第四話-1
「今日はこのパンケーキを頼みます! 分厚いパンケーキが三段重ね! とってもおいしそうです!」
「私はフルーツパフェたのむよー。鳴上さんはどうする?」
「……ドリンクバーで」
転生帰還者として美杉 麻奈子が接触してきてからしばらく経った。彼女は学校では積極的に接してきた。前園 寧子とのメッセージのやりとりも続き、気づけばこうして学校帰りにファミレスによるような関係になってしまった。
二人のことは、下の名前で呼ぶようになった。前園 寧子は「寧子」、美杉 麻奈子のことは「マナ」。名字で呼ぶと二人とも煩いので、なし崩しに呼ぶようになってしまったのだ。
二人は私のことを「鳴上さん」と呼んでくる。名字で呼ばれた方が距離が保てていいと思って受け入れていた。でもなんだか、下の名前を呼ぶ以上に親しみが込めれられているような気がする。
そんなことを考えているうちに、二人の注文が届いた。
寧子はおいしそうにパンケーキを食べ始めた。この子は甘くて量の多いものならなんでも好きな感じだ。味より、オオモノに挑むということを楽しんでいる感じだ。異世界での記憶がそうさせるのだろうか。
マナはパフェ系を頼むことが多い。パフェは目に鮮やかで、アイスや果物など、食感が異なるものが多くて楽しいらしい。
私はと言えば、ドリンクバーのココアを飲んでいる。間食は健康に悪い気がするので、こうした時は飲み物にとどめるようになった。
スキル取得前なら二人の食べる様子に耐えられず、ケーキのひとつも頼んでいたことだろう。今は欲しいと思わない。ココアで十分だ。こうした好みの変化が、いいことなのか悪いことなのか。微妙に判断に迷うところである。
注文が届いて一段落ついた時を見計らい、私は話を切り出した。
「実は、ちょっと相談したいことがあるのです。最近、学校の帰り道で何度かスキルが発動するのを感じることがあるのです。なにか身近に危険が迫っているかもしれません」
三人そろって都合がよかったので、ここのところ気になっていたことを切り出した。
私のスキル『老衰まで保たれる健康』は常時発動型だ。意識しなければ、普段はその存在を感じることはない。しかし、危険が近づいたときなどは、強く機能しているのを感じるのだ。
「ここ最近、危険と思われるものは目にしなかったと思うよ。寧子ちゃんはなにか思い当たることはある?」
「わたしも、ランニングでよく鳴上さんの家の近くを通りますが、変わったものは見てなかったと思います」
戦闘の勘に長けた寧子と、優れた目と洞察力を持つマナが異常に気付かない。それなら思い過ごしなのかもしれない。
だが、私にはひとつだけ、心当たりがあった。
「実は思い当たることはあるのです。バイトで導いた転生者の中で、私の近くに住んでいたのは全部で三人なのです」
「それって、私と寧子ちゃん以外にもう一人、転生帰還者が近くにいるかもしれないってこと?」
「ええ。そうです」
寧子が初めて接触してきたとき、スキルが発動するのを感じた。また、同じことが起きようとしているのかもしれない。
もちろん、まったく関係ない何らかのアクシデントに対し、スキルが反応した可能性はある。だが、二度あることは三度ある。ならば三度目を想定して備えるべきだろう。
すると、マナは何かに気づいたようだった。
「それってもしかして、背が高くて胸が大きくて、ちょっと内気そうな女の子?」
「そうです。よくわかりますね。見たことがあるのですか?」
「うん、ここ数日、ちょくちょく視界の隅で見かけてたよ」
「え? でもたった今、危険と思われるものは目にしてないって言ってましたよね?」
「危険とは思わなかったんだよ。仮に何かを仕掛けてても、私や寧子ちゃんがいれば十分対応できるだろうからね。でも、鳴上さんが気になるなら、確認してみようか」
「そうですね。次に見かけることがあったら、お願いできますか?」
「それじゃあ早速やっちゃおうか。ねえ君なんでしょ! こっちに来てお話しない?」
そうしてマナが声を投げかける方を見た。私の真後ろのテーブル席に、その少女はいた。
他校のブレザーを着ていた。大きい。身長は170センチ以上はあるだろう。胸も負けずに大きい。Fカップは余裕で突破していそうなボリュームだ。
そんなにいいスタイルをしているのに、背を丸めて縮こまっているせいで、それほど魅力的に映らない。長く伸ばした髪は綺麗なはずだけど、手入れが足りないのか整わずモッサリとしている。それによって顔の左側が隠れ、伏し目がちな目は薄暗い印象を与えてくる。
その姿には見覚えがある。天界に招かれたときも、こんな感じだった。
「ひぃっ!?」
マナの呼びかけに、彼女はたよりない悲鳴を上げた。
この声も覚えている。天界でバイトをしていた時、初めて声をかけたときもまた、彼女はそんな悲鳴を上げていたのだった。
「やあこんにちは。私は美杉 麻奈子。ここのところ鳴上さんの近くまで来ていたみたいだけど、何か用事でもあるのかな?」
「わたしは前園 寧子! よろしくお願いします! あなたも転生帰還者なんですか? 職業はなにをされてましたか?」
あれから、私のことをストーキングしてたっぽい少女、五十鈴 蘭を、事情を聞くためにこちらの席に招待した。
4人までゆったり座れるテーブル。その向かい側にマナ、私、寧子。三人掛けでも多少の余裕はあるはずなのに、二人が妙に身体を寄せてくるので狭苦しい。
マナと寧子がかわるがわる声をかけていくが、彼女は顔を真っ赤にしてうつむくばかりで応えようとしない。そうだった。彼女は転生前はニートで引きこもりで、対人スキルが低かった。だから、転生帰還者と言っても、寧子やマナのように自分からやってくる可能性は低いと見込んでいたのだ。
二人が声をかけても、五十鈴 蘭はもじもじするばかりで口を開こうとしない。
『転生女神の語りかけ』でもやってみるしかないか。
そう思い、手を広げようとしたとき。彼女はおもむろに懐から何かを取り出すと、左のほっぺたにぺたりと張り付けた。湿布か何かのようだった。
そして、目の前で劇的な変化が起きた。
彼女の耳まで真っ赤に染まっていた顔が、すうっと白くなったのだ。まるで、顔に張り付けた何かに吸い込まれたみたいに。
「!」
寧子が立ち上がり、マナは私を守るように身を乗り出した。空気が張り詰めた。
そんな空気の中、しかし空気でも読めていないかのように、五十鈴 蘭は動いた。
「す、すみません。わ、わ、わたしはっ! 五十鈴 蘭です! よろしくおねがいしますぅ……」
そう言って、深々と頭を下げたのだ。
そして頭が上がらない。ずっと下げ続けている。こちらが何か言葉をかけない限り、動くつもりは無いようだ。
「よろしくね。それで……今、顔に貼ったのはなんだったのかな?」
マナが問いかけると、五十鈴 蘭はようやく顔を上げた。左の頬にはまだ何かが張り付いている。湿布かなにかのようだが、それで顔色が急激に変わるなんて、見たことのない現象だった。
「こ、こ、これはっ、熱さましの冷却シート、です。わ、私のアクセ『ほどよく増す薬効』で、効果を強めましたっ。これで私は、赤面症を克服したのですっ」
アクセプテッドスキル。神様に現世での所有を許された、ささやかなスキル。
『ほどよく増す薬効』は、その名の通り、薬剤の効果を増すことできる。例えば、風邪薬を飲んで3日で治る程度の風の場合、スキルの効果で2日で済むくらいだ。
効果の増幅率は薬によってまちまちで、基本的にはそこまで高い効果を得られない。
私が軽く補足を加えると、マナは感嘆の息を漏らした。
「さっきは驚いたよ。ずいぶんと使いこなしてるんだね」
「え、えへへっ……でも無理に薬効を増すと、薬の方がすぐだめになるんですっ……」
五十鈴 蘭はほっぺたに貼っていた冷却シートをテーブルに置いた。軽く触れてみるが、冷却シート特有の刺激的な感触がない。薬の匂いもほとんどしなかった。この手の冷却シートは数時間は冷たさが持続するはずだ。それが顔色を変えることだけで、一瞬で消費しつくされたことになる。
アクセは基本的にはささやかな効果しかない。使い道がちょっとおかしいけれど、これほどの効果をあげるとは驚きだ。彼女はスキルを使いこなす才能があるらしい。
「さて、転生帰還者である、五十鈴 蘭さんに残念なお知らせがあります」
「な、なんでしょう……?」
「私は女神ではありません。転生女神のアルバイトしていました。あなたのような転生者を、異世界に導く業務についていましたが、今は退職して何の力もありません。あなたが私に転生女神としての力を期待していても、私はそれにこたえることができません。申し訳ありません」
寧子やマナにも言った、アルバイトをしていたという告白を再び行った。
隣でマナがやれやれとため息を吐くのが聞こえた。あきれるのもわかる。何度も同じことを聞かされるのは嫌だろう。それでも、テンプレは大事である。だって手間が省けるから。
それを聞いた五十鈴 蘭は、
「そんな……女神様じゃなかったなんてっ……!」
大いに驚いていた。まるでこの世の終わりみたいに愕然としていた。
初めて普通に驚いてもらえた。前の二人は大して驚かなかったので、新鮮に感じられた。でもこれが本来のリアクションな気がする。
「アルバイトってどういうことですかっ……?」
「神様から力を与えられて転生女神の振りをしていました」
「じゃあ、ただの人間なんですかっ……?」
「ええ、私はごく普通の人間です。ガッカリしましたか?」
「正直、すごくガッカリしました……」
なんだか落ち込んでしまった。でもそれは、私にとって都合のいい反応だった。ただでさえ転生帰還者2人に付きまとわれてしまって困っているのだ。失望して、このまま去ってくれた方が都合がいい。
「鳴上さんは、私が間違っていたらきちんと厳しく叱ってくれる人なんです。異世界から戻った私に、生きる道を示してくれた素晴らしい人なんです! 人間でも、女神さまと同じくらい素敵な人なんですっ!」
寧子がなにやらフォローをしてきた。そうまっすぐ言われるといたたまれないものがある。私はそういう称賛を受け取れる種類の人間ではない。それからチラチラとこっちを見るのはやめて欲しい。その目が「褒めたんだからご褒美ください!」と訴えてるように見えた。
後で、人前でこんなふうに褒めないように叱っておかなくてはならない。それは、精神的な苦痛すら快楽にしてしまう寧子にとって、ご褒美になってしまうことになるのが悩ましい。この子は本当にどうすればいいのだろうか。
「そうだよ! 鳴上さん……いいんだよ!」
マナは私の腕にしがみつきながらしみじみと言った。
「人前でくっついてくるのはやめてください」
「二人っきりの時ならいいんだね!」
「そういう意味ではありません」
「鳴上さんは照れ屋さんだね!」
「そういう意味でもありません」
私はため息を吐きながら、腕にしがみつくマナを振りほどいた。その最中、五十鈴 蘭の顔を見えた。驚きから一転、穏やかな目をしていた。
あの目は知っている。クラスのオタク系の男子が、クラスでラノベかなにかを読んでいて、「尊い」とかつぶやいてたときの目だ。それが自分に向けられるということに、ひどく落ち着かないものを感じる。
なんだろう、このおかしな状況は。
いろいろなことが煩わしく思えた。こういうことはさっさと終わらせたい。とにかく本題に入るとしよう。
「それで……五十鈴さん。あなたはいったい何が目的で、私のところまで来たのですか?」