壱.神隠し奇譚のはじまり
『あき__』
「……まただ」
兄が姿を消してから1週間、その間黄昏時になる度聞こてくる兄、呑太が俺の名前を花の露に染み入るような優しい声で呼ぶ声。
この声を聞くと、懐かしいあの頃の記憶が蘇ってくる__
俺が外のことに興味津々で好奇心旺盛だった頃、その頃の俺は探検というものが好きだった。
よく蝶々を追いかけて森に迷い込んだり、精々子供1人入るのが限界であろう小さな潜り穴に潜っていったりと、よく迷子になっていた。
その度俺は帰り道が分からなくなって、道端でうずくまって泣いていた。
帰れなかったらどうしよう、このまま死んじゃったらどうしようといった不安と恐怖があの頃の俺を支配していた。
そんなぐちゃぐちゃになった負の感情が大粒の涙となって溢れ出す。泣いたってどうにもならないのは幼いながらにはわかっていたが、脳も身体も金縛りにあったかのように動かなかった。そんなとき、
「あき、」
大好きな兄が俺の名前を呼ぶ声が聞こえた気がし、声のする方を見ると、眉を八の字にした淡雪のごとき笑みを浮かべる兄がいた。
「もう、勝手に一人で知らないようなところに行っちゃ駄目だって言ったでしょ?」
「にぃ、ちゃ」
兄が迎えに来てくれた、そう理解した瞬間心の奥に縮こまった恐怖が、春風に揺れる花弁のようにほどけたと同時に、口のほんの少しの隙間から舌先に甘露の残る雫が頬を伝った。
「ほら、おいで……あぁ、こんなに泣きじゃくって」
「ん?腕擦りむいてるじゃないか。私が治してあげるから腕まくって」
そういうと、毒の精霊の加護を受けている兄は俺の腕から転けたときに擦った傷を綺麗さっぱり治してくれた。
「にいちゃの力、すごいね!」
兄のあの力を見たいがためにわざと怪我をして見せにいったときもあったっけ。治してもらう度俺は兄のことをすごいと言うが、それに対し兄はバツが悪そうに、
「……毒は量を間違えてしまうと、人を傷付けてしまう危険なものでもあるんだよ」
そうまるで自分にも言い聞かせているように言う兄の言うことをあの頃の俺は全く理解できなかった。だが、普段柔らかい笑みを浮かべている兄がそのときだけ目を鋭く細め、目を合わせる訳でなく何処かを見つめている兄が少し怖かった。
「さぁ、暗くなる前に一緒に帰ろう」
でも、氷のように酷く冷えきってしまった手を、春のような温かい大きな手で包み込んでくれる兄が大好きだった。
帰り道を見失い右往左往していた俺を、真っ暗な黒い夜道を明るく照らし導いてくれる月のような存在であった兄が大好きだった。
そんな兄は、"神隠し"にあってしまったんだ。
山へ入ったまま帰らない者。神社へ参ったきり戻らない子ども。家を出たまま行方不明になる大人。
随分昔から、そういうことはあったらしい。だが近年、その数が明らかに増えている。
人々はそれを、"神隠し"。こう呼び始めた。
年々増えていく神隠しに、豊葦原瑞穂国を統治する、言わばこの国の頂点に君臨する、八百万政廷が数年前に、"妖異鎮定府"という神隠しにあった者を探し、同時に神隠しの犯人を探し出すという任務を行う組織を設立した。
兄はこの組織に属していたが、俺は印持ちでは無いため加入する権利すら与えられなかった。
この組織には印持ちの者しか加入の権利を与えられない。それはつまり、何を意味をするか___
(考えても無駄なことを考えても仕方ない)
そう、俺は入れない。ただそれだけ。別に入れないからと言って問題はない。
そりゃあ入れたならそっちの方が専門職だしいいには決まっているけど、無理なものは仕方ない。
だから俺は明日から兄を探す旅にでる。
そう思っていたのだが__
「招集符!?どうしてここに……」
その朝。
神社の門に、一通の封書が届けられた。
赤い印の押された、重い封。差出人は、妖異対策府。
胸の奥が、ひやりと冷えた。
中に入っていたのは、一枚の札__招集符。
招集符、まぁ言い換えれば妖異鎮定府に加入できる権利券だ。
しかし、それは本来、“印持ち”だけに届くはずのもの。俺は印持ちじゃない。なのに、なぜ。
(とりあえず開けてみるか……)
開けてみると1番に目に映ったのは、"拝啓、天野 照緒殿"。己の名だった。
読み進めると、そこにはこう記されていた。
"貴殿は陰陽師としての術を持つ稀有な存在である。神隠し事案の急増により、人手が著しく不足している。どうか、その力を貸してほしい。"
「……なるほどな」
思わず、苦笑がこぼれた。
人手不足。それが、答え。
けれど俺にとっては、ちょうどよかった。
兄を探す理由。旅に出る覚悟。
すべてが、この一枚に繋がった気がした。
俺は胸元の御守りを握りしめる。 兄がくれた、大切な御守り。
「今度は俺が迎えに行く番だよ」
妖異対策府の本部へと足を進めていった__




