柔らかな皮膚を切り裂いて
ローザは呪われた地だと他国の者は口をそろえて言う。
何よりも、この地の主、プルトーネ・ローザは近隣の国民からは「悪魔の城主」と呼ばれている。
いや、クレッシェンテ国民でさえ、この領主、薔薇の伯爵を恐れている。
血も涙も無い悪魔と罵るものがいれば、血を啜る魔物だと恐れるものもいる。
しかし、当のローザ伯は大変な臆病者だということは全く知れ渡っていなかった。
「カロンテ」
「はい、プルトーネ様」
「なにやら悲鳴が聞こえるのだがあれは何だ?」
「ファントムからの侵入者を吸血薔薇が切り裂いているところです」
「なっ」
「ええ、それはもう、思いっきり、容赦なく。肌を切り裂き、内臓を抉り、血を吸収して今宵も深紅に染まっております」
「カロンテ、生々しい表現は止めてくれ」
ローザ伯は頭を抱える。
彼の不健康な白い肌はますます青ざめたし、深い青の瞳は憂いに揺れる。
「あの薔薇はなんとかならんのか」
「一応、特産品ですからねぇ。あれがなくなるとローザの収入源が減ります。それに、警備の人間を雇う必要がなくなりますから、多少の悲鳴さえ我慢すれば問題はないかと」
「その悲鳴が問題だ」
ローザ伯はため息を吐く。
「夢に出てくる」
「夢くらい我慢してください。プルトーネ様」
「嫌だ。貴様、我輩がどれだけ不気味な夢を見ているか知らぬからそんなことを言うのだ!」
「それは……プルトーネ様の夢はプルトーネ様だけに許された領域ですから私のようなものには理解できないかと」
カロンテは困ったようにそう言って、書類に目を落とす。
「プルトーネ様、残念なお知らせです」
「何だ?」
「どうも、吸血薔薇を掻い潜って領土に侵入した愚かなファントム兵がいたようで、傭兵がそれを捕らえてしまったようです」
「なっ……ということは……」
「まぁ、法の通りにしなくてはいけませんねぇ」
「誰だ、あんな法を作った愚か者は」
「プルトーネ・ローザ一世ですね。あなたのお父様です」
「……ああ、気が重い」
血を好むと言われるこの伯爵は何よりも争いを嫌った。
「だが、法は守らねば効力を失う」
「ええ、お辛いでしょうが……」
「捕らえた兵は串刺しに。それがローザの法だ。だが……何故我輩が現場に行かねばならんのだ……」
ローザ伯は深い溜息を吐いた。
「そうだ。暗殺者を雇おう」
「は?」
カロンテは思わず自分の主を見た。
「暗殺者なら殺しに慣れている。何も我輩の目の前で極力傷が目立たないように極力悲鳴を上げさせない方法で串刺しにだって出来るはずだ」
こいつは馬鹿だったかもしれない。カロンテはそんなことを一瞬考えてしまった自分を叱咤する。
「プルトーネ様。我らがローザ領にはそのような資金はございません」
「なっ……」
「傭兵を雇うのが精一杯です」
「なんとかならんか?」
「無理です」
ローザ伯はカロンテを見た。
忠実な僕ではあるものの、少しばかり融通が利かないこの男は確かに優秀ではある。
が、それとこの精神の問題は別物だ。
「我輩の精神を安定させるためでもか?」
「法は法です」
「では法を変えよう」
「簡単に言わないで下さい」
「悪逆無道は一度きりで良い」
ローザ伯はそのまま黙り込む。
「ですが、プルトーネ様は国境を守らなくてはなりません」
「分かっている」
ローザは二つの国と隣接する。よって侵略者を抑えるのもまたローザの役割だった。
「生贄は何匹だ?」
「数は三十程です」
「……仕方が無い」
ローザ伯はようやく立ち上がる。
「行くぞ」
「はい」
怯えきった捕虜の元へ「悪魔の城主」とその従者が向かう。
既に彼の震えは無い。
プルトーネ・ローザはクレッシェンテ一の演技力を持って伯爵たる地位を維持しているのだった。