異世界の友
鈴蘭は、泣き喚いていた。狼の背の上で、突っ伏しながら未だ裸のまま。
「もおぉーーーっ最悪!!何よアイツ、何よ変態っ!よくも人の胸鷲掴みにしてっまだ誰にも触られたこともなかったのに・・・何で初があんな変態ヤローなのよっ」
・・・一応命の危機にあったというのに、泣き叫ぶところがそこなのか?と、あまり人間の女事情が分からない狼は首を傾げる。
『その姿では寒いだろう、さっさとこれを着ろ』
ぐずぐず泣く鈴蘭に、咥えていた彼女の服を渡す。
「うん、ありがとう・・・」
礼を言い、鈴蘭は服を受け取って狼の上で、もぞもぞと着替える。
『まあ、とりあえず洞穴へ戻るか』
狼の提案に、鈴蘭はこくりと頷く。
しかし、あの男。おそらく赤龍・・・しかもこの大陸の覇者、赤龍王の子。そんな奴が何故この森にいたのかは分からない。だが、知らないとは言えそんな相手に臆することのない鈴蘭のこの態度、そして先程の素晴らしい怒りの鉄槌。あれは見事であった。
やはり、こやつは面白い。
「ちょっと、何笑ってるの?」
くつくつ笑う狼に、訝しむ鈴蘭は訊ねた。
『いや、少し思い出し笑いをな』
「思い出しって、何思い出してたわけ?」
『色々とな』
眉間にしわを寄せた鈴蘭に、狼はやんわりと答える。あの男のことで笑っていたなどと言ったら、少し収まった彼女の怒りがまた復活してしまうと思った狼は、深く話さずにおいた。
程なくして鈴蘭たちは洞穴へ戻って来た。しばらく何も話さなかった鈴蘭だが、おもむろに口を開く。
「ねえ、狼さん。教えて欲しいことがあるんだけど」
『何だ?』
狼は、耳をぴくぴくさせて顔を上げた。
「この世界について、知っていることを教えて欲しいの。できるだけ詳しく。私は無知、このままでは森から出ても生きていけない」
鈴蘭の真剣な瞳と目を合わせた狼は、一度頷いて話し出す。
『そうだな、何から話そうか・・・まず、この世界の大まかな部分から話そう』
――それから私は、狼の語る全てを真摯に聞いた。
このアトラーテスという世界は、四つの大陸に分かれており、青龍王が治める青の大陸、黄龍王が治める黄の大陸、緑龍王が治める緑の大陸、そしてこの地、赤龍王が治める赤の大陸である。
各龍王のもと、人間や亜人、魔獣が住まうこの世界では、生活の中にまで魔法が関わる程魔法というものが発展している。魔法には様々な活用方があり、戦いや移動、治療、細かいところまでいくと、生活での家事など多種多様の使い道がある。
「へえ、狼さんはどんな魔法使えるの?」
『見ての通り私は炎属性の魔獣だからな。主に炎を操る魔法を使う』
そう答える狼さんの体を見て、納得した鈴蘭は、はたと思う。
「ところで私はその魔法とやらは使えるの?」
自分は異世界からやって来たのだ、元々この世界の人間じゃない。果たして私に魔法が使えるのだろうか・・・・できれば使ってみたい。せっかくのファンタジーライフなのだ、それらしいことをしたいじゃないですか。
『魔力はしっかりと感じるので使えると思うが・・・』
「えっ!?本当っ?どうやって使うの?」
狼の言葉に鈴蘭は飛びついた。魔法が使えるなんて、こんなすごい事はないっ!地球にいたのでは一生経験できなかったことだ。
『どうやってか・・・なかなか難しいことを言うな。ふむ、我々は特に意識せず使えるからな。とりあえず、力んでみたらどうだ?』
「り、力む・・・むんっ!」
狼の言う様に、とりあえず体に力を入れてみた鈴蘭の周りを何かが覆った。これは、風?
「わ、わわわわあっ」
いきなり自分の周囲だけ風が渦巻き、鈴蘭はおっかなビックリ。
『うむ、どうやら風属性のようだな。そのまま、力を抜いてリラックスしてみろ』
鈴蘭は息をゆっくりと吐き、体の緊張を解く。
「おおおー・・・風が止んだ」
『今はまだ漠然としか魔法を使えていないが、慣れてこれば戦いや生活に様々な応用ができるようになるだろう』
「やったあー!魔法が使えるなんて感激っ」
鈴蘭は嬉しさのあまり、狼に抱きつく。狼は苦笑し、顔をすり寄せる。
『さあ、日が出ているうちにこの森を出るとしよう』
「・・・・・うん、そうだね」
狼の言葉に、鈴蘭は寂しさを覚えた。
◇◇ ◇◇
狼の背に乗って、森を進むこと約二時間。薄暗い森に、前方から眩しい光が差し込む。
狼は、光の手前で足を止めた。
『もう森を抜ける、お別れだ』
「うん・・・」
そう返事を返して、鈴蘭は狼から降りる。しかし、鈴蘭の足は動かない。
『どうした?この先の一本道を進めば、やがて人里に着く。夜道は危ない、早く行ったほうがいい』
ずっと俯く鈴蘭を心配して、鼻先で頭を優しくつつくと、彼女はガバリと抱きついてきた。消え入りそうな声で、彼女はこう呟く。
「・・・ねえ、狼さん。私がもし、一緒に行こうって言ったら・・・来てくれる?」
今にも泣きそうな彼女に、狼は少し困った様子だ。
『私と一緒では、お前は人間と関わりにくいだろう』
狼の言葉に、鈴蘭はガバっと顔を上げた。
「そんなこと無い、狼さんは私の大切な友達だよ。誰がなんと言おうとそれは変わらない」
強い決意の眼差し、狼は鈴蘭を眩しそうに見つめる。
友達、か。
今まで自分には仲間という存在がいなかった。どれだけ探しても、同種族を見つけられず、来る日も来る日も一人で生き続けてきた。
孤独だった――
昨日、興味本位で見つけた異世界の少女。右も左も分からない、生まれたての子供のように、脆く危なっかしい彼女を、自分は気まぐれに助けた。深入りするつもりはなかった、すぐに人間のもとに返さねばと思った。自分とは生きる世界が違うのだ。
しかし、彼女といるととても心が穏やかになる。彼女の隣は、陽の光より暖かく安心できた。ずっと一人だった自分に温もりを与え、そして友と呼ぶ。
自分が彼女と一緒に行けば、彼女は同じ人間同士と関わりづらくなる。分かってはいるが、目の前の温もりを、手放せなかった。
狼はゆっくり、鈴蘭と視線を合わす。その瞳は、何かを決意したように見えた。
『我が友よ、そなたの願い聞き入れた。共に行こう』
この言葉に、鈴蘭は限界までその漆黒の瞳を見開いた。
「本当っ!本当にっ!?」
『ああ』
「ありがとうっ!!」
鈴蘭は満面の笑みで狼に抱きつく。
『我が友よ、友として一つ頼みを聞いてくれるか?』
「何何?何でも頼んでっ!」
余程嬉しいのか、頼み事一つに鈴蘭はらんらんと目を輝かせる。
『私に名を与えてくれぬか?』
意外な頼みごとに、鈴蘭は少し目を見開く。
「名前?そんな大切なもの、私なんかが勝手に付けていいの?」
『友であるお前だからこそ、頼んでいる。いいか?』
狼の言葉に、鈴蘭は歓喜した。自分が受け入れられている、信頼されていると感じたのだ。
「勿論っ!喜んで付けさせて頂きますっ!」
そう答え、鈴蘭は俯きしばし思案する。やがて、彼女はおもむろに顔を上げた。
鈴蘭は狼に真摯な眼差しを向け、言う。
「グレン、貴方の名前はグレンよ」
微笑む彼女の声は極上に優しいものであった。
『グレンか良い名だ、礼を言う。スズラン』
「どういたしまして」
『では、そろそろ出発するとするか』
狼は伏せをして、鈴蘭に乗るよう促す。鈴蘭は笑って頷き、グレンの背に跨った。
彼女は一度、大きく息を吸いビシッと前方へ人差し指を突き出して、こう叫んだ。
「出発進行っ――!!」
号令とともに狼は力強く地面を蹴ると、軽やかに一本道を駆けた。