塞がらない傷口
カァーネの部屋に行くのは久しぶりだ。
あの子の部屋は何時だって綺麗に片付いていて、生活感が薄い。
無駄なものは殆ど無い。
最低限必要な家具と、最低限必要な食器、裁縫箱、それに本当に必要なだけの普段着と制服しかない。
ただ、最近はそこに編み物の道具が加わる。
「カァーネ、居るか?」
「はい」
「悪い、タイツを編み直して貰えるか?」
「また、か?」
捨てろよとカァーネに言われるが経費削減のためだ。
陛下の「着せ替え遊び」のおかげで国庫は痛手を負っている。
「このタイツは柄が繊細でな。陛下のお気に入りのなんとかという職人が一年掛けて編んだものらしい。まぁ、カァーネなら直せると思って持ってきたわけだが」
「……この程度で一年も掛けた? その職人直ぐに辞めさせるべきだ」
カァーネが不快そうな顔をする。
やはりこの子は優秀だ。
「さすが、裁縫試験で受かっただけのことはあるね」
「……ラファエラ、思ったのだがあの採用基準は変わらんのか?」
あの最終試験のせいで優秀な志望者を失っている気がするとカァーネは言う。
「ユリウスに言え。尤も、私とユリウスが壊滅的に家事能力が無いがためにあの試験が出来たのだが……そのおかげでお前のような優秀な部下を持つことができた。うん。素晴らしい試験だ」
「ラファエラ……ラミエルが残れたことに驚いてくれ」
「掃除がうまい。それこそ死体まで綺麗にする。血の一滴も残さない。ということは宮廷内を汚さない。陛下に快適に過ごして頂く為に必要な人材だ」
「ポーチェは?」
「あれは情報処理能力は極めて高いが、自分のスカートの長さを理解していないだけだ。それに、陛下のお茶の時間には欠かせない」
「まぁ、それは認めるが……奴が壊した大理石の数と比べてどうかと思うぞ?」
カァーネはタイツを見ながら言う。
「珍しいな。お前がそんなことを言うなんて」
「そうか? 夜までには仕上げれそうだな。一度帰るか?」
「いや、お前の腕を見せてもらおう。それで? 何か思うことでもあったか?」
道具を取り出しタイツの修繕を始めたカァーネを見れば、溜息を吐かれる。
「一緒に受験した男が中々良い筋をしていた。勿体無いと思ってな。奴は言っていたぞ。試験内容が裁縫でなく料理なら私に勝てたとな。今じゃ奴もこの国に名を轟かせる優れた護衛だ」
カァーネは心底残念そうに言う。
「あんなにも優秀な男を他に取られるなど……惜しいと思ってな」
「あの年は本当に訓練服が足りなくなるほど痛んでいてな、直ぐに修繕できる人材が欲しかった」
「……国庫が傾いていたのは昔からだと?」
「カァーネが来てから少し盛り返した」
本当に優秀だったのは裁縫の腕ではない。
予算案の立て直しは素晴らしかった。
「ユリウスだってお前のことをかなり気に入っている」
「ユリウスが?」
「はっきり意見を言える部下は重宝する」
試験課題は立て直すか。
この子が其処まで気にしていたとは思わなかった。
「相変わらず生活感の薄い部屋だ」
「休日以外は殆ど監獄で過ごすからな。監獄の部屋も寝るだけだ」
「あそこで寝られるお前の精神力に驚くよ」
憎き詐欺師にも洗脳されずに耐えたこの子は素晴らしい人材だった。
発狂しても尚、陛下の為に舞い戻ったのだから。
「皮肉なものだな」
「ん?」
「いや、あの馬鹿が私に新しい才能を見つけさせた」
「ああ」
本当に、編み物の才能を開花させたのは間違いなくあの男だろう。
一体私が見なかったあの数日にカァーネに何をしてくれたのだろう?
「カァーネ、訊いても良いか?」
「何だ?」
「あの詐欺師に何をされた?」
「……」
カァーネは黙り込み、そして頭を抱える。
「すまん。何も覚えていない」
「……そうか」
言いたくないのかとも思ったが、そうではない。
この子は馬鹿正直だ。
嘘なんか吐けない。吐いても直ぐに分かってしまうような可愛い嘘だ。
おそらくは、本当に何も覚えていないのだろう。
「カァーネ」
「ん?」
「お前、可愛いな」
「は?」
「陛下の着替え遊びを交代しないか?」
「は?」
カァーネは呆れたように私を見る。
「もううんざりしてきた」
陛下の為なら耐えるが、それでも私も人形役は飽きてきた。
「たまには戦闘に行きたいのだが、陛下の下さった衣装を駄目にするようなことがあってはなぁ、だから代われ」
「それは陛下の意思に反するのでは?」
カァーネはもう、なにも聞かなかったという態度で、魔法のようにタイツを復元させていく。
「器用だな」
「このために選ばれたのだろう?」
そう、手先の器用さだけでこの子は選ばれた。
忠誠心などは後からどうにでもなるが才能だけは話が別だ。
「我々は才能だけで選ばれる。個人の思想や性格は無視だ」
「そういえば、ラファエラは何故選ばれたんだ?」
「私は陛下から直接お声を頂いた」
「え?」
「髪の色が気に入ったから来いと」
「嘘だろ?」
「ああ、嘘だ」
言える筈が無かろう。
私達の試験内容が「人形劇」だったなど。
「言っておくが、私はユリウスと全く同じ試験内容で受かっている」
「ユリウスから聞けと?」
「奴も言わないだろうがな」
幼い陛下を満足させる。それが目的だった。
「宮廷騎士に一番求められることは戦闘能力の高さでも知識量でも無い。いかに陛下に快適に過ごしていただけるか、いかに陛下にお喜び頂けるかだ」
「それを判断するのは?」
「その時の宮廷騎士団長とその補佐だな」
「なら結局私を選んだのはユリウスとラファエラか」
「大当たりだった」
笑って見せれば溜息を吐かれる。
「直った」
「早いな。本当に魔法みたいだ」
「これくらい出来なければ宮廷騎士には入れないのだろう?」
「まぁな」
職人芸よりさらに上を求められてもいないのにやってのけるのがこのカァーネだ。
「カァーネ」
「何だ?」
「次の議会で昇給できるように進言しておこう」
「いや、必要ない。すでに使い切れないほど貰っている」
本当に可愛い奴。
欲が無い。
出世欲があるのかと警戒したがそんなことも無かった。
「お前、本当に可愛いな」
「はいはい、用事が済んだら帰れ」
「つれない」
「昇給は要らんから次は茶菓子でも持ってきてくれ。殆ど戻らない部屋だから茶菓子は置いていないんだ」
「ああ、そうしよう」
思わず笑った。
生真面目な部下は真面目くさった顔のまま言うのだ。
ミカエラ・カァーネという女はどこにいても異質で、どこにいても溶け込む。
そんな不思議な女だ。
カァーネの部屋をユリウスは「犬小屋」と呼ぶけれど、私はこの犬小屋が心地よいのかもしれない。
片付いている部屋は多いけれど、カァーネの部屋はその中でも少し異質で、異質だからこそ、私を呼ぶ。そんな気がする。