見習い初日(6) ★
後書きにイラストを載せさせて頂きました。
イメージを崩したくない方はイラストを表示しないをお願いします。
殿下の執務室へ強制的に連れてこられた私ですが、ハッキリ申しましょう。何もすることがありません。殿下はといえば、部屋に戻ってくるなり直ぐ様、目を瞑りたくなる程積まれた書類の山と睨めっこを始めてしまった。
クラウスさんも応接用のソファーに腰掛け、尋常じゃない速さで書類を読んでいる。クラウスさんの隣には船を漕ぎ始めたアーノルドが座っており、私は彼らの向かいのソファーに座っている。
…アーノルド、あんた一応殿下の護衛騎士なんでしょ?んな居眠り始めていいわけ?
と、鬼の形相で紙を睨むイケメン二人と、そんなのお構い無しで夢の中へ旅立とうとしているイケメン護衛。
さて、異世界へ来てまだ間もない私に、出来ることがこの状況でお有りだろうか?答えは、否。
ということで、こんなところでボーッと過ごしていても仕方がないので、部屋に(共同で使っている殿下の自室)戻って今日の午前にリュシエンヌ先生から教わったことを復習しよう。
そう思って席を立ち、扉に向かった私に殿下が声をかけた。
おい、あんだけ真剣に紙見つめていて、よく気づいたな。ま、気配を感じるくらい出来るんだろうけど、忙しいのに何で声をかけた?気にせず仕事してくださいよ。私は私でやることあるんで。
と、目で訴えたが伝わらず、「何処へ行く」と聞かれたので、部屋に戻って勉強すると返した。
すると殿下は書類から視線外し、こちらを見る。
「勉学に熱心なのは感心するが、部屋まで一人で行けるのか?」
彼にそう問われ、初めて気づいた。
「…そういえば、殿下の部屋からこの執務室までの行き道を知りませんでした」
嘆息する殿下。はいはい、すみませんでしたね。全然気づかなくて。お気遣い、た・い・へ・ん有難うございました。全く、一人で部屋にも戻れないなんて幼児かっ!とか思わないでください。広すぎるんですよ。王宮。同じような廊下がどんけ続いてんだか。よく皆迷子にならずに暮らせるよね。別に方向音痴では無いけど、慣れないと流石に私も迷うよ。
「おい、そいつ叩き起こせ」
殿下はコクコク頭を揺らしているアーノルドに視線を向けて言った。誰にって?勿論、隣に座るクラウスさんにです。
彼は手元の書類から目を離すことなく、隣で寝ているアーノルドの頬目掛けて腕を突き出した。
ああ、見事なパンチ。叩き起こすどころか、殴り起こしたクラウスさん。一生懸命仕事している隣でぐーすか寝ていたアーノルドに殺意でも沸いたのかね。
「いってぇー!クラウス何すんだっ」
「黙れ。殿下のご命令だ」
フンッと鼻を鳴らすクラウスさん。いえいえ、ご命令以上の起こし方でしたよ。
「お前暇だろ。ここに居ても邪魔なだけだ。スズランを部屋まで連れてってやれ」
そんな二人のやり取りを全く気にした風も無く、殿下が言葉を続ける。慣れてるね、殿下。日常茶飯事なんでしょうか?このやり取り。
有無を言わせない殿下の言葉に、アーノルドは溜息を吐いてソファーから立ち上がると、私と共に執務室を出た。
「三人は仲が良いんですね」
「あ?…んまぁ、幼馴染ってやつだ。っと、着いたぞ。ここだ」
広い廊下を並んで歩いていると、彼は大きな両開きの扉の前で足を止めた。
ここまで同じ風景しか見なかったが、なんとか執務室から部屋までの道順は覚えたはず。次回からは自分一人で行けるだろう。
案内してくれたアーノルドに礼を言い、部屋のノブに手を掛けた。
「そういや、ずっと気になってたんだが―」
部屋に入ろうとした私の手をアーノルドの声が制止させた。何だ?っと振り向けば、彼は首を傾げながらこちらを見ている。
「何で今日は、そんなに丁寧な話し方なんだ?」
ああー…、やっぱり気になった?そりゃそうだよね。初対面ん時と全然口調違うし。
「理由は単純です。まず皆さんは私より年上ですし、見習い騎士である私からしたら、殿下を始めこの王宮で働く騎士は皆上司です。丁寧な言葉を使うのは当然でしょう」
「そりゃ、そうだが。なんか違和感しか感じねぇな」
「アーノルド、さんとは初対面があれでしたから、仕方がないですね。慣れてください」
アーノルドは盛大に顔を顰めた。
「いや、無理。さんとか止めろ。気持ちわりぃ」
「ひどいですね。こっちが頑張っているって言うのに。まあ、さん付けは止めます」
「出来れば今まで通りの口調で話してほしいんだが」
「それは出来ません。騎士として働く以上、紳士でなくては」
そう、私の目指すのは誰にでも紳士に接することのできるスマートな騎士様だ。特に女子供には優しい。それに、丁寧口調は普通に使える。元の世界ではついこの間までお嬢様学校へ通っていたのだ。そこでは普段から丁寧な言葉を使っていた。むしろそれ以外の言葉づかいはNGだった。だから、お嬢様学校二年目の私は、日常会話で丁寧語など何の苦もなく行えるのだ。
「…別に紳士じゃ無くとも騎士になれるぞ?お前のその考えだと、俺も常に丁寧口調で話さなきゃならんだろ」
「それは止めてください。気色悪いです」
「だろ?って、お前こそひでぇな」
クシャリと苦笑いしたアーノルドは、ガシッと私の肩を掴み視線を合わせて来た。
「…よし。じゃあ、二人だけの時は今まで通りの話し方で話せ。じゃないと俺が落ちつかねぇ。いいな?」
…どうせ、Yesしか受け付けないんでしょう?でないと、この腕は離れない。
私は溜息をついた。
「はぁ。分かったよ」
「良し、いい子だ」
彼は満足したのか、ニッと笑い、大きなゴツゴツした手で私の頭を鷲掴み、洗濯機の如く脳みそを掻き回した。
「っちょ!痛いッ 離してッ」
「お?すまんすまん」
笑いながら腕を引っ込めるアーノルド。絶対悪いと思ってないな。最後に一睨みし、鈴蘭は今度こそ部屋の中へと入って行った。
「―あれ?」
部屋に入れば、居ると思っていたグレンが居らず、他の人物が居た。
「お帰りなさいませ。スズラン様」
使用人服を身に纏った彼女はとても優雅な一礼をして私を迎えてくれた。彼女には見覚えがあった。
確か、昨日の夕食を準備してくれた女性だ。そう、グレンに野菜と果物をボールいっぱいに持って来てくれた人である。
彼女は私より頭一つ分背が高く、明るい茶色の髪に翡翠の瞳をしていた。目の下に少しそばかすがあり、年齢は知らないが少し幼い感じの可愛い女性だ。
「えっと、貴方は?名前を窺っても宜しいですか?」
「申し遅れました。私はイグネイシャス殿下のお部屋を担当させて頂いております。女官のメリサと申します。殿下からは今後スズラン様のお世話も仰せつかっております。何なりとお命じください」
メリサさんは、にこりと可愛く笑って、そう言った。
ああ、可愛いなぁ。やっぱり、野郎相手よりこっちのが全然いい。
―って、いやいやいやッ!最後の一言おかしくない?
「は?いや、何で私?私のお世話なんてする必要無いですよ?ただの見習いです。むしろ私をこき使って頂いて構いません」
そう言うと、彼女は口元に手を当て左右に首を振る。
「そんなッ!恐れ多い。スズラン様は殿下の御連れの方。殿下からも直々に頼まれたことでございます」
―殿下直々?
「アイツ…何言ってんだ」
つい、ボソッと口にしてしまったのは仕方がないこと。
「スズラン様?」
「あ、いや。何でもないです。―とりあえず、その様付けは止めてもらえませんか?私、そんな偉くも何でも無いんで」
怪訝そうに私を伺うメリサさんに、最初から気になっていたことを言った。
「いえ、使える方を様とお呼びするのは当たり前です。それに私共女官は騎士の方々も皆様付けでお呼びしております」
「うーん、でもなぁ。何か落ちつかない。私、まだ騎士ではないし」
「慣れてくださいませ」
渋る私にメリサさんはピシャリと言い放った。
メリサさん、結構融通が効かない。頑固、とまでは言わないけど、曲がったこととか、嫌いそう。真面目なんだなぁ。見た目可愛らしくて中身が出来る真面目さんとか、いいなぁ。
うん、これは是非とも―
「分かりました。可愛い女性の頼みでは仕方ありませんね」
「え?」
メリサさんはきょとんっと目を少し見開いた。ああ、そんな表情も可愛い。
「その代わり、私とお友達になってもらえませんか?」
「ス、スズラン様?何を仰っておいでですか?」
うろたえるメリサさん。挙動不審な仕草もサイコーです。オッサン発言とか、思わないでくださいね。純粋に、彼女を可愛いと思ってるんで。世の中の可愛いものを褒めるのは当然でしょう?綺麗なものも褒めますけど、どちらかというと、可愛いほうが好きなんです。
「私、女性の知り合いがまだ居ませんでして、メリサさんはこの部屋付きの女官なんでしょ?なら、私と接することも多いはず。折角なので、お友達になって頂きたいのです」
「で、ですが…」
「私とお友達になるのは、嫌、ですか?」
渋るメリサさんに、私は小首を傾げて彼女の手を握った。彼女は頬を染め、ブンブン首を横に振る。
「い、いえ。決してそんなことは…」
「では、お友達になって頂けますか?」
今度は目を覗きこむ。彼女は少し身を引いて、コクリと頷いた。
「やった!!ありがとうございますっ!嬉しいっ」
「きゃっ!?」
私は嬉しさのあまり、彼女に抱きついた。驚いた彼女は身を固くする。
「あ、すみません。つい、嬉しくて…改めまして、スズランと言います。これからよろしくお願いしますね、メリサさん」
彼女から体を離した私は、両手を繋いだままニコリと笑いかけた。
「はい、よろしくお願いします。スズラン様」
彼女も、ぎこちなくではあるが微笑んでくれた。
メリサが部屋を退室した後、鈴蘭は机で午前の復習をしていた。大きな窓から見える外は、もう真っ暗だ。
「ちょっと、強引だったかな?」
机に頬杖を突いて考えていたのは、先ほどのメリサとの遣り取り。まだ合って二度目。まともに話したのは、さっきが初めて。馴れ馴れしいのは分かっていた。でも、ここへ来て接しているのは男ばかり。私は、女子と仲良くしたい。
別に、男と話したくないというわけではなく、女子との方が楽しいし、何より和む。心は何時でも穏やかさを欲しているのです。
「ふふ、でもやっぱり嬉しいなぁ」
あんな可愛らしい人とお友達なんて。私は幸せ者だ。むふむふしていると、突然背後から声がした。
「何が嬉しいんだ?」
「うわっ!?」
鈴蘭は驚いて、ガタンッ!と椅子から勢いよく立ち上がった。振り向くと、眉間に皺を寄せた殿下が仁王立ちしていた。…随分、仁王立ちが似合うことで。威厳が溢れ返ってますね。いや、威厳というよりも、何か、黒いものが背後に漂っている気がするのは、私の幻覚でしょうかね?
え、何。もしかして怒ってる?何故?何に?
訝しむように見つめる私に、殿下は更に眉を寄せた。
「おい、聞いていたのか。一体、何が嬉しいというんだ」
「別に、殿下にお話しするようなことでは―」
そうそう、言ってもしょうがない。メリサさんと私がお友達になったなんて、聞いたところで殿下には興味の無いことだろうし。
「言え」
しかし、殿下はムッと口をへの字に曲げ、頑として譲らない。
はぁー、聞いてもしょうがないのに。
「…女官の、メリサさんという方とお友達になれたので、それが嬉しいと言ったんです」
「ああ、メリサか。あれはこの部屋の唯一の女官だ。分からないことがあれば彼女を頼れ」
「でも、私の世話は不要です。自分のことは自分でしますので」
「別に、身支度などを手伝わせるわけじゃない。掃除や洗濯、食事の準備を頼んだだけだ」
「そうなんですか?でも、食事の準備はできませんが、掃除や洗濯は私でも出来るので是非手伝わせて頂きたいです」
家事なら私にも出来る。料理も作れるが、こちらの食材はよく分からないし、宮殿に相応しい物など作れるとも思わないので、掃除洗濯ならと願い出たのだが。
「その必要はない。それは彼女達女官の仕事だ。人の仕事を取るのは感心しない。彼女達はそれで生活しているんだ。それに、お前には他にやるべきことがあるだろう」
彼の言うことは尤もだ。私がやろうとしていたことは、結果、彼女の生活を乱すことになる。そして、私には目標がある。それを達成させるために、やることは山積みだ。
「…そうですね。彼女達には彼女達の、私には私のやるべき事がありますね。失礼しました。以後気お付けます」
「分かったならいい」
そう言うと、彼はこの場から立ち去…りはしなかった。
何故かこちらをじっと見下ろしている。ちなみに、未だ黒いものが漂っている。
「何でしょうか」
「何だ、それは」
はい?何が、それは?な訳? 意味が分からず首を傾げる。
「その言葉づかい」
彼がボソリと呟いた。
「言葉づかい?がどうしました?」
更に意味が分からない。何だ?言葉づかいが成っていないと言いたいのか?
「何故、敬語なんだ」
訊かれたことに、ポカンとなる。
「?殿下に敬語をつかうのは当然かと」
そう言うと、彼はフンッと鼻で笑った。
「今まで散々暴言吐いておきながら、今更過ぎるだろう」
まあ、確かに。特に殿下には暴言吐き捲りだったしね。変態とか変態とか変態とか…今でも変態なんだけど。
「その節は、大変申し訳ございませんでした。これからは騎士を目指す身として、王族や騎士の先輩方に敬意を払う所存です」
「…俺には必要ない。今まで通り話せ」
なーんか、この遣り取り。ごく最近あったような。
って、何言ってんだ。この人は。自分の立場分かってるのか?
「何を言っているんです。貴方は殿下。王族のお一人です。最上級の敬意を払うべきです」
「その殿下という呼び方も止めろ。名前でいい」
「そういうわけには…」
なんてとんでもないことを。一国の王子を呼び捨てとか、私を打ち首にしたいのか。アンタは。
「呼べ」
一歩も引かない殿下。頑固さは人一倍…どころか百倍だね。
溜息が止まらない私は、観念したように彼の名を口にしようとして――
「………あれ?」
そういえば、殿下の名前って何?聞いたこと、あったっけ?
沈黙を守る私に、殿下の眉間の間隔がどんどん狭まって行く。
うおおおおおッ!!黒色が濃度を増していってる!!!
「…………おい、まさか。知らないとか言わんだろうな?」
「は、あは?あははは…」
もう、笑うしかないじゃん。
「信じられん」
目頭に指を添え、溜息をつく殿下。
って、アンタ!私に自己紹介したことあったかッ!?無いよね?皆、殿下って呼んでるし、教えてももらってないのに、分かるわけないだろッ!!
「イグネイシャスだ」
「は?え…?い、いぐね?」
唐突に発せられ、聞き逃した。どっかの方言みたいになったし。
「イグネイシャス。それが俺の名だ」
「イグネイシャス殿下?」
「殿下はいらん」
「そ、そんな訳には…」
流石に本当の呼び捨てはまずいだろう。敬称は付けねば。
「……」
む、無言の圧力。Yesと答えるまで鋭い視線は外れないのだろう。今だけ、今だけ呼び捨てすればいいだろう。
「わ、分かりました。イ、イグネイシャス…」
「敬語もいらん」
「で、でも。殿下に溜口とかは、宜しくないかと…無理です」
私の返答に、殿下は溜息を吐いた。
「二人の時や、アーノルドとクラウス達しかいない時は敬語は抜きだ。いいな」
これ以上の譲歩は受け付けないという態度の彼に、私は折れた。
「…そ、それなら。分かりました。そうします」
「敬語になってる」
「わ、分かった。気を付けま―…気を付ける。で、でもッ!人の居るところでは殿下って呼ぶから。名前の呼び捨ては二人の時だけねッ」
流石に人前で一国の王子の名を呼び捨てなんかしたら、マジで首飛ぶし。早死には御免だ。
「…分かった」
フッと笑って、殿…イグネイシャスはクシャリと、私の頭を撫でた。
その夜、又しても殿下に、間違えた。イグネイシャスにベッドへ引きずられ、一緒に寝ることとなった。
……それにしても、長い。何がって?彼の名前だよ。毎回呼んでたら、いつか絶対噛む。あだ名みたいに、短縮しちゃ駄目かな?
やっぱ不味い?でも、基本短い名前が多い日本人としては、結構苦痛なわけで。
「ね、ねぇ。イグにゃい…」
……早速噛んだよ、このヤロ―。言葉噛むのって、結構。いや、かなり恥ずかしいんだぞッ!
そんでもって、隣で寝ている奴は肩を震わせ笑っている。ムッかつく!
もー怒ったッ!こんな長ったらしい名前、全部呼んでやる必要無いッ!めちゃくちゃ短縮してやる。
「あーッもう!言いにくいッ アンタのことはこれからイグって呼ぶッ!分かったッ?変更は受け付けないから!!」
ふんッと鼻を鳴らす私。
どうだ。めっちゃ短いだろう。聞いて驚け、グレンより短いよ。二文字とか、ペットみたいだ。コイツがペット…うわ、絶対言うこと訊かないよ。ふてぶてしい俺様ペットだ。
無いわーっと首を振ると、突然何かに拘束された。何かって、分かってるよ。イグの嫌味なほど長く程良い筋肉のついた腕ですよ。
「な、何ッ!離れろ変態ッ」
「変態じゃない。イグ、だろ?」
何処か楽しそうな声音に、私は動揺した。
え?嫌味のつもりで、犬みたいな呼び名にしたんだけど。もしかして気に入っちゃったわけ?
ありえん。とブツブツ呟いていると、耳元にイグが囁いてきた。
「俺も、これからはスズと呼ぶ」
ぐあッ!!くすぐったッー! 耳元でしゃべるなッ!!!
「はッ!?何でそうなる?私の名前は別に長くも何ともないけどッ」
「決定だ。スズ、おやすみ」
そう言って、彼は寝息を立ててしまった。当然、私を拘束したまま。
って、結局私もペットみたいな名前付けられたッ!!なんてことッ!
とりあえず、離れろよッ!息苦しいッ!!
腕から抜け出そうと頑張るが、どんだけ力を入れてもビクともしない。粘りに粘ったが、疲れ切った私は結局のところ寝落ちした。