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今は叶わぬ遠い夢



 あの頃、僕は確かに彼女を愛していた。


 僕は、平凡な家庭に憧れていた。


 彼女はその条件にぴったりと当てはまるほど、醜い世界を知らない純粋で、普通の生活をしていた。



「また仕事ですか?」

「ええ、そう。今度のは凄いの」

「凄いってどう凄いんですか?」

 いつも以上に得意げに鋏を持つ彼女に思わず笑う。

「伯爵の婚礼装束を作らせていただくのよ。凄いでしょ?」

「平民だろうと貴族だろうと僕には関係のない話です」

「あら、酷い。私みたいな平民にとってはとても名誉なことよ? カメーリア伯はとても綺麗な方なの」

「へぇ、妬けますね」

「冗談ばっかり」

「妬いてます。貴女が僕以外を褒めるのは気に入りません」

 貴族なんてろくな連中が居ないに決まってる。スペードやウラーノみたいな変態しか居ない。メルクーリオ・ロートにいたっては変態を通り越して奇人だ。

 彼は貴族と言うより奇族だろうに。

 心の中で毒吐いていると、彼女の鋏が止まる。

「どうしました?」

「いいえ、でも」

 彼女は何かを言いかける。

「何です?」

「……貴方が結婚するときは、私に装束を作らせて下さる?」

「そうですね、そんな機会があればお願いしましょう」

「絶対よ。私、いつかこの国で一番の仕立て屋になるんだから」

 そう言うと彼女は再び生地を裁つ。

「それにしても、赤い装束なんですね」

「ええ。カメーリア伯は白、ご婦人には赤。カメーリアの伝統らしいわ」

 ローザなら黒なのだけど、と彼女は言う。

「ムゲットではどうなのかしら?」

「色に決まりはありませんね。ただ、うざったいほど頭に花を乗せられるらしいですよ。僕も見たことはありませんが」

 庶民の婚礼は貴族のものを真似したものになる。

 ムゲットでは国王の真似だ。

 そんな真似事に意味を見出せないが、女性はどうもそう言った規則ごとが好きらしい。

「貴女は、どの地方の装束が好きですか?」

「私? そうね……ローザの漆黒も素敵だけど、アザレーアの異国風のシルエットも素敵だと思うわ」

「アザレーア、ですか。僕はまだあの地に行ったことはありませんが、どんな場所です?」

「静かな場所よ。何もないのだけど。どこを見ても畑や牧場ばかり。でも、この国は他国と比べて実りが悪いわ」

「ええ、雨が降りすぎる」

 すぐに川が溢れて水害に遭う。

「けれどもアザレーアは強い。最近堤を護る新しい魔術が開発されたらしいわ」

「へぇ、僕は魔術師じゃないので詳しくは分かりませんが、魔術の開発ってやっぱり大変なんですかね?」

「と思うわ。私もただの仕立て屋だもの。魔術は全然」

 そう言う彼女は今時珍しいほどすべてを手作業で済ませてしまう。

 一切魔術に頼らない。

 これだけ魔術が溢れかえった世界で魔術を一切使わない。そこが僕には好ましい。

「貴女は魔術師になりたいとは?」

「思わないわ」

「何故?」

「だって、つまらないでしょ?」

 彼女はそう言って笑う。

 手には鋏。

 ずっと、彼女が鋏を動かす音が続く気がした。





「サラス?」

 

 鋏を動かす音がする。

 体が重い。

 首だけ動かして横を見れば朔夜が布を裁っている。

「朔夜?」

「あら、おはようございます。セシリオ」

「おはようございます……何をしているんですか?」

「どこかの誰かさんがまたシーツを裂いてくださったので、なんとか再利用しようと考えているところです」

 そう朔夜が布を見せると確かに玻璃の部屋に置いていたはずのシーツだ。

「何をしたんですか?」

「寝ぼけてジャスパーに攻撃を仕掛けてジャスパーがうっかり正当防衛を。あの子、ずーっと謝り続けて玻璃ちゃんに逃げられちゃったの。で、ナイフが刺さった痕を利用して何か作れないかと」

「……部屋着でも作ります? 涼しそうです」

「……あーあ、私は仕立て屋じゃないのに。どうしていっつもこういう仕事が回ってくるのかしら」

 朔夜はわざとらしく溜息を吐く。

 まさか、夢を覗かれた?

「朔夜、僕の夢を覗きませんでしたか?」

「覗かなくても勝手に流れてきます」

 ……この子は。

「貴女も、寝ていたんですか?」

「刺繍をしていたらついうとうとと」

 厄介な能力だ。

 魔力がまったく無いのも、ありすぎるのも問題だ。

「浮気じゃありませんよ?」

 おそるおそる言ってみる。

 けれど、朔夜がそれを気にする様子は無い。

「したければどうぞご勝手に。私は別に構いません」

 顔色ひとつ変えずに手だけ動かしていく。

 その姿が夢の中の彼女と重なる。

 そう、良く似ている。

 彼女と朔夜は。

「彼女と出会ったのは既に四百年以上前です」

「そう」

「そして四百年以上前に彼女は死んでいます」

「……そう」

 朔夜は何も聞かない。

 この子はいつだってそう。

 聞きたくても聞かない。聞きたくなくても聞く。

 ただ、僕の反応を待っている。

「彼女は僕が殺しました」

 そう、告げれば朔夜は一瞬目を見開く。

 そして「そうですか」と一言。

 手はただ鋏を動かしている。

 鋏の音が響く。

「セシリオは……」

「はい?」

「セシリオは、その人を愛していましたか?」

「え?」

 一体何を聞くのだろう。

 いや、この子がこの類の質問をすること自体が珍しい。

「そうですね、愛していました。かつては」

 あの頃は。

 今は既に……いや、今も変わらないかもしれない。

「そうですか。安心しました」

「え?」

「ずっと忘れないでください」

 朔夜はまっすぐ僕を見た。

 この、鳶色の瞳さえ、彼女と重なるようだ。

「ずっと彼女を忘れないでください」

 何故朔夜がそんなことを言ったのか理解できない。

 けれども、僕が朔夜に彼女の面影を求めていることは確かだ。

「貴女はそれで?」

「ええ。だって……」

 朔夜はそれ以上言わない。

 ああ、そうだ。

 貴女の愛した人は僕が殺した。僕が殺させた。

「忘れたくない?」

「私は、死んだ後もセシリオに忘れられたくありませんから」

 朔夜は鋏を止めた。

「どこかに人形があったはずなのだけど……」

「ああ、それなら屋根裏に」

「そう、じゃあ、屋根裏で作業をするわ」

 慌てて片づけをはじめる朔夜がおかしい。

 見れば僅かに顔が赤い。

「朔夜」

 部屋を出ようとした朔夜を引き止める。

「はい?」

「僕は、貴女を死なせるつもりがありませんし、たとえ死んでも手放すつもりはありません」

 言葉の意味を理解するまでに少し時間が掛かったようだ。

「馬鹿なことを言わないでください」

 たった一言。それから出てしまう。


 かつて愛した彼女と、愛しい娘であったはずの朔夜が重なって。

 そては歳を重ねるごとに増して。

 いつしか彼女は朔夜で、朔夜が彼女なのではないかと思えた。


 今、僕はそれなりの幸せを手にしている。

 けれど、これがかつて夢見た平凡かと言えば少し違う気もする。


 結局、普通じゃない人間が普通の幸せを手にしようなどということは無理だったのかもしれない。

 それでも。

 僕は決して今の現状を不満とは思っていない。

 この微温湯を心地よいとさえ感じてしまうのだ。

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