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第三話-2

 おそるおそる目を開いた。

 驚くほど近くに瞳があった。美杉 麻奈子の、大きくて澄んだ黒い瞳。その瞳に、吸い込まれてしまいそうだと思った。


 美杉 麻奈子は更に距離を詰めてきた。そして、私をぎゅっと抱きしめた。その身体は暖かで柔らかで、しかし華奢だった。ふわりと甘い香りがした。

 異世界での経験を語った時の、うつろで儚いイメージなど消し飛んだ。熱と重みをもった身体だった


 でも、なぜ抱き着いてくるのだろう。私を絞め殺す意図ではなさそうだ。そこまで力は込められていない。なら、私が言ったことが気に障ったわけではないのか。


 誰かに抱きしめられるなんて何年ぶりだろう。転生女神のバイトでも、そんな経験はなかった。彼女の顔はすぐ横にあるというのに、近すぎてその表情はうかがえない。


「あの……どうしたんですか、美杉さん?」

「うれしかったんだよ! もう、ハグしちゃいたいくらい、うれしくなっちゃったんだよ!」

「そんなに大したことは言ってないと思いますが……」

「うん。そうかもしれない。鳴上さんの言ったことは全部頭ではわかってたこと。でも心ではわりきれなかったことなんだよ」

 

 彼女の顔が、私の横から前に来た。

 とても近い距離で見つめ合った。

 うるんだ瞳がとても綺麗だった。戸惑う私に、美杉 美奈子は優しく微笑んだ。


「異世界に行ったことなんて誰もわかってくれない。すべてを知った君に許されたことがうれしいんだ。私のことを想って、許してくれたことが嬉しいんだよ」


 そういわれて、私は気まずくなり目をそらした。

 先ほどの言葉は、転生女神のバイトを思い出しながら、適当にそれっぽいことを並べただけだ。それでこんな風に感激されては、まるで騙しているみたいだ。いや、実際騙しているのかもしれない。


 正直に言って、美杉 美奈子が急に自分を語りだし、勝手に盛り上がって勝手に感激したという感じだ。まあ当人が納得して愚痴をやめてくれるのなら、私としてはいいことだ。


「私に相談したいというのは、このことだったんですか」

「うん、そうだよ。でも、異世界の悩みは二つ目の相談だったんだ」

「二つ目? 一つ目があるんですか?」


 まだ何かあるのだろうか。正直、これ以上は容量オーバーという感じだった。

 

「大丈夫。一つ目は簡単なことだよ。鳴上さんに友達になってほしいんだ!」

「……友達?」

「そうお友達! 異世界から帰ってきて、私は目の届く範囲の、手の届く人たちを助けたいって思うようになったの! だから鳴上さんにお友達になってほしいの!」


 抱きしめられたまま、至近距離でまっすぐに。美杉麻奈子はそう言った。

 意味が分からなかった。彼女とは、転生女神のバイトでしか縁がない。現世では地味な私に、彼女のようなかわいらしい女の子が、こんな風に友達になりたいなんて行ってくるなんて、正直思いもしなかった。


「あーっ、鳴上さん! どうしたんですか!?」


 突然の呼びかけにびくりと震える。

 美杉みすぎ 麻奈子まなこと一緒に声の方を向くと、ジャージ姿の前園まえぞの 寧子ねいこがいた。


 そうだった。彼女は朝だけではなく、放課後にもランニングをしている。そのコースには私の生活圏が含まれている。もちろん前園 寧子は意図的にやっている。偶然を装い私に会う機会を増やすつもりなのだろう。

 この公園を選んだのもそれが理由だった。美杉 麻奈子との相談がこじれたときに、前園 寧子が来ればいろいろ押し付けることができるかもしれないかと、ちょっと考えていた。


 しかしまさか、こんなタイミングでやってくるとは。


 私は思わず、ぱっと離れた。美杉 麻奈子はそれを止めようとはしなかった。しかしなんだか名残惜しそうだった。


 前園 寧子は不思議そうにこちらを見ている。どう説明したものかと考えあぐねていると、先に美杉 麻奈子が口を開いた。

 

 

「私は美杉 麻奈子。君と同じ転生帰還者だよ」


 美杉 麻奈子はさらりと自己紹介をした。いや、待って欲しい。


「なんで前園さんが転生帰還者とわかったんですか?」

「わかるよー。まず、立ち姿を見れば、西洋剣での戦いに慣れた人だってわかるよ。この一瞬で臨戦態勢にうつったのも、その本気具合も、実戦をいくつも経験してきたことがうかがえる。それで鳴上さんの知り合いなんだから、転生帰還者ってことぐらい簡単に予想がつくよー」

「あなたのアクセは……」

「『衰えない視力』だよ」


 アクセプテッドスキル。神様に現世での所有を許された、ささやかなスキル。

 スキル『衰えない視力』の効果は、視力の若干の強化とその持続。このスキル所有者は目が悪くならない。一生メガネの補助を必要としない。年をとっても老眼鏡なしで新聞を読める。また、夜間や霧の中など、視界が悪い状況でも、常人より少しだけよく見える。


 アクセは、原則として異世界でメインとしていたスキルに関連したものとなる。目に関するスキルなのは当然と言えば当然だった。


「そのアクセはちょっとした視力の強化と、老後になっても視力が衰えない程度の能力しかないはずですよね? さっきのような分析はできないはずです」

「よく見える目と、ちょっとした観察力があれば、この子が転生帰還者と予想するなんて、簡単だよ!」


 美杉 麻奈子に当たり前のことのように言った。

 確かに彼女のスキル、『世の果てまでも見通す瞳』は優秀だった。だが彼女は、異世界勇者のスキルだけで魔王を倒せたわけじゃない。その才覚がとびぬけていたのだ。まるで名探偵みたいな洞察力だった。


 アクセ自体は、私の健康を害する恐れはない。そこはよかった。しかし、それを使う彼女は、油断ならない。


「ええと、私は前園 寧子です! よろしくお願いします!」


 前園 寧子は頭を下げて礼儀正しく自分の名前を告げた。こういうところはちゃんとしている。

 

「それで、美杉さん……」

「私のことは『マナ』でいいよ。麻奈子のマナ! あなたのことは、寧子ちゃんって呼んでいい?」

「はい、マナさん! それで、鳴上さんと何をしていたんですか?」

「鳴上さんとお友達になったんだよ!」

「そうでしたか! 鳴上さんとお友達になるのなら、私ともお友達ですね! よろしくお願いします!」


 なんだか勝手に話が進んでいた。

 私はこの二人とは知り合い程度の距離感でいたいと思っていた。前園 寧子についても慎重にそうなるようにしてきたつもりだった。その目論見が目の前であっさり崩れ去っていこうとしている。


「さっそく友達としてお願いがあります、マナさん!」

「なあに?」

「ちょっと手合わせしてもらえませんか!?」


 前園 寧子の目がらんらんと輝いていた。同じ転生帰還者ということで、何かを期待しているらしい。転生帰還者ならば、普通の人とは違う苦痛を和え耐えくれるんじゃないかとか、おおかたそんなことを考えているのだろう。


 でも、美杉 麻奈子は異世界での職業は魔法使いで、つまりは後衛職だった。前衛職の前園 寧子と殴り合いをしたりしないだろう。


「もちろん、おっけーだよ! 私もやらなくっちゃって思ってたんだ!」


 予想に反して美杉 麻奈子はあっさりと承諾した。

 

「え、なんで受けてるんですか」


 私の疑問の声に、二人はきょとんとした。

 

「パーティーに仲間を迎えるときは、手合わせするのが常識です!」

「私も、異世界でのスキルが無くなった以上、実際に手合わせして確かめないと不安だよ!」


 おかしいことを言っているのはこの二人のはずだ。それなのに、私だけがおかしなことを言っているような空気にされてしまった。


 前園 寧子はまあわかる。この子はもともとおかしい。

 意外だったのは美杉 麻奈子だった。少しはまともそうに見えていたのだけれど、異世界での常識を未だに引きずっているらしい。


「それじゃあ開始の合図をお願いします!」

「お願いー」


 二人に促され、私はどうでもよくなった。

 私は目を閉じ、何かを抱くように両手を広げた。転生帰還者について困ったときは、とりあえず『転生女神の語りかけ』だ。

 

「かつての勇者たちよ。あなたたちの戦いは終わりました。だからこれは戦いではなく、お互いを知るための手合わせです。ゆえに、転生の女神はあなたたちの手合わせに関与しません。

 神の目の届かぬ場、人の手の及ぶ範囲で、お互いを知るために、さあ、始めなさい!」


 戦いじゃないからあんまり無茶をしないでほしい。そして私は関係ない。

 そんな自分を守る文言を適当にそれっぽく言いなおし、開始の合図とした。


 閉じていた目を開くと、前園 寧子は既に走っていた。相手の懐に飛び込んで内側から食い破る。異世界でもそうして戦っていたが、こちらの世界でも、それが彼女の戦闘スタイルのようだ。


 数発のジャブをフェイントとして放ち、続けて繰り出したアッパーは、しかし、美杉 美奈子には全て見切られていた。紙一重で躱されてしまう。その隙を見逃さず、美杉 麻奈子はその拳を相手の鳩尾に叩き込んだ。前園 寧子の身体がくの字に曲がる。続けて、顔面めがけて膝蹴りを放った。鳩尾を打たれて動きを止めたはずの前園 寧子は、しかし、止まらなかった。動き続け、膝蹴りを辛くも躱して一旦距離をとった。


 そして、攻防は止まらなかった。前園 寧子はとにかく距離を詰めて攻撃を放つ。美杉 美奈子はそれを見切って躱し、前園 寧子に当てる。だが、前園 寧子はその攻撃に耐える。ダメージでもないかのように攻め続ける。


 その攻防は巧みなものだったが、そこまでレベルが高いものでもなかった。天界の書庫では、『転生女神の加護』で異世界の戦いを映像で鑑賞することができた。そこで見てきた戦いにはとても及ばない。


 当たり前だ。レベルアップによって、転生者はこちらの世界の限界を超えたステータスとなっている。そのステータスを失い、スキルも悪性しかない彼女たちが、同じ動きを再現できるはずがなかった。


 それでも二人の戦いには圧倒されるものがあった。


 やがて、どちらともなく手を止めた。

 前園 寧子は軽く息を乱していた。美杉 美奈子は荒い息を吐いていた。

 

「ありがとうございました!」

「ええ、こちらこそっ……!」


 二人はがっしりと抱き合った。これが転生帰還者のノリなのだろうか。正直よくわからない。


「それじゃあ、私はランニングの途中でしたので、これで!」


 そう言って、前園 寧子は走って行ってしまった。


「珍しい。いつもはもっと話をしようとするのに」

「これ以上やったら手合わせでは済まなくなってたからね。寧子ちゃんは気を使ってくれたんだよ」


 けだるそうに言いながら、美杉 麻奈子はベンチに座った。立ったままなのも居心地が悪いので、私もその隣に座った。


「寧子ちゃんはすごいね……条件は同じとか言っちゃったけど、あのままやってたら負けてたね」

「あなたの攻撃ばかり当たってました。前園さんは『ほどよく緩和される痛覚』とと『おだやかな自己回復』いうアクセを持っていましたけど、あのまま続けば前園さんの方が危なかったのではないですか? 回復よりダメージが上回ったように思いました」

「そんなことないよ。全部、打点をずらされていたからね」

「打点?」

「そう。当たった瞬間、微妙に身体をずらして、ダメージを最小に抑えていたんだ。避けることを考慮しない、喰らうことを前提にしたインファイト。

 あんな戦い方を、こちらの世界でも応用できるほど身に着けているなんで信じられない。異世界でどんな冒険をしていたのか、今の私には想像もつかないよ」


 いろいろと見ただけで分かってしまう美杉 麻奈子だったが、それでも前園 寧子のことは理解できないようだった。それはそうだろう。ダメージを受けることを前提としてスキルを活用し、その果てに苦痛を快楽として受け入れるようになったなんて、説明されてもすぐには理解できないに違いない。私も正直、まだ受け止めきれないものがある。


「そもそもあなたは異世界では魔法使いだったじゃないですか。前園さんは前衛職ですよ。よく素手での手合わせなんてやりましたね」

「確かに魔法使いだったけど、私は元々、使える手札は全部使う人だよ。見て、わかって、扱えるものはみんな手札。魔法も手札、自分のスキルも手札。仲間も手札。

 今は自分の身体が手札で、それを使っただけだよ。そもそも寧子ちゃんだって、異世界では剣や槍を使って戦ってたんでしょ?

 現世にあるものでしか戦えないということなら、私と寧子ちゃんの条件はそこまでかわらないよ」

「……そういうものですか」


 異世界での戦いを経験したことのない私には、理解が及ばない感覚だった。いや、美杉 麻奈子が特別な気がする。普通、異世界勇者は自分の持つスキルを最大限に活かして戦う。だが彼女はそれを手札のひとつとしてしかとらえていない。異世界でのスキルが『世の果てまでも見通す瞳』でなかったとしても、彼女はさほど苦労せず、魔王を倒していたかもしれない。


「でもやっぱり手合わせしてよかった。見るだけじゃわからないことが感じられた。寧子ちゃんのことがわかって、鳴上さんの友達にもなれたし、今日はいいことばっかりだよ!」

「……友達と言うことになってしまった」


 美杉 麻奈子は私の両手を取って、私の目をまっすぐに見た。


「そう! お友達! これから仲良くしようね! 寧子ちゃんの相手は、大変でしょ? 私がいた方が楽になるよ。お得だよ!」


 見透かされている。前園 寧子の扱いには少々困りつつあった。事情を知っている協力者がいるというのは正直助かる。

 『世の果てまでも見通す瞳』を失ってなお、美杉 美奈子の優れた観察力と洞察力は確かなものだった。


 でも、それなら。私がどんな人間か、わかってしまうのではないだろうか。自分の平穏や健康ばかり考えていて、他人のことはどうでもいいと考えてしまう私は、ろくでもない人間だ。さすがに少しは自覚している。


 そんな私とわかっていながら、友達になりたいなんて思うものだろうか。

 美杉 麻奈子のまっすぐな瞳にさらされるのが辛くて、目をそらした。そうしたら、ぎゅっと握られる手の感触が気になった。


「なんであなたはすぐ抱き着いたり手を握ったりするんですか?」

「私はね、異世界に行く前から、目が良かった。目で見さえすれば、大抵のことが分かったんだ。私にとっては、目で見てわかるというのが当たり前のことだったんだ。でも、触って初めてわかることも多いんだ。私にとっては、見てわかることより、触れて知ることの方が価値があるんだ。だから、こうして、触れ合いたいんだ!」


 そう言って、美杉 麻奈子はニッコリと笑った。ひどくまぶしく思えた。なんだか、こんな近距離で手を握られてまでいるのが恥ずかしくなってきた。


「……あまりベタベタするのはやめてください」

「手をつなぐくらいはいい?」

「人前ではやめてください」

「ハグはOK?」

「NGです」

「じゃあひと月に一度くらい、一緒にお風呂入ったり、添い寝したりとかしても大丈夫だよね?」

「大丈夫ではありません。それは友達の距離感とは言えないでしょう」

「ふふっ、冗談だよ。これからよろしくね、女神様!」

「……女神様と呼ぶのはやめてください」


 こうして新しい友達ができてしまった。

 痛みや苦痛を快楽として感じてしまう前園 寧子。

 色々なことを見通し、スキンシップ大好きな美杉 麻奈子。


 どうしてこんな特殊な転生帰還者ばかり集まってしまうのだろうか。

 この状況に、私はため息を吐くしかなかった。

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