猛獣、檻を出る
帷の降りた城下のはずれ。薄明かりを湛えた店の中は喧騒に包まれていた。暖色の灯りの中、むさ苦しい男たちの咆哮が響く。酒が回って顔の赤くなった彼らは皆んな顔見知りだ。尤も、今は彼らと知り合いだと言いたくないほどに獣じみているのだが。とはいえ、このような益荒男の中に紛れることに無駄に長けてくるほどには、傭兵生活が板についてきたとも言える。
オレは自分の装備に視線を移す。故郷に住んでいた頃には付けるはずのなかった白銀の鎧、あれだけダイエットしても手に入らなかった筋肉質な体。そして私の等身に近いほど大きな剣。鉄臭さが鼻腔をくすぐり、思わずため息をつく。傭兵稼業などやめて冒険者になりたいのだ。もちろん、金は稼げる。稼げるけれど華がないのだ。毎日、人をこの手で殺める。時々オレ自身も敵に殺されそうになる。敵将を討ち取ったところで歴史には名前が残らない、感謝もされない。生きる為に稼いでんのか、金のために生きてんのか、もうとっくの昔に分かなくなっちまった。そう。オレは羨ましくなっちまったんだ。冒険者が命を削ってでも大きな魔物を討伐して、人々に賞賛されるのが。傭兵でも魔物を倒せないわけじゃないけど、依頼を渡されるオレたちと、自分たちで受注する奴らでは雲泥の差だ。同じ魔物でも報酬は分割、それに討伐した魔物は依頼主のハク付けになっちまうから、肉を食ったり魔石を売ったりみてぇな冒険者の醍醐味みたいなもんはオレ達傭兵には出来ねぇ。命削っても大した額でもねぇ金を渡されておしまい。割りに合わねぇよ。気の迷いかもしれねぇけど、それでもやってみたかった。
存外、オレも俗物なのかもな、などとブツクサと言いつつオレは干し肉をつまみに酒を煽る。今日のジャーキーは味が悪いが、酒で流し込めるならなんだって良かった。今のうちにこんなバカな想いを酒の酔いと一緒に流し込もうとしてるのかもしれない。いや、背中を押してもらおうとしてんだろうな。後悔しちまっても酒の失敗にできるように。
オレは入り口を見つめる。簡素な木で出来た大きな扉は、オレ二人分くらいはある。今日はある男に待ち合わせ場所をこの酒場に指定されて来ていた。ある男といっても依頼主みてぇな関係じゃねぇ。この街のギルドマスター、アルフレッドのことだ。イケスカねぇジジイだが、一傭兵を冒険者に推薦してくれるのはアイツぐらいしか思いつかねぇ。今の時代、冒険者にも多少の身分が必要になっちまってる。犯罪歴の有無を確認するだけだが、傭兵なんてのは法より依頼を優先する生き物だからなァ……頼るほか選択肢は無ぇってことだ。
にしても遅ぇなァ、とアイツの為に用意したみやげのひれ酒に手を伸ばそうとした時、入口の扉が音を立てて開いた。
「お待たしたかな? シューカ殿!」
空いた扉よりデカい大男が体を屈めながら店に入る。オレは二度目のため息をついた。酒場は静まり返っちまった。変なジジイならこのまま裏に連れて行って二度と口をきけなくさせちまうような荒くれ者どもが、アルフレッドには手を出さない。いや、出せねぇ。今でこそ呑気にギルドマスターをやってるが、元々は神話級の冒険者だ。正直何歳かもわかんねぇ。この国のお伽話にも出てくるような存在だ。さすがにお伽話は嘘だと思うが、それに現実感を持たせちまってるのが奴の持つ特大の大剣にある。鉄の蒼く鋭い光とは違う独特の赫い妖艶な光はヒヒイロカネ製だとか、ドラゴンの血液を吸ったんだとか、様々な逸話のある魔剣だ。
「はァ……ジジイ。こんな町はずれで物騒なモンを出すんじゃねぇよ」
「ばっはっは! こんなもんを殺気とは言わんよ」
ひれ酒を見て頬を緩ませ、一息に飲み干してしまうアルフレッドを睨みつける屈強な男達。剣呑な雰囲気が酒場を包む。だがとうの本人は大して気にしていなさそうだった。
白髪にたっぷりと髭を蓄えた顔は好々爺のようだが、その目は死地をいくつも潜り抜けた老将のように猛々しい。そして実際潜り抜けてきたのだろうと言うことをその体につく傷が物語っている。
完全に不意を突いても勝てないだろうことはこの場にいる誰もがわかっていた。
「それで……なぜシューカ殿ほどの大傭兵が冒険者なんぞに? 身分こそ保証されん職じゃろうが、稼げんこともあるまいて?」
早速本題に入るアルフレッド。オレは酔いきれない自らの身体を若干憎みつつ、事情を話す。
「ホー。なるほどのぅ。貴殿にも、いや貴殿だからこそ、俗っぽいところがあるのかのう?」
「言ってろジジイ」
アルフレッドは酒気を飛ばすように息を吐き出し、酒に反射した自分の顔を見つめて髭をいじる。あれだけ騒がしかった酒場はすっかり静まり返っている。オレは落ち着かなくなって、また一杯酒を煽る。しばらくしてから、アルフレッドは目だけをオレに向けてきた。
「はっきりと言おう。迷いある剣なら来ない方が良い」
「…………ワケを聞かせろ」
アルフレッドは冒険者は遊びではないことや、オレの思ってるような賞賛されるヤツは冒険者の中でも一握りだということを伝えてきた。んなことは知ってる。どんな職でもそうだ。お貴族様でもない限り、名が売れるまでは時間がかかる。でもオレの言ってる賞賛はそんな大層なモンじゃねぇ。別に良いんだ、オレはそこらの婆さんに頼まれた薬草摘みでも、地下水路の掃除だろうが。
今の傭兵業よりずっと感謝されらァ。猛獣シューカなんて呼ばれてるのは、オレが自分の気持ちに素直に従ってるからなのかもな。だから、オレの答えは変わらねぇ。
「元より迷いはねぇ。オレの心は決まってンだよ」
そういうとアルフレッドは、ニィっと口角を吊り上げ、その真っ白な歯をオレに見せる。
そこから先は一瞬だった。
アルフレッドは背中の剣に手をかけ、力任せにオレへ振り下ろす。爆風、爆音。近くのやつは風に負け、そうじゃねぇヤツも音にビビってジョッキを落としてやがる。
本気だ。オレを殺すつもりだと感じた。腰につける剣へ手をかけ、剣を振り上げ、アルフレッドの剣を迎える。手へ響く重い衝撃。思わず膝をついてしまう。それでもアルフレッドの一撃を逃しきれない。腕に感じた重みがスッと消えた。見上げると目鼻の先にヤツの切先があった。冷や汗が流れる。
「ばっはっは! さすが孤高の女よな。シューカ殿?」
そう言うとさっきまでの魔人を思わせるほどの殺気はどこへ行ったのか、アルフレッドは気が良さそうに剣を納めた。
「グッ……テメェ……! なにしやがるッ!」
「良いかシューカ。ワシ以外にお主の剣を折らせるでないぞ」
オレの話を聞かず、酒瓶を持って笑うアルフレッド。手に持っていた剣は根元よりへし折られていた。
「良かろう、シューカ。明日ギルドへ来い。試験は要らん、今のが試験だ。ようこそ冒険者の世界へ! 歓迎するぞ! ばっはっは!」
上機嫌に笑いながら酒場を出ていくアルフレッドの背を、見つめることしか出来なかった。未だ一撃の衝撃でビリビリと痛む腕が、実力の差を物語っている気がして腹立たしい。だが……
「こりゃァ…………死んでたなァ…………」
手に残る大剣の重みを感じながらオレは仰向けに寝転ぶ。酒場はすっかり阿鼻叫喚。酒瓶は全て割れ、机や椅子までも既にボロボロだった。
この日、傭兵シューカは死んだ。そう思うことにしよう。明日からは晴れて冒険者シューカ。へへっ……なんか、スッキリ傭兵業から足を洗えそうだぜ。
アリステン城下の夜は長い。オレはもう一杯くらい飲み直して家に帰ることに決め、今まで稼いできた金をあるだけ酒場のオヤジに投げつける。
「悪かったな、テメェら、今日は全部奢ってやんよ。好きなだけ飲みな」
その言葉に歓声をあげる男達。宴は朝まで続き、オレは結局付き合わされて寝れねぇままに、冒険者ギルドまで行くことになっちまった。