見習い初日
お気に入り登録200件突破!
有難うございます。とても励みになっております!
ここから第二章になります。
やっと話が進む?でしょうか。すみません、気付いたら話がダラダラ長くなってしまいました。もう少し、テキパキ進めていけるよう頑張ります。
今日から見習いとして働く。はず、だった。
「スズラン、集中なさい。それと口を閉じる。女性がそのように締りの無い顔をするなど、はしたないですよ」
右手でペンをくるくる回して、ボーっと頬杖をついていると、窘める声が聞こえた。頬杖を止め、声の方に視線を遣ると、壮年の女性が両手を腰にあて、私を睨んでいた。
彼女の名はリュシエンヌ・オランド。殿下の乳母で、かつては侍女長を勤めていたらしい。今は仕事を引退し、屋敷で夫と老後を楽しんでいたのだが、それも昨日までの話。いや、正確にはもう少し前からこの王宮に訪れていたのかもしれない。
彼女が再び王宮へ戻って来た理由は、言わずもがな、私だ。
リュシエンヌは殿下の命で、私の家庭教師として王宮に来たのだ。
「お前は騎士を目指す以前に、この世界の知識が無さ過ぎる。そんなことでは騎士になどなれはしない。まずは知ることから始めろ」
そう言って、殿下はリュシエンヌを私の家庭教師に呼んだのだ。
無料で勉学を教えてくれるのは非常に有難い。私とて、このまま無知で生きて行けると思う程、お花畑な脳ミソは持ち合せていないのでね。
勉強も、嫌いではない。好きでもないが。
これでも、あちらの高校では首席を取っていたのだ。それなりに勉強はできる。しかし、久しぶりに頭を使って疲れた。
今さらだが、どういう訳か私はこちらの世界で言葉が通じている。本当にこれは不幸中の幸いと言えるだろう。
居るかは知らんが、神様ありがとう。
でもね、神様。出来ればもう少し恩恵を頂きたかった。そうだね、例えば文字も読める。とか。
今、専ら苦戦中の見知らぬ文字を睨みながら、私は唸り声を上げる。
全く、勉強しようにも文字が読めないとは、正直話にならないではないか。この勉強を開始して、初めて自分が文字を読めないことに気が付いた。それを知ったリュシエンヌ先生は、それはそれはご丁寧な程スパルタにみっちり、こちらの文字を叩きこんでくれました。
おかげで、かなり文字が読めるようになりましたけどね。
午前は勉強で丸つぶれだ。流石に疲労を感じる。頭と目、文字を書き続けた手に。
休憩が欲しいというより、動きたい。ずっと椅子に座りっぱなしとか、腰が痛くて敵わん。
老人か、と私は自嘲気味に笑った。
久しぶりに運動がしたい。元の世界では毎朝身体を動かして一日が始まっていた。
ああ、今となってはあの頃が懐かしい。
遠い記憶に思いを馳せ、再び勉強に集中する。
何とか午前のノルマ(リュシエンヌが課したノルマ)をクリアし、昼食を摂ることにした。相変わらず旨過ぎる。
毎日こんな豪華な食事を食べていたら、庶民の味を忘れてしまいそうだ。って、ここの庶民の味知らないし。・・・和食が恋しいなぁ。
似た調味料とか無いかな?あったらお借りして、自分で作りたいのだが。
一瞬、良い案だと思いはしたが、その調味料がある可能性が限りなく低いと思い至り、溜息を零す。少し落ち込んでいても食欲が減ることは無い。知らぬ間にペロリと平らげていた。
勿論、テーブルマナーもしっかり出来ていたぞ。何しろ隣でリュシエンヌ先生が目を光らせていたからね。おおー怖っ!
でも安心した。私の行動は特に指摘されなかった。どうやら私が知るテーブルマナーと、こちらのそれは同じだったらしい。この時ばかりはお嬢様学校に通っていて良かったと、心底思う。
昼食を終え、一時間の休憩を貰った。こちらの一日は二十四時間。一分は六十秒。
地球と同じじゃんっ!
しかし、周りの人種や建物は中世のヨーロッパ風な為外国に来たかのように思うが、それは錯覚。いくら雰囲気がそうであっても、未確認生物はいるは、魔法なんてファンタジーなものは存在するわで、やはりここが地球とは全く違う、異世界なのだと思い知らされる。
どちらに居ようと、天涯孤独の私には関係ないと思っていたが、それは間違いだった。少なくとも地球の日本には友達もいたし、お爺ちゃんとの思い出が詰まった家もある。何より見知った環境だ。何処に何があり、どう行けばよいのか、どのように生活すればいいのか理解している。
しかし、ここは見る物すべてが未知。人までもが未知の世界だ。当然初対面の人間ばかり。
言ってしまえば、私はここでは正真正銘の孤独。なのだ。
「ははっ・・・」
何故か笑いがこぼれた。これは可笑しくて笑ったのか、喪失感故の笑いなのか。恐らく後者だろう。
私は無性に外へ飛び出したい衝動に駆られた。この静かな空間に居ても、この寂しさは紛れない。じっとしていても余計なことばかり考えてしまうだけだ。
身体を動かせば、この寂しさも少しは和らぐだろうか?
一時でもこの不安を忘れたかった。
しかし、どうしようか。リュシエンヌにはここに居るよう言われた。彼女や食事を用意してくれた侍女たちが出ていく時、扉の外には警備なのか、それとも私の監視なのかは分からないが、兵士が二人控えていた。
殿下に命令でもされたのだろうか?私が逃げないように?
昨日あれ程逃げる処など無いと言ったではないか。信用されていないな。
外に出たい。身体を動かしたい。そう思い始めると止まらない。
どうしてもこの部屋から出たくなってしまった。外の兵士に出ていいか聞いてみようかと思ったが、きっと許可は降りないだろう。
リュシエンヌに言っても・・・無理だな。彼女は頭が固そうだ。命令に忠実な気がする。侍女にお願いしてみるか。いやしかし、私の所為で万が一彼女等が叱られたりしたら申し訳が無いな。
そこで私はまた、乾いた笑いをする。
怒られる前提か。
異世界からやって来た、存在が未知数な私。一人で自由に動かれては困るに決まっている。ここは王宮、云わば核なのだ。そんな場で敵かどうかも分らぬ者が、ぷらぷら歩きまわることを許されるはずがない。
そもそも、殿下の傍に居られること自体が不思議なことだ。私がこうして今生きていられるのも、ある意味殿下のお陰でかも。
うん、愚痴ばかり言ってしまったが、もっと感謝すべきか。
ふと、窓を見遣る。
ここは二階。出来なくもない、か。
この方法ならば、こっ酷く怒られるのは私だけのはず。見張りの兵士がとばっちりを受けないと願いつつ、両開きの窓を開けた。
何て気の利いたことだろう。ベランダに出た左真正面に大きな木が。
私は手すりから身を乗り出す。背後からグレンの声が掛かった。
『スズラン?何をする気だ』
「気分転換」
私はにっこり微笑み、首だけグレンに振り返った。
『別に外へ出ることに反対はしないが、もう少し安全な方法は無いのか?』
「だって、こっそり出るにはこれしか無いでしょ。扉から堂々と出れば即ハウスだわ」
『・・・確かにな。本当に大丈夫か?』
グレンは心配そうに私と、これから乗り移るであろう木を見た。
「大丈夫、私木登り得意だから」
そう言って、私は手すりに足を掛けた。グレンは溜息をつき、先に木へ乗り移った。
『気を付けろよ』
私に声をかけ、グレンはトトトンっと、実に軽やかな動きで地面へと降り立った。私も負けじと、まず一番近い太めの枝に乗り移り、そこから幹を伝ってスルスルと降りて行った。
ストンっと着地し、擦れて少し汚れた服を払う。一度伸びをし、大きく新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。そして、ぷはあぁーっ!と一気に吐き出す。
うん、やっぱり外はいいな。
私は満面の笑みで一人頷く。
「グレン、私アグニアスに会いたいんだけど、何処に居るか分かる?」
『奴を単体でと言うなら難しいが、アレは確か厩舎に入れられていたな。竜の気配を多く感じる所ならあっちだ』
そう言って、グレンは北東に顔を向けた。
「よし、じゃあ行こう」
私はグレンの案内を頼りに、アグニアスに会いに行く。随分久しぶりに会う気がしたが、よくよく考えれば昨日ぶりだ。色々起こり過ぎて時間が遅く感じていたのか。
アグニアス、ちゃんと大人しくしてるかな?
会った当初の暴れる姿を思い出し、私の歩調は早まった。
鈴蘭は草叢に身を潜め、前方の様子を窺う。
何となく、何となくね。隠れたかったんだ。だって、雰囲気的に私って場違いじゃん?
目の前には訓練場が広がっている。騎士達が訓練の真っ最中だ。剣術、体術、馬術。その他様々な訓練を行う彼らに私の目は釘付けだ。
羨ましいっ!私も早くあそこに混ざりたい。
疼く体を必死に押さえ込む。今飛び出しても不審者扱いされるだけだ。あれだけ大人数居ればバレないかな?とか思ってみたけど、容姿の違いで即刻気付かれるだろうことは容易に想像できた。
あの中に黒髪もチビも存在しない。
ダメだ、ここから出た瞬間奇異な目を向けられそうだ。
鈴蘭は身を屈め、ほふく前進で草叢を進む。訓練場よりさらに北へ行ったところに、竜の厩舎があるようだ。とにかく、気付かれないよう細心の注意を払って進んだ。
そして、やっとの思いで目的地の厩舎に辿りついた。どうやら周辺に人はいないようである。私はほふく前進を止め、少し身を低くして厩舎の入口へ近づいた。
何だか、スパイみたいだ。人に気づかれないように行動するのって、結構スリリングがあって面白い。
今までに経験したことのないことをやってみて、私は少し興奮した。
物音を立てずに中に入ると、あらビックリ。スパイよろしく、侵入した私に沢山の視線が集まっているじゃないですか。
と言っても、その目は全て竜のものですが。
「あ、どうも。こんにちは」
こんなに視線向けられちゃ、言葉の一つも出ますよ。とりあえず、挨拶しました。
『何用だ、子供』
一番手前の囲いに居た竜が、のっそり体を起こして訊ねる。
私は、首をほぼ九十度傾け、竜を見上げた。
「怪しいものじゃありません。それと子供でもないです。私はアグニアスに会いに来ました」
一息で言い切った鈴蘭を凝視して、竜は不思議そうに首を傾げた。
『今、会話が成立したように思えたが、気のせいか?』
「気のせいじゃ無いですよ。ちゃんと聞こえてます」
隣の囲いに問い掛ける竜に、鈴蘭は微笑んで答えた。それに、竜は大きく目を見開く。
『信じられん。本当に言葉が通じている。お前、人間か?』
「生物学的には確かに人間ですよ」
そう答える鈴蘭に、厩舎の竜たち全員の視線が再び注がれる。入って来た当初の警戒ではなく、興味を示す視線だ。
「私にも理由はさっぱり分からないんですけど、通じてしまうんですよね、言葉が」
鈴蘭は苦笑して肩を竦めた。
こればかりは自分自身不明なのだ。地球に居た時はこんな能力無かった。動物は相変わらず大好きだったが、話せた試しは無い。話したいとは思っていたが。
そう、ずっと憧れていた。何時かテレビで見た、動物と話せる超能力者がすごく羨ましかった。自分も動物と会話してみたいと何度思ったことか。
それが念願かなって、今私は動物、しかも架空生物と話している。
ああ・・・幸せだ。
私は一人喜びを噛み締める。と、そこへ聞き覚えのある声がした。
『スズラン、会いに来てくれたのか?』
声の主に顔を向けると、アグニアスがこちらを見ていた。私はホッと胸を撫で下ろす。
彼の目には理性が溢れている。昨日のような状態では無いようで安心した。
鈴蘭はアグニアスの目の前まで近づく。
「元気にしてた?会えて嬉しいよ」
微笑んでそう言うと、アグニアスが甘えるように喉をグルグル鳴らし、頭をこちらに寄こした。どうやら、撫でろと言うことらしい。
私はクスリと笑い、灰色の鈍く光る鱗を撫でようと手を伸ばした。が、失敗。
敵は油断した時にやって来る。そんな言葉なかったっけ?
「何をしているっ!?」
突然の叫び声に、私は心臓が飛び出るかと思った。反射的に出しかけていた手を引っ込める。
ああ、もう本当。マジでポロッと落とすところでしたよ。危ない危ない。
不意打ちで驚き死にとか、笑えないから。
驚き眼で声のした入口を見る。逆光でよく分からないが、シルエットと先程の声から恐らく男性だろう。表情は見えない。しかし、口調からして穏やかでないのは推測出来る。
ああ、面倒なことになった。
私はとりあえず、この後お叱りを受けることだけは、しっかり理解した。
大人しく部屋に居ればよかった。
これは、アレだよ。アレ。
後悔先に立たず。
人間、なかなか反省しないもんだね。これ、もう何度やらかしたか。
私は男に聞こえないよう、小さく溜息を零した。
イグネイシャス出番無し。
申し訳ない。次、必ず出します。
お待ち下さい。