息が止まるくらい
綺麗な人だと思った。
天使が居るならこんな風だろうと思っていた。
そう、息が止まりそうな程、見入った。
けれど、天使なんかじゃなかった。
悪魔。まさに悪魔と呼ばれるほど、悪逆無道の人だった。
「失敗? そんなもの許されるとでも思っているんですか?」
冷たい目。
何の感情も篭らない目。あえて言うなら侮蔑かもしれない。そんな色を秘めた目で、あの人は任務に失敗した子供を見た。
その直ぐ後には一本のナイフが舞う。
そう、舞うという方が良いくらい美しい動きだった。
美しく舞ったナイフは確実に少年の命を奪った。
どきりとする。
次は私の番かもしれない。
「どうしました? 朔夜」
あの人が私を見る。
「いえ、任務が終わったので報告を」
「もう、終わったのですか? 予想よりも二日も早い。やはり貴女は優秀です。僕の期待通りだ。けれど、玻璃はもっと優秀でしたね。あれは期待以上だ」
嬉しそうに、眠っている玻璃を見て言う目の前の人はつい先程少年を殺した悪魔と同一人物には思えない。
悪魔じゃない。子供。
そう、子供。
玩具を手にした子供にしか見えない。
この人から見れば私達はただの玩具でしかないのかもしれない。
「優秀な貴女にはご褒美をあげましょう」
「え?」
「まぁ、女の子ですからね。たまには良いでしょう?」
手を出すように手で指示される。
言われたままに出せば、手の上に何かを乗せられる。
「これは?」
「鏡です。身だしなみに気を使うんでしょう? 女の子は」
面白そうに彼は言う。
「そう、なんですか?」
「違うんですか?」
つまらないと彼は言う。
理解できない。
私はこの悪魔を理解できない。
殺されるかもしれない。
私はいつだってこの悪魔の傍で命を落とす危機に晒されている。
「普通の感覚は私達にはありませんから」
「それも、そうでしたね。では、朔夜は普通になりなさい」
「はい?」
「普通の女の子、なんて良いんじゃないですか? 仕事の時以外は」
難しい注文だ。
けれども、彼の気まぐれに付き合わなければ次は私が砂先程の少年のように【破棄】される。
ただそれだけ。
この人には何の痛手も無い。
怖い。
足が震えそうだ。
けれども堪えなければいけない。
きっと怯えていることが知られれば、私は用済みにされてしまう。
「可愛気の無い子ですね」
「すみません。そう言ったものを教えていただいたことがないので」
「そこが面白くありません」
不満そうに言われるけれど其処まで完璧に要望に応えることは出来ない。
「善処します」
「別に構いませんよ。朔夜は朔夜ですから」
退屈そうに彼は欠伸をして、それから辺りを見渡す。
「瑠璃が戻りませんね。あの不良娘は何をしているんだか。あんな簡単な任務に失敗するほど弱くも無いでしょうに」
彼は窓を見る。
日が昇る。
それまでに戻ってこなければ失敗ほど悪くないにせよ何らかの制裁を貰う。
「呼び戻しますか?」
「必要ありません。あれが大人しく言うことを利くようにも思えません」
そう言いながら玻璃の髪を撫でる。
綺麗。
この指のしなやかなこと。
多分この指に惹かれた。
だって、この人は良く見ればあの時みたいな輝きはない。
どうしてこの悪魔を天使と間違えたのか既に思い出せない。
「朔夜?」
不思議そうに見られる。
「すみません。懺悔をしてきます」
でも、確かに天使だったかもしれない。
だって、この人は私に言い訳をくれた。
食べるものと着るものと寝る場所だけでも十分なのに、仕事と言い訳をくれた。
「朔夜」
「はい」
「行くならついでに花を買って行ってください」
「え?」
「白い花を買って持って行ってください」
「はい」
悪魔は天使で、神だ。
この人は私の神。
言い訳をくれて、それに真実味を持たせてくれる。
「マスター」
「何です?」
「大好きです」
「は?」
悪魔が固まった。
貴重な瞬間。
呼吸さえ忘れるほど戸惑った悪魔は初めて見た。
「行ってきます」
「え? あ、待ちなさい!」
引き止める声を聞こえない不利をする。
困った子供だと言われたような気もするけれど、それが嬉しいようなくすぐったい感触。
悪魔は天使で神でお父さんで上司で、時々友達。
そう思うと、それほど怖いものでもない気がした。
あのきらめきはきっと期待値だった。
私の期待が満たされたからあのきらめきが見えなくなったんだ。
悪魔と取引をした悪い子を女神様は保護してくれる。
不思議。
けれど、その言い訳をくれる悪魔と女神に救われていることは間違いない。