秘密の色
「ラファエラ・ガット、僕と結婚してくれないか?」
「その名で呼ぶな!」
思わず叫んで、それから目の前の男が妙な事を言ったことに気がついた。
「お、おい……ユリウス、今、何て言った?」
「僕の事はジルと呼べといつも言っているはずだけど? まぁいい。今日は見逃してあげるよ。ラファエラ・ガット、僕と結婚してくれないか?」
「は? 気でも狂ったか?」
ありえない。
どこかに頭を強打したに違いない。
それともカトラスAに術でも掛けられたか? とにかくありえない。
「いや、正気だよ。言い方が悪かったかもしれない。率直に言おう。助けてくれ」
「は?」
何が言いたいのかさっぱり理解できない。
「ヴェーヌス・オルテーンシアを黙らせる方法を探しているんだ」
「あ、ああ……成程」
納得した。
誰でもいいから妻を持って言い訳を作りたいのだ。この男は。
「で? 何故私に言う? カァーネに言え、カァーネに。あの子はいいぞ。私が嫁に欲しいくらいだ。手先は器用、何気に料理も旨い。言いたいことははっきり言う。最高だ」
「カァーネは口煩くてダメだ。それに」
ユリウスは一瞬目を逸らす。
どうせろくでもないことを考えているに違いない。
「それに、君の方が可愛い」
「は?」
幻聴だ。
そうに違いない。
頼むから誰がそう言ってくれ。
「君はとても可愛い。ラファエラ・ガット」
「だーかーらーっ! その名前で呼ぶな! 気色悪い!」
名前を呼ばれるのも不快だが、何よりこいつの頭が心配だ。
どうしたというのだ。ユリウスよ。
「前から思っていたんだ。君は中々魅力的な女性だと」
「お前、頭大丈夫か?」
「残念ながら正常だよ。ラファエラ」
それは本当に残念だ。
「それで? 君の答えは」
「ふ・ざ・け・る・な」
とりあえずこいつをラウレルに連れて行こう。
それがいい。
「君に拒否権なんてあると思ってるの? 君、僕の部下なんだよ?」
「……ちょっと待て、それを職権乱用と言わないか?」
「地位なんて乱用するためにあるに決まってるじゃないか」
涼しい顔で言いやがる。
「お前……最低だな」
「いい響きだよ。とりあえず逃げないように捕獲しておこうか。頷くまで僕の部屋でじっくりあの女の恐ろしさを語ってあげるよ」
「いらん!」
求婚しておいて他の女の話しをするとかありえないだろ。
それ以前に私は男の相手なんて嫌だ。
「私はカァーネのような理想的な嫁を貰うとだな」
「構わないよ。君が僕の妻になるという事実さえあれば君が他に何人夫を持とうが嫁を貰おうが僕は構わない」
「……それもどうかと思うが?」
つまり枠を埋めたいだけだろう。
「あー、あれだ。陛下の許可が必要だろう? 私もお前も一応騎士団の最高幹部だからな」
ユリウスに至っては騎士団長だ。新米や下部とは話が違う。
「それならもう取ったよ」
「は?」
「祝福してくださるそうだ」
「陛下……そんな……私は地の果てまで、冥府の果てまで陛下にお供すると誓ったのに……」
「別に僕の妻になったからと言って君の仕事内容が変わったりはしない」
「そう、なのか?」
「ああ、むしろ君が陛下の護衛に居ない方が問題だ」
そうか。
私の仕事は今まで通り。
それなら悪くないかもしれない。
そう思った瞬間、手首に冷たい感触。
「……ユリウス……貴様……殺すぞ?」
「君には僕を殺せないさ」
余裕の笑み。
腹が立つ。だが、徐々に壁際に追い詰められているのも事実だ。
「それで? 頷かないなら、このままあの女の恐怖を語ってあげるけど?」
「いらん!」
オルテーンシア伯がいかれているのは昔からだ。気にならん。
「そこまで嫌かい?」
途端に憂いを含んだ目で見つめられる。
ずるい。
私がその顔に弱いことを知った上でこの男はやっている気がする。
「別に、断るとは言っていない」
「本当かい?」
心から嬉しそうだ。
この男が笑う姿を最後に見たのはいつだっただろうか?
随分懐かしい表情のように思える。
「私は嘘や不正が嫌いだ」
「ああ、そうだね。嬉しいよ。ラファエラ。これで君を守るという名目でヴェーヌス・オルテーンシアに攻撃を仕掛けることも可能だ」
「は?」
聞いてはいけない言葉を聞いたかも知れない。
「お前、仮にも伯爵だぞ?」
「構わないさ。14代王が残した法によれば、『いかなる状況でも妻を最優先させよ』というものがある。利用しない手は無い」
ああ、あの恐妻家で有名な王ね。
まさかそんなものまであったとは。
「廃止になったが『週に一度は妻に貢げ』とかそんな法ばかり作っていた王だろう?」
「ああ。けど、あの法は残っている」
「良く調べたな」
「はははははっ、ははっ、あの女を黙らせるためならどんな手段でも使ってやるさ」
ダメだ。壊れた。
「何? ユリウスは私にダーリン、とか呼んで欲しいわけ?」
「止めてくれ。寒気がする」
どうせあの女がそう呼んでいたに違いない。
「ふぅん。まぁ、用件は済んだだろう? 私はこれから陛下の新しい帽子を発注しに行かねばならない」
「それ、君がやる必要ある?」
「陛下の納得するものを仕上げさせるためには職人を監視せねばならんからな」
「ふぅん。それは他の奴にやらせるよ。今日くらいは二人で過ごそう」
「は?」
ダメだ。
誰だ。ユリウスをここまで壊した奴は。
オルテーンシア伯か? 詐欺師か?
「決まったのだから直ぐにでも入籍してしまおう。窓の外にあの女の気配がする気がするけど、気のせいだ。気のせい。そうだ。そう言ってくれラファエラ」
必死だ。
怖いくらい必死だ。
私まで窓の外を見るのが怖くなったじゃないか。
窓の外を見てみれば、微かにワイン色の光が見えるほかはいつもと変わらない。
きっと妖精でも飛んでいるのだ。
そう思っておこう。
「ああ、気のせいだ。外には何も居ない。居たとしても妖精だ。気にするな」
「妖精? 王宮にそんなものが入れるはずが無いだろう?」
そうだ。
王宮に魔力を持つ人外の生物は入れないはずだ。
だったらあれは何だ?
「まさか……」
「考えるな。僕は何も聞かなかった。君は何も見なかった。それより、祝言はどうする? 君の好きなようにさせてあげるよ」
「……いや、いらん。それより早く陛下の帽子をだな」
「白いドレスも良いけど、深い藍も似合いそうだ。折角だから盛大にやろう。それこそ王都の外へ、国中に知れ渡るほど盛大に。ああ、ローザ伯に見立ててもらうかい? 彼は中々趣味が良い」
ダメだ、必死に現実逃避している。
「ユリウス、私は……お前に任せる。好きなように計画を立ててくれ」
諦めるしかなさそうだ。
「明日は休みだろう?」
「あ、ああ……カァーネの部屋に行く予定だった」
「折角だから二人で出かけない? 美味しい店を見つけたんだ」
「そ、そうか……」
怖い。
これはユリウスではない別人に違いない。
背後から殺気を感じる。
何か居る。
けれどもユリウスは気付かない不利を続ける。
「まさかとは思うがあれがオルテーンシア伯か?」
小声で訊ねる。
「ああ……ラファエラ、なんとか出来ない?」
「無理だ。私には彼女に攻撃する権限は無い。陛下に危害が加わらない限り」
「王宮不法侵入罪で何とかならないかな?」
「後宮でなければ適応外だろ?」
「……逃げよう」
「は?」
「いや、むしろ、君の部屋に泊めてくれないか?」
いや、何を言っているんだこの男は。
「あの女、寝込みを襲いに来る」
ありえない。
なんて行動的な人だ。
「……カァーネの部屋に避難させてもらう」
「一人だけずるいじゃないか」
「元はと言えばお前の責任だ」
「僕と君は運命共同体だろう?」
手錠の鎖を見せられる。
物理的な意味かよ。
「ユリウス……」
腹が立つ。
何か驚かせることは出来ないか。
そう思ったら、身体が勝手に動いてユリウスの襟を掴んでいた。
「これからよろしく、ダーリン」
頬にキスしてやる。
案の定固まった。
意外と免疫の無い男だ。
いや、強まった殺気を感じたのだろうか。
「何時まで固まってるんだ。逃げるぞ。後宮に入ればこっちのものだ」
陛下のお昼寝の邪魔をするわけにはいかないが、衣裳部屋に逃げ込むことは可能のはずだ。
「ラファエラ、君……僕のこと、好きなの?」
「は? 寝言は寝て言え。って、今寝るなよ? お前が奴に捕まれば私は間違いなく殺される。そんな気がする」
傍から見れば滑稽だ。
手錠で繋がれた男女が必死になって一人の女から逃げ回っているなんて。
けれども私達は必死だ。
命が掛かっている。
「ラファエラ」
「何だ?」
「指輪、渡し忘れてた」
「は?」
「本当は最初に渡すつもりだったんだ」
そう言って、ユリウスは鎖で繋がれている私の手を掴んで、指を撫でる。
流れる動作で薬指に指輪がはめられる。
「……なんでサイズ知ってんだよ」
「陛下の着せ替え遊びのお蔭だよ」
ああ。納得。
そういえば陛下に着せ替えされるときに指輪も色々試された。
「お前、オルテーンシア伯とお似合いだよ」
「嫌だ」
「行動が似ているぞ」
からかうように言えば溜息を吐かれる。
まったく、溜息を吐きたいのはこっちだよ。
迷惑な男だ。
その上酷く格好悪い。
カァーネに声を掛けなかったのはこれが原因か。
「懐かしいな」
「何が?」
「昔もアルジズ騎士団長に隠れて何かやるときは必ず私のところに来ただろう」
「……ああ」
「二人だけの秘密、随分増えたな」
「ああ。だから、君にしか見せない」
「は?」
「僕が弱味を見せるのは君だけだ」
まるで恋愛劇を観る気分だ。
この男の口からそんな言葉が出るなんて。
「恐ろしい人だ」
「え?」
「オルテーンシア伯だよ」
後数歩で、後宮だ。
安全が保障されている。
いや、保障されているのは戦闘開始権限か。
「ラミエル!」
ユリウスが赤毛の役立たずを見つけて叫ぶ。
「は、はいっ!」
「僕達が通ったら扉を閉めろ」
「はい! って何かありましたか?」
呑気だ。
だから使えない。
「「非常事態だ」」
気付けば同時に口にした。
哀しいかな。
同期なだけあって、行動が似ている。
似てしまった。
まぁ、かつては同じ人の部下だったのだ。
きっと彼の癖を受け継いだのだろう。
そう言うことにしておこう。
後数歩。
安全が確保される。
そう思うと酷く安堵した。