第三話-1
最近、学食のAランチがお気に入りだ。味はたいしたことがなく、生徒の評判は芳しくない。しかしこの学食を取り仕切る栄養士は優秀らしく、栄養のバランスだけは優れているとのことだ。
スキル『老衰まで保たれる健康』は、運命によって私を健康に導く。その運命に従う私は、どうやら健康によいものを快く受け取れてしまうようだ。学食ばかりでなく、完全栄養食とか、特保マークのついた食べ物に魅力を感じる。味よりそうした宣伝文句が私の興味を惹きつけてやまない。
スキルに行動が支配されるというのは危険なことにも思える。かつて、天界の書庫では強力なスキルに依存したせいで自滅した勇者を何人も見た。前園 寧子もその一人と言えるだろう。まさか、あんなことになるとは……。
そんなことを考えていると、スマホに通知が来た。前園 寧子からのメッセージだ。
「今朝もランニングしました! ご飯がおいしいです!」
前園 寧子と出会ってから一週間ほど過ぎた。今ではこうしてメッセージアプリで連絡を取り合っている。
本音を言えばとっとと関係を断ってしまいたかった。だが、厳しい言葉で彼女を遠ざけることはできなかった。なぜなら彼女は冷たくしても、よろこんでしまうからである。言葉でダメなら徹底的に無視するという手も考えられなくはなかったが、それでストーカーにでもなられたら困る。
そこで、普段はメッセージアプリで連絡を取り合い、たまに会う程度の間柄ということで妥協することにした。
メッセージのやりとりの過程で、彼女にはランニングを勧めた。『ほどよく緩和される痛覚』のせいで、痛みの実感が薄くなっているのが彼女の悩みだ。あのスキルは基本的にはダメージに対して発動するもで、運動の苦しさや疲れは対象外のはずだった。その予想は的中し、彼女は朝晩、楽しそうにランニングするようになった。このまま健全な方向で欲求不満を解消してほしい。
「ランニングを勧めてくれた鳴上さんには感謝してます! 今度お礼させてください! なにかリクエストはありますか?」
そんなことを言ってきた。色々と問題のある彼女だけど、素直でまっすぐな子ではあるのだ。
だが、どうしよう。あまり懐かれても困る。
「あなたに望むことは何もありません」
そう返して、食事を再開した。Aランチおいしい。バランスのとれた栄養素が私の身体を健康にしている実感がある……ような気がする。
「前の席、いいかな?」
「はい、どうぞ」
学食は騒がしい。前の席の入れ替わりも激しい。複数で来ると席の確保も苦労する。私はいつも一人で来るので、席に困ることは少ない。大半の生徒は、複数人で連れ立って来る。そうすると、一つ二つは席が余るものだ。えり好みしなければ、一人で食事するのに困ることはあまりなかった。
そうしてAランチを食べ終えたころ、前園 寧子から再びメッセージが来た。
「鳴上さんの言葉に身が引き締まり、気持ちがスッキリしました。ありがとうございました!」
……そうか。スッキリしちゃいましたか。学校で、昼休みに、スッキリしちゃったのですか。彼女の健全化まではまだまだ道のりが遠いらしい。思わずため息が漏れてしまう。
「何かお困りみたいだね、女神様? 私でよければ相談にのるよ。私も女神さまに相談したいことがあるんだ!」
その言葉に、私はようやく前の席に座ったのが誰なのか認識した。
亜麻色のロングヘアー。すっきりとした鼻梁。何より目を惹かれるのは、その目。綺麗で澄んだ、大粒の黒い瞳。
彼女のことは知っていた。同学年、別クラスの生徒だ。
だが問題なのは、その顔をバイト先でも見たことがあるということだった。
「私は女神ではありません。転生女神のアルバイトしていました。あなたのような転生者を、異世界に導く業務についていましたが、今は退職して何の力もありません。あなたが私に転生女神としての力を期待していても、私はそれにこたえることができません。申し訳ありません」
放課後の公園。先日、前園 寧子と話したベンチ。私はそこを相談の場所に選んだ。そして、機先を制して、あのときと一言一句違わない謝罪の言葉を述べた。テンプレと言うのは偉大なものだ。バイトで学んだ。
彼女の目的は明らかだった。異世界に戻るため、私に頼みに来たのだろう。煩わしいことはとっとと終わらせたいところだった。
美杉 麻奈子は、私のいきなりの告白に、その大粒の瞳をぱちくりとさせた。
ふわりとした亜麻色のロングヘアー。大きくぱっちりとした黒い瞳。スタイルもいい。胸はほどよく大きく、それでいてウエストは細い。華やかで、優しそうで、かわいらしい。
私とは対極にいるような人だ。普通に学生生活を送る限り、こうして二人きりで話すことなんてなかったのではないかと思う。
半年ほど前。朝礼で、彼女が交通事故に遭ったと告げられた。そして、最近になって復学したと聞いていた。
私はその交通事故が、本来は入院程度では済まないものであったことも知っていた。美杉 麻奈子は落命し、異世界に転生していたのだ。そして、無事魔王を討伐し、転生帰還者として戻ってきた。その際、交通事故で死んだ事実は無くなり、こうして復学したというわけだ。
「あははははははっ!」
私が転生女神のアルバイトだったと言う告白を受け、美杉 麻奈子は楽しそうに笑った。ひょっとして、信じてくれなかったのだろうか。冗談みたいなみたいなバイト歴だ。ワンクッション入れるべきだったかもしれない。
「あの、美杉さん……?」
「あはは、ごめんなさい。君からいきなりバイトだった、なんてバラすとは思わなかったんだよ。それがなんだかおかしくって、つい」
「バラすって……それより、私が女神じゃなくてただの人間だったことには驚かないのですか?」
「ああ、うん。君が女神様じゃなくて人間だったってことには、気づいていたよ」
美杉 麻奈子は、まるで当たり前のことであるかのように答えた。
でも、気づいていたなんてことがあるのだろうか。バイト中の私は『転生女神の加護』によって神秘的なオーラ放っていた。それは、私のような地味な人間であっても、完璧に女神に見せたはずだ。
実際、バイト中に人間と見抜かれたことはなかった。どの転生者も、天界に来たことに驚きはしても、私が本物の女神かなんて疑うことすらなかった。
そこまで考えたところで、美杉 麻奈子の異世界でのスキルに思い当たった。
「ああ、そうでした。あなたのスキルは『世の果てまでも見通す瞳』でしたね」
彼女は思考が早く、観察力に優れていた。天界でも、彼女はこちらがアドバイスするまでもなく、最適なスキルを選び出した。
彼女が選んだスキルは『世の果てまでも見通す瞳』。その名の通り、全てを見通してしまうスキルだ。道具の鑑定はもちろん、目にした相手のステータスも即座にわかる。
どんな敵だろうと弱点から攻略法まで一瞥しただけで理解できる。ダンジョンに入れば、あらゆる通路はもちろんのこと、宝箱の位置や隠し通路、トラップまで把握できる。
パーティーメンバーの仲間の成長傾向や適性までわかり、成長限界までわかってしまう。
直接的な攻撃力こそないものの、それを補って余りある、きわめて優秀なスキルだ。
このスキルを与えられたとき、私が転生女神のふりをする人間であると、美杉 麻奈子は看破したのだろう。『転生女神の加護』は神様と直結した力であり、たとえ異世界勇者のスキルであっても容易に突破できないはずだ。でも、不可能とまでは言い切れない。
「スキルをもらう前からわかってたよ。学校で見た顔だし、君はどう見ても人間だったから、なんで天界にいるんだろう、なんて驚いたよ。スキルをもらって、やっぱり人間だって確信できただけ。でも、さすがに、バイトだったのはわからなかったなー。ふふっ!」
美杉 麻奈子はいたずらっぽく微笑んだ。
言われてみれば当たり前の、簡単なことに思える。でも、違う。これは異常なことだ。
自分の死んだ直後、いきなり招かれた天界で、『転生女神の加護』のオーラに晒される。大抵の人間は圧倒されるだろう。そんな状況で、惑わされずに真実を見抜くなんて、尋常ではない。
そこまで優秀な彼女が、私のような地味な人間に相談したいことなんて、一つしか思いつかない。
「相談したいことって……やっぱり異世界に戻りたいということだったのですか?」
そう問いかけると、彼女は、すっと表情が消えた。でもそれは一瞬の事、すぐに笑顔に戻った。しかし、その目は笑っていなかった。
「やだなあ、鳴上さん。君は私がどんな冒険をしたか、知っているんでしょ? そんなこと相談するわけないよ」
「え? 確かに知っています。天界の書庫であなたの冒険については読みました。だからこそ、異世界に戻りたいという相談だと思っていたのですが……」
美杉 麻奈子の異世界での冒険を一言で表現するなら、「順調」だった。
異世界での彼女の職業は「魔法使い」だった。後方支援役として、『世の果てまでも見通す瞳』の力を遺憾なく発揮した。
彼女はまずそのスキルで仲間を厳選し、パーティーを組んだ。その場で手に入る最適の装備を揃え、仲間が最適なスキル構成となるよう指導した。ダンジョンに挑めば最短経路でボスを倒し、それでいて宝物を逃すこともなかった。待ち受けるボスキャラも、弱点を攻め、パーティーの仲間の力を最大限に活かし、短時間で討伐した。
魔法使いとしても優秀だった。転生勇者らしくレベルがどんどん上がり、高い魔力で高威力の魔法を放ち数々の魔族を撃破していた。だが、注目すべきは魔法の威力ではなく、的確な使い方だろう。
美杉 麻奈子の放つ魔法は敵の前衛の侵攻を阻み、後衛の支援の隙を奪った。最高のタイミングで仲間に支援魔法を放ち、メンバーを誰一人死なせずに最後まで戦った。常に完全に戦闘をコントロールしており、一度として相手のペースにのせられることはなかった。
苦戦などは一度もない。まるで攻略本を見ながらプレイするRPGのようだった。ついた呼び名が「順風満帆の魔法使い」という、その功績のわりにいまいちセンスのない名前だった。異世界の人たちの戸惑いがうかがえる。
そこまで順調な冒険なら、さぞ異世界での居心地もよかっただろう。だから美杉 麻奈子は異世界に戻りたいのだとしか考えられなかった。
「スキルのおかげで私の目は良く見えた。冒険の先にあるのは見たことのあるものばかり。戦いは勝ちしか見えない。なんの驚きも興奮もなかった」
その言葉は、なんとなく理解できた。彼女の冒険は見事過ぎて、物語としてはイマイチだった。起伏がなかった。
でも、それの何が不満なのだろう。困難のない成功ばかりの人生なんで、誰もが望むことではないのだろうか。
「余裕があって、他の事にも目が行き届いた。だから、余計なものもいっぱい見えた。見えすぎたの」
美杉 麻奈子は空を見上げた。
空を見上げたまま、語りだした。
「醜い人たちを見た。魔王軍に対し、自分が生き残るために自分の安全のために子供や老人を見捨てる村人を見た。命を失う領民を目にしながら、自分の財産だけを守ろうとする領主を見た」
空を見上げ、陽の光を浴びる美杉 麻奈子の横顔。柔らかな微笑みを浮かべながら、しかし暗い目だった。
「魔族がどんな風に人を殺すのかを見た。魔物がどんな風に人を喰らうのかを見た。戦いがどれほど無残に人の命を奪っていくかを見た」
彼女の瞳はまっすぐだった。どこまでもまっすぐな瞳。綺麗な瞳。
何かが欠けていると思った。たぶん、涙だ。なぜ彼女は泣いていないのだろう、なんて、柄にもなく考えてしまった。
「私が行った異世界の魔族は、人間に敵対していたけれど、人と同じような暮らしをしていた。魔族にも家族がいた。友達がいた。村があった。街があった。つながりがあった。私の勇者としての冒険が、それをどんな風に壊してしまうのかを見た」
彼女は空を見上げていた。雲一つない一面の青。
ふと、彼女は「空を見ている」のではなく、「空以外を見たくない」のではないかと思った。
彼女のよく映る瞳でも、空を見上げれば青しか見えないはずだった。
「『世の果てまでも見通す瞳』で、多くを見た。見過ぎた。私はあの異世界にうんざりして、抜けだすことを考えた。魔王を倒せば元の世界に戻れることは、『見て』わかった。だから最速で攻略することだけを考えて、ようやく帰ってこれだ。だから、異世界に戻ろうなんて思わないよ」
そう結ぶと、美杉 麻奈子はようやくこちらを向いて、微笑んだ。
先ほどまでと変わらない、優しい微笑み。それがひどくうつろで儚く感じられた。
転生帰還者の事情は知らない。天界の書庫に記録されているのは冒険を終えるまでで、その後のことはなかった。私のバイトしていた時ですら業務外のことで、バイトをやめた今では関係ない。そもそも、興味すらない。
彼女の悩みなんて、彼女自身で解決すべきだ。こちらに持ち込まれても困るだけだ。私はそういう風に考える人間だ。自分の不利益と関係しない人の悩みなんて、どうでもいい。
美杉 麻奈子はひょっとして、事情の分かる私に対し、愚痴でも吐きにきたのだろうか。それならとっとと終わらせたい。
私はベンチから立ち上がり、空を見上げる美杉 麻奈子の前に立つ。
目を閉じ、何かを抱くように両手を広げた。
目を閉じるのは、神秘的な雰囲気が出るから。相手にこちらの考えが読まれづらくなるから。相手を見ないことで、相手のことを気にせず好き勝手語れるようになるから。
そして、私は、『転生女神の語りかけ』を始めた。
「美杉 麻奈子よ。あなたは勇者です。あなたは世界救ったのです」
思い付きのまま、女神の語りかけを始めてしまった。
でも、声に出すと、考えはまとまった。
そうだ。彼女は確かに世界の嫌なものも醜いものもたくさん見たのだろう。でも、だからといってその事実だけは変わらない。よく見える目を持っているくせに、なんでも見てきたといったくせに、肝心なところから「目をそらしてる」のがいけないのだ。。
「あなたはなぜ、救えなかったものばかりに目を向けるのですか。汚いもの、醜いもの、おぞましいもの。そんなものばかりに目をとらわれ、あなたが救ったものから目をそらしてはいけません。それは救われた人々と世界に対する冒涜です。あなたが成し遂げたことを見なさい。あなたが救ったものを見なさい。あなた自身を見なさい。私があなたを許します。だから、あなたは自分を大切に思い、自分を許していいのです」
思いついたそばからそれっぽい言い回しにして考えなしに口に出してしまった。『転生女神の語りかけ』を始めると、それっぽいことを好き勝手に言えてしまう。
バイトの時は大丈夫だった。相手がこちらの言葉をどう受け止めようと、スキルもまだ与えられていないただの人間が、『転生女神の加護』で守られた私を傷つけることなんてできないからだ。
でも、今は違う。私は転生女神のバイトをやめた、ただの女子高生だ。
こんな適当な綺麗ごとの羅列を受けて、美杉 麻奈子はどう思うことだろう。あきれるだろうか。怒るかもしれない。
でも、私にできることは他になかったのだから仕方ない。
私は目を開く覚悟を決めた。