幽霊物件
ここは埼玉県S市。都心へのアクセスが良く、都内近郊ベッドタウンとして移住される人々が増え続けている。なんの特徴もない所だけど、昔からの地元民の間では、ある噂が言い伝えられている。本当に幽霊が出る場所が存在する、ということだ。
あたしは今、本当に幽霊が出るという心霊スポットにいる。ここは昔、放火で毎晩大火事があったという場所だ。犯人は判明できず、いつしかその家は新築同等にリフォームされた。ところが、せっかく入居しても、幽霊が出ると言ってはすぐに出てしまい、今は空き家状態だという。
この場所は暇つぶしにSNSで検索して見つけた。投稿者は老舗不動産屋から聞いたことを面白半分に載せただけのようだけど、あたしは本当に幽霊を見られると確信し、詳細を調べまくった。そして、いくつかの不動産屋に問い合わせて、やっと幽霊物件を管理している不動産の社長とコンタクトが取れた。山城不動産、昔からあるという地元ではナンバーワンの老舗不動産屋の山城社長だ。
「ああ、いいよ、見にきなよ。どうせ売れない物件だからさ」
社長は朗らかに承諾してくれた。
「ありがとうございます!」
それから日時と待ち合わせ場所を決め、電話を切った。
約束の日、S駅前のロータリーに着いた。タクシー以外に車は一台しかなく、あたしを待ち構えていたようにその車の窓が開いた。
「入江さんですね?」
「は、はい」
「先日電話でお話しました、山城不動産の山城です」
「あ、山城さん、先日はありがとうございました。本日はお忙しい中、よろしくお願いします」
あたしは深々と頭を下げた。
「いいのいいの。それより、早く行こうよ」
「はい」
あたしは後部座席に乗った。
山城さんは50歳くらいに見えるけど、爽やかな顔つきで優しそうで、好印象な社長だった。昭和49年に毎晩火事があったこと、犯人が捕まらなかったこと、この物件が売れなくて困っていることを、ちょっと面白く話してくれた。
「山城さんは見たことあるんですか?」
「ないない、住民からその話を聞いただけ。一応うちが所有して、リフォームして販売しているんだけど、コレが出るから、みんな出てしまうんだよ。今は告知義務で入居前に伝えるから、誰も入らない。幽霊が出る物件なんて、売れるわけないじゃない」
と不動産屋が両手を胸の前でブラブラさせた。
幽霊が出るスポットには駅から車でまっすぐ、10分くらいで着いた。
「ここが50年前に大火事があった場所だよ」
山城さんはいくつかの家を指さした。
「本当に出るんですか。あたし、幽霊見たことないから、見てみたいんですけど」
「じゃあ、どうせ誰も住んでないんだから、一晩泊まったら?布団はないけど、ただここで観察するだけなら、電気、シャワー、トイレは使えるようにしておくから、あとは何もいらないよね、コンビニも近くにあるよ」
「いいんですか?」
「いいのいいの。ゆっくり見てって」
「はい、ありがとうございました」
あたしは鍵を借り、この部屋で一晩過ごすことにした。近くのコンビニで夕飯を買って食べて、軽くシャワーをして、幽霊が出やすいようにと早めに電気を消して、寝ないで幽霊が出るのを待った。
待てど暮らせどなかなか出てこない。たいくつしのぎに投稿者のSNSを見ることにした。
「幽霊物件に来ました。まだ何も出てきません」
そう書き込むとすぐに、
「本当に来たんですね、頑張ってください」
レスポンス早っ。
「あなたはこの近くにお住まいですか?」
「近くに住んでます」
「今、あたし一人なので、中に入ってみませんか?」
その後、反応が途絶えた。
行きます、とか、怖いからやめときます、とかの返信を待っていたのに、相手は寝落ちしたのだろうか。
あたしはうたた寝してしまい、SNSの新着音で目が覚めた。
「今から行きます」
投稿者からの返信だ。
あたしは投稿者が来るのを待ちながらユーチューブを見ていた。ふと部屋の中を見渡すと、いつの間にか女の子が台所にいた。
一瞬ギョッとしたけど、ユーチューブの音に紛れて、来たことに気づかなかったのかもしれない。
「こんにちは」
あたしが話しかけると、彼女はゆっくりと振り向いた。何も言わずに、会釈を返した。
一見、お嬢様風のワンピースを着た、可愛らしい印象なのに、ちょっとぽっちゃりで地味で、どこか暗い印象だった。
「まだ幽霊出てこないんです」
「そうですか」
小さな声で静かに応えた。
「あなたは、見たことあります?」
「いえ」
彼女は手にマッチを持っていた。
「えーと、何か作るんですか?ガスが通ってないみたいだから、火をつけるのが面倒ですね」
「ええ」
うつむき加減に短く返事をしたかと思ったら、火が点いたマッチを部屋に向かって放り投げた。
「え?」
あたしは目を疑った。
「ち、ちょっと、そんなことしたら火事になるじゃないですか」
あたしはありったけの声をあげた。火が燃え上り、部屋はみるみるうちに炎に包まれた。熱い、熱い。このままじゃ死んでしまう。
あたしは荷物と鍵を持って、とにかく一目散に部屋を出て走り去った。駅まではひたすらまっすぐ、来るときに車の中から見て覚えていたから大丈夫。それに、不動産屋は駅からすぐ前だ。物件が燃えていることを知らせなきゃ。
それにしても、あの子は何のために火をつけたんだろう。このままじゃあの子が焼け死んじゃう。
駅に着いた! あたしは息を切らしながら不動産屋の引き戸を開けた。
「こんにちは」
ところが、上がり戸があって、奥行きの両脇にふすまがある。え? 誰かの家? というか、さっきまでいた幽霊物件そのものだった。たしかに女の子が火をつけたマッチを部屋に放って火事になって、あたしは逃げたはずなのに。
夢? そんなはずはない。たしかに物件が燃えて、熱かったはずだ。もう何がなんだかわからなくなった。早く帰ろう。あたしはハンカチで汗を拭いて水を飲んで、再び物件を出た。
物件に鍵を掛け、駅に向かって歩きはじめた。するとその帰り道、あたしのほかにもう一人の足音がすることに気づいた。
立ち止まって耳をすますと、もう一人の足音は消えた。再び歩くと、その足音もついてくる。おそるおそる振り向いた。そこには、さっきの放火した女の子がいた。
「あなた、さっきの…」
直感的に、例の物件に出る幽霊だと察した。彼女は、可愛らしかったのに、憎しみにあふれた、ものすごい形相に変わっていった。
「お姉さん、助けて」
「きゃあああ」
あたしは一目散に走った。それでも彼女はついてくる。
「どうして火をつけたの?」
あたしは声を張り上げた。
「みんな、私をいじめるから」
「みんなって?」
「ここに住んでる人たちよ。あたしのことデブだとかブサイクだとか言ってからかうの。みんな死んじゃえばいいんだわ」
「それで意地悪する人が住む家に放火したの?」
「そうよ、そして、この家に住む人はみんな呪ってやる。あなたも帰さない」
「呪うのはあなたのこといじめた人だけで、その後にこの家に住む人は関係ないよ」
「それほど私の悲しみは深いのよ」
そう言って彼女は泣き出した。
彼女が言うこともわからなくはなかった。あたしもそういうところがある。あたしも友達ができなくて、いじめられたことがあった。いつしかSNSの中でしか生きられなくなった。ただ、おそらく彼女がいた頃はSNSなんてない時代。相談窓口も逃げ場もなくて、いじめる人たちを苦しめるしかなかったのかもしれない。
「あなた、名前は?」
「名前?名前を聞いてどうするの?」
「あたしは入江祐子。今さらだけど、友達にならない?」
「友達。私と?」
「うん、あなたとは別の世界だけど、あなたと同じように、あたしもいじめられっ子だから。あなたの気持ち、わかるよ」
「本当に?」
彼女は、ゆっくりとあたしのほうへと近づいてきた。このときはもう、不思議と、怖さはなかった。むしろ、本当に彼女と友達になりたかった。
「私の名前は…」
彼女が穏やかにそう言いかけたときだった。
「入江さん?」
男性の声だった。
「え?」
あたしは目を見開いた。目の前には山城さんがいた。
あたしは気を失っていたらしい。
「山城さんっ」
「入江さん、大丈夫?」
「は、はい…」
景色が違う。物件の貼り紙を施したガラス張りに囲まれ、カタログが収まった本棚と、チラシが貼られたデスク。制服のスタッフ数人が心配そうな顔をしてあたしを見ている。
「やっぱり、出たんだね」
「はい」
「怖かった?」
「いえ…、あ、いや、怖かったです」
「そう? なんだか、入江さんは幽霊好きみたいじゃない。いっそのこと住んじゃいなよ。安くしとくよ」
「それは…いいです」
あたしは曖昧にした。でも、彼女とならいい感じで共存できそうな気がする。
山城さんは、最後まで笑顔であたしを見送ってくれた。
あれから数ヶ月経ち、久々にSNSを開いてみた。あの投稿はなくなっていた。投稿者のIDを検索しても見つからなかった。
なんの特徴もない埼玉県S市に地元民の間だけでひっそりと存在する噂。他県から移住する住民が増え続け、今や幽霊物件のことはほとんど知られていない。