第二話-1
私が転生女神のバイトで入手したスキル『老衰まで保たれる健康』は、私の健康を保つため、因果律に干渉してくれるスキルだ。有能なスキルだが、大きく分けて二つの弱点がある。
一つは、大規模な災害に対しては安全を保障してくれないこと。交通事故程度なら、現場に立ち会うことすらなく回避できる。しかし、都市壊滅規模レベルの大災害となると、無傷とはいかないようだ。
もう一つは、何らかのスキルならば、突破しうるということだ。スキルと言うのは運命を変えてしまうものである。より上位のスキルだったり、あるいはスキルの相性によっては、突破しうるのだ。
だから、私のもとに訪れた少女、前園 寧子の対応は、慎重にしなければならなかった。
何故なら彼女は、転生帰還者なのだ。
物語に語られる転生にもいろいろあるが、私のかつてのバイト先の神様は、魔王を倒した勇者をもとの世界に戻すタイプの神様だった。あの神様は、世界のバランスをとるのが仕事だ。魔王を倒すほどの勇者をそのままにはして放置するわけがなかった。
そうして転生者は元の世界に戻される。その時に、二つの報酬を得る。
一つは命。転生者の現世での死は、なかったことになる。
例えば交通事故で命を落とした場合、車にはねられた事実そのものは変わらない。ただ、その事故が骨折程度のもので、命の別状はなかった、という風に過去が書き換わる。
もう一つはスキル。異世界で獲得したスキルの大半は失われるが、その代わりに世を乱さない程度のささやかなスキルが与えられる。それは許されたスキル……アクセプテッドスキルと呼ばれる。
世界を救った報酬として、それらが妥当なのかはわからない。大半の転生者は不満を持つんじゃないかと思う。でも、実際のところはわからない。その辺は転生女神のバイトの受け持ちではなく、神様が処理する。天界の書庫にあるのは、異世界での出来事のみで、帰還時にどんなことが行われているかは記されていなかった。
そうして異世界転生から戻ってきた者を、転生帰還者という。
『老衰まで保たれる健康』は常時発動型なので、普段は意識しなければ機能していることを感じない。しかし、危険が近づくと強く発動するのを感じる。
以前、スキルの発動を確かめるため、自殺の名所を訪れてみようとしたことがあった。ネットで場所を調べようとすると、スキルが軽く発動した。メールが届いたり、他に気になるサイトを見かけて、なかなか調べる気になれなかった。それでも行こうとすると、またしてもスキルが強めに発動するのを感じた。急な用事ができたり、電車が事故で止まったりして、私は結局自殺の名所には行けなかった。スキル『老衰まで保たれる健康』は、そうして私が危険に出会う可能性自体を無くす能力のようだった。
前園 寧子と出会った時、『老衰まで保たれる健康』の発動をはっきりと感じた。彼女は私にとって危険な存在らしい。遠ざけたいところだったが、彼女は私の存在を認識し、帰り道まで把握している。強い意思は、時として運命を打ち破る。異世界転生者の冒険で何度も見たことだ。会うのを避け続けたところで、前園 寧子は私の前にやってくるだろう。
ならば、立ち向かうしかない。どんなスキルをもって、どんな意図で私を訪ねてきたのか。それが私の健康を害するものであるか、しっかり見極めねばならなかった。
前園 寧子を伴って、学校の帰り道から少し離れた、大き目の公園のベンチまでやってきた。
この公園は自然を大切にすると標榜しており、広い敷地にはちょっとした森のように木々が生い茂っている。特に今座っているベンチは、奥まったところにある。場所の性質上、夜になると男女のカップルがあれやこれやする場所であり、地元住人はこの場所をなんとなく忌避をしている。夕方なら人通りも少なく、内緒話をするにはぴったりの場所だった。
私がベンチに座るように促すと、前園 寧子はちょこんと座った。少し幼い顔立ちに、大粒の瞳は無垢な印象を受ける。身にまとったセーラー服は近くの高校のもので、スカーフの色からすると、おそらく一年生。私より一歳年下ということになる。その外見は、もっと幼い印象がある。ポニーテールにまとめた髪も、活発な印象を受ける。そんな子が行儀よく座るのを見ると、かわいらしいという印象が強かった。
彼女に限らないが、転生者は積み重ねた年月のわりに、その振る舞いは若いままであることが多い。やはり精神は肉体に影響を受けるということなのだろうか。だが、忘れてはならない。彼女は魔王を討ち果たした転生帰還者なのだ。
前園 寧子は落ち着かずに周りをちらちら見ながら、やがて決心がついたのだろう。すうっと大きく息を吸い、しゃべりだそうとした。
そこを見計らい、私は言葉をさしはさんだ。
「ここで残念なお知らせがあります」
「!?」
機先を制され、目を見開いて驚く前園 寧子。
その様子にかまわず、私は落ち着いた態度で言葉を続けた。
「私は女神ではありません。転生女神のアルバイトしていました。あなたのような転生者を、異世界に導く業務についていましたが、今は退職して何の力もありません。あなたが私に転生女神としての力を期待していても、私はそれにこたえることができません。申し訳ありません」
一気に言って、頭を深々と下げる。
事実をきちんと述べた上で、機先を制して謝る。転生女神のバイトマニュアルに書かれていたテクニックのひとつだ。転生者によっては、異世界に行くことを理不尽だと言って、怒りだしてしまうことがある。その場合はまずこの対応を取る。これで大抵、相手は引いてくれる。
怒る人の目的は、大抵の場合、相手を謝罪させることだ。だから先に謝罪すると、相手は攻め手を失い引いてくれる。でもこれは常に通用するテクニックではない。こちらが謝るとそれにつけこんで過大な要求をしてくる人もいる。そうした場合は、また別の対応が必要となる。
「あ、頭を上げてください。こちらこそ、突然声をかけてすみません」
さいわい、前園 寧子は「別な対応」は必要なかった。
「私は、鳴上 かなえです。以前、転生女神のアルバイトをしていた、普通の女子高生です」
「わ、わたしは前園 寧子! 異世界で勇者をやっていましたけど、今は普通の女子高生です!」
手を差し伸べると、握り返して握手をしてくれた。前園 寧子はにっこりと微笑んだ。私は微笑を返した。笑顔は苦手だ。転生女神のバイトを経ても、いまいち身につかなかった。
「あ、あの。それで、転生女神のアルバイトとって、どういうことなんですか……?」
私は転生女神のアルバイトについて、簡単な説明をした。
神様が無数の世界のバランスを調整していること。魔王の現れた世界に、この世界から勇者を送り込んでいること。その応対のために、アルバイトを使っていたこと。
自分の転生を導いた女神が、ただの人間のアルバイトに過ぎなかったというのは、かなりショッキングなことだろう。でも、前園 寧子は素直に聞き入り、興味深そうにうなずくばかりだった。
素直な子だった。この娘のことはよく覚えている。天界で出会った時もそうだった。自分が死んだことより、危機に瀕する異世界の方を心配してしまうような、そんなまっすぐな娘だった。
「それにしても、私のことがよくわかりましたね」
アルバイト中の私は、転生女神を名乗るのに恥ずかしくない外見をしていた。身にまとうのは、ギリシャ神話の神々のような神秘的な雰囲気を演出する、白いゆったりとしたローブ。女神を彩るにふさわしい凝った装飾のネックレスや腕輪。スキル『女神の加護』であふれだすオーラ。普段は眼鏡をかけているが、『女神の加護』で視力が強化されて不要になった。つつましい胸元は元のままだったが、そういう女神はそういう女神で需要があるはずだ。
今の私はと言えば、セーラー服姿の普通の女子高生だ。セーラー服自体、特におしゃれなアレンジなどをしていない、校則通りの着こなしだ。真面目な格好と言えば聞こえはいいが、実のところただ地味なだけだ。肩まで伸ばした黒髪は制服に合っているが、それはつまり地味と言うことだ。顔は悪いとは思わないが、ひいき目に見ても並程度。とにかく地味。飾り気のない黒縁のメガネも、その印象を強めることだろう。やや痩せ気味の細い身体と、つつましい胸元は、異性の目を引く機会が少ない。
どこにでもいる目立たない女子高生。それが私、鳴上 かなえだ。
顔は同じでも、印象はまるで異なったはずだ。
「天界での出会いはわたしの人生を変えるものでした。あの時のことは、決して忘れません」
「……そうですか」
前園 寧子は曇りのない笑顔で答えた。
私にとっての彼女は、送り出した多くの転生者の一人にすぎなかった。
だが、彼女にとっての私は、そうではなかったようだ。
「それで、私に声をかけた目的は、やはり……」
「はい。異世界にもう一度戻りたいと、頼みに来たのです……」
彼女の目的は、予想していてものではあったが、それでも意外に感じられた。
前園 寧子のことはよく覚えている。いや、彼女のみならず、天界でバイトしていたころのことは、思い出そうと思えば鮮明に思い出すことができる。おそらく、『転生女神の加護』で記憶力が強化されていたおかげだろう。
天界で出会った時の彼女は、まっすぐで、ひたむきで、自分が死んだことよりまだ見ぬ異世界の危機を心配するような子だった。
危ういと思った。こんな有様では、生半可なスキルを与えたところですぐに死んでしまうことだろう。女神の報酬ポイントは転生者の働きに応じて決まる。ポイント稼ぎに躍起になっていた当時の私は、なんとしても彼女に生き残って活躍してもらうべく、二つの生存系スキルを提案した。
『傷に抗い癒される肉体』と『傷とともに積み重なるバフ』だ。
『傷に抗い癒される肉体』は強力な自己回復スキルだ。大きなダメージを受けると、それ以上に回復する。仮に一撃で瀕死のダメージを受けても、生きてさえいれば次の瞬間にはほぼ全快する。小さなダメージには効果が薄いため、継続的な小ダメージには効果が薄い。それも回復アイテムを使用したり回復系のアクセサリを装備すれば十分に補える。
『傷とともに積み重なるバフ』は、攻防を兼ね備えたスキルだ。ダメージを受けると、任意で攻撃か防御にバフをかけることができる。炎の魔法を受けた場合、剣に炎をまとわせて攻撃を強化するか、炎への耐性を高めて防御を強化するか、といった選択ができるのだ。バフは一定時間過ぎると効果が無くなる。しかし、効果時間内なら、いくつも積み重ねることができる。重ねるごとに効果時間も延長される。スキル所有者は戦闘が長引けば長引くほど固く強くなるというわけだ。
この二つのスキルがあれば、きっと彼女はそう簡単に力尽きることなく、粘り強く戦えることだろう。魔王を倒す可能性も高まるはずだ。
この提案を前園 寧子は受け入れてくれた。「いいスキルをくださって、ありがとうございます!」なんて、感謝までされてしまった。
ここまでなら、彼女が異世界に再び行きたいと言っても、疑問に思わなかったことだろう。
問題は、異世界に行ってからだった。
彼女は、死なないための防御スキルを、メインとして最大限に活用したのだ。
彼女の戦い方は、自ら魔物の群れに飛び込み、自身を切り裂かれながら、それ以上に魔物を切り裂いていくというものだった。戦い方の都合上、どんな鎧をつけていてもすぐに破壊されてしまう。肉体に直接ダメージを受けなければスキルが十分に機能しない。だから彼女は、壊れても構わない簡素な防具しかつけていなかった。
冒険が進むにつれ、彼女の戦い方はエスカレートしていった。水属性の魔物に対抗するため、自分で油を浴びて火をつけて炎属性の剣を振るったこともあった。アイアンゴーレムに対抗するため頭から酸を浴びて吸収、拳を酸属性にして殴り倒したりしたこともあった。敵陣の真ん中で爆発するマジックアイテムを使用して自爆、その後、爆破属性を付けた剣で敵をどんどん爆破して殲滅したこともあった。
最初は他の冒険者とパーティーを組んでいたが、彼女の苛烈過ぎる戦いに誰もついていけなかった。そしてついに、たった一人で魔王を撃ち滅ぼした。
そんな彼女についた二つ名は、「傷だらけの殲滅勇者」だった。
なぜ、そんなつらい戦いに戻りたいと思うのだろう。私には想像もつかなかった。