないので――― さて、どうしたものか。
考えあぐねて空を見上げると、頼りなさげに光るお星様が雲の隙間からこちらをチラ見している。
やばいなー、もう夜になってしまう。
どうする、野宿でもするか?しかし、それではわざわざ町まで来た意味がない。
働いて金を稼ぐというのも有りだが、残念なことにもう働く時間ではない。皆家に帰り始める時間だ。
「グレン、どうしよう」
結局良いアイデアが浮かんでこなかった鈴蘭は腕の中の存在に助けを乞うた。
『うむ、人間世界は「金」というものが必要なのだったな。すっかり忘れていた。どうしたものか・・・』
彼の返答に、鈴蘭はガックンと体全体の力が抜けた。
途方に暮れる彼女、何故か最近こればかりな気がするのは気の所為ではないだろう。
本当に、とほほほ・・・だ。
すっかり落ち込みモードの鈴蘭に、突然背後から声がかけられた。
「何だ~?見かけない女だな。しかも可笑しな髪の色してやがる。どうだ?暇なら俺たちと遊ぼうや~」
鈴蘭はいつの間にか酔っ払いの中年男二人に挟まれていた。彼女の眉間にしわが寄る。
――うわぁ、やっぱり異世界ファンタジーでもこういうオッサンっているんだね。こりゃ世界はどこかかしらで繋がっているよ、きっと。
呆れている鈴蘭とは別に、腕の中のグレンは今にも飛び掛らん勢いで威嚇している。勿論、襲いかからないように抑えてはいるが。
「おい、聞いてんのか~?俺たちが可愛がってやるって言ってんだよ」
耳元で虫唾が走るような撫で声を発する男に、私の我慢は限界を超えた。
「黙れ、腐れジジイが」
冷ややかにそう言うと、私は目にも止まらぬ速さで右側にいた男の片腕をひねり上げた。男は痛みに耐えれず気持ち悪い叫び声を上げる。
「てめぇ!何すんだっ」
もう一人の男が怒りをあらわにした形相で、鈴蘭に襲いかかる。鈴蘭はそのまま蹴りで返り討ちにしようと足を45度程上げたその時、町に大きな地響きが起きた。
――ドドドドドっ、ドシンっドシンっドシンっドシンっ
「――何?」
地震?と思った鈴蘭だが、すぐにそうではないと気づく。地震にしては音が規則的すぎる・・・これはまるで大きな生物の歩く音――。
気配を感じ後ろを振り返ると、鈴蘭は恐れを通り越して、唖然とした。
彼女の目に映ったのは、竜・・・だった。鉛のように鈍く光る硬い鱗、自分と同じぐらいの大きさであろう鋭い爪、凄まじい風を巻き起こすコウモリに似た翼、石をも軽々砕けそうな強靭な顎を牙、そして興奮と怒りに満ちた赤く、血走った瞳。空想上の生物に今現在、鈴蘭は対面している。
竜はドガンっと片足を振り降ろし、大きな口を開けて破壊力のある叫び声を上げた。それに驚き、恐怖した酔っ払い男二人は我先にと逃げる。
「何なのっ?あのクソオヤジどもはっ」
光のごとく去ってゆく二人に怒りを滲ませる鈴蘭は、ハッと前に向き直る。まだ少し距離のある竜は翼を広げ暴れ狂う。その付近に建っている民家が次々に破壊され、町の住民は嬌声を上げ逃げ惑う。次第に、壊れた民家から火まで起こる始末。これは本格的にピンチな状態だ。
『逃げろ、スズラン。ここは危険だ』
グレンの声は緊張を含んでいる。確かに、この場は危ない。私などあの翼に少し煽られただけで遠くにすっ飛ばされそうだ。分かっている、危険なのは十分理解している。
――しかし・・・
『!?スズランっ何を?』
腕の中で目を見開いて問うグレンを地面に降ろし、ゆっくり竜へ近寄る。一歩、また一歩と歩を進める。逃げ惑っていた町人も、異様な光景に知らず足を止めていた。
その時、周囲から武装した集団が近づいて来る。
「そこのお前っ!何をしている、早く逃げろっ」
集団の先頭に立つ黒い制服を纏った男が、腰に下げている剣に手をやり、焦りと緊張を含んで叫ぶ。だが、鈴蘭は彼の言葉に従うこと無く歩を進める。
止まらない鈴蘭に先頭の男は舌打ちをし、剣を抜く。それを合図に、後ろに控えていた同じ制服を身に纏う者たちも一斉に剣を抜く。
「来ないでっ!!邪魔をしないで・・・」
彼らが竜に切りかかろうと一歩足を踏み込んだその時、静止の叫びが響いた。凛とした鈴蘭の声は彼らに有無を言わせない。
ピタリと動きを止めた集団を横目で確認し、鈴蘭は竜との距離わずか3メートルのところでその足を止める。ここはもう竜の鼻息すら感じられる位置。竜の瞳は依然赤く血走ったままである。
鈴蘭はその瞳と己の漆黒の瞳を合わす。お互いに逸らすこと無く見つめ合い、やがて鈴蘭の瞳には透明の雫が滲み出す。
「――そう、悲しくて、苦しいんだね。大切な相棒を失ってしまったことが受け入れられずに・・・」
ぽつりと言う鈴蘭を周囲の人間は怪訝な顔をして眺める。皆一様に「何を言っているんだ」と顔に書いてある。だが、グレンには彼女の行動の意味が理解できた。きっと彼女は今、あの竜と会話をしているのだろう。
『我には何もないっ!、あやつが死んでしまった今、我にはもう存在意義すら無くなったのだっ!こんな世界、いらぬ。全て燃えてしまえばいいっ』
竜は、怒りと悲しみに満ちた双眸と罵声を鈴蘭に飛ばす。鈴蘭はそんな竜に臆することなく、冷静に強く澄み切った瞳を向け続ける。
「辛い気持ちは分かる。大切な存在を失う悲しみや喪失感も、私は分かる。でもそれは、この町を破壊しここの住民を傷つける理由にはならない。それは貴方だって分かっているでしょう?」
『黙れ黙れっ!お前に何が分かると言うんだっ』
図星を突かれた竜はさらに目を釣り上げ叫ぶ。
「・・・少なくとも、私だったら大切な相棒に、こんなことして欲しくない。それは、貴方の大切な人も思ったはず。それとも、その人は貴方にこんなことをさせるような人だったの?」
鈴蘭の問いに、竜の瞳が揺らいだ。
『違うっ!あやつは何時でも温厚で、優しく・・・お人好しで、我の心配ばかり・・・』
怒りの色が徐々に薄れていく。悲しく遠い存在を懐かしむ竜を、鈴蘭は目を細め、柔らかい表情で見つめた。
「そう、優しい人だったんだね。・・・でも、今の貴方を見たその人はどう思うと思う?きっと心配するよ」
『・・・だが、我にはもう――』
「確かに失ったものは戻らない。でも生きていれば、また大切なものを見つけられる。その人も、貴方に幸せになってもらいたいと願ってるはず。大丈夫、きっとまた大切な存在が見つかる」
鈴蘭は竜から視線を外さず、強い口調で言い切る。
『大切な、存在――』
「うん、絶対見つかる。――でも、それまでは私が一緒にいてあげる。寂しくないよ、私が一緒にいる・・・おいで」
そう言って、鈴蘭はそっと竜に手を伸ばす。竜の瞳は揺れる、だが動かない。鈴蘭はもう一度静かに、それでいて凛と心に響いて染み入る声音で、竜を呼ぶ。
「――おいで」
竜は優しく、慈しむかのような表情で見つめる鈴蘭におずおずと顔を近づける。鼻先が、彼女の指に触れる。
そっと撫でてやると、竜の全身から緊張が解かれた。何度か撫でてやると、竜の方から鼻を擦りつけてきた。鈴蘭はそんな竜の顔に身を寄せ、自分の頬を鼻先にくっつける。
「貴方と相棒さんはきっと似ているんだね。貴方も、とても優しい目をしている。貴方とこうして出会えて、私は嬉しい。これも何かの縁だね、私の名前は鈴蘭。もし嫌じゃなかったら、貴方の名前を教えてくれない?」
柔らかい口調で訊ねる鈴蘭と目を合わせた竜は、一度目を細めた。
『――アグニアス』
「アグニアスか、格好良い名前だね。よろしく、アグニアス」
にこっと微笑む鈴蘭に、竜――アグニアスは再び顔をすり寄せた。