死を選んだ花嫁②貴族に憧れた聖女の転落
私の父は、王都から離れた場所に領地を持つ男爵家の次男として生を受けた。
王城で文官となる者の多い家系だったが父は特に賢い方ではなかった。
ましてや次男なので、爵位は継げないため早々に騎士団に入団した。
知能のほうは残念だったが、武芸の才能はあったようで、父は若い頃から頭角を現した。
ただ、平時に於いて軍に入ったところで、大した出世は望めず需要もない。
父は賢くはないがずる賢く、教養はないが野心家で、権力欲は人並み以上に強かった。
反対に父の兄はとても賢く、穏やかな理知的な人で、爵位を継ぐのにふさわしい人だった。
私は会うたびに叔父のもとに生まれたかったと思っていた。
叔父には、息子が3人いだけれど、どの人も、叔父に似て穏やかだった。
娘は私一人だったので、叔父夫婦にも父方の祖父母にも大層かわいがってもらった。
マナー講師や家庭教師も叔父が手配してくれたおかげで、私は貴族の娘として育つことが出来た。
なぜ、兄弟でこれほど違うのかと思っていたら、父は妾の子供だった。
父の母は王城で洗濯などを担当する下位のメイドで、出産時に命を落としたそうだ。
祖母もとても心の広い人で、父と叔父を分け隔てなく育てたのに、父は勝手に疎外感を感じていたのだ。
父は自分に爵位が与えられないことを不満に思っていたようで、軍に入ったのは、出世して認められれば騎士爵をもらえるからだった。
一刻も早く出世し、騎士爵を手にする為に、父は手っ取り早く討伐隊に志願した。
そこで10年。
父は討伐隊の責任者になるまでに出世し、討伐隊から騎士団へ栄転になった。
父は騎士団にいるときに、同僚の妹である母に一目ぼれして結婚した。
あれほど爵位に固執していたのに、平民の母を妻にした。
母はとても裕福な家の娘で、お金に困る生活をしたことのない人だ。
権力に固執した父が母と結婚をしたのは母の実家の財力で、いずれ爵位を買う事も視野に入れていたのかもしれない。
母も貴族夫人として生活することを夢見ていたので、権力と名誉の好きな二人はなかなかにいい夫婦だったのだと思う。
もっとも母は貴族とは何かを理解していなくて、騎士爵すらも理解できない人だった。
権力が好きな父にとって一度目の転機は私が生まれたことだ。
両親のまさしくいいところだけを受け着いた子供だった。
周囲でも評判の美人であった母親から受け継いだ淡い銀色の艶やかな髪と白い肌。
祖父や父から受け継いだエメラルドの瞳。
成長するにしたがって、私の美少女ぶりは評判になっていった。
父は私の美しさがあれば、王家とまではいかなくても、伯爵家や侯爵家の目にも止まると考えていたが、爵位のない父では、高位貴族の目に留まる夜会にすら出られないことを大変残念がった。
一方で爵位をついだ男爵位の叔父は、私の美しさに見合う教養をと、お金をかけてくれた。
それに気を良くした両親は、次から次へと金を無心をしたため、叔父たちとは疎遠になりつつあった。
二度目の転機は、父が討伐隊や騎士団での功績から念願の騎士爵と名誉職として北の辺境伯の地位を頂いたのだ。
5年の任期制だが、父にとってはあこがれ続けた爵位を手にしたのだ。
それも祖父や兄より高い地位である辺境伯の。
父は舞い上がっただけではなく傲慢になった。
賢くない人間が権力を手にすると勘違いするのは当然で、自制心など持ち合わせていないから、父が傲慢になっていくのに時間はかからなかった。
同時に、私たち家族の転落の人生が始まった。
父が辺境伯を賜ったのは、私が16才の時だった。
自慢ではないが、順調に美少女として成長していたものの、金の無心をする両親に嫌気がさした男爵である叔父とは完全に疎遠になっていたため社交家界にデビューする後押しを得ることが出来なかった。
この時、私は初めて両親を恨んだ。
ただ、その年、私にとって幸運だったのは、建国記念式典の前年だったことだ。
我が国の建国記念祭には「聖女」を選ぶ風習がある。
伝承の「聖女」のように神の言葉を聞くや、聖なる力を持って何かが出来るわけではない。ただ、伝承の「聖女」に似ている事が条件だった。
基本的には毎回、貴族の令嬢から選ばれて、その後は良縁に結びつく者も多い。
そして、後ろ盾がなくても社交界にデビューできるチャンスを得ることが出来るのだ。
私は、その伝承の聖女と同じ髪の色と瞳を持っていた。
本来なら、私は聖女の選定対象にはならなかったが、父が名誉職とはいえ、辺境伯の地位にいたため、選考にのこったのだ。
私に決まったと王家からの使者が来たとき、父にとっては三度目の転機だったが、私にとっては転落が決まった瞬間だった。
今までにないほど、私の環境は変わった。
王家の使者が訪れてから2週間後、辺境伯領まで騎士団から選ばれた人が来た。
騎士団は貴族階級の良家の子息ばかりで編成されていた。
私は、この時に運命の出会いをした。
騎士団の中でも聖女に使える騎士の役として選ばれたのは侯爵家の嫡男だった。
それは。
それはとても美しい容貌の人で、私は一目で好きになった。
昔から物腰穏やかな叔父が好きだったが、彼は高位貴族特有の優雅さがあった。
立ち居振る舞いにも気品があり、すらりと背が高く、朗らかな人。
今まで私の周囲にはいなかった人だ。
私は、本当に心から舞い上がった。
王家が用意した立派な馬車に乗り込もうとして、両親も同伴を申し出て、私は一度目の恥ずかしさを覚えた。
父はもともと権力志向も強く辺境伯になってから、勘違いな言動が増えた。
母に至っては貴族生活にあこがれており、馬車を見て勘違いを始めた。
王家からの使者が、馬車に乗れるのは「聖女」だけであると強く言い両親は折れた。
王家の不興を買うわけにはいかないことは、父にも理解できたからだ。
それでもこののち両親が幾度となく勘違いをし、行動がエスカレートする様を他の貴族に嗤われ軽蔑されたことから、父の実家とは完全に絶縁することになった。
その時は、あこがれた王都に行ける事、王城に1年住めることに私は舞い上がっていた。
夢に見た「お姫様」になれるのだと。
国の建国式の準備や練習がはじまり、神殿での儀式にもなれた頃、王城での生活にも余裕が出来ていた。
王城に住めると言っても私に与えられたのは、城内にある小さな離宮の一つ。
それでも今まで見たことも、食べたこともない豪華な料理。
誂えられた調度品は美しくて、寝具はシルクの肌触り。
身の回りの世話をしてくれる人に、目にも鮮やかなドレスたち。
今まで味わったこともない贅沢に、高位貴族の令嬢たちはなんて素晴らしく良い生活をしているのかと、心底羨ましくなった。
前は夢見ていただけで済んでいたことも、触れてしまうと我慢は出来ない。
少しずつ、自分の中で変わってしまったものがあった。
人は現状より良いものを目の前に出されたら、受け取ってしまう。
言い訳にしかならないが、私はもう昔の自分とは変わってしまっていた。
私は見送られていた社交デビューを出来ることになった。
それも高位貴族だけに許された王城でのデビュー。
「聖女」に選ばれたことから、私は騎士役の彼の付き添いで、社交界にデビューを飾った。
衣装は王家が用意してくれた。
今まで身に着けたことのない、シルクタフタの肌触り。
良質な光を放つドレスは私の家では絶対に買う事の出来ない上質なもの。
ドレスに縫い付けられたいくつもの光輝くビーズ、重ねられた繊細なレース、私の心をつかんで離さないものだった。
そして私の隣には、眉目秀麗の見本と言われた彼が立っている。
エスコートはとても優雅で、ダンス時間は夢心地がいつまでも続いているような、ふわふわとした幸せ。
彼は優しく微笑んで、「お似合いです、真珠の君」と褒めてくれる。
私が恥じらいを見せると「かわいらしい」と言って、手の甲にキスをくれた。
なんて、幸せな時間なのだろう。
幼い頃に夢見ていた王子様がいる。
社交デビューからはほぼ毎夜開かれる夜会や、王家や高位貴族主催の茶会に出席して貴族の令嬢たちと親睦を深めた。
叔父が昔つれてくれたマナー講師のおかげで、私は恥をかかずに済んでいる。
叔父には感謝しかない。
建国祭の準備も大詰めになった時に、また父が問題を起こした。
私が住んでいる離宮に、両親も滞在したいと宰相に進言したのだ。
厚かましいと社交界ではずいぶんと嗤われていたのに、父は意に介さない。
父は権力欲の強い俗物だが、とても鈍感なのだ。
宰相は「理由がない」「前例がない」とけんもほろろに父をあしらった。
普段の父ならここで逆上するが、さすがの父も、宰相には横柄な態度はとれなかった。
当然だ。
宰相は現王の異母弟の当たる人だ。
この人に逆らうことは、王に逆らう事。
父は俗物だが、損得勘定は上手だ。
建国祭も近くなった頃、私は、茶会で初めて彼の婚約者である彼女を見た。
精巧にできた人形のような、類を見ないほとの美しい相貌。
彼女を見たら誰もが「美しい」と思う容姿をしていた。
国で一番裕福な伯爵家の令嬢という肩書。
何もかも恵まれた人。
誰かが教えてくれた。
彼女は彼の婚約者だと。
この時まで私は、彼に婚約者がいる事を知らなかった。
彼とは侯爵家が援助をもらうための金と引き換えにした婚約であったが、伯爵家の令嬢であれば、侯爵家に嫁ぐことに問題はない。
なによりも彼女の美しさは、国で一番といっても過言ではない。
聖女として選ばれてから、自分の容姿に絶対的な自信をもっていた私は敗北感にさいなまれた。
そして、彼女の美しさに感銘を受けるのではなく、彼女に負けたと勝手に思っていた。
この辺りは、私は父の性格を色濃く受け継いでいたのだ。
なによりも、私の心を乱したのは、彼の婚約者という幸運な立場にいたことだ。
美しさだけなら、綺麗な人だなで澄ますことが出来きた。
伯爵令嬢の身分にも、世の中には恵まれては人がいるんだなで無視できた。
でも、美しさも家柄も、何もかも手にしている彼女は彼も自分のものにしている。
私と何か違うのだろう。
ひとつくらい、私が持っていてもいいと思うの。
何より、私はどうしても彼が欲しい。
しがない騎士の娘が聖女になる幸運を引き当てた。
侯爵夫人を夢見ることはいけないことなの?
彼の心を欲してはいけないことなの?
話しかけ、語らいあい、同じことで笑う。
時々、指をつなげて、微笑みあう。
私の周囲にはいない、優雅で優しい美しい人。
騎士特有の荒々しさもなければ、平民のような乱雑さもない。
私があこがれた美しい世界を彼はもっていた。
それを欲しいと思うことはいけないことなの?
社交界に出るようになってから、絶縁していた叔父と再会した。
私はこの叔父が嫌いではない。
どちらかといえば、強欲で俗物でそして品のない父の方が好きではない。
いとこたちもそれぞれ、彼ほどではないが貴公子になっていた。
長男は、叔父の爵位を継ぐために子爵を名乗り、次男は近衛として王城に勤務し、三男は上位文官として王太子宮に勤めていた。
みな、私の聖女就任を喜んでくれた。
半面、正妻と妾の子の、そして爵位があるかないかでの落差を知ってしまったのだ。
叔父の子供たちは王族に連なる仕事をし爵位を受けているが、妾の子だった父はその子爵位すらも与えられなかったのだ。
私は父の母が、両親をしらない孤児院育ちの上、王城に勤める衛生メイドだと言っていたが、実は娼館に勤務していた事実を知らなかった。
祖父はたった一度だけ出向いた娼館で抱いた女が妊娠してしまっただけで、妾ですらなかったのだ。
それでも祖父は潔く責任をとり、母子を引き取ってくれたのだ。
祖父は父にも子爵位を譲るつもりであったのに、爵位をめぐった言い争いに発展し、叔父を盗賊に襲わせてケガをさせたため子爵位を取り上げられていたのだ。
父は自分に都合の悪い話は、私にも母にも話していなかった。
まるで、妾の子だから差別されたようなことを言っていたが、のちに事実を教えられて、私がどれだけ恥をかいたか。
そして私は後に自分の子供に父と同じ事をしたのだ。
叔父と父の諍いを私に向けない叔父はやはり優れた人間だった。
あるとき、叔父がお茶をしないかと私を呼んだ。
初めて訪れた男爵家の王都の別邸は、大きくはないが、とても暖かく過ごしやすいところだった。
叔父は、彼と私の噂話を聞いて、心配していたのだ。
社交界の恐ろしさを知っている叔父には、私と彼の関係は、危ういものに見えたのだろう。
けれど、この時の私は彼以外見えなくて、叔父の注意も余計なお世話だと思っていた。
彼は私に「あなたを愛している」と言ってくれたのだ。
そう私は叔父に告げた。
彼に婚約者がいることは理解している。
けれど彼は言ったのだ、私に。
「婚約者を愛していない。人形のように表情がなく、会話をしても響かない。一緒にいても息が詰まる」のだと。
その点、私は優しくて朗らかで一緒にいると安心できると。
その可愛い笑顔を守ってあげたいのだと、キスしてくれたのだ。
叔父は「本当に誠意のある男性は、婚約を破棄してから、お前に愛を語る」と言った。
一瞬、背中が冷えた気はしたが、私は不機嫌な表情をとることで答えを伝えた。
叔父は言いたいことは沢山あったのだろうが、今の私に何を言っても無駄だと判断したのか、一線だけは越えるなと警告してくれた。
私は、それを守らなかった。
建国祭が終わってしまえば、私は王城を出なければならない。
そしたら、また、両親とともにあの何もない辺境の地へ戻ることになる。
これほど煌びやかで、刺激的な王都を離れるなんて、今の私には出来そうにない。
建国祭の日。
魔が差したとしか言いようがない。
欲しかった。
ただ、ただ、彼のすべてが。
私の未来に続くはずの彼が。
彼にふるまわれたお酒に酔いが回りやすくなる液体を混ぜた。
私を信用していた彼は、それを疑いなく飲んだ。
誰の目から見てもわかるように、会場を後にした。
正直、自分がここまであからさまな事ができるとは追っていなかった。
恋は人を変えるのだ。
違う。
今ならわかる。
私は恋をしていたのではなく、プライトが高くなったのだ。
この私が、平民に戻るなどありえないと。
侯爵夫人という肩書きが、とても欲しのだ。
その夜。
王城で与えられた私の部屋まで手をつなぎ、人気のないところでキスを重ねた。
頭の片隅で、叔父の忠告が聞こえたけれど、隅に追いやるのに時間はかからなかった。
彼の舌を口内に受け入れて、自分からも積極的に絡め、彼の首に腕を回した。
首筋に舌が滑り胸元に手と唇が到達した頃には、互いにすべての服をはぎ取って、原始の頃から繰り返された、快楽と苦痛そして、性の酩酊に至るまで走り抜けた。
彼が私を組み敷き抱きしめて、体を瞬間震わせ自身の白濁を私の腹に放出したとき、快楽の震えとは別の震えを感じた。
彼が私の体の中に放った白濁が何なのか、分からないほど私も初心ではない。
閨教育は受けていなくても、デビューしてから様々なサロンに呼ばれ、そこで様々な性のありのままをきせららに見聞きしている。
それが子種であり、子ができる可能性が高い事も理解していた。
だから、この時、叔父の言葉がよみがえり、サロンで恥とされていた「婚姻前に子が…」ということに震えたのだ。
深く考える間もなく、彼が再び私に深くキスをしながら、快楽の酩酊に向かった瞬間にすべてを忘れた。
彼に抱きしめられて、腰を押しつけつつ「愛している」と言われたら、つい「私に子を授けて」と口から出てしまった。
彼を愛しているはずだと思っていた。
なにより、子供が出来れば、私と結婚してくれると思い込んていた。
彼に抱かれて純潔を失った翌朝。
太ももの内側を伝い堕ちるわずかな白濁に私は、彼女への勝利を実感した。
その後、互いに覚えた性の酩酊に私たちは逆らえなかった。
時間があれば愛を語らい、時間があればふれあい、そして、寝る間も惜しんで肉欲におぼれた。
慎み深さを脱ぎ捨てて、ひたすら奔放な性に従順になった。
彼の舌で得る最高の快楽を覚えた。
彼のものを口に含んで悦ばせることも知った。
恥ずかしかった行為が、当たり前のようになることに対して時間はかからなかった。
社交界で私たちの関係が公然の関係として噂されるようになっていたが、互いに触れていると我慢が出来ず、控室にこもっては、快楽をむさぼるようになった。
噂を否定もせずに堂々としていた。
そのうち、社交の場で私は婚姻後の妻のようにふるまう事に抵抗を感じなくなっていた。
彼が彼女との婚約を破棄したわけではないので当然、眉を顰める人もいた。
咎める人もいた。
けれど、侯爵位を継いだ彼に意見が出来るほどの人は少ない。
彼は私に別邸をくれた。
王都の郊外にあるとても立派なお屋敷で、庭もあり、緑が豊かな豪奢な邸だった。
本当は侯爵家の本邸で一緒に暮らしたかったけれど、ご両親から反対されたと聞かされた。
その時はとても腹が立ったけれど、いずれは私は侯爵夫人となって本邸に住めるのだからと自分に言い聞かせた。
彼は別邸を好きにしていいと言ったから、もとの壁紙を変え、家具も王城の離宮でみた豪華で高級品でそろえた。
その別邸が、彼が私のために購入したものではなく、彼女の持ち物だなんて知らなかった。
父は、この世の春とばかりに社交界で大きな顔をするようになった。
娘は平民から侯爵夫人だと周囲に吹聴し始めた。
本来なら参加できない夜会にも招待状をまたないまま顔を出し迷惑がられても、勝手に毎晩のように押し掛けた。
「俺は侯爵の義理の父」だというのが、父の自慢になった。
それを言えばなんでも通ると勘違いを始めたのだ。
目に余るほどの厚かましさを母も発揮した。
自分のドレスの代金まで侯爵家に請求してきたのだ。
当然、それは侯爵家の会計人が承認するはずもなく、請求書は母につき返された。
そのたびに彼の両親のもとにもとに出向いては「けち臭い」だのと文句をつけるようになり、彼の両親は、私の両親を嫌悪し、私にも嫌な顔をするようになった。
このままでは、私はいつまでたっても侯爵家の本邸では暮らせないのではないかと不安に思う事も増えた。
ある公爵家の夜会で父は、彼女の父に、
「愛されない娘より、私の娘は選ばれたのだ。早く身をひきなされ。侯爵夫人は私の娘」だと言い放った。
夜会に私と彼は参加していなかったが、その出来事が原因で、公爵家が王家に苦情を申し立てた。
呼ばれもしないのに公爵家の夜会に夫婦で押しかけて、傍若無人に振る舞い、伯爵にあざけったのだ、苦情を申し立てられて当然だった。
宰相からは辺境伯の任期を繰り上げで取り上げられ、北の僻地にある砦への赴任を言い渡された。
自業自得であるのに、父は彼女の父親が、娘が選ばれなかった腹いせで嫌がらせをしていると言い出した。けれど、招待のないのに高位貴族の夜会に夫婦家で押しかけ、迷惑がられたいた両親の言葉に誰も賛同しない。
宰相からは「騎士爵」すらも取り上げるぞと脅され、両親は赴任地に向かった。
正直、別邸から両親が退去した時、ほっとしたのだ。
トラブルを起こされるのは迷惑だから。
私は心からこの両親が嫌いだ。
両親のせいで私と彼は公爵家の夜会への参加は出来なくなった。
彼は仕事で頑張るからいいと言ってくれたが、何かとてつもない災いが起るのではないかと私は不安を感じるようになった。
親しくしていた知人から、気晴らしに別邸のお披露目を兼ねて、茶会を開いたらどうかと提案された。
貴族社会の機微を今一つ理解していない私には、それがとてもいい考えだと思った。
彼は最初は困惑していたが、そのうち許可をくれた。
夜会に茶会と、日々を忙しく過ごし、人を招き、私は名実ともに女主人として、侯爵夫人としてふるまうようになった。
この頃から私は彼に早く婚約を解消して、私と結婚してほしいとせがんだ。
なのにひとつも進展がない。
だんだん、じれてきた私は、参加した夜会で彼女の悪口を言うようになった。
「彼女が彼にしがみついて婚約を破棄してくれない」と。
実情なんて、私は知らなかったから。
叔父は私とも距離を置き始めた。
建国祭後に私と彼との関係を幾度か咎めたてられて、彼が叔父に言い放ったのだ。
侯爵家当主たる自分が選んだのは、私であり妾にはしないと。
彼の口から「妾」という言葉が出たことにショックを受けた。
叔父から「せめて、伯爵家のご令嬢との婚約を解消してから姪と暮らす選択肢はなかったのか」と問われて彼は少しばかり後悔の色を見せた。
叔父は順番さえ守れば、自分の養女としてとして、輿入れさせることを考えていたようだが、彼との話し合いは決裂して、それ以来距離を置かれた。
妾という言葉がショックだった私は、とにかく結婚をせがんだ。
この時の私は初めて知らされたが、今の私の身分は平民であるため、いまのままでは彼とは結婚できない。
叔父と決裂してしまった彼は、私に身分を得るべく、動いたものの、両親のこともあり受け入れてくれる家はなかった。
なによりも、金銭的に問題を抱えている侯爵家を相手にしてくれる家はなかったのだ。
夫婦のような生活から半年もせず、私のお腹には子供が宿った。
徐々に周囲の対応が変わり始めたけれど、私には何か大きく違うのか、ほとんど理解できなくて、周囲の対応に戸惑った。
私のお腹の子は大きくなっていく。
立場があやふやなまま、出産になる。
彼は彼女との婚約を解消してくれないどころか、結婚式が迫っていると聞かされた。
彼はお腹の子を庶子にしないためには、彼女と結婚すると言った。
私が描いていた未来が潰れてしまう。
思い余って、私は彼女を訪ねることにした。
彼に愛されて、彼の子を宿した私をみせつけることで、事態を変えたかったのだ。
彼女はその日、花嫁のドレス合わせに出向いていた。
名前を名乗ってあいさつすると、彼女がほんの少し驚いた顔をした。
私は臨月を迎えたお腹を見せつけた。
「もうじき子供がうまれます」と伝えると、あろうことか彼女は「おめでとうございます」と、呟いた。
傷つくでもなく、取り乱すでもなく、淡々と祝いを告げられた。
勝ち誇った気持ちが一瞬に冷え、無性に腹が立った。
私はこの女に勝ったはずなのに。
この時、初めて彼女に憎しみといらだちを感じた。
「どうか、子供のために身を引いてほしいの。そして、出来れば私を伯爵家の養女として、侯爵家に嫁入りさせてほしいの。子供のためにお願いします」と。
その後、何も起こらなかった。当然だが、手紙の返事もない。
私の申し出を断るなんてとても腹が立った。
生まれたのは男の子だった。
彼はとても喜んでくれて「愛してる」と何度もつぶやいて、「ありがとう」と言った。
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もう、体は動かない。
私は多分、長くはない。
死期を悟ってから、死にたいのか、死にたくないのか、私にもよく解らない。
病が付いてから、起きられている時間が少なくなり、ベッドに臥せている日が増えた。
小さなこの邸には、通いの使用人の女性が一人いるだけで、私が病を得て寝込むようになってからは、最低限のことは、侯爵であった夫がしてくれていた。
夫は若い頃は王太子の近衛兵として使え、将来も期待されていた。
領地をもち、国内でも有数の名門侯爵の家当主だったのに、あの忌まわしい事件がもとで、家令も執事も使用人すらもいない生活を強いられてしまった。
人を雇うにもお金がかかるということを無知な私は知らなかった。
屋敷を維持するためには莫大な費用がかかり、そのためには領地と経営手腕が必要だという事を、私はひとつも理解していなかった。
夫にはその才能は残念ながら無かったのだ。
けれども、夫の母は王の妹で、次期国王は夫のいとこ。
そのおかげで、夫は王族の側近として仕事を与えられていたのに、すべて失ってしまった。
大きな屋敷に住み、沢山の人に傅かれ、新作のドレスで着飾り、毎夜夜会に出る優雅な生活。
愚かな私は、高位貴族は、何一つ不自由のない階級なのだと思っていたのだ。
身代を維持するためには、同格の家との結婚は当たり前で、妻の実家が裕福なほど良いのだと今更ながらにして理解した。
けれど年老いて、この仕打ちはひどいと思う。
確かに私は彼女から、婚約者を奪った立場だ。
だけど、夫だって彼女を捨てた身なのに、夫はいまだに貴族籍。
私は平民のまま。
侯爵夫人にすらなれず、妻という身分すら正式なものではない。
だから、今でも彼女が憎い。
裕福な高位貴族として生まれていた彼女が未だに羨ましい。
なぜ私は彼女になれなかったのだろう。
私だって、彼女のように裕福な家に生まれていたら、もっと幸せな人生を送れたはずなのに。
私だって、選んでくれた彼のために必死に日々の辛い生活を我慢した。
日陰者、妾、愛人と様々なに陰口をたたかれてもじっと耐えた。
侯爵夫人として華々しく着飾り、あこがれていた夜会も茶会にも出られなくても我慢した。
夫は侯爵なのだから、結婚さえしてしまえば、侯爵夫人にはなれなくても、妻としてお金に苦労をしない生活が出来ると信じていた。
なのに。
明日には、この小さな邸から別の場所に移らなければならない。
とうとう私は一度も、大きなお屋敷に住むことが出来なかった。
若い頃に夫が私の為に買い与えてくれた王都の豪奢な別邸は、彼女の名義だなんて、知らなかった。
結婚してからは侯爵家の本邸に住める信じていたら、もっと小さな邸で暮らすことになった。
せめて、あの別邸を買い取れないかと言ったら、無理だと言われた。
その時には、侯爵家の財政が傾いてることはしらなかった。
体が動かず、出来ないことが増え、トイレですら一人で行けないような日々が続き、ベッドで臥せていると、昔のことばかり思い出される。
いい事や幸せだったことなど一つも思い出せない。
私には最後の最後まで、
「婚約者のいる男を寝取って孕んだ、平民の卑しい女」という言葉が付いて回った。
「聖女が男を誑し込んだ」とまで陰口を言われる。
わたしは何一つ、悪いことはしていない。
三人いた子供たちは、みんな私から離れてしまった。
これもすべて、彼女が初夜に命を絶ったせいだ。
彼女が生きてさえいれば、愛人だとしても幸せに暮らせたはずなのに。
滅多に逢ってくれない娘が「子供として出来ることはこれが最後」と冷たく言った。
てっきり娘が一緒に暮らしてくれると思った。
けれど、娘の夫は子爵家のしがない次男で爵位を継げないため騎士になった人で、父親から相続した邸はそれほど大きくはなく、王都郊外の家は夫婦が生活するだけで手一杯だと言われた。
貧乏ではないが、使用人を雇えるほどではない。
家のことはすべて、娘が一人で行っていて、母親の介護は無理だとはっきりと言った。
侯爵家の令嬢として生まれ、夫は娘に貴族令嬢として最低限の躾はしていたのに、貴族の家には嫁げなかった。
これも彼女が命を絶ったせいだ。
彼女が生きて、娘を名目上でも娘としてくれていたなら、王族にだって嫁げたはずだ。
悔しくて、悔しくて涙が浮かんだ。
それを見て娘が、
「お母様は、年を経てからいつも人を恨んでばかりね」と、悲しそうにつぶやいた。
「せめて、ご自分たちの行いを悔い改めてくれたら、ご自分たちの過去を見つめなおしてくれたら、もっと違っていたのに」
思えば、娘は一度も自分の境遇について泣きごとを言ったことはなかった。
愛していた伯爵令息との恋がダメになった時も、彼女の妹に恨み言を言われた時も耐えていた。
騎士との婚姻を勧められた時も「侯爵令嬢」というプライドにしがみつく事もなかった。
ただ、淡々と求められたから結婚した。
こんな境遇になるなんて、考えていなかった。
年老いて病になり、死期が近くなってからこんな惨めな思いをするとは思っていなかった。
侯爵当主の妻だったはずなのに。
夫がもらっていた恩給は夫の死亡で打ち切られた。
いまいるこの小さな邸も、夫の母が王家から降下した際の下賜されたもので、本来ならば義母が他界した際に王家に返還するきところだが、王家の恩情で、夫の死亡までは住むことが出来た。
なので、正式な侯爵夫人でない私には、相続人として住む権利がない。
いかなる事情があろうとも、期限までに引き渡すようにと王家からは通達が着ていた。
ベッドから起きれない私に代わって、その通達を受け取ったのは、夫の遺品整理に来ていた娘だった。
私はここがいい、ここで終わりたいと泣いたけれど、娘は聞く耳を持ちなかった。
娘は「明日、王都郊外にある修道療養所に移ることになった」と告げた。
修道療養院は、教会が運営している身寄りのない病人たちのための施設だが、基本は身寄りのない「平民」が入る場所だ。
私は侯爵夫人だったのに、最期はそんな施設に行くことになった。
娘は一度は私と絶縁したけれど、私の身の振り方だけは探してくれた。
そのことには感謝しているけれど、娘とは一緒に暮らせない。
私には3人の子供がいたはずなのに、気が付けば、誰も私の傍にはいない。
これほど悲しいことはない。
娘に一緒にいてくれないかといったけれど、少し考えたのち、
「…彼女様への恨み言を聞かされるのはもう嫌」と一言だけ呟いて出て行った。
もう言わないからと泣いて縋っても聞く耳を持ってくれなかった。
今夜、この邸で夫もなく、夜を耐えなければならない。
さみしくて仕方がない。
今まで通ってくれた家政婦が、私を気の毒になったのか、無報酬で傍についてくれた。
うれしく思ったけど、実は娘が彼女にお金を支払ったのだと知った。
それでも、一人じゃない。
夜が深まり、頼りない蝋燭の光が揺らぐのか、それとも私の目が滲んでいるのか判別できない。
思えば、私は裕福な貴族の娘として生まれ恵まれた彼女がずっと憎かった。
彼女のことがずっと羨ましかったし、妬ましかった。
彼女が私のことをまったく気にしなかったことが、悔しくてたまらなかった。
だから、ずっと彼女への呪詛が口に出る。
娘から最後に出た言葉は「心の底から軽蔑している」だった。
私の何がいけないの。
娘は、これ以上ないほどさげすんだ目で、
「じゃああなたが、彼女にしたことをされたら、あなたはどうしてたの」そう言われて、絶句してしまった。
言葉を継げない私に、娘はもっと冷たい瞳をして「一番の屑は父上よ。あなたは人の風上にも置けない人でなしよ」と、上品さなどみじんもない言葉を紡いだ。
侯爵位をついた次男が亡くなった知らせは、3か月ほど前に届いた。
その頃、私はすでに病がひどくなり、ベッドから起き上がる事すら難しくなった。
使いの者が持参した次男からの最期の手紙には、すでに侯爵位を王家に返上した事実が書いてあった。
決められた「侯爵位」の税を王家に納付できないからだった。
次男は文官として王城勤めをしていたが、文官としての御給金は、王都の邸の維持に消え、
領地からの収入だけでは、王家に収める税がやっと。
全てを理解して爵位を継いだものの、生活維持は難しかったことが書き綴られていた。
貴族社会で貧乏侯爵家として有名で、嫁探しにも苦労し、夜会や茶会に出る費用すら工面できなかった。
時々、姉である長女が次男に礼服を誂えたが、生活に困窮した貴族が落ちぶれていく様に夫が涙をこぼした。
私たちの過去は、未だにそこかしこに生きていた。
結局のところ、次男も過去の出来事が原因で結婚は出来なかった。
その時すでに夫は王都騎士団を引退していたので、恩給は日々の生活費に消えていく。
次男に融通をするだけの余力はなかった。
それがわかるからこそ、次男は誰にも相談できず、命を絶たのだ。
権勢をふるった侯爵家は、わずか50年でここまで落ちぶれた。
次男は、好きな女性がいたが、お相手も貧乏貴族の令嬢だった。
その令嬢は、家の借財の支払いのため、豪商の後妻になった。
女であれば婚姻によって道も開けるが、貧乏侯爵家ではそれも出来ない。
たとえば、名門であるなら、まだ、利用価値もあるから、裕福な家の令嬢を娶ることも出来るが、我が侯爵家は、私たち夫婦のスキャンダルが大きすぎて、貴族社会ではつまはじきにされている。
私と娘が絶縁状態になったのは、次男がいつまでも未婚では、侯爵家が終わってしまう。
嫁が来ないのは、彼女が初夜に起こした事件で、私たちが悪く言われたせいだと、愚痴をこぼした時だった。
私はその時、「あの女が、当てつけのように初夜に命を絶つことさえしなければ、こんな苦労はしなかった」と、憎々しげにつぶやいたのだ。
そのあとのやり取りは殆ど覚えていない。
消えかけたろうそくの火を見て、ふっと意識が沈む。
次男が命をたって、王都に出向いた夫が1週間前から戻ってこなかった。
夫は王城にある次男が住んでいた侯爵家が借りていた別邸の整理をすると言って出て行った。
なにより、次男の葬儀などもしなければならない。
私は病で動ける体ではなく夫は一人、出向いていった。
これほど心細いことはない。
昔は、寂しい心細いと言えば、夫はすぐに駆け付けてくれて、私の傍にいてくれた。
愛しているのは君だけだといって、キスしてくれた。
彼女と結婚式を挙げたその日ですらも、
「あなたを信じている。心から愛してる」といえば、彼女との初夜にすら私のもとに来てくれた。
「私以外の女性を抱かないで」といえば、守ってくれた。
「爵位は私との間の子供たちだけにして」といえば、もちろんだよって抱きしめてくれた。
夫は私が望めばなんでもしてくれて、何でもかなえてくれた。
それは私が夢見た貴族の生活だった。
なのに、いまは「早く戻ってきて」といっても、返事もない。
使いを出すのにもお金がかかるとは知らなかった。
手元にあるお金はもうじき底をつく。
通いの家政婦は、気の毒だと同情して、お金はいらないからといって、ご飯を恵んでくれる。
私はもと侯爵夫人だったのに、施しをされる側になった。
長男は20才のときに家を出て以来、どこにいるかもわからない。
長女は平民になった。
そして、もう二度と会いたくないと言われた。
次男は自ら命を絶った。
もう頼れるのは夫しかいないのに、その夫は帰ってこない。
大丈夫、きっと、明日には帰ってきてくれる。
だけど、夫はそのまま帰ってこなかった。
その時も、娘が来た。
二度と会いたくないと言われたけど、やはり親子の情はあったのだ。
私のために来てくれたのだ思ったけど違った。
「父上がここに戻る途中で、亡くなったそうです。寄合馬車を降り、ここに向かう途中の道で倒れて、そのまま」
夫は、心労と過労から心の蔵を悪くして亡くなっていた。
私はどうすればいいの。
独りでどうやつて生きて行けばいいの。
夫が死んだことよりも、自分の今後を心配した私に、娘は心底軽蔑したと言葉にした。
その後、娘は一度も私と会ってくけなかった。
修道療養院についてしくしく泣いた私を一瞥したまま、帰って行った。
ここは清潔だけれども貧相な場所だ。
どうせなら、夫より先に死んでいれば、こんな場所で死なずにすんだのに。
悔しくて、悔しくて、遠のく意識ののなかで、最期に発した言葉は彼女の名前だった。
※女の愛は、足し算、割り算と打算で出来ている。