軋む身体
年齢を感じない身体とはいえ、老いはあるのだろうか。
どうも最近、身体が鈍っている気がする。
「朔夜」
「はい」
「ちょっと鍛錬に付き合ってください」
「嫌です」
養女に頼めば全力で嫌な顔をされ断られる。
「何故です?」
「まだ死にたくありません」
「おや、珍しく弱気な発言ですね。僕が貴女を殺すと?」
「マスター、最近腕が鈍ったのでは? とシルバが言っていましたよ」
朔夜はそう言って本を閉じて立ち上がる。
手は微かに鞭に伸びているのでいつナイフが飛んでも良い様にという覚悟だろう。
「シルバがねぇ。あれに言われるのは少しばかりムカつきますね。シルバにしましょう。今日の相手は」
僕の腕が鈍った?
シルバにだけは言われたくありません。
「マスター、そこどいてください」
「ん?」
慌てた様子でシルバが走ってくる。
「家の中で走り回らないで下さい」
「直ぐ避けて! 玻璃! それは反則だ!」
シルバは何かから逃げている。
それを目視して、咄嗟に左に避けた。
朔夜は何事も無かったかのように本を開き始めるが、朔夜以外そんなことはできまい。
「玻璃ちゃん、亡者は仕舞って猫は元の場所に戻してきなさい」
冷静すぎる姉に玻璃は少しばかり不満そうだ。
「猫、飼っちゃ駄目?」
「駄目よ。シルバ、貴方も一緒に猫を戻してきて頂戴」
武器を構える気さえ起きないらしい。
部屋中をなにやら黒いもやが覆って猫たちが怯えたように鳴いている。
「玻璃ちゃん、瘴気も駄目よ」
「はぁい」
不満そうに返事をした玻璃が猫を何匹か抱きかかえる。
「シルバ、これは?」
「すみません。玻璃と遊ぶ約束をしていたのですが、五分ほど遅刻したせいで、玻璃が大量の猫を集めていまして……それに向かって亡者をけしかけて遊んでいました」
そしてシルバも巻き込まれたと。
「あれはどこから来るんですかねぇ?」
亡者。
腕や頭しかない黒い塊。
触れると呪詛に【感染】するらしい。
あれが通った後はしばらく草木が育たないだとか、不幸を撒き散らすだとかとにかく色々言われているが、真相は分からない。
「あの呪詛、なんとかなりませんか?」
「さぁ? 僕は暗殺者であって魔術師ではないので。まぁ、今度スペードにでも聞いてみますか。気が向けば」
瑠璃は言霊使いだとか魔女が言っていた気もするが、僕には関係の無いことだ。
「マスター、玻璃ちゃんに相手をしてもらったら?」
「名案です。玻璃、手合わせしませんか?」
「うん」
嬉しそうな声で返事をする。
「じゃあ、俺は朔夜ちゃんに肩でも揉んで貰おうかな? いやぁ、歳かな。肩こりが酷くてね」
「貴方が歳なら僕は何ですか?」
「マスターは化け物でしょう?」
「貴方に言われると何故か腹が立ちます」
本当に。
そもそも何故朔夜を指名するのか理解できない。
「で? 朔夜ちゃんのお返事は?」
任務以外は極めておどけて過ごすのがシルバだが、腹が立つ。
朔夜や玻璃が僕以外に懐くのも気に入らない。
「構いませんよ。座ってくださいな」
朔夜は本を閉じてシルバを見る。
「何読んでたの?」
「聖典です」
「飽きないねぇ」
朔夜がシルバの肩に触れる。
今すぐ殺してやりたい衝動に駆られる。
「マスター、遊ばないの?」
玻璃に上着を引っ張られた。
「ええ、今行きます。武器はどうします?」
「ナイフ」
「本数は?」
「うーんとね、えーっと、いち、に、さん、ご、なな、はち、じゅう!」
「……数えられていませんね。指と同じ数で良いですか?」
「うん」
全く、何度教えても玻璃は数字を覚えない。
「マスター、気をつけてくださいよ。玻璃は随分強くなりましたから」
「僕が負けるとでも?」
「マスター腕が鈍ってきたでしょう? そろそろ危ういかもしれませんよ」
シルバはからかうように言う。
結局こいつは玻璃が可愛くて仕方が無い。
僕と同じ親の立場のつもりなのだろう。
気に入らない。
「何度教えても玻璃は4,6,9を抜かして数えます。意図的なものだと思いますか?」
「多分。まぁ、玻璃が何を考えているかなんて玻璃にしか分かりませんよ」
シルバは心地よさそうに朔夜に続きを催促しながら答える。
「マスター、玻璃ちゃん、鍛錬なら外でやって頂戴。この前も食器棚を全滅させたでしょう?」
「ははっ、朔夜は母親みたいだね」
「シルバ、どういう意味かしら?」
「いや、そう見えただけだよ」
朔夜が珍しくシルバを睨んでいる。
まだ子供だと主張したいのだろう。
甘えん坊で困る。
大人扱いを嫌うおかしな子だ。
「朔夜に怒られます。外に出ましょうか」
「はぁい」
素直な返事を聞いて、玻璃を庭に出す。
朔夜を見ればまだ少しばかり不機嫌そうだ。
「朔夜」
「はい」
「夕食の材料を買いに行ってもらえますか」
「はい。何を買ってきますか?」
「そうですね、芋と林檎と、あとは任せます」
「……献立が予測できません」
「朔夜に任せます」
「困ります」
「困ってください」
どうも、朔夜を見ると苛めたくなるようだ。
いや、シルバにばかり構っている朔夜を見ると、と言う方が正しいかもしれない。
「マスター、まだ?」
「今行きますよ」
張り切っている玻璃の方へ足だけ向ける。
「ああ、朔夜」
「はい?」
「シルバの夕食は要りません。今夜から長期任務に行ってもらいます」
「え? 聞いてませんよ」
「今決めましたから」
「……勘弁して下さい。玻璃と全力で遊んだ後に任務って、俺に死ねと?」
「構いませんよ?」
そう言ってやればシルバは慌てる。
面白い。
「玻璃、今度一緒にシルバの首を取る遊びをしませんか?」
「それ、楽しい?」
「ええ、きっと」
玻璃は遊びたいだけ。
僕は苛めたいだけ。
老いたせいか少しばかり陰湿になったような気もする。
「玻璃は、シルバが好きですか?」
「うん」
ナイフをぶつけ合いながら、普通の会話。
いや、嫉妬しているのかもしれない。
火花が散る。
「でも」
「ん?」
「マスターも好き」
好き、という言葉と同時にナイフが飛ぶ。
「……玻璃、言葉と行動が一致していません」
殺気が篭っていた。
「大好きだから、本気」
玻璃の周りに呪詛が集まる。
玻璃に愛されるものはきっと不幸になるだろう。
その不幸に耐えて尚、玻璃を愛せるものでないと玻璃を嫁には行かせられない。
なんて随分気の早い話だ。
「では、シルバには本気ではない?」
「本気。でも、本気になると怒られる」
「それはシルバの実力不足です」
ナイフが玻璃の頬を掠める。はずだったが、綺麗に弾き飛ばされた。
「強くなりましたね」
「本当?」
嬉しそうな顔。
「ええ、本当です」
答えた瞬間、腕に衝撃。
玻璃のナイフを受けたはずが腕が痺れる。
「本当に、強くなりました」
もう片方の手でナイフを飛ばせば綺麗に弾かれた。
負けるかもしれない。
この娘に。
確かに腕は鈍っているらしい。
「でも、まだまだです」
加減する余裕は無いが、敗北は無い。
玻璃の喉にナイフを突きつける。
「僕の勝ちです」
「うん」
実戦なら死んでいる状態。
なのに玻璃は嬉しそうだ。
「玻璃?」
「やっぱりマスター凄い」
心からの敬意を感じる。
玻璃もこういうことを考えるのかと少しだけ驚いた。
「玻璃は今、誰が一番好きですか?」
意地悪な質問をしてみる。
けれど、どう答えるかが気になる。
「んーっとね、朔夜と瑠璃とシルバとマスターと、えっとね、えっとね」
答えが出ない。
「一番を聞きました」
「分からない。みんな好き」
みんな好き、ということは、今挙げた中の誰か一人を殺せと言えば殺せないということだろうか?
まぁ、幸い今回は全員身内だ。
けれども、もし、この子がで敵を愛してしまえば、どうなろうだろう。
溜息が出る。
「マスター?」
「いえ、僕も歳を取ったのは事実のようです。何時までも若いつもりではいられませんね。ああ、肩が凝った」
わざとらしく言えば「薬草貼る?」と心配そうに見上げるものだから可愛い。
どうやら僕は身内には甘いらしい。
どうしたものか。
こんなにも多くの弱点を作ってしまうなんて。
歳は取りたくないものだ。