第二話-2
「あなたはまた、あんな苦しい戦いをするつもりなのですか?」
いくらスキルで耐えられるからと言って、戦うたびに激痛を味わったはずだ。彼女はスキル『痛覚緩和』を習得していた。上位スキルに『痛覚遮断』があったが、彼女はあえて取らなかった。
彼女の戦い方では、ダメージと回復が目まぐるしく移り変わり、ステータス表示だけでは状況をつかみきれない。痛みで感じ、身体で覚えなければならなかった。『傷に抗い癒される肉体』と『傷とともに積み重なるバフ』の発動のトリガーは基本的にはダメージだが、痛みを感じることによって効果が増す。スキルを最大限に活かすなら、スキル『痛覚緩和』が限界だった。
「ええ、そうです。異世界の戦いは、苦しくて、痛くて、つらいことばかりでした……」
前園 寧子は自らの身体を抱いて、うつむいた。
身体が小刻みに震えている。耳まで真っ赤に染まり、汗をびっしょりかいていた。
「大丈夫ですか……?」
心配になり、そっと彼女の肩に手をおいて声をかけた。
手を触れた瞬間、彼女はびくん、と震えて、ゆっくりと顔を上げた。頬も真っ赤に染まって、その瞳はうるんでいた。私はその顔を見て、なぜだかドキリとした。
「だ、大丈夫です……ちょっと異世界での戦いを思い出してしまって……」
「すみません、つらいことを思い出させてしまいましたね」
「いいんです……」
驚いた。ついさっきまで、年下の幼い少女にしか見えなかった。しかし上気した彼女の顔は、私よりずっと大人びて見えたのだ。これが異世界を経験したということなのだろうか。彼女は見た目の年齢よりずっと経験を経ているのだ。
……そう、納得しようとしたが。何かがひっかかる。どこか違和感があった。
「それでも、わたしは戻らなくてはならないのです。魔王は倒しましたが、まだ魔王軍の残党はたくさんいます。戦いはまだまだ残っているのです……!」
「残りの敵は異世界の人々が対応すべきものです。あなたはもう戦わなくていいのですよ」
「鳴上さんは今は普通の人でも、神様とつながりがあるのでしょう? かけあってはもらえませんか?」」
「残念ですが、バイトをやめてから、神様と連絡をとったことはありません。そもそも、バイトをまだ続けていて、神様と連絡が取れたとしても、異世界に戻りたいなんて願いは聞き入れてもらえなかったでしょう」
「そんな……」
前園 寧子はがっくりとうなだれてしまった。
バイト先の神様は、人の願いを聞き入れるような存在ではない。世界のバランスをとるという意思を持った、力の塊というイメージだ。その在り方は、神様と言うより、機械と表現した方がなんだかしっくりくる。問いには答えてくれて、力も与えてくれるけれど、願いをかなえてくれるわけではない。そんな感じだ。
そもそも私は神様とこれ以上かかわりたくない。必要なスキルは既に入手した。この世界で平穏に一生を過ごしたい私にとって、距離を取りたい存在だった。
距離を取りたいと言えば、この前園 寧子もそうだ。しょげる彼女はかわいそうに見える。多くの人が、手を差し伸べるべたいと思うことだろう。でも、私の日常にいないほうがいい種類の人間だ。要件をさっさと済ましてしまいたい。
「戦いは終わりました。あなたは現世での生活を楽しめばいいのです。そのための『アクセ』じゃないですか。あなたの『アクセ』はなんですか?」
私は二つ目の懸案事項を切り出した。すなわち、前園 寧子の所有スキルの確認だ。
転生帰還者に与えられる、神様から許されたスキル。アクセプテッド・スキル。通称、アクセ。転生帰還者が、現世に戻るときに与えられるスキルだ。原則として、勇者が異世界で使っていたものがベースとなる。ただし、「世を乱さない程度のささやかなもの」となるのが原則となる。
私の報酬スキルは、ほとんどのアクセより上位なはずだ。原則として、アクセで私の健康を害することはできない。でも、アクセの性質によっては、そうとは限らないのだ。
「わたしが与えられたアクセは、『ほどよく緩和される痛覚』と『おだやかな自己回復』です」
「当たりじゃないですか。二つとも優良スキルですよ」
その二つは異世界女神のバイト報酬として候補に入れていたものだ。
『ほどよく緩和される痛み』は痛覚の緩和スキルだ。名称だけだと大したことないように思えるかもしれない。だが、その効果の具体例を知ったら印象が変わった。なんと、タンスの角に足の小指をぶつけても平静を保てる程の能力だというのだ。なんて凄い効果だろう。
『おだやかな自己回復』は、市販の軟膏のおよそ数倍程度の回復力が得られる。深めの切り傷でも一晩寝れば治るくらいだ。
どちらも、日常においてきわめて有用なスキルだ。怪我をしても痛みが抑えれる。傷の治りが少々早くても、周りからは不審の目で見られるほどでもない。私が女神の報酬スキルをあれこれ考えていた際、最終候補まで残していた有用スキルたちだ。
ほっと息を吐いた。これで一安心。これらのアクセで私の健康は害せないだろう。
しかし、前園 寧子の表情は暗い。
「確かに、いいアクセだと思います。日常でもとっても役に立つものだと思います。でも、わたしには向いていません……」
「向いていない? 向き不向きがあるようなものではないでしょう?」
「このアクセ、常時発動型なんです。使おうと意識しなくても、自動的に機能し続けるんです」
「有能ですね」
「だから、なんだか生きている実感が薄いんです」
「……実感、ですか」
「わたし、異世界で冒険して、わかったんです。痛いのも、苦しいのも、生きているから感じることなんでです! 生きることは痛いことなんです!」
「生きる実感ってそれだけじゃないでしょう? おいしいものを食べたり、楽しいことをしたり……そういう体にとっていいことだって……」
「だめです! 痛みこそが真実です! 苦しみこそが本物なんです! 私は異世界に戻って、もっと痛いことや苦しいことを経験しないといけないんです!」
そう言い放つと、彼女は自らの身体を抱いて、震えた。
その有様をみて、ようやく私は違和感の正体に気づいた。
濡れた瞳。上気した頬。震える身体。匂い立つ色香。同性だから、それらが何を意味するのか、はっきりと確信できてしまう。
彼女は性的に興奮している。
異世界での痛かったり苦しかったりしたことを思い出し、性的に興奮しているのだ。
なぜそんな倒錯した状況に陥ってしまったのだろう。そう考えると、記憶に何か浮かび上がってきた。女神の書庫で読んだ勇者の記録は、意識を向けると精緻に思い出すことができるのだ。
女神の書庫で読んだ、彼女の冒険の一節。冒険の最初の頃。彼女は魔族によって魅了の魔法にかかってしまったことがあった。彼女のスキルは、ダメージ判定のない状態異常に対しては発動しない。前園 寧子の弱点は、実は状態異常だったのだ。
彼女を魅了した魔族は、他の魔族と勢力争いの最中だった。そこに彼女を投入した。魅了の魔法は、自分に従うものに喜びを与える。傷つきながら戦い、繰り返し与えられる痛みと喜び。やがて彼女は暴走した。魅了の魔法を用いた魔族は、暴走する彼女を制御できず自滅した。魅了の魔法から解放された彼女は、そのことを悔やんだ。状態異常に耐性のある装備を買い込み、それらを常に身に着けるようになった。
思えばそのときから、彼女の戦いは激しさを増したのだ。失敗を悔やんでよりいっそう頑張るようになったのだと思っていた。それだけではなかったのかもしれない。あの出来事をきっかけに、彼女のなかで痛みと快楽とが結びついてしまっていたとしたら……。
「行かせて! 行かせてください! お願いします! 私を異世界に行かせてくださいっ!」
縋りつき懇願してくる前園 寧子。
どうしよう。言っているセリフだけならそんなにおかしくないのに、別な意味にしか受け取れない。
よく知っている公園の、見慣れたベンチ。そこで、性的に興奮した年下の少女に迫られている。転生女神のバイトよりもよほど非日常的に思えるこの状況に、私はどうしようもなく困惑した。
なんてことだろう。彼女のアクセは私の身体的健康を害することはない。しかし彼女は、私の精神的健康を害することはできてしまうのだ。
どうすればいいのだろうか。
これと言ったとりえのない私にとって、困ったときに頼れるものと言えば……バイトの経験くらいだった。
「落ち着くのです。勇者、前園 寧子よ」
バイトで慣れ親しんだ、転生女神の語り方。私は気持ちだけバイト時代に戻し、そう静かに語りかけた。前園 寧子はびくり、と震えて少し引いた。急に静かな声で語りかけられて、彼女の興奮もちょっとだけ冷ましてくれたらしい。
私はこの機を逃さなかった。ベンチから立ち上がると、前園 寧子の前に立った。
目を閉じ、何かを抱くように両手を広げた。
目を閉じるのは、神秘的な雰囲気が出るから。相手にこちらの考えが読まれづらくなるから。相手を見ないことで、相手のことを気にせず好き勝手語れるようになるから。
バイトマニュアルにも書いてある、私が得意としていたやりかた。『転生女神の語りかけ』だ。
「落ち着くのです、前園 寧子よ。あなたは異世界を救った誇り高き勇者。戦いの喜びに身をゆだねてはなりません。それは獣の所業です」
「獣っ……!?」
前園 寧子の驚く様子がおぼろに伝わる。
バイト時代は『転生女神の加護』によって、目を閉じていても相手が何をしているか分かった。
今は音でしかわからない。正直目を閉じているのは怖い。でも目を開けるのはもっと怖い気がしたので、このまま続けることにした。
「あなたは獣になりたいのですが? 名もなき誰かのために戦うのではなく、戦いそのものの喜びのためだけに戦うのなら、あなたは勇者ではありません。獣どころか、そのへんの野良犬にすら劣る畜生と同じです。そんなところに身を堕としてはなりません」
「の、野良犬っ……!?」
「あなたは勇者なのです。誇りをもって生きなさい……」
言うべきことは言った気がする。口を閉じると、はーっ、はーっという、前園 寧子の荒い息遣いだけが響いた。しばらくすると、「んっ!」という短い声たした。息の荒さがすこし収まったような気がした。
どんな変化があったのだろうか。このまま目を閉じて女神ポーズを取り続けるわけにもいかず、私は恐る恐る目を開いた。
そして、見た。
そこには、憑き物が落ちたように落ち着いた前園 寧子がいた。
どうやら落ち着きを取り戻してくれたらしい。
「ありがとうございます、鳴上様……私、スッキリしました……」
「……スッキリしたのですか」
「はい……鳴上様に野良犬よばわりされて、心が痛みました……異世界で体が痛いのはいっぱい体験しましたが、心がこんなふうに痛いの初めてでした……その痛みで、スッキリして、久しぶりに生を実感しました……」
「心が痛くなってスッキリしたのですか」
「はい。心に染み入る痛みでした……」
前園 寧子は夢見るように語った。
彼女は身体的な痛みを快楽と感じるようになっていた。
そして今、言葉による精神的な苦痛を受けたそうだ。そして、スッキリしてしまったらしい。
それはつまり、言葉責めだけで達してしまったということではないのだろうか。こんなところで勝手にレベルアップしないでほしい。率直に言って迷惑だ。
前園 寧子は私の手を取り、私の顔をじっと見つめた。熱のこもったまっすぐでひたむきな瞳だった。転生のときの無垢な瞳と変わらなく見えるのに、今はまるで違う意味合いにしか受け取れなかった。
「あなたのような人がいれば、異世界に戻らなくても生きている実感が得られるような気がします!」
「……よかったですね」
「あなたはやっぱり、わたしにとって女神さまです! これからもぜひ、お願いします!」
「……女神さまと呼ぶのはやめてください」
『老衰まで保たれる健康』を得たことで、健康で慎ましい人生を送れるはずだった。
こんな不健全な年下の少女と関係を持つことになるなんて思いもしなかった。
なんでこんなことになってしまったのだろう。
私は途方に暮れてしまうのだった。
今日はここまでです。
続きは明日投稿します。